心地良い春の、脅威





 「 花粉症 」





「っくしょぃ!」
 大学の研究室で、上田は豪快にくしゃみをした。
「上田センセー、風邪ですか?」
 応接セットのソファに腰掛け、すっかりくつろいでいる矢部が上田の方に目を向けて言った。
「いえいえ、風邪ではないですよ。誰か噂でもしているのでしょう」
「そうでしょうねぇ、上田センセーともなれば、あっちこっちで噂されはるでしょうしねぇ」
「いやぁ、ははは、それほどの者ですから…は、はっくしょいっ!」
 謙遜する気の全くない様子でいつもの台詞を口にするが、またもや大きなくしゃみ。その様子に矢部は、キョロキョロと室内を見渡した。
「センセー、窓を開けてるのがあかんとちゃいますかねぇ…」
「は?」
 矢部に言われて、上田は視線を窓の方へと移す…なるほど、一番端の窓が全開だ。
「あぁ、今日は天気もいいんで、空気の入れ替えをしていたんですよ」
 入ってくる風自体は春特有の心地良いもので、体が冷えたりはしない…そう続けながら、上田は窓の方へと歩いていった。
「ん?」
 開け放たれた窓から外を眺めていると、見覚えのある黒髪の女性が歩いてくるのが見えた。
「どうしはりました?」
 矢部はというと、ソファに座ったままの状態で首だけ捻り、先ほど上田が入れたコーヒーをズズズとすすった。
「いやね、ここから、見えるんですよ」
 嬉しそうに表情を和らげて言う上田。矢部は首をかしげながらも立ち上がり、上田の横に立って外に目を遣った。
「お、アレ、あの毛の長いの…山田やないですか?」
「毛って…はは、そうですよ…ふあ、はくしょいっ!」
 矢部の言い方が可笑しくて笑う上田だったが、またくしゃみだ。大声コンテストで優勝した事もある上田…くしゃみもでかい。
「うわぅっ?!」
 隣にいた矢部は、あまりの声のでかさに驚いて、飛び退いた。
「あぁ、失礼しました」
「センセー、流石くしゃみもでかいですなぁ…」
 ここで媚びるのを忘れない矢部、上田と共にハハハと声をあげて笑った。一通り笑って外に視線を戻すと、大学校内に入ろうとしていた奈緒子がこっちを見ていた。それも、呆れかえった表情で。
「おぅ、山田ぁ〜」
 とりあえず手を振る矢部とは反対に、上田は気付く。外にいた生徒達までこちらを見ている。
「や、矢部さん、ちょっとこっちに…なんか皆見てますし」
「あ?そういえばそうですねぇ、なんでやろ?」

 ──コンコン。研究室のドアをノックして、応答も待たずにドアノブを回した。
「お?おぉ、YOUか」
「久しぶりやな、元気か?」
 上田と矢部の顔を順に見遣り、奈緒子は小さくため息をついた。
「二人とも…馬鹿面引っさげて何やってるんですか」
「は?」
 揃って首をかしげる二人の前をツカツカと横切り(矢部に至ってはバカズラの単語に過剰に反応し、頭部を押さえている)窓の方へと歩いていくと、何も言わずにその窓を閉め、鍵をかけてカーテンまで閉めた。
「お、おい、YOU。今空気の入れ替えを…っくしょいっ!」
「恥ずかしいんですよ」
 四回目のくしゃみをした上田をチラリと見て、奈緒子は小さく呟いた。心なしか頬が赤い。
「恥ずかしい?って、何がや?」
「ん?あ、まさかYOU…ここで、か?それはまずいだろう、矢部さんもいるし…」
「違う!なに考えてんだ、この馬鹿!」
 あらぬ想像に顔を赤らめる上田を一喝する奈緒子だが、首をかしげていた矢部は上田の発言ににやりと笑みを浮かべている。
「何ですかぁ、二人、そーゆぅ関係やったんですか?」
「やめろ矢部!こいつは虚言癖があるんだ、言った事をまともに受け止めるな!」
「照れるんじゃない、YOU…まぁいい、さぁ来い!」
 まだ勘違いをして、両手を奈緒子に向けて広げた上田を迷う事無く持っていた籐のトランクで殴りつけ、奈緒子は息をついた。
「誰が行くか、この馬鹿!矢部もその笑いやめろ!」
「おいコラ山田、照れ隠しにしては激しいな、普通の人間やったら死ぬぞ?まぁ落ち着け」
 奈緒子が矢部にまでトランクを構えたので、矢部は慌てて顔を引きつらせて一歩後ずさった。
「いたた、何するんだYOU…」
「あぁもう…なんで私の周りにはこんな馬鹿ばっかいるんだ?」
 ため息をつきながら、奈緒子はトランクを床に降ろした。
「何なんだ、一体?」
「上田!天気いいからって窓開けたままにするのやめろ、客が来てる時は尚更!」
「「は?」」
 奈緒子の言葉に、またも首をかしげる上田と矢部。
「特に矢部さんは声でかいんだから、余計気を付けろ!」
「YOU、分かるように言ってくれ。何をそんなに怒ってるんだ?」
 殴られた頭をさすり、上田はのそのそと起き上がって、カーテンを開けようとした。
「開けない方がいいですよ…」
「だから何なんだ?」
 ──シャッ…奈緒子の忠告も無駄となり上田はカーテンを開けてしまい、気付く。外にいる生徒達が、揃いも揃ってこちらを見ている。しかもくすくすと笑っているようだ。
「さっきもそうだが、なぜ皆こっちを見てるんだ?」
 奈緒子の気迫に恐れをなした矢部は、早々とソファに腰を下ろし、コーヒーの残りをすすっている。上田は一人、首をかしげて奈緒子に訊ねた。
「声…ですよ」
「声?」
「声がどーしたんや?」
 口々に言う。奈緒子は再び大きく息をついて、上田の開けたカーテンを無理やり閉めた。
「窓、開いてたでしょう?だから、さっきからずぅっと、上田さんと矢部さんの声、外に漏れてたみたいですよ」
「む…?」
「私はさっき来たばかりなんで、上田さんがでかいくしゃみしたところからしか聞いてませんでしたけど…」
 首をかしげたまま、上田は矢部に目を向けた。矢部もまた、何とも言えない表情を浮かべて、上田の方に目を向けていた。
「外にいた、大学の人達…かなり笑ってましたよ」
 瞬間、矢部と上田は視線をかち合わせたまま、しまった!というような、気まずい表情になった。

