ちょっと探してくるよ。





 「 忘れ物 」





「あ…」
 つい声が出てしまった。それは驚愕の声、呆気に取られた声。
「どうしたんですか?」
 隣で訝しげに顔を歪めた女性…奈緒子が上田の顔を見ながら言った。
「いや、あのな…」
 なんと説明したらいいのか分からない。夜の闇に包まれた森の中に二人、お互いに顔を見合わせていた。
「上田さん?」
「あー、アレだ」
「は?」
 自分ともあろう者が言葉が見付からずに言いよどむなんて…上田は耳の後ろをカリカリとかきながら、気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「なんなんですか?」
「…忘れてる」
 辛うじて一言、搾り出すように言うが、自分でも良く分からない。
「忘れてるって、何をですか?」
「それが…な、分からないんだ」
「分からないものを忘れてるんですか?」
「あ、あぁ…」
 一層気まずそうな表情になる上田を見て、奈緒子は呆れたように息をついた。
「上田さん、ボケるにはまだ早いですよ?」
「いや、ボケではない。断じてそれはありえない!」
「現にボケてるじゃないですか」
 にやーっと笑みを浮かべる奈緒子に何も言い返せずに、上田は両腕を組んで視線を中に彷徨わせた。
「大事な何かを忘れてる…それに間違いは無いはずだ」
「上田さんの大事なモノ…ベスト?」
「違うっ」
 ベストは大事というより好きだから毎日着てるというだけだ…考えれば考えるほど、それは遠のいていくような気がして、上田は思わず目を見開いた。
「うわっ…気持ち悪っ…」
「気持ち悪いとか言うな!今思い出そうとしてるんだ」
「そうですか、ま、せいぜい頑張ってください」
 挙動不審な上田の隣にいる事を拒み、奈緒子はそそくさと逃げ出すように歩き出した。
「あっ、おいYOU!待ってくれ!一人にしないでくれ!」
 こんな灯りもないような森の中で、一人残されるのはゴメンだといわんばかりに上田は奈緒子に縋りついた。
「あーもうっ、弱虫!離せ、馬鹿上田!」
 ドスッ…と、奈緒子の肘が見事にみぞおちに入った。
「うおっ…ぉぅ…、YOU…どんどん逞しくなるな」
 痛みに顔をしかめつつも、上田は奈緒子の服をしっかりとつかんだまま離さなかった。
「ったく、分かりましたから手を離してくださいよ、服がのびるっ」
「あ、あぁ、すまんすまん」
 やっと手を離し、上田は恐る恐る奈緒子の表情を窺った。
「とりあえず、ここで考えるのはやめましょうよ。早く抜け出さないと…夜の森で迷う事ほど恐ろしい事は無いですし」
「そ、そうだな」
 どこかでふくろうの鳴き声が聞こええる、どうにも不吉な予感を感じつつ、二人は歩き出した。

 肌寒い森の中でも、真っ暗な闇の中でも、不思議と二人なら恐くは無い…なぜだろう?
「YOU、寒くないか?」
「寒くありません」
 情けない声を出す上田にそっけなく答え、奈緒子は髪をかきあげた。
「…しかし参ったな」
 少しの沈黙の後、また上田がボソリと口を開いた。どうやら、何か喋っていないと落ち着かないらしい。
「何がですか?」
「ほら、アレだよ」
「…あぁ、忘れてる事の件ですか?別に私には関係ありませんけど」
「いや、YOUにも関係しているような気がする」
「さっさと思い出してくださいよ」
 それがなぁ…と、再び両腕を組んで唸りだした上田を一瞥し、奈緒子は小さく溜息をついた。ついさっきまでは、二人でいられる事に安堵感すら感じていたのに、今は正直いって、煩わしい…
「くっ、ここま出かかってるのに」
「違う事でも考えてれば、その内ふっと思い出しますよ。あ、そうだ!何か話でもしましょうよ」
「話?」
「そう、何でもいいんですよ…昨日の晩ご飯の内容とか」
 上田は腕を組んだままで奈緒子を見つめ、フゥ…と息をついた。
「YOUこそボケがきてるんじゃないか?」
「は?何でですか?」
「昨夜は同じ物食ってるだろ」
 あぁ、そういえばそうだ…奈緒子は照れくさそうに頭をかきながら苦笑いを浮かべた。昨日からこの村に来ていて、夕飯には宿の食事を一緒に食べたのだった。
「えっと…えへへへ、っくしゅん!」
 てれ笑いの最中、小さなくしゃみ。
「YOU、やっぱり寒いんじゃないのか?だから出る時に上着を着ろって言ったのに…」
「だって上田さんが早くしろって急かすから…っくしゅん」
 二度目のくしゃみに、上田が顔をしかめた。
「…俺のせいか?」
「そういう事になりますね…上田、そのコートをお貸しっ」
「嫌だよ、なんで俺のを貸してやらないといけないんだ」
「何言ってんですか!こういう時、何も言わずに貸すのが男でしょ!この期に及んで嫌だとか言うなんて、かっこ悪いぞ!」
「釈由美子とかだったら喜んで貸すが、YOUに貸すなんてまっぴらごめんだ!俺だって寒いんだぞ!」
 売り言葉に買い言葉…とでも言うのだろうか、口にしてしまってから上田は気まずそうな表情になり、奈緒子はグッと口をつぐんでしまった。
「フン…だ、私だって、松平健とかに借りる方が、ずっといいですよっ!ば──っか!」
 涙目になりながら言い放ち、奈緒子は一人で先に歩いていった。
「ゆ…」
 後ろの方で、上田が小さく呟く声が聞こえたが、無視した。

