「 ふ た り 」
貴方が私の心、そのものだという事。
怖い夢を見た。今まで見た中で一番怖い夢…息が詰まりそうなほど、怖い夢。
「YOUっ!」
揺り起こされて、目を覚ます。
「…え、あ?ゆ、夢?」
はぁ、はぁと息を乱しながら、奈緒子は自分を揺り起こしたその腕にすがった。
「大丈夫か?すごいうなされていたぞ」
「上田…さん、私…」
奈緒子の額には、うっすらと汗が浮かんでいる。それを手の甲でぬぐいながら、彼は優しく声をかけた。
「どっか具合でも悪いのか?」
「え?あ、いえ、具合が悪いとかじゃなくて…」
ガクガクと、未だ震えは収まらない。
「震えてるぞ?寒いのか?風邪か?」
眉を八の字にして、上田は奈緒子の額に手を当てる。
「いや、体調的には、全然問題はない…です」
上田の腕にすがりついたまま、奈緒子の口調は妙に単調的だ。
「じゃぁ…怖い夢でも見たのか?」
俯く奈緒子の表情を伺うように、覗き込んでくる。眼鏡に奈緒子の青ざめた顔が映っていて、奈緒子は自分でも驚いてしまうほどに、ハッと身を震わせた。
───怖い夢でも見たのか?
その上田の言葉に反応したのだ。どうしてわかるんですか?と、口に出さずに、目だけ動かして上田を見る。
「それしか思いつかない…そうなのか?」
そっと、額に当てていた手を頬に遣る。大きな、温かい掌。
「…そう、です」
その手に触れながら、大きく、静かに息をつく。
「そうか…大丈夫か?まだ震えてる」
優しい声。
「大丈夫…だと思いますよ、多分」
「は?」
「だって夢ですもん。だから大丈夫、です」
曖昧で屁理屈的な答えに、上田はヤレヤレと呆れた表情で、奈緒子の肩を静かに抱いた。
「大丈夫なわけないだろう、震えてるくせに」
その言葉に、奈緒子はむっとする。ん?と、上田が首をかしげるのとほぼ同時に、その手を払いのけた。
「何だよ…」
ギッと、睨む様な目つきに思わず後ずさる。
「上田さん、馬鹿じゃないですか?」
キツい口調で、そのまま続ける。
「上田さんが大丈夫かって聞くから、私は大丈夫ですよって答えたんです」
「あ、あぁ」
「なのに、大丈夫なわけないだろうって…なんか凄いむかつくんですよ」
「何でだよ、心配してるだけじゃないか」
「うるさい、馬鹿上田」
ぷぃっとそっぽを向いて、そのまま目を伏せる。上田から見れば、強がっているようにしか見えない。
「何で怒ってるんだよ」
恐る恐る、髪に触れる。
「…ってくださいよ」
目を伏せたままで、奈緒子は小さく口を開いた。
「え?何だって?」
「だから…」
「だから?」
「だ、だから…」
言いよどむ奈緒子の横顔は、泣いているように見える。たまらなくなって上田は奈緒子の肩を掴み、自分の方に顔を向けさせた。
「わっ?!」
「俺の目を見て言えよ」
「なっ…」
「言いよどむな、ちゃんと言ってくれ」
まっすぐに、奈緒子を見つめるその眼差し。掴まれている肩が、まだ熱い。震えも収まらないのに、どうしてこんなに、胸まで熱くなってくるのだろう…
「わ…」
「わ?」
一度唇を噛んで、上田から目を逸らさずに、奈緒子は続けた。
「分かってるなら聞くな」
「は?」
自分から聞いたのに、上田は最初、その言葉の意味が分からなかった。だが、じわじわと潤む奈緒子の瞳に、ハッとする。
「あ、あぁ…スマン」
…大丈夫じゃないと分かっているなら、いちいち聞いたりしないでください。奈緒子はそう言いたかったのだ。その事に気付いた上田は、そっと、改めて奈緒子の肩を抱いた。
「悪かった」
やっと上田の視線から逃れられた奈緒子は目を伏せて、踵を返して上田の懐に、こつんと頭を寄せる事にした。こうすれば、自分の情けない顔を見られることはないという意識から。
だが上田は何を勘違いしたのか、未だ震えの収まらない奈緒子の肩を抱きなおして、静かに髪をなでた。
「そんなに怖い夢だったのか?大丈夫だ、もう目は覚めただろう?」
よしよし、と、泣いている子をなだめる様な声と手つき。奈緒子が泣いていると思ったのだろう。
「大丈夫だって言ったじゃないですか」
「でも大丈夫じゃないんだろう?」
「…上田さんの意地悪」
額を上田の胸元に当てたままで、ポツリと言い返す。
怖い夢。でもただの夢、ここまで恐れる必要はないのだけど…
「ところで、どんな夢だったんだ」
抱きしめられていたおかげか…いつの間にか震えは収まっていた。それを上田も察したのかどうか、唐突に聞いてくる。
「何で聞くんですか…思い出したくないんですけど」
「いやいや、胸の内に押し込めても、辛いだけだぞ」
「いや、思い出すのが辛いんですが」
しばしの沈黙…上田はおもむろにエヘンエヘンと咳き込み、照れ隠しなのかどうか…奈緒子の髪をくしゃくしゃと、少し乱暴になでて口を開いた。
「胸に収めたって貧乳は変わらないぞ」
「うるさいっ、話をすりかえるなっ!」
