どんな場所でも、きっと君とでないと楽しめないと思う…





 「 海外旅行 」





「上田くん、来週の火曜日からフランスに飛んでもらえないかな?」
「は?」
 日本科学技術大学の廊下を歩いていた上田は、突然後ろから肩を叩かれ言われた。驚き振向いたそこにいたのは現学長…
「突然すまないね」
「学長でしたか…いえ、で…何のお話ですか?」
「立ち話もなんだから君の部屋に行こう」
 口元の白いひげをいじりながら、学長はスタスタと上田の前を歩いていった。
「どうぞ…」
「あぁ、どうも」
 上田の研究室に入り、二人は応接セットに腰掛けた。が、上田はすぐに立ち上がり、慌てて冷蔵庫からよく冷えた牛乳を出し、グラスに注いで戻ってきた。
「で、先ほどの話なんですが…」
「うん、実はね、フランスのルアーブルで、物理学における専門家達が集まるシンポジウムがあるんだ」
「ああ、それなら知っていますよ。確か学長が行かれるとか?」
 本来ならば物理学会のホープである自分が行くべきだと思っていた上田だが、相手が学長となると逆らえまいと、あえて自分からは話題にしなかったのを思い出した。
「そうそう。ただね、火曜日は孫の誕生日だという事を思い出したんだ」
「は?」
「しかも水曜日は妻との結婚記念日」
「はあ…」
「おまけに木曜日は亡くなった僕の父の命日なんだ」
「それはまた…」
 随分嫌な組み合わせだなと、上田は何となく思った。
「家族との交流の方が、老い先短い僕にとっては大事な事だからね。それですまないが、上田くん、代わりに行ってくれないか?」
 それを聞いた時、あまりの嬉しさで上田は、立ち上がってガッツポーズをしそうになった。
「私が学長の代わりにですか?」
 なんとか落ち着きはらい、興味なさげに答える上田に、学長は懇願するような眼差しを向けた。
「考えたんだがね、一学長の私なんかが行くよりも、物理学会の有能なるホープである君が行く方が、ずっとシンポジウムも盛り上がると思うんだ」
「はっはっは、それほどでも…」
 あります。と続ける上田に、学長は内心ほくそえんだ。なかなかこの男の扱いに慣れているようだ。
「で、頼めるかい?」
「そうですね…忙しいですが、学長の頼みならば断れません。この上田次郎、ぜひ学長代理として出席させていただきます!」
 自分で言っておきながら、上田は学長代理という言葉に酔いしれた。

「…で、何でまた勝手に上がってるんですか?」
 大きくため息をつく女性が一人、小さな古いアパートの一室で、上田の顔を見遣った。
「よう、おかえり」
「ただいま…じゃなくて!」
 手にしていた籠の鞄を放り、女性は小さなテーブルの前に腰を下ろした。ここは池田荘の、山田奈緒子の住む部屋だ。
「ほら、お茶」
「どうも」
 しばし和んだ空気が流れる。
「って、和んでる場合じゃないって」
 自分で自分に突っ込みを入れつつ、奈緒子は上田を睨みつけた。
「YOUはルアーブルに行った事があるか?」
「ありませんよ、そんなとこ。何なんですか、唐突に…」
 奈緒子がそう答えると、上田は何やらガサガサと取り出した。本のようだ。
「見ろ、ルアーブルはフランスのノルマンデイにある大きな港で、地方空港さえある。だから夏場なら到着後ルアーブル空港からフランス各地やパリ国際空港経由他の国へ行くことも出来るんだぞ」
 パンフレットを見ながら、上田は何かの解説を丸暗記したような内容をすらすらと喋った。
「だから何なんですか?」
「ここはな、あの豪華客船・飛鳥の停留する港の一つなんだ。さぞかし素晴らしいんだろうな」
「だから…」
「来週の火曜日からここに行くんだ、三泊四日」
 いい加減うんざりしてきた頃、奈緒子の言葉を遮るようにして上田は言った。
「は?」
「物理学会におけるシンポジウムがあってな、学長代理としていく事が決まった」
 学長代理のところを強く言う上田を、奈緒子はうさんくさそうに眺めた。
「へぇ〜…」
 興味がない。まさにそういった感じで、奈緒子はテーブルの上に広げられたパンフレットを半ば強引によけた。
「おいっ!ったく…乱暴な奴だな」
「私には関係ありませんもの」
「行ってみたいとも思わんのか?」
「そりゃ、一度くらいは海外旅行してみたいですけど…」
 ふと、奈緒子は、海外の大きなステージでマジックを披露する自分の姿を想像した。
「一緒に行くか?」
「は?」
 上田は奈緒子の顔をまじまじと見ていた。そのせいかどうか、奈緒子は少し、ほんの少しだけドキドキした。
「助手として一緒に連れて行ってやってもいいぞ」
 上田はどうやら本気で言っているようだ。
「本気ですか?」
 けれど確かめずにはいられない。
「俺はいつでも本気だ。YOUも行ってみたいんだろう?」
「ええ、まぁ…」
「じゃあ決まりだ。火曜日の朝、迎えに来るから用意しておけよ」
 そう言うなり、上田はご機嫌な様子で池田荘を後にした。

「本気か…?」
 真意が読み取れない…そう思いながらも、奈緒子は浮かれていた。
「海外旅行、か…いいじゃん」
 生まれて初めての海外旅行、しかもどうやら費用はかからないらしい。浮かれるなという方が無理な話だ。
 滅多に見せない満面の笑顔で、例の籠の鞄の中身を出し、旅行に必要そうな物を改めて詰め始めた。
「えーっと…タオル、歯ブラシ、服、下着…あ、亀とハムスターどうしよう」
 浮かれるのは結構だが、この自称美人マジシャン、一番重要な事を忘れている様子。それはもちろん、自称どんと来い超常現象の大学教授も気付いていない様だ。
 はてさて、どうなる…?