「…あの馬鹿、あんな言い方さえしなかったら、コートくらい貸してやったのに…」
 自分の着ているコートの裾を握り締め、上田は小さく呟いた。奈緒子の後ろ姿を見つめながら。
「しかし、思い出せない…」
 素直になれない自分を疎ましく思いながらも、片一方では忘れている事に対してずっと考えていた。
「なぜ思い出せないんだ…?」
 ぼそっと呟き、ふと気付く。奈緒子の姿がとっくに見えなくなって、今ここには、自分ひとり。
 ホー、ホー…闇夜に響くふくろうの鳴き声に身を縮みこませる。
「ゆ、YOU〜…?」
 正直、恐い。だがそれを押し隠して、そっと声を出してみる。
「お〜い、YOU!こ、コート貸してやる…ぞ!」
 もう一度、今度はさっきより大きな声で呼びかける。なんとか機嫌を直して戻ってきてもらわないと、恐怖で負けてしまう…
「わっ!!」
「うおぉぅっ?!」
 突然後ろから背中を強打され、何かがプツンと切れた。

「あ…」
 どこか遠くで、チ───ンという音が聞こえたような気がした。奈緒子の足元には気絶した上田が倒れている。
「あっちゃぁ、やりすぎ…た?」
 ちょっとムカムカしてたから、ほんのちょっと危機感を味あわせて、それから何事も無かったかのようにまた二人で歩ければいいと思っていたのに…
「上田さーん…」
 屈んで声をかけるが、当分起きそうに無い。
「あ〜ぁ…」
 仕方ない…そう思いつつ、奈緒子は上田を木の下へと引きずり、よしかからせた。そして懐にもぐりこむ。
「ん、よし…これならあったかい」
 木によしかからせた上田を背にして、コートの中に入り込むとさっきよりは断然暖かい。はぁ…と白い息を吐きながら、奈緒子は目を閉じた。
 ──ドクン、ドクン…心臓の音が聞こえる。何だか落ち着く。
「はっ?!」
 突然後ろで上田がうごめいた。
「わぁっ…」
「あ、あれ?YOU…?」
「やっと気付いたか、こんなとこで気絶なんかしたら、凍死しますよ?」
 首だけひねって言うと、上田は懐に入っている奈緒子を不思議そうに見つめ、そのまま腕を回して抱きしめてきた。
「うぁ…?」
「YOU…あったかいな」
 一層ギュッと抱きしめてくる。
「ちょっ、ちょっと上田さん?寝ぼけてるんですか?」
「YOU…思い出したぞ」
「は?」
 静かに耳元で囁かれて、ドキドキしていた。
「忘れてた事」
「え?思い出したんですか?なんですか?」
 だが上田の言葉に身を翻した、ドキドキよりも、実は結構気になっていた事の方が興味がある。
「知りたいか?」
 翻した体を抱き寄せられ、少し顔をしかめる。こういう時に限って、どうしてこんなに積極的なんだろう?
「そりゃぁ、まぁ…」
「YOU、昨夜冷蔵庫に入れておいた俺の牛乳飲んだだろう?」
「え゛っ…」
 違う意味で心臓が大きく跳ね上がった。
「実はあれな、三日ほど賞味期限が切れてたんだ」
「なっ…そ、そういう事は早く言え!や、それよりも賞味期限切れの牛乳なんか持って来るなよっ!」
 ガバッと離れて勇んだが、上田はさもおかしそうにクククと笑っている。もしかしたらまだ何か隠しているのかもしれない…
「おい、YOU…寒いだろ?ほら、あっためてやるから来いよ」
 問いただそうと上田に向き直った時、上田は妙な笑みを浮かべて腕を広げた。見透かされてるようで、胸がドキドキするのを奈緒子は感じ、慌てて背を向ける。
「う、うえっ、上田さんって、馬鹿じゃないですか?賞味期限の切れた牛乳の、どこが大事な事なんですかっ」
「大事だろ?YOUが腹壊したりでもしたら…大変じゃないか」
「心配…してくれてるんですか?」
 ちらりと肩越しに上田に目を向けると、変わらない笑顔で腕を広げていた。それを見て、おずおずと後ずさり、奈緒子は先ほどと同じように上田の懐におさまった。
「腹、痛くないか?」
「三日くらいなら、大丈夫です」
「そうか…あー、あとな」
 上田は奈緒子をキュッと抱きしめながら、何か言いよどみ始めた。
「上田…?」

 奈緒子の耳元で、そっと囁く。
「ずっと言おうと思ってた事なんだが…」
「な、なんですか?」
 奈緒子が緊張しているのが分かる。優越感に浸りながら、上田は続けた。
「ずっとずーっと、YOUに言おうと思ってたんだが、さっきまでちょっと忘れてた」
「じゃぁ早く言えばいいじゃないですか、ぐずぐずしてるとまた忘れるぞ?」






 じゃぁ言うよ、君が目を閉じたら、優しく耳元で囁いてあげる。
 ほんの一瞬忘れていたけど、探してきたから。
 ス・キ・ダ・ヨ…
 もうどこにも、忘れてきたりはしないよ。







うがっ…
上田がキショイです、最後の四行がめらキショイです。
一体全体、うちの上田教授はどうしてしまったんでしょうねぇ…
頭のネジが3個ほど行方不明?(笑)

2004年4月7日 完成




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