「紅い十字架」



 クレラの墓の横に、赤い十字架が落ちていた。もう十年も経っているのに、あいつは忘れていないんだ。いや…もちろん俺も忘れてはいない。忘れたくても、忘れる事など出来ない。
 空(カラ)は俺の事を憎んでいる。クレラを奪った俺を…でも違うんだ、クレラを奪ったのは俺じゃない。クレラをお前の側から引き離したのは俺じゃない。
 それはお前自身なんだ。

 ■闇色の瞳を持つ少女

「羅刳(ラク)、今日はお友達を紹介するわね」
 十五年前のある日、俺達の住む孤児院『サンシャル』にクレラが来て言った。クレラは七歳年の離れた、俺等の親友で、母親で、姉さんだった。そのクレラの連れてきたのは、蒼い様な黒い様な…敢えて言うなら、闇色の瞳の少女。それがカラ空だ。
「ここに入るの?」
 当時十歳の素直な少年だった俺は、少女を見ながら言った。
「そうよ。羅刳はお兄さんになるわね」
「お兄さん?じゃあ僕より年下なんだ」
 それは一目で分かった、小さな少女だったから。
「さあ、ご挨拶なさい」
 クレラに促されて少女は、照れ臭そうに俺等に顔を向けた。
「空・ペオレッタ。七さいです」
 優しい、心が落ち着く様な声で言った。
「初めまして。僕は羅刳・シェフォン、よろしくね」
「よろしく。よろしく、羅刳お兄ちゃん」
 少女は、何とも言えぬ嬉しそうな顔を見せた。可愛くてか細くて、守りたくなるような笑顔を見せた。
「よかった、もう仲良しね。頼んだわよ、羅刳お兄ちゃん」
 クレラは、これから起こる悲劇に気付きもせず、笑顔でサンシャルを去った。
「クレラ、どこいったの?」
 空は、クレラがいなくなるとすぐに怯えたように聞いてきた。
「クレラはお家に帰ったんだよ。クレラは一人暮らしをしてるから…空は僕達の家族だ。だからここが、サンシャルが空のおうちだよ」
「おうち、クレラは違うお家の子なの?」
「違うよ、サンシャルのけいえーが大変になってきたから、独立したんだ。僕らも大きくなったら独立するんだよ」
 正直言って、サンシャルの経営状態は最悪だった。十五歳以上の孤児は、次々と独立させられていった。

 ■現われた悪魔

「羅刳、あんたのせいだよ。クレラがあたしを捨てたのは、あんたがクレラを唆したからなんだろ?分かってるんだ。クレラはあたしより、あんたを選んだんだ」
 あの日、空は訳の分からぬ事を言って俺を戸惑わせた。
「何だ?何の事を言ってるんだ?クレラがどうかしたのか?」
 闇色の暗い瞳が、燃えているように見えた。恐ろしげに、確かに俺の事を、心底憎んでいる瞳だ。
「だめだよ、知らないふりしたって。あたしは知ってるんだ、クレラと…クレラの家で一緒に住むんだろ?隠したってだめだよ」
 確かに俺は、独立の為に、クレラと一緒に住む事になっている。けれどそれは、単に俺にお金が無くて、一人では暮らせないからだ。
「そうだよ!でも何でクレラがお前を…空を捨てるんだ?分かんないよ、なんで怒ってるんだよ」
「クレラは…クレラは言ったんだ。あたしの側にいてくれるって、ずっと側にいてくれると約束してくれたんだ。なのに…なんで羅刳を選んだのか…あたしだって分かんないよ。クレラ、ねえ、なんで?なんでなの?クレラ…うっ、ぅぅ…」
 空は泣いた。理由も分からず怒鳴られた俺を前にして…泣いた。翌日、クレラがサンシャルに来た。昨日の事を話すと、悲しそうな顔をして言った。
「あの子、空には親がいるんだよ。まだ生きてる、羅刳達とは少し違うの。五年前、あの子をサンシャルに連れて来たあの日の一週間前、私達は出逢った。冷たい雨の降る夜の事だった」

