>>> 15 . 赤い月を見ていた



 仕事を終えての帰り道、ふと視界の隅に映りこんだ光景。
 ぞっとした…

 なんて美しい赤い色、悲しみに染まった心のようだ。
「…馬鹿みたい」
 浮かんだ言葉を否定するように呟いて、なおも目をそらせずにただぼんやりと。

 都会の喧騒の中の、ビルとビルと、ビルのほんの隙間から。一枚の絵のようなバランスの良さに眩暈すらしそうだ。
「桐子、悪い、待たせたな」
 乾いた靴音とともに、耳に馴染んだ低い声。そちらを向かずに、待ってない、と呟いた。
「そうか…何、見てんだ?」
 自分の方を向かない事を疑問に思い、彼は彼女の横に立ち、肩に手を当てて視線の先を追った。
「見える?あんたにも」
「すげーな、真っ赤な月」
 ああ、この男にも見えるのか…良かった、とうとう幻覚まで見えるようになってしまったかと思った。
「そうね、真っ赤な…」
 立ち並ぶビルの黒いシルエットの向こうには、街の明かりを受けて薄くなった墨のような空。低い位置に、赤く欠けた月。
「月の赤い晩は、良くない事が起こるって聞くけど…どう思う?」
「どうって?」
「何か起こると思うか?」
「あんたが死ぬとか?」
「縁起の悪い事を言うなよ」
 困ったように微笑んで、肩に置いていた手で頭を抱いた。そっと、指先で髪を梳く。
「あり得なくもないわよ、私があんたの首を絞めるかもしれないし」
「お前にやられるなら構やしねーよ」
 低い声が耳元で囁く。

 何時の間に私は、この声に慣れてしまったのだろう。

「腹減ったな、何か食いたいものあるか?」
「なんでもいい」
「相変わらずだな」
 穏やかな微笑みのなかに、悲しげな目が揺れる。私がこんなにも拒んでも、そっと包み込んでこようとするその掌が…好き。
「ねぇ…」
「んー」
 未だほら、私は赤い月を見たまま。
「あんたは何が起こると思う?」
「赤い月?」
「うん、そう。あんたの言うところの、良くない事」
 あんな低い位置で、存在を誇示するかのような威圧感。欠けて細くなった三日月なのに…
「そうだなぁ…地震とか、自然災害かな」
「私が死ぬかもしれないよ?」
「じゃあオレも死ぬから、大丈夫だよ」
 冗談じゃない…
「何であんたも死ぬのよ」
「耐えられそうにもないからな、お前がいないなんて」
 やっと月から目を逸らして横を見ると、彼はずっとこっちを見ていた。
「私なんかいなくても、あんたは大丈夫でしょ?」
 目を細めながら、髪に触れて梳いて。
「大丈夫なわけ、ないだろう」
 そっとこの身を抱いて、囁く。その目は酷く、悲しくて

 ああなんて、美しい色の月なんだろう。血塗られた私の心に似てる。
 でも、嫌い。
 この男にこんな辛い顔をさせたかったわけじゃない…



FIN

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 月は、色を変え姿を変える。
 そこが不実だと言われる事もあるけれど、考えてみれば月は幾億年も前からあり続ける、何よりも確かな存在じゃないだろうか?
 桐子さんの心に、いつまであり続ける存在でいて欲しい。
 緒沢課長には。

2006年8月6日
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