「終わる季節」C





  5

 ───佐和子の口からは、必ずと言っていいほど彼女の名前が出てきた。
「Aさん…このコ、澤浦綾ちゃんっていうんです。私の一番の友達なんですよ」
 佐和子は綾の事を信頼していた。頼りになる友達だと言っていた。なのに、なぜ…?
「君が萩野さんの背中を押したのを、僕を含めて数人の刑事が見ていた。九濃涼矢くんや葉々健児くんも、他のボーイフレンドの皆にも、アリバイは成立していた。もちろん君のアリバイもだ。君のアリバイは、確か自動車事故で死んだ川場悠くんが証明しているんだったね。街の喫茶店で一人でいるところを見たという…その川場くんが街にいたというアリバイはないが…おかしな事がある。当日、川場くんが君を見たという時間帯に、街から十数キロ離れたところでタクシーの運転手が彼を目撃していたんだ。女の子のような可愛い顔で、釣りをしていたから珍しいと思って覚えていたそうだよ。それでね…君のアリバイは崩れるんだ」
 澤浦綾は、アリバイを偽証していた事になる。
「萩野さんっていう刑事さんにはぶつかっただけ、押したんじゃない。それに私には、佐和子ちゃんを殺す動機がない」
 綾は、取調室で何度も同じ事を繰り返している。
「道杉、俺も聞いていていいか?」
「萩野さん、もちろんいいですよ」
 そして取調室には、道杉と萩野、婦警が一人と綾の四人がいる。
「何人来ても、私には話す事はないわ。佐和子ちゃんは私の親友で、大好きな友達だった…」
 そこまで言った時、ガラスの割れる音が響いた。萩野の持っていた、水の入ったグラスが落ちて割れたのだ。
「失礼、手が滑った」
 再び水入りのグラスを持ってきた萩野。
「君達の分も持ってきたよ」
 そう言いながら、綾と道杉と婦警の前にグラスを置いた。
「わ…私は…」
 萩野がグラスに手をやるのを見て、ビクッと綾が体を震わせた。パリン…そのグラスが床へと落ちた。
「失礼…」
 こぼれた水と割れたグラスはすぐに片付けられ、新しく水の入ったグラスを持ってきた萩野。
「続けてくれ…」
 萩野の眼鏡の奥にある瞳、何かを決心した輝きを放っている。
「澤浦さん、知っている事を全部話してください」
「私は何も知らなっ…」
 パリン…グラスが落ちて割れる。
「わた…し」
 パリン…再び割れる。
「知らない事はないだろう?君は自他共に認める情報通なのだから…なあ、道杉」
 パリン…耳障りな音が、何度も何度も繰り返される。
「萩野さん…?」
「失礼、手に力を入れてしまうと握り割ってしまいそうになるんでね。軽く持つと落としてしまうんだ…おっと…」
 パリン…笑顔の萩野の手から、ゆらりと落ちてゆくグラス。何度も、何度も割れる。
「さ、佐和子ちゃ…私…」
 パリン…
「そういえば、佐和子の脇腹の傷は割れたガラスで付けられたらしいよ。川場少年の足首の傷もね…」
 パリン…
「や、やだ…お願い、話すから、もう…」
 綾の言葉を聞いて、萩野は持っていたグラスを机の上に置いた。
「じゃあ…聞かせてもらおうか」
「私…佐和子ちゃんが大好きだった…いい友達だったから。葉々くんが佐和子ちゃんの事好きで、異常なぐらい佐和子ちゃんの事が好きで…私も、葉々くんが好きだった。でも、佐和子ちゃんがいたから、私の事見てくれなくて…佐和子ちゃんがいなくなれば私の事見てくれると思った。あの日、佐和子ちゃんが家出をするって聞いて、協力してあげたの。父さんの工場、今休業中で、誰もいなかったから、宿直室を貸してあげたの…」
 綾は一気にそこまで喋って、グラスの水を一口飲んだ。
「一週間、松崎さんと一緒にいたんだね」
 黙って首肯く綾。
「貸してあげた?監禁していたの間違いじゃないのかい?」
 萩野が優しく言った。
「え…監禁?」
「ち、違…」
「金曜日に家を出て、翌日は土曜日だね。君には分かるだろ?土曜日は俺との約束があった。遊園地に行こうと、前々からの約束だった。あんなに楽しみにしていた佐和子が、待ち合わせの場所には来なかったよ」
 土曜日は、二人が会う事の出来る大事な日。七日間の内のたった一日、貴重な一日。
「嘘は嫌いだ…」
 萩野はゆっくりとグラスに手を延ばした。綾がそれを見て叫んだ。
「しましたっ、監禁しました!私、佐和子ちゃんを工場の宿直室に閉じこめて、外側から鍵をかけて…」
 ガラスの割れる音が嫌いらしい。
「一週間監禁している間に食事は?」
「…一日一回、お昼に…」
「その後は?」
 萩野の腕が震えている。
「葉々くんが、佐和子ちゃんの心配するから…工場のガラス割って、それで佐和子ちゃんを刺しました。それから川に……」
 松崎佐和子は、割れたガラスの破片で脇腹を刺され、川に捨てられた。
「…川場くんはどうして殺したの?」
「アリバイ工作頼んだから…川場くんがいなくなれば…嘘ついたのばれないから、街で車盗んで…細工して、佐和子ちゃん殺した犯人が見つかったって嘘言って…そしたら勝手にその車乗って、勝手に事故って死んだ。それだけの事…」
 道杉が机を強く叩いた。
「彼らは松崎佐和子の事を本気で好いていた!その気持ちを君は…」
「やめろ、道杉。今の彼女には何を言っても無駄だろう」
 冷めた口調の萩野。一瞬、以前の嫌な萩野を道杉は思い出した。
「萩野さん…」
「…葉々健児は、愛する松崎佐和子を奪った奴を一生憎むと言っていたよ」
「え…」
 綾がその言葉に反応した。間違った愛し方をしてしまった少女、大好きな親友に手をかけて、自分の想いをも殺した。