 冷たい雨が降り注ぐなか、栗色の髪の女の子が泣いていた。
「どうしたの?迷子?」
 声を掛けると、雨と涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげた。暗い闇色の瞳に、暗い空が映っている。少し恐い…
「おかあさんと、おとうさんが…戻ってこない。あたしをここに置いてったきり、かえってこない。あたし、一人じゃおうちに帰れない。ここ、おかあさんと、おとうさんと、三人で車で…あたしが寝てる時に来たからわかんない」
「お名前は?」
「から、空っぽってかくの。空・ペオレッタ」
「そう、ここは寒いから、私の家に行きましょう?」
「ん、おねえさんの名前は?」
「クレラ、クレラ・ノバゼスよ」
 女の子は、嬉しそうに微笑んだ。

「あいつは捨てられたの?俺等は、だいたい親が死んでる、それでサンシャルに引き取られたけど、空は違うの?」
 クレラは首を横に小さく振り、話を続けた。
「私の家で、紙に名前を書いてくれたの。それはね、“空・ペオレッダ”と書くの。タじゃなくて、ダ。発音がね、少し違うの」
 クレラは、薄汚れた黄ばんだ紙に、そう書いた。ペオレッダ、聞いた事がある、すごい金持ちの名前だ。じゃあ空は…本当は金持ちの家の子供なのに捨てられた?
「なんで、空は捨てられたのかな?」
「次の日、一人でペオレッダ家に行ったわ。そしたらね、なんて言われたと思う?」
 クレラは少し泣いているようだ。

 今にも雨が降りそうな日に、重苦しい扉を開けて出てきた男の前で叫んだ。
「何であの子を置いてきぼりにしたんですか?あの子は今、熱を出してて寝込んでるんですよ!」
「熱を出そうが出すまいが、そんなもん知らんよ空は要らなくなったんだ。うちは代々男が当主だ、女は必要ない」
 ペオレッダ家のその男は、冷たく吐きつけると、勢い良く扉を閉めた。
「あの子は…望まれない子供だったの」
「そんな!クレラは前に言ったじゃないか、この世には、望まれない子供なんていないんだよって」
 クレラは俯いた。
「そう、でも…あの家では、空は望まれない子供だったの」
「だからサンシャルに連れてきたの?」
「…私、空と一週間一緒に暮らしたわ。でも、恐かった。時々見せるあの顔が恐かった。とても残酷な瞳で私を見るの。あれ以上一緒にはいたくなかった」
 クレラは両手で、自分の顔を覆った。残酷な瞳、それは俺も見たことがある。でも恐くはない、その人の個性だと思えばなんて事はない。綺麗な色だと思うし、空らしい感じがして好きだった。
「クレラ…でも、ずっと側にいるって約束したんだろ?空は、クレラだけを信じてたんだ」
「恐いの!あの子のあの瞳が恐いの…冷たくて、あの日のように雨が降っているあの子の瞳、ずっと一緒にはいられない…」
「俺は…空の瞳、好きだよ。とても綺麗なんだ。初めて会ったあの日、守ってあげたいと思ったんだ。でも、クレラが空を恐がる気持ちも分かる」
 恐い瞳。でも、綺麗な瞳。空は、なんであんな瞳で俺等を見るんだろう?なんで、クレラを、クレラだけを信じているんだろう?ほんの一週間、一緒に暮らしてきただけなのに。
 なんで五年間一緒にいた俺等よりクレラを…今でも分からないことがある。