ドン、と上田の胸を突き飛ばす。
「事実じゃないかっ!いいか、人に話す事で怖い夢や悪い夢はその聞かした人間に移るんだぞ!いい夢もまたしかりだ!」
突き飛ばされてもめげずに上田は熱く語る。
「え?」
今、聞き捨てならない言葉があった。
「だから…俺がYOUの怖かった夢を引き受けてやるから話せって言ってるんだよ」
少し顔を赤らめて、そっぽ向いて上田は怒鳴る。
「そ、そんな大声で言わなくても、聞こえます…よ」
奈緒子もつられて頬を赤らめる。
「じゃぁ、言えよ」
離れたものの、上田は奈緒子の腕はしっかりと掴んでいて、お互いに妙な空気を感じ取っていた。
「…手」
「手?」
「手を…離せって、ちょっと痛いんですけど」
「あっ、ああ、スマン、つい」
「ついって何ですか…あぁもう、訳わかんない」
少し混乱気味の奈緒子の手を離し、そろそろと顔を覗き込んできた上田は、早く話せと急かして来そうな表情をしている。
目が合って、それを感じ取った。
「…分かりましたよ」
「ん?」
「夢の話、しますから…そういう目で見るのやめてください」
夢の、話…上田は黙って私の話を聞いていた。フッと眉をひそめるのを見て、私は胸が痛くなる。
「こ…怖い夢だったんです」
とても怖い夢だったんです。
「うん、だからどんな?」
上田はじっと、奈緒子を見ている。
「私が…砂漠にいるんです」
何もない砂漠に…
「うん」
静かに相槌。
「私は砂漠を歩いてるんです」
でも一人じゃないんです。
「うん」
「何もない、空と砂しか私の目には映らなくて」
でもその時はまだ、怖くなかったんですよ?
「うん」
「で…」
奈緒子はちらりと上目遣いに上田を見やった。穏やかな表情で、慈しむ様な優しい眼差し。
「で?」
「ざらざらと…砂が崩れてきて」
「蟻地獄か?」
砂漠で、私は一人の人と、歩いていたの…
─── 空はとても高く、でもひどく近くに感じました…
─── 私は貴方と、その砂漠を歩いていました。少し幸せでした…
─── 風に、砂が吹かれてざらざらと崩れてきました…
「うえださんっ!」
─── 私は貴方の名前を呼びました。砂がズズズと鳴りながら、私と貴方を飲み込もうとしていたから。
「YOUっ!!」
─── 信じられない事が起きたのは、それからでした。
「YOUっ!!」
─── 貴方も、私の事を呼びます。私は手を伸ばして、貴方の手を掴もうとしました。でも…
「YOUっ!」
─── ドン…と、私の伸ばした腕を掴む事無く貴方は私を突き飛ばしたんです。
「うえださんっ?!うえださんっ!!」
─── 私の躰だけ、砂に飲み込まれずに済みました。貴方が突き飛ばしてくれたから…
「うえださんっ!うえださっ…」
─── 貴方は微笑んでいました。私も無事を確認して、それが嬉しかったのか…それはそれは優しげに微笑んで、私を見ていました。
「うえっ…だ、さ…」
─── 手を伸ばせば届く距離に貴方はいるのに。
「YOU…」
─── 手を伸ばしても、貴方は私の手を掴もうとはしない。
「YOUが無事なら、俺はそれで構わない…」
─── 貴方の躰が砂に飲み込まれていくのを…
「うえださっ…」
─── 私はただ、見ているしか出来なくて。
「YOU…」
─── 貴方の声が、
「YOU、俺に構わず進むんだ」
─── 私を急く。長い腕を伸ばして、二人がずっと目指していた方向を示し、貴方は笑った。
「俺は一緒には行けないけど、YOUがそこに辿り着く事を信じてる」
─── 私の目から、涙があふれてとまりません。
「うえださ…ん…」
─── 貴方は泣き出しそうな目で私をじっと見つめて、私の言葉を遮りました。
「行け」
─── 強い口調で…私は泣きながら、貴方に背を向けました。
─── ざらざらと鳴る砂の音に、私の涙は止まりません…
─── でも貴方が望むから、私は歩き出しました。二人で目指していた場所に向かって。
「YOU…」
─── 後ろで貴方の声が聞こえた気がしましたが、構わず歩き続けました。涙は砂に、溶けていきます。
「…して、る…」
─── 微かな声を最後に、砂の音は止みました。けれど私は一度も振り返る事無く歩き続けるんです…一人で。
「そう、蟻地獄です」
ポツリと、少しの沈黙の後に奈緒子は答えた。
「そ、それで?」
「私の…心が砂に飲み込まれていくんです」
顔を伏せ、奈緒子は続ける。
「体はそれでも、行かなくちゃいけないところがあるから砂漠を進むんです」
「心がないのに?」
上田は奈緒子を見ている。
「心がないから、怖い夢だったんですよ」
目を、ぎゅっと固く瞑り、唸るように言う。
「そう…か」
嘘をついた。夢の中で私は一人ではなかったのに…少なくとも、最初は。
「怖い夢…だったな」
上田は奈緒子の髪の毛を、優しく梳いていく。
「怖い夢…でした」
上田さんが、私をかばって沈んでいくんですよ?
