あいのことば
何度囁かれても、足りない。
なんだかくすぐったくて、妙に恥ずかしくて。
そうしているといつのまにか、胸の奥に溶けてしまう。
だから、何度囁かれても足りない言葉がある。
何度囁いても、足りない。
伝えたくて口にするのに、なんだか途端にうすぺらなもののような気がする。
この言い方で本当にちゃんと伝わっているのかどうか、無性に不安になる。
だから、何度囁いても囁き足りない言葉がある。
初めて手を握った日を、覚えているかどうか。
「覚えてませんよ、そんなの」
前振りもなく唐突に問われた為に、つい素っ気無く答える。
「やっぱりな、そうだろうと思ったよ」
「何ですか、その言い方。感じ悪ーい」
長い黒髪を揺らしながらそっぽを向くと、向かいに座っていた顔が僅かに眉を潜めた。
「じゃあコレは覚えてるだろ?」
そっと、覗き込むように。
「コレって何ですか?」
カタリ。ちゃぶ台の上に置かれたのは、何の変哲もない小さな剃刀。四角い、剃刀。
「手を出すなよ、切れると危ないから」
思わず、手に取ろうとした時に声。彼は、ちゃぶ台の上に落とすように置いたそれを親指と人差し指でつまみ上げ、いつの間にか取り出したハンカチの上に乗せ、微笑んだ。
「覚えてるだろ?」
覚えてるだろ?と聞かれたら、とりあえず忘れたい、と私は答えたい。
「剃刀がどうかしたんですか?」
だが、忘れように忘れられないのがもどかしい。ある種の大切な、記憶だから。
「ただの剃刀じゃない、あの時のだよ」
忘れた振りを装うかと思ったが…この調子だと思い出すまで一部始終を話し出しそうで、付き合いきれないなと瞬時に考えを改めた。
「物持ちがいいのも度を越えると気色悪いぞ、そんなもの、さっさと処分したらいいじゃないですか」
「そんなものって言うなよ、これは俺とYOUが」
「あー!あー!あー!」
その剃刀の馴れ初めなんてどうでもいい。聞きたくないと言わんばかりに声を張り上げる。
にやっと、上田が笑った気がした。
「ガキじゃねーんだから、騒ぐな」
「う、うるさいっ」
お前が言うな、と言ってやりたいのを飲み込んだ。一つ言い返せば十どころか二十三十返して遣すのがこの男だ。相手にしないのが賢い選択。
「なあ、YOU…」
乱れた感情を冷静にさせるために呼吸を整えていると、にやにやした顔のままで再び覗き込みながら声をかけてきた。
…私、こうやって覗き込まれるの、好きかも。
「なんですか…?」
身長差があるから、いつも私が見上げてる。でも、ふとした時に私の表情を覗き込んでくる上田…さんの、細めた目を嫌いじゃないと思う。
「初めてキスした日のこと、忘れてないって事だよな」
前言撤回。
「聞くなっ、そんな事…馬鹿上田!!」
ぷいっと顔を背けると、長い腕が伸びてきて大きな掌が私の耳の辺りを包んだ。そして、そむけた顔を戻される。
「にゃっ、やめろ馬鹿!目が回るじゃないか!」
罵倒を浴びせるが、もう片方の手で逆側も包まれる。そう、両手で頭を支えられている状態。目の前には、上田。
じっと見てる。眼鏡の向こうの、瞳の奥に自分の顔が映って見える。
「う…うえ、だ」
見るな。そんな目で私を見るな。そんな切なそうな、愛しそうなものを見るような目で私を見るな。
「YOU」
甘い声。ただでさえ低い声なのに、こんな甘く囁かれると直接脳に響く。
「や、だ…」
逃げようにも逃げられない。この目で見つめられると、身動きが取れなくなる。自由な両手も、動かない。
「もう、何回キスしたか覚えてるか?」
静かに顔が近づいてくる。耐え切れずに目をぎゅっと瞑ると唇に、やわらかい感触。
「なあ?」
「お…覚えてませ、ん」
「これで527回目だ」
数えるなよっ。
「そうですか…」
多分、上田の触れている耳のあたりは真っ赤になっているだろう。熱さえ帯びてきてるかもしれない。いつもこうだ。
いいように翻弄されているような気分になる。
「528回目のキスをしてもいいか?」
「駄目って言ってもするくせに」
わかってるじゃないか。笑いながら言って、再び唇を合わせてくる。そうして何回も、されるがまま。
「なあYOU、一つ頼みがあるんだが」
「いやです」
