コタツ







     お腹が痛い。

    



     真冬の空の下に、奈緒子は一人たたずむ。

     寒さが特に堪える。

     それでも、やっと得たバイトを失うわけにはいかない。

     今日手渡しでもらえる給料がなければ、奈緒子の明日の命すらしれない。

     たとえ、半袖シャツにミニスカートという季節感を無視した制服であっても、弱音を吐くわけにはいかない。

     奈緒子はその格好でひたすらに笑顔を振りまき、チーズケーキを売り続ける。

     この格好とチーズケーキに何の関わりがあるのだろう、という疑問は拭いきれなかったが。

     朝10時から、夕方の5時まで。日給は6500円。

     時給に換算して928円。

     販売の割に時給がいいと思ったら、こういうわけか。

     駅の出口のすぐ近くで奈緒子はたたずむ。

     日が傾いてきたと思ったら、もう4時だった。

     あと一時間。

     経験上、その一時間が長いのだが。

     チーズケーキはゆっくりと売れていった。

     時々奈緒子を値踏みするような目で見ていく人間もいたが、笑顔で黙殺した。

     あからさまに胸の小ささを指摘する声が聞こえた時には、寒さが身にしみたが。

     6500円のためを思うと、我慢できた。



     お腹が痛い。



     客が途絶えると、その痛みに気付く。

     こんな時、女という性別がひどく嫌なものに感じる。

     奈緒子はただ、小さく溜息を付いた。

     気温が下がってくると、余計に痛み出すのがひどく厄介だ。

     紛らわすように、大きな声で客を呼び込んだ。

    