  エピローグ

「嫌な事件でしたね」
 もうすっかり寒くなった、一つの季節が過ぎ去っていく。
「それなりにな…」
 道杉は、萩野がこのまま松崎佐和子の後を追うのではないかと少し不安だった。
「そんな顔するなよ、何も死ぬわけじゃない」
「え?」
「俺が沈んでるから心配してくれてるんだろう?大丈夫だよ。沈んでいるのには別の訳があるんだ。取調室でグラスを何個も割っただろう?あれの請求書が来てるんだ。痛いなぁと思ってね」
 割れたグラスの請求書?
「結局佐和子と遊園地に行く事、出来なかったなぁ。あいつ、あんなに行きたがってたのに…」
「は、萩野さん?」
「どうした?道杉…まさか俺が後追いするとでも思っていたのか?そんな事するわけないだろう。俺は佐和子に生きる事の楽しみを教わったんだ、一回り近くも年が離れていたけど…一生の思い出を貰った。これからはあいつが尊敬した刑事としての人生を生きるんだ。そう決めた」
 萩野は前向きな表情で明るく言った。決して松崎佐和子を忘れたわけではないのだ。過去の悲しみを、未来を生きる為の糧にしようと努力しているのだ。
「…僕も、前向きにいこうかな。前まで萩野さんの事あんまり好きじゃなかったんですけど、今は一番尊敬できる刑事です」
「ありがとう」
「伸一兄さん、おっそい!」
 ふと、由衣が大きな花束を振り回して叫んでいるのが見えた。
「由衣ちゃん…」
 今日は、松崎佐和子の墓参りに来たのだ。墓前には、松崎夫妻と由衣が立っている。
「萩野さん、あなたが佐和子の恋人だったんですか」
「松崎さん…黙っていて申し訳ありませんでした。犯人が捕まってから報告しようと思いまして…」
「いえ…そういえば道杉刑事さん、佐和子の鏡台の奥の方から一枚の封筒が出てきました。中には同じ写真が数枚、入っておりましたよ」
 写真というのは、萩野と佐和子が仲良さげに腕を組んでいる例の写真の事らしい。
「そうですか…あ、萩野さん、そういえばその不恰好なネクタイピン、何ですか?」
「伸一兄さんったら、失礼な事言わないの」
「本当に失礼な奴だな、道杉は。このネクタイピンは誕生日に佐和子がくれた物なんだぞ。大事な品なのに…」
 萩野はそのネクタイピンに、明日を一生懸命生きると誓った。たった一人、愛した少女から貰ったあふれる思い出の結晶に…
「あ、そういえば萩野さん…」
「ん、なんだ?」
 道杉はここで、やっとある疑問を萩野に投げ付ける事を思い出した。
「どうして最初に言ってくれなかったんですか?萩野さんが松崎佐和子の恋人Aだって事」
 最初の時点で言っていれば、事件はもっと早く終わっていたかもしれない。
「ああ、それか。被害者の恋人だって事を言ってしまったら、直接捜査に参加出来ないだろ。俺には堪えられないよ、この手で犯人を見付けたかった…」
 ああ、なるほど。けれど…
「それじゃ探偵団結成するとか言ってたボーイフレンド達と一緒じゃないですか、見付けた後はどうするつもりだったんですか?」
「おいおい、あんなガキと一緒にするなよ。俺は警察官だぜ、職務を全うしたさ」
 萩野はいつも、前向きだ。
「私も警察官になって職務を全うしようっと」
 由衣が口を挟む。
「はは、道杉より鍛え甲斐がありそうだな」
「勘弁してください…」
 季節が移り変わっても、人の心は変わらない。そんな風に、日々を前向きに生きていきたいと、道杉は改めて心に決めた。




 終わり

酷く見づらいですね…でもあえて直さないアホです(苦笑)
読む人いるのかしら…頑張れそこの君!(というか、よく頑張った!)
思い入れがある言えば聞こえはいいが、手放せないだけである。
勿体無いしなぁ…という理由だけでここに載せようとして、ワードからわざわざ引っ張ってきました。
余計なタグを消すのに結構無駄な時間をかけてますよ、ふふ(アホだ自分)


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