思い出すと、また震えが奈緒子の体を襲い始めてきた。
「大丈夫…大丈夫だ、ただの夢じゃないか、大丈夫だよ」
そっと、上田は奈緒子の肩をさする。震えが収まるようにと。
「そうですよね…ただの、夢なのに…」
あぁ、どうしよう…涙が出そう。
上田さん。
上田さん。
上田さん。
「…泣いてもいいぞ」
上田が言った。
「な、泣きませんよ」
心を見透かされているような気がした。
「じゃぁ泣きたくなったら、泣いてもいいからな」
「泣きません」
ぎゅっと、一層固く目を瞑る。
上田さん。
私をかばったりなんてしないでください。
「でも話したら、少しだけ怖くなくなりました…少しだけ」
「そうか?それなら…いいんだが…」
少しだけ、ですけど。
「でも、本当に、泣きたくなったら泣いてもいいからな?」
「しつこいっ」
でも、嬉しい言葉です。
ねぇ…
上田の腕の中で、奈緒子は小さく息を付いた。震える肩を上田が抑えてくれている。
「上田さん…」
「ん?」
震えが収まる気配はまだないけれど…
「…なんでもないです」
「そうか?」
一度、ゆっくりと目を開いて、それからもう一度目を閉じた。
私をかばったりなんてしないでください。
私は貴方と、あの場所を目指したかったんです。
一人じゃ、駄目なんです。
「上田さん」
「ん?」
少し息をついて、奈緒子は続ける。
「もし、私が砂にのまれそうになったら…」
「助けるぞ?」
「上田さんも一緒に砂に飲まれそうになってるんですよ」
夢は、夢…
「む…じゃぁ、YOUだけでも」
「私をかばったりしないでくださいね?」
上田の言葉を、奈緒子は強く遮った。
「え?」
「そんな事されても、私は全然嬉しくないですから」
「…じゃぁ、どうしろっていうんだ?」
奈緒子は顔を上げて、上田の顔を見つめる。
「一緒に、砂の中に飲み込まれてください」
砂の中でも二人なら、大丈夫なような気がするんです。
「一緒に…か?」
「ええ」
上田は一瞬困ったような表情を浮かべたが、何か考えるような素振りをして、ふっと微笑んだ。
「分かったよ、じゃぁ一緒に、砂に飲み込まれてやる」
目指すのは、どこだっていい。
二人でいられれば…
貴方はとっくに、私の一部なんですから。
求めるのは、貴方との安息。
例えそこが見知らぬ白夜の国だろうと、怖くない。
二人でいられれば…
FIN
へ、ヘイホー(笑)
ワタクシ射障 斎の運営するサイト「I wish you happiness」も、この度無事40000HITを過ぎ去りました。
これもひとえに、常日頃より足を運んでくださっている皆々様のおかげです。
10000HITの時も、20000HITの時も、30000HITの時も、いつも同じ言葉しか出てきませんが…皆さん、本当にどうもありがとうございます。
もう二ヶ月もすれば、サイト自体も一周年を迎えます。
これからも頑張れるように、また、皆さんへの感謝の気持ちもこめて、お礼申し上げます。
そしてコチラ、一応記念のフリー配布小説となっています。
数日前から用意して書き進めていたのにも関わらず変な出来具合でごめんなさい(苦笑)
お持ち帰りの際には一声かけてやってください。
そしてソースを開いて持っていってください。
どうぞよろしく。
2004年10月31日(HITは10月30日の深夜と思われる)
* フリー配布期間終了 *
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