    「山田?」

     駅というのは多くの人が利用する。

     知り合いの一人や二人に会うことも、珍しいわけではない。

     それでも。

    「…矢部…。」

     できれば会いたくはなかった。

    「何しとんのや?」

     吹き出しそうな表情をしている矢部を、奈緒子は軽く睨んだ。

    「バイトです。邪魔しないでください。」

    「なんや、チーズケーキか?」

     矢部は奈緒子の隣のチーズケーキの箱に目をやった。

    「…そうです。放っておいてください。」

     奈緒子は溜息を付く。

    「なんや、ええんか?そういう態度で。客やで?」

    「…買ってくれるんですか?」

     ちらりと横目で見る。

    「買ってやらんとは限らへん。」

     ニヤニヤと笑った目とぶつかった。

    「じゃあ、買ってください。」

    「ええで。買ったるわ。」

     予想外の言葉に、奈緒子は目を丸くした。

    「…本当ですか?」

    「ホンマやで。」

    「…何かたくらんでるんですか?」

    「信用無いなぁ。」

     矢部は苦笑する。

    「だって、そんな簡単に買うとか、考えられないですし。」

     奈緒子の表情は堅い。

    「別に何も企んどらへん。」

    「…じゃあ、買ってください。600円です。」

     奈緒子は手を差し出す。

    「安いケーキやなぁ。ワンホールやろ?」

    「そんなこと気にしたらダメです。」

     ま、大量生産のケーキやしな、と矢部は笑って千円札を渡した。

    「釣りはいらん。」

    「え!?」

     奈緒子は思わず叫ぶ。

     道を行く人の何人かがこちらを向いた。

    「な、なんでですか?400円もあったら、一週間近くは生活できますよ!?」

    「…なんちゅー生活しとるんや?」

     憐れみを帯びた視線。

     奈緒子は思わず目を逸らした。

    「なんや寒そうにしてるからなぁ。」

     ポツリと呟かれた矢部の言葉。

    「え?」

     聞き違いかと思った。

    「こんな寒いのにそんなカッコして、顔色悪くしとるとなぁ、なんや、可哀想に思えてくるんや。」

    「………。」

     奈緒子はぼんやりと矢部の顔を見る。

     今日初めて、しっかりと目を合わせたような気がする。

    「あれか?マッチ売りの少女を見てる気分かもしれへんな。」

    「…それって、心配してくれてるんですか?それとも、けなしてるんですか?」

     奈緒子は顔を引きつらせた。

    「どっちもや。」

     矢部は笑って、奈緒子の頭をぽんぽんと叩いた。



     ああ、触れた部分が暖かい。



     冷え切った体に、じんわりと染みこんでくる暖かさ。

    「さて。」

     手が離される。

    「そろそろ行かんとな。」

     暖かさが遠退く。

    「あ…。」

     ヤバイ、と思った。

     慣れない暖かさに触れたから。

     下腹部が、ズキリと痛んだ。

    「矢…」

     目の前がぐるりと歪む。

     まばたきしているのに白む視界。

     声が出ないまま、暗転した。





    「まったく、手のかかるヤツだ。」

     聞き慣れた声。

     思わず眉間を寄せる。

    「おお、気付いたか?」

     頬に触れる、あたたかい手。

    「…え?」

     その時になって、初めて重たい瞼を開けた。

     覗き込んでくる、メガネ。

    「う、上田さん!?」

     思わず飛び起きたら、忘れていた下腹部が痛んだ。

    「………。」

    「無理するな。」

     ぽんぽんと頭を叩かれる。

     あたたかい。

     奈緒子は、そこで初めて、自分がふかふかのベッドの上にいることに気付いた。

     もう寒くはないが、見慣れない場所だった。

    「…ここ…どこです?」

     上田は思い出したように、大袈裟なリアクションを示す。

    「ここは、駅の医務室だ。矢部さんが運んできてくれたんだぞ。」

    「…矢部さんが?」

     奈緒子は目を見開いた。

    「YOUが倒れたって矢部さんから連絡が入ってな。さすがに驚いたぞ。」

    上田の口調に驚きなど感じられもしなかったが、その表情はホッとしたものだった。

    「すみません。」

     自己管理がなっていない、と思った。

     いくら生理とはいえ、人に迷惑をかけるなんて、まっぴらだった。

     自然と頭が下がる。

    「俺に謝るもんでもないだろ。謝るなら、矢部さんにだ。」

     そう言う上田の顔も、まともには見れなかった。

    「…矢部さんは…?」

     見回しても見当たらない。

    「矢部さんはYOUの代わりにバイトの片付けをしてくれている。」

    「え!?」

    「バイトの責任者に連絡してな、YOUの代わりをしてくれている。」

     ベッドを出ようとする奈緒子を、上田は慌てて引き留めた。

    「心配するな。矢部さんは、ちゃんとうまくやってくれてる。」

    「違うんです!私まだお給料もらってないのに!」

    「………。」

     上田のその時の顔を、おそらく奈緒子は一生忘れない。





    「なんや、もう大丈夫なんか?」

     奈緒子が思っていたよりもずっと、矢部はあっさりとしていた。

    「ワシがおらへんかったら、大変やったで。」

    「…迷惑かけて、すみませんでした。」

     奈緒子は唇を噛みしめる。

     ああ、くやしい。

     女であることが。

     たかだか生理痛で倒れてしまうことが。

     人の好意も素直に受け取れない自分が。

    「そうやなくて、取り返しのつかんことになっとったら、えらいことや。」

    「え?」

    「そやから、体。」

     矢部の言葉に、奈緒子は慌てた。

    「そんな、大変なことじゃないんです!たかが生理つ…!」

     そこまで一気に口走って、我に返った。

     恥ずかしさで頬が熱くなる。

    「……。」

     気まずい沈黙。

     けなされる、と思った瞬間、上田がほぅっと息を付いた。

    「それは大変だ。で?YOUはもう大丈夫なんだな?」

    「あ…、はい。それはもう…。」

     大笑いされるかと思ったのに、全く違う反応。

     こういう時にふと感じる、男と女の差。

     奈緒子は何となく落ち着かなかった。

    「良かった。」

     だけど。

     奈緒子の頭を撫でた上田の手。

     その手が妙に優しくて、あたたかくて、ほっとした。

    「おお、忘れとった。」

     二人の様子を見ていた矢部が、突然声を上げた。

     ほれ、と言って渡される。

     給料袋だった。

    「金…!」

     奈緒子は奪い取るように受け取る。

    「ホンマはワシがもろたろかと思うてんけどな。」

     その言葉に、奈緒子の眉間にしわが入る。

     矢部は苦笑した。

    「ま、公務員はバイトしたらあかんからなぁ。」

    「ありがとうございます!」

     これで、何とか明日の命が保障された。

    「ああ、でも。」

     もう一つ忘れとった、と矢部は口を開く。

    「もう、バイトにはこんでええって。」

     