 ■翼が紅く染まるとき

 雨は、止む気配も見せずに降り続けていた。暗く、黒く、重苦しい黒雲がそら空を覆っている。『サンシャル』の薄い屋根を、雨の嫌な音が叩く。
「ひどい雨。いつになったら止むのかな…」
 電線は既に暴風によって切られていた。蝋燭の火が、唯一の光。
「寒いよお。クレラ、寒い」
 空が、甘えた声でクレラに抱きついた。二十二歳になったクレラは、とても美しかった。
「本当に寒いわね。ほら、皆、一つに固まりましょう。少しは暖かくなるわ」
 子供たちは皆、クレラに抱きついた。この日、サンシャルには皆が集まっていた。この『サンシャル』を創立したマギン眩吟の命日だからだ。
「クレラ、俺お湯を沸かしてくるよ。こう寒いと暖かいものが飲みたくなるだろ?」
「そうね、有難う」
 空気が冷たい。毎年この季節になるといつも雨が降る。俺は大きなポットに水を注いだ。
 竃に火をいれる。瞬間、そこだけが赤く燃える。この小さな空間だけが暖かくなる。
      「寒い」
 俺は、小さな声で言った。
「寒いね」
 空が言った。いつのまにか、俺のすぐ後ろにいた。
「空…」
「ごめんね、この間。勝手に叫んじゃって。五年前、あたしがここに来た時にいた皆が、少しずつ居なくなっていくから…最後には独りぼっちになるのかな…って」
 空は、竃の前の、俺の隣にしゃがみこんだ。
「寒くないか?」
「大丈夫。竃の前は暖かいから」
 沈黙が、この場所の居心地を悪くした。
「…羅刳が一番だったね」
「えっ…何が?」
「羅刳が一番あたしに優しくしてくれた」
 そうかもしれない。他の皆は、空の瞳を恐がった。
「道を走って転んだときも、捨て猫だったルゼが死んだときも。一番最初にここに来たあのときも…いつだって羅刳はあたしに優しかったよ」
 キラキラ瞳を輝かせて俺の方に走ってくる空、いつも同じ場所で転んでいた。 自分みたいだと、拾ってきた猫を可愛がっていたけれど、痩せ衰えて死んでしまい、目を真っ赤にして泣いた。
 サンシャルに来た日、不安そうに、クレラの後ろに立っていた。
 竃の中の薪が、音を立てて崩れた。
「お湯、沸いたよ」
 はっとして、ポットの中を見た。コポコポと気泡が見える。
「空、ココアを出して」
「うん。砂糖とミルクも出すよ」
 大きなポットの中に、直接ココアとミルクと砂糖を入れた。甘い匂いが立ち上る。
「何人いる?」
「ちょっと待ってて」
 全員で三十八名、カップは百個ある。充分足りる。
「クレラ、羅刳の作るココアが大好きだったよね」
「そうか?」
「うん。羅刳が作ったときだけ、おかわりしてた」
 そんなの、俺は知らない。
「あたしもなんだよ。羅刳が作ったときだけたくさんおかわりしてた」
 俺は、カップに一つずつ、熱すぎるココアを注いだ。
「モテモテだな、羅刳・シェフォンは」
「ほんと、モテモテ〜」
 甘いココア。それは、俺がここに来た時に、眩吟が作ってくれたココアと同じ物だ。冷たい空気を、瞬時にして溶かしてしまう。恐怖も、孤独も、悲観も全て…

 ■魂の無くした記憶

「おいしい、やっぱり羅刳が作るのが一番美味しいわ」
 クレラは人の気も知らないで、無邪気に笑った。
「俺の作るココアは開祖直伝だからね。皆の凍えきった心を溶かす役割を持ってるんだ。そういえば、クレラがここに来たのは眩吟が死んだ後だな。本当は眩吟の作るココアが、世界で一番美味しいんだ。俺のは二番目くらいかな」
 子供たちが可笑しそうに笑う。それでも、冷やかしたりするのはいない。それは、皆、それが事実だと知っているから。
「羅刳はココアの神様なんだね。甘くて優しくて、美味しいココアが作れる」
 一人の子供が言った。眩吟の実の孫で、瀬零(セレイ)という少女だ。眩吟は綺麗な女だった、優しい男と愛し合い娘を産んで、事故で夫と娘とその娘の夫を亡くした。娘の産んだ瀬零が、ただ一人の肉親だった。年齢は俺と同じくらい。眩吟によく似て、綺麗な少女だ。
「ココアの神様か」
「本当に、私もそう思うわ」
 クレラは、さり気なく空の傍を離れた。俺の肩に手を置き、熱くて甘いココアを一口飲んだ。甘ったるいココアの香り。
「あたし、クレラが一番好きよ」
 空は、離れていったクレラを見つめた。いや、見つめたというよりも、睨んだと云った方がいいかもしれない。今まで見た中で、一番恐ろしい眼差しだ。
「どうして空は、クレラが一番好きなの?」
 瀬零は云った。
「クレラは、私を拾ってくれたから」
「それだけ?違うでしょ。私にはわかるよ、なんでクレラが一番なのか」
 瀬零の瞳は空、とは違う恐ろしさを秘めている。全てを見透かしているような…そんな瞳だ。眩吟によく似てる。
「瀬零にわかるわけないよ。あたし自身にだってわからないんだから。他人の瀬零にわかる訳なんて…」
「他人だからわかる事もあるのよ」
「やめろ!」
 折角温まってきた周りの空気が、凍えてくる。
「羅刳?」
「今日は何の日だ?眩吟が死んだ日だ。そんな日にお前等は何をやってるんだ?眩吟が見たら、きっと笑うだろうな」
 この冷たい空気。俺には堪えられない。
「何なんだ!俺はこんな事が見たくてここに来たんじゃない。父さんや母さんが死んで、すごく寂しかった、悲しかった。そんな時、眩吟がいたんだ。すごく優しくて…ココアを飲ませてくれた」
 眩吟が俺をここに連れてきたのも、こんな雨の振る時期だ。
「眩吟は俺に言った。“全ての者を愛しなさい、全ての物を愛しなさい。愛せば愛するほど、彼らは皆、あなたを愛してくれる。憎めばそれだけ、お前は憎まれる”神様の言葉の様に聞こえた」
 俺はそれを忠実に守った。全ての者を愛し、全ての物を愛した。誰も憎まず、ただ愛だけを注いだ。
「眩吟お祖母様…」
「そうだ、瀬零。お前はその眩吟の孫なんだぞ?なのに、何で眩吟の心を持っていないんだ?こんなに似てるのに」
 冷たく、履き捨てるように叫んだ後、少し後悔した。