いつのまにか、二人の間にあったちゃぶ台を横に動かして上田は、私の上。組み敷かれるのはいつもの事。
「まだ何も言ってないだろ」
「いやったらいやです」
こんな状況でも、私たちは私たち。
「いいじゃないか。いつもそうやってごねて、結局聞いてくれないんだから」
「いやですよ、どうせまたアレなんでしょっ」
言いたい事はわかってる。何度も何度も、いつも同じようなシチュエーションでお願いしてくるんだから…
「じゃぁ、YOUが言いたくなったら言ってくれるんだな?」
低い甘い声。私の弱い声。私は小さく、うなずいた。考えるのがもうだるい。ここまできたら、あとは流れに身を任せるしかないのだから。
初めて二人で、いつもとは違う夜を過ごした日の事だった。あれは確か。
お互いの肌のぬくもりを、直に感じあったあの日。
思わずついて出た言葉に、上田は何度も繰り返しせがんだ。
まるで小さな子供のように。
愛してる。
愛してる愛してる愛してる。
どれだけ繰り返し囁いても、まるで煙のように消えていく言葉たち。
ちゃんと伝わっているのかどうか、不安になるから何度も囁く。
それでも足りなくて、その身体をぎゅっと抱きしめた事があった。
愛してる。
愛してる愛してる愛してる。
意外なほどそれは胸の奥に、すぅっと入り込んできたのに。
どれだけ繰り返し囁かれても、もっともっととせがんでしまう。
それでも足りなくて、その身体をぎゅっと抱きしめた事があった。
ねえ、教えて。あなたがせがむあいのことば。
囁きあいながら、いつもの憎まれ口を叩きながら。
「なあ、YOU…」
すとんと落ちた闇の中で、一筋の光。伸ばされた手を掴んで、そっと微笑む。
「初めての夜のこと、覚えてるか?」
「聞くなっ!」
ははは、なんて。私を腕に抱きながら笑う、無邪気な笑顔を浮かべて。
愛してるって言ってくれって、泣きそうな目でせがんだくせに。
「じゃあこれで何回目かは?」
「だから聞くなって!」
主導権を握りたがるのは相変わらず。幼い子供のように、何度も私の名前を呼んだくせに。
「愛してるよ、YOU」
穏やかに笑いながら、一言。
あっという間に私の方が子ども扱い。
愛してるなんて言葉が、どうして存在しているんだろう。
好きとか大好きとか、それらとは一線を引いたような言葉。
同じ一つの言葉なのに、どうしてこんなに口にするのが恥ずかしいんだろう。
照れくさいんだろう。
愛してる愛してる愛してる。
どれだけ口にしてもまだ足りない。
自分の言葉が、うそ臭くて。
だから強く、捉まえてて欲しい。
キスなんか、何回でもしていいよ。
数えれるものならば一万回でも二万回でも。
私は数えないけど。
数え切れないくらいが丁度いいんじゃない?なんて言ってみたりして。
愛してる愛してる愛してる。
どれだけ耳元で小さく囁いても、もっともっとせがむあなた。
せがまれると拒みたくなるのは天邪鬼な私の悪いところ?
簡単には口にしてあげない。
もっともっと、我慢できないくらいあなたが私に溺れるまで、口にしてあげない。
囁いてほしいなら、あなたも私に囁いて。
ねえ上田さん、あなたのあいのことば、聞かせて。
私がせがみたくなるような甘い声で。
やさしくやさしく、心が溶けていくまで何度も。
私の耳元で、囁いて。
「愛してる…」
そっと耳元で、優しく小さく囁く私を上田は静かに抱きしめた。
FIN
ああ、はい、ヘイホー(笑)
I wish you happiness.の80000HITを祝して!!の、記念小説となりましたー
色ボケ脳みそが溶けかけてきています。
HELP!!(笑)
いつもいつも、皆様には感謝してもしきれないほどです。これからもどうぞはぴねすと、射障をどうぞよろしくお願いします!!
そして、いつも同様、フリー配布となっておりますのでお持ち帰りはそーすを開いてご自由にドウゾ。
掲示板等にご報告いただければ幸いです。
2006年8月24日
I wish you happiness.
>>> 80000HIT
* フリー配布期間終了 *
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