    「あーあ、また職無しかぁ…。」

     上田の車の助手席で、奈緒子は思わず溜め息をつく。

     今回は自業自得かもしれないが。

    「いいじゃないか。やめとけ、あんなバイト。」

    「上田さんはお金に余裕があるから何とでも言えますけど、私の身にもなってみて下さい。」

     じろりと睨む。

     上田は笑った。

    「YOUの身になっているから、そう言ってるんだ。」

    「…どういう意味です?」

     向けられる訝しげな視線。

    「薄着して倒れるようなバイトなんてやめとけ。今回は矢部さんがいたから良かったものの…。」

     そうして、口の中でぶつぶつ言う。

    「…心配してくれたんですか?」

     奈緒子は目を見開いていた。

     驚いたような表情。

     その顔があまりにも幼く見えて、上田は笑った。

     いたずら心がふつふつと湧いてくる。

     上田はニヤリと笑って口を開いた。

    「当たり前だ。将来俺の子を産んでもらうんだからな。」

    「え!?」

     思わず叫ぶ奈緒子に、上田は続けた。

    「何を今更。」

     ブレーキがキッと音を立てる。車が止まる。

     ゆっくりと近付いてくる上田の顔に、奈緒子は顔を背けて叫んだ。

    「せ、セクハラですよ、それ!第一、私はそんなの了承してません!」

     真っ赤になって反論する。

    「ほぉ…。そうなのか?あーんなことやこーんなことをしてるのに?」

    「な、何のことですか!?」

    「別にここでやるのもアリか。」

    「バカなこと言わないで下さい!」

     いつもの冷静な奈緒子はどこへやら。

     上田はおもしろそうに奈緒子の様子を見ていた。

    

     ―――まぁ、半分本気なんだけど。



     これ以上いじめたら、きっと躍起になって怒るだろうから。

     今、ここでは手を引いておこう。

    「改めて矢部さんにお礼言っておけよ。」

     引き際はあっさりと。

    「わかってます。」

     突然変わった空気に、奈緒子は少し拍子抜けしながら。

     矢部に思いをはせる。

     あたたかい手。

     心がほっこりと温かくなってくる。

     目の前の科学者が与えるあたたかさがヒーターだとすると。

     ヅラの刑事のあたたかさはコタツに似ていると思った。

     冷え切った体を、何か大きなあたたさかで包み込んでくれる。

     何も言わないことがあたたかい。

     ふと手を差し伸べてくれるのがあたたかい。

     ゆっくりと浸りきって、気が付けばウトウトしてしまう。

     そんなあたたかさ。



     目の前の、頬が熱くなるような、熱を伴うドキドキも嫌いではないが。

     そればっかりでは、心臓が持たない。

     ほっこりと体をあたためて、あくびをして、ごろんと横になるような。

     そんなあたたかさを。

     少しだけ思い描いて、奈緒子は顔をほころばせた。

     無条件に与えられる優しさとあたたかさ。



     奈緒子の表情を見て、上田は溜息を付く。

    「……。」

     上田が苦労しても、なかなか得られない奈緒子のその表情を。

     ここにはいない矢部は簡単に得られることに。

     上田はただただ苦笑するしかなかった。


感激。
この一言に尽きます。
リンク記念に駄絵を贈りましたら、タイトルをこちらで決めて、小説を書いて頂けると言う事で…
そこはもう矢部愛まみれの私ですから「こたつ」の題で、矢部を絡めつつとお願いしたところ、こんなにも素晴らしい物を頂戴してしまいました。
うっとりです。矢部さんの、さりげない優しさや暖かさをこんなにも見事に表現できるなんて。あぁ嬉しい★

ちなみに浅葱さんのサイトはこちらから飛べます→  「この世の果て。」

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送