 ■冷たい雨

 遠くで、竃の中の薪が崩れる音がした。
「私はお祖母様じゃないもの」
 瀬零は言った。確かに、その通りだ。でも…
「悪い…」
 俺は、サンシャルを出た。雨は、まだ激しさを残して振り続けている。
「眩吟、俺が悪いのかな?でも、皆が啀み合うのを、見たくなかったんだ」
 雨、冷たい雨。俺は、冷たい雨の降る、暗いそら空を見上げた。

「羅刳、愛されたいのなら、その人を愛しなさい。憎まれたいのなら、その人を憎みなさい。殺されたいのなら、その人を殺しなさい」

 眩吟の声が頭に響くた。だめだ!それは違う。間違ってる、最初しかあっていない。俺は泣いた。悲しくて、苦しくて。
 最高の恋愛をして、子供を産んだ優しい眩吟。事故でその子供を亡くして…嘘だ!事故じゃない。眩吟は、子供を愛した。子供の父親を愛した。子供の夫を愛した。そして、俺だけが知る真実。眩吟から直接聞いた、真実。雨の降る、今と同じこの時期、眩吟は死んだ。俺が、眩吟から真実を聞いたその直後、眩吟は死んだ。忘れたいのに…
「羅刳!大変なの」
 瀬零がサンシャルから飛び出してきた。泣いていた事を悟られないよう、俺は袖で涙を拭いた。
「どうした?」
 瀬零の顔は濡れている。涙と、赤い何かで濡れている。
「羅刳、大変なの。クレラが、空が…」
 中で叫び声、嫌な予感がした。中に入った、予感は当たってしまった。
「クレ…ラ?」
 赤い、赤い世界が広がっている。“愛して、憎んで、殺しなさい”その言葉を俺は、空に話してしまったんだ。
「羅刳、あたし、クレラに愛されたかったの」
 空の顔は、瀬零と同じように濡れていた。涙と赤い何かで…倒れているクレラ。クレラの愛用している銀色の十字架が、紅く染まっている。
「空、ごめん。俺が悪いんだ。お前は悪くない、俺が、お前に眩吟の言葉を教えたから、だから、悪いのは俺なんだ」
 俺は空を抱き締めた。俺は、空を愛してる。初めて逢ったあの日から、今に至るまでずっと、ずっと愛し続けた。
「羅刳、あたし、クレラをあたしだけの物にしたかった。あたしはクレラを愛してたのに、クレラはあたしの事、愛してはくれなかった」
 クレラの体から、赤い血が流れる。その血で、空の顔は赤く染まった。
「違うんだ、空。クレラは恐かったんだ。いつか自分がいなくなって、お前が一人きりになってしまうのを恐れたんだ。だからお前を愛さなかったんだ。瀬零、お前が言いたかったのはこの事なんだろう?俺は知っていたよ。ずっと前から…」
 瀬零は頷いた。やっぱり瀬零は、眩吟の血を受け継いでいるみたいだ。いいところだけ、俺が愛したところだけを受け継いでいる。
「空、ごめんね。もっと早く、教えてあげれば良かった……」
 瀬零は泣いた、俺も泣いた。空も、サンシャルの皆も、同じように泣いた。クレラを失くした悲しみと、空が犯してしまった罪に対して泣いた。
「大丈夫、俺も、同じ罪を犯しているから…」
 あの日、眩吟が俺に真実を教えてくれた後、俺はこの手で眩吟を殺した。