 奈緒子が来る少し前の、二人の様子…
「いやぁ、しかしセンセーは、さぞかしもてはるんでしょうねぇ」
 入れてもらった熱いコーヒーをちょびちょび口に含みながら、矢部は上田に言った。
「ははは、そうですか?」
「そうですよ、前にも言いましたけどね、影じゃぁきっと、上田センセーのファンクラブとかもあるんじゃないですかねぇ」
「ファンクラブですか?」
 上田も満更じゃなさそうだ。
「教授にもなられたし、一層でしょぉねぇ」
「いや、参りましたな」
 ハハハ、と二人は声を荒げる。二人とも地声がでかいので、うるさい事この上ない。

「あちゃ〜…」
 矢部は首の後ろをガシガシとかきながら、苦笑を浮かべた。上田に至っては顔を真っ赤にしている。
「二人して…一体何の話してたんですか?」
 二人の様子に、今度は奈緒子が首をかしげる番だ。
「あ〜…、あ?センセー、そういえばくしゃみ、止まったんとちゃいます?」
 ふっと、矢部が突然話題を変えた。
「え?お、そういえば…」
「さっきもでっかいくしゃみしてましたね…外歩いてて、びっくりしましたよ」
 奈緒子もついそちらに気をとられる。
「アレやないですか?センセー…」
「アレ…?といいますと…」
「春やから、花粉症とちゃいますかね?」
「それはないでしょう、今まで一度もありませんでしたし」
 矢部の言葉に、子供のように反論する上田。奈緒子がため息混じりに口を開いた。
「大人になると、急に体質が変わる事もあるそうですよ」
「いーや、この俺に限って花粉症になるなんてありえない」
「子供じゃないんですから、そういう事言うの止めろ」
「まぁ、オレはどっちでもえーんですけどね…」
「「最初にフッたのは矢部さんじゃないですか!」」
 矢部が傍観者気取りな事を言うと、奈緒子と上田、二人がほぼ同時に言ってきた。それに臆したのか、矢部はコーヒーの残りを一気に口に含み、仕事の続きが…などと言いながら逃げるように研究室を後にした。
「あぁ、アカンアカン。何や知らんけど、あの二人、妙に息合うとったな…って、アレ?」
 矢部は、奈緒子が来るまでの間、上田と話していた事を思い出した。

「参る事ないやないですかぁ〜、選び放題ですよぉ?」
 参ったと言いながら、照れくさそうにしている上田を見ながら、矢部は首をかしげた。
「ははは、選び放題も何も、私は過ちは嫌いですからね」
「過ちも何も、そこから花開くかもしませんよぉ?」
 上田が童貞であるという事実を知っている一人でもある矢部は、首をかしげながらもにやりと続ける。
「え?あぁ、いやいや、実はここだけの話なんですがね」
「ほぉほぉ、何ですか?」
 突然上田が赤ら顔で、低い声を一層低くして言うので、何やら俄然興味を抱き、矢部も声を低くして訊ねる。
 だがこの二人、声を低くすると言う事はしているのに、音量は下げないと言うのが何ともおかしい。
「実はですね、昨日、花開いたんですよ」
「え?!ホンマですか?良かったやないですかぁ〜」
「いやぁ、ははは」
 大いに照れる上田を前に、矢部は何だか、学生時代の友人との遣り取りを思い出した。こういう会話をこの年になってするとは思いもしなかったと懐かしむ反面、純粋すぎるんとちゃうやろか…と上田を心配もした。
「するとセンセー、お相手はどこの店の美女ですか?」
「店?いやだなぁ、矢部さん、私がそういう…スレた女性を相手に花開かせるわけ、ないじゃないですか」
「え!じゃぁホンマもんの素人ですか?!」
「素人…まぁ、そう言うのでしょうねぇ」
 うっとりと遠い目をする上田に、なぜか妙な違和感を覚えた。一番重要なところは絶対に喋らないという、そういう雰囲気だ。

「え、アレってまさか…あ、そういや山田もなんや意味深な事言うとったで?」
 研究室を後にしてしばらく経つが、矢部は一人でぶつぶつ喚いたり驚いたりしながら歩いている。
「大人になるってそういう意味か?!なんやねん、あーもう、気になるなぁ…」
 カーテンを閉める奈緒子に上田が言った言葉も妙に気にかかり、矢部はクルッと方向転換すると、盗み見と盗み聞きをするべく、研究室へと走って戻った。






 あぁ、ここにも春が訪れた人が一人いる…
 それによって、体質が変化したなどとは、決して認めはしないだろう
 何たって、頑固だから。







はい、皆さーん、ここに馬鹿がいますよ〜!
矢部馬鹿の射障です(笑)
矢部さん出すだけでなんでこんなに暴走気味な作品になるのは…全くもって分かりません。
むしろ誰か教えて下さい!(嘘・笑)

2004年3月8日完成




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