早いもので、とうとう火曜日がやってきた。
「そろそろ来るかな…」
 しっかり旅支度をすませた奈緒子は、これから訪れるであろう上田を待ちつつ、お茶をすすった。
 カンカンカン…という階段を上る音が聞こえ、一瞬動きが止まった。
「来た…か?」
 脇に置いてある籠の鞄に目をやる。忘れ物は多分ない、この日まで毎晩チェックした。長野にいる母の里見にも、電話してある。内容はマジックの地方公演があるため四日ほど家を留守にするという、まぁ、つまりは嘘なのだが。
「山田ー、準備は出来てるか?」
 ドアの向こうから、上田の声が聞こえた。
「あいてますよ」
 とりあえず玄関のドアを開けると、スーツ姿の上田が立っていた。見慣れないその装いに、奈緒子は大きく目を見開いた。
「う、上田さん?」
「よぉ、YOU…準備は出来てるみたいだな」
「あ、はい」
 驚く奈緒子を後目に、上田は置いてあった鞄を手にし、ゆっくりと階段を下りていった。
「どうした、早く来いよ」
「え?あぁ、はい…」
 上田のスーツ姿なんぞに一瞬でも見とれていた自分を一喝し、奈緒子は慌てて上田の後を追った。
 パプリカに乗り込むと、上田は成田空港に向けてハンドルを切った。
「どうした?YOU、今日はやけに静かだな」
「別に、なんでもないですよ。それより、上田さんってスーツ似合いませんね」
「むっ、何を言う…たまにしか着用しないが、この私のスーツ姿は誰もが見とれるシロモノだぞ」
「…七五三みたい」
 一瞬でも見とれた自分がバカみたいだと思いながら、奈緒子は上田の大きな手を眺めた。
 そんな遣り取りをかわし、二人は成田空港に到着した。
「飛行機…乗るの高校の修学旅行以来ですよ」
 目を輝かせた奈緒子を見ながら、上田は嬉しそうに笑った。
「はっはっは、俺は何度もある」
「だから何だ!」
「まぁ、いい。それよりYOU、パスポート出しとけよ、一番最初に使うからな」
 いつものテンションに戻った奈緒子に苦笑しながら、上田は自分のセカンドバックの中を覗き、それがあるか確認した。
「え、なんですか?それ…」
「は?」
 上田の中で何かが凍りついた。
「パス…タ?あ、お昼ご飯の事ですか?」
「おい、YOU…本気で言ってるのか?」
 海外旅行は一度も行った事がない。その時点で気付くべきだった…奈緒子がパスポートを持っているわけがない事に。
「違うんですか?」
「いや、いい、ちょっと待て…」
 ここまで来ておきながら、奈緒子を成田に残して自分だけフランスに発つ訳にもいくまい。グルグルと思考を巡らせる。
「上田さん?」
 その時、上田の上着のポケットから携帯電話の着信音が聞こえた。
「おぉう、電話だ!はい、上田です…」
 テンパる上田だったが、かけてきたのは科技大の学長だった。
『やぁ、上田くん、今どこ?』
「学長でしたか。今?今は成田空港です」
『そうか、間に合ってよかった。昨日渡したフランス行きの航空券なんだけど…間違って国内線の北海道行きの渡しちゃったんだよね』
「えぇ?!」
 電話の内容に、上田は慌てて航空券をチェックした。確かにそれは成田発、北海道行きの券だ。二枚とも。
『確認した?』
「ええ、まぁ…」
『それでね、さっき確認したんだけど、シンポジウムは来月だってさ』
「は…?」
『来月なら僕行けるし、とりあえず今回の話はなかったという事にしておいてくれるかな』
「が、学長…しかしですね、私は四日ほど休むともう決まっておりますし…」
『うん、だからその北海道行きの券はあげるよ。恋人か誰かと行く予定だったんだろう、フランス。別に行き先がフランスから北海道に変わっただけじゃないか、臨時ホリデーを楽しんできてくれたまえ』
「ちょっ、学長?学長!…切れてる」
 上田の頭の中は今、真っ白だった。楽しみにしていたフランス・ルアーブルでのシンポジウム…それが来月でしかも手にした航空券は北海道行き。
「上田さん、どうしました?」
 そしてはっとした。好都合じゃないか!
「YOU!北海道に行こう!!」






どこだって、別に構わない。二人でいれば、きっと楽しいはず。
海外はまた、別の機会に…そうだな、
新婚旅行でなんてどうだ?







くふふ、なんてあほなキャラだ、上田!そして学長…勝手にキャラ設定してしまった(汗)
そうですね、この後二人は北の大地を踏みしめ、ジンギスカンを腹いっぱい食し、牧場を練り歩いた事でしょう
そして海鮮料理に舌鼓を打ち、函館の夜景を眺めるというロマンティックな夜を過ごした…
…といいなぁ。

2004年1月9日完成




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