 ■血の色をした悲しみ

「羅刳のせいだ」
 空は俺を見た。悲しい悲しい悲しい。その闇色の瞳が、俺にそう言っている。
「うん、そうだ。俺が悪い」
 俺が悪かったんだ。皆に真実を教えなかったから…
「違う。クレラを奪ったのは、やっぱり羅刳だったんだ。だからクレラは、あたしを愛してくれなかった」
 空は、訳の分からないことを言って、クレラを刺したナイフを、俺にかざした。
「どうでもいいさ、もう。俺が悪い事は事実なんだ。それで空が、幸せになれるなら。好きな様にすればいい」
「幸せなんていらない。一生憎んでやる」
 空は、ナイフをその場に落とし、クレラの十字架を拾った。
「一生憎んでやる」
 空はそう言って、サンシャルを出ていった。
「羅刳、空、行っちゃったよ」
 後に残されたのは、後悔する俺と、眩吟によく似た少女と、怯える子供たち。クレラの亡骸。冷めきった、俺の作ったココア。

 ■消えた天使

 クレラの墓の横に、赤い十字架が落ちていた。もう十年も経っているのに、あいつは忘れていないんだ。いや…もちろん俺も忘れてはいない。忘れたくても、忘れる事など出来ない。
 空は俺の事を憎んでいる。クレラを奪った俺を…でも違うんだ、クレラを奪ったのは俺じゃない。クレラをお前の側から引き離したのは俺じゃない。
 お前自身なんだ。
 空、お前がその手で、クレラを殺したんだ。俺が眩吟を殺したように。
「羅刳、泣いてるの?」
「瀬零、俺は、罪を償えただろうか?」
 頬をつたう涙、瀬零は俺の肩を抱いた。
「羅刳は、罪を償った。サンシャルを昔のように、孤児達の暖かい居場所にしたのは羅刳なのよ。クレラが望んでいた事でしょう?」
 十年も経って、変わったのはサンシャルだけ。
「そう…クレラは、大きくなったら自分もサンシャルで働くと言っていた。親のいない子供達の、お母さんになるんだと…」
「クレラの代わりに私がサンシャルの子供達のお母さんになったわ。そして羅刳は、子供達のお父さんになった」
 瀬零は、三年前に俺と結婚した。空を愛し続けている俺を、瀬零は愛してくれた。自分の事を愛してくれなくなったからといって、全てを殺した眩吟とは、やっぱり全然違っていた。愛してくれなくてもいい、あなたの事を、愛する事が出来ればそれでいい。
「瀬零、ありがとう。俺はお前の事を、愛する事が出来るよ」
 犯してしまった罪を、償うことを教えてくれた瀬零。愛してくれた瀬零。
「だめだよ、羅刳」
 不意に、後で声がした。
「空?」
 成長した、空の姿があった。
「あたしは幸せを捨てた。羅刳、羅刳にも、捨ててもらうよ」
 空は、笑顔で言った。俺の愛した空は、これから俺が愛そうとした瀬零に、近付いた。
「空…」
「瀬零、久しぶりだね。幸せそうだね。でもその幸せ…あたしに頂戴」
 空は俺から全てを奪った。空の闇色の瞳に、血だらけの瀬零と泣き喚く俺の姿が映っている。残酷なまでのその輝き、俺が愛した空は、もういない。空、お前から全てを奪ったのは、やっぱり俺だったのかもしれない。そして俺から全てを奪ったのも空…
「一生憎んでやる」
 その言葉が、耳から離れない。俺は、一生空に、憎まれるんだ。あんなに愛していたのに、こんなに憎くなるなんて…眩吟の言っていた事は、本当だった。

「羅刳、愛しているのは、憎んでいると同じ事なのよ。だから私は…」
   今日も俺は、眩吟と、愛した空を憎んで生きる。俺の、純粋な心を取り戻してくれた瀬零の為に…



 END




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