痛い痛い痛い痛い痛い痛い…
痛い。





 「 罰 」





 ハッと目を覚まし、体を起こして肩を抱いた。
「あ、ゆ…め?」
 怖い夢を見たような気がした、内容は覚えていないけれど。
 抱いた肩が、僅かにだが震えている。
「…寒い」
 高揚なく呟く。寒いわけでは無いのだ、この震えは、多分恐怖から。
「…寒い寒い」
 寒さのせいにして、起きあがりながら、Tシャツの上から何度も肩から腕にかけてこすり、震えを無理やり押さえようとしてみる。
 だが、なかなか収まらない。
「寒いんだっつーの…」
 呟きながら、おもむろに流しへと向かう。水道の蛇口をひねり、勢い良く水を出す。
「お茶…」
 古びたやかんに水を入れ、ガス代において火にかける。震えを寒さだとごまかし、寒さを紛らわすためにお茶を入れる。自分で自分の行動が、おかしくてたまらない。
「あぁ、寒い」
 お湯が沸くと、お茶の葉を入れた急須にそれを移し、少し時間を置いて蒸らしてから湯のみに移す。
 湯気が揺れる、香りが立つ。その湯のみを盆に乗せ、小さなちゃぶ台へと移動する。台の上に湯のみを移し、奈緒子も腰を下ろした。

 ─── チャラ…

 不意に、手に何かが当たった。
「ん?」
 ちゃぶ台の上に、湯のみよりもずっと前に置かれたそれ。銀色の、鍵。何やら、同じく銀色のチェーンのようなキーホルダーがついていて、色ガラスのかけらのような、キラキラしたものが飾り付けられている。
「ああ、これか」
 左手は湯のみをしっかりとつかんでいる。手のひらがじわじわ熱くなっていく感触が気持ちいいと思う。右手の親指と人差し指で、そのキーホルダーと一緒に鍵を摘み上げた。

 ─── チャラ、チャラチャラ…

 細く高い、鈴のような音が鳴る。しばらくそれをじっと眺めた後。おもむろに奈緒子はそれを、自分の後ろに放り投げた。

 ─── チャラン…

 無造作な音が響く。
 その鍵がどこの鍵で、誰が持ってきたかなど説明するのもおこがましいような気がしてならない。それが意味する事さえも、考えると苛々してくるのだ。
「自信過剰の、バーカ」
 ズズ…と、音を立てながらお茶をすする。奈緒子の後ろの、放り投げられた鍵の傍らには、くずかごがある。そのくずかごには、鍵と一緒に添えられていた短いメモが、くしゃくしゃに丸められ、捨てられていた。
「絶対に、あんな奴に助けてなんて貰いたく、ない」
 ボソリボソリと呟きながら、少しずつお茶をすする。

『二週間ほど研修で居なくなる。その間、YOUが餓死すると祟られそうで気分が悪いから、冷蔵庫の中のものを食ってもいいぞ』

 メモの中身は、そっけないそんな言葉。けれどそこから汲み取れるのは、そんな寂しいものじゃない。溢れそうなほどの、優しさと愛情だと奈緒子は分かっている。
 鍵につけられた、華奢なキーホルダーすらからも、想いが伝わってくる。あの男が普段から、こんな女性らしい可愛いものを鍵に付けるわけが無いのだ。
「…自分の趣味、押しつけやがって」
 確かに奈緒子も女の子。こういう、キラキラした可愛いものは嫌いでは無い。湯のみを握り締めたまま首をひねり、鍵を見つめた。
 最初、それを見つけた時、少なからず心が震えた。

 …合鍵?!

 ドキドキして、嬉しくて、嬉しいと思っている自分にびっくりした。そして同時に、メモを見て幻滅した。
「色気も何も、あったもんじゃない…」
 ドキドキした自分が、馬鹿らしいとすら感じた。
「もっと…」
 もっと優しい言葉で、もっとお洒落でロマンチックに、もっと、もっと…言い出せばきりが無い。
「ふん、だ。ばーか、ばーか、弱虫上田のばーか」
 ずずず、お茶を啜りながら、とりあえずけなす。分かってはいるのだ、あの男がそんな、小洒落た事が出来る男ではないという事くらい。初めてのデートはTDL★なんて真顔で言うくらいだ。

 でも、でも…

「上田さんの、馬鹿」
 嬉しかったのは事実だ。自分の心配をしてくれる上田の事が、愛しいとさえ思う程に。奈緒子は再び首だけ回し、鍵を見た。
 きっと上田のマンションの冷蔵庫の中には、奈緒子の為の食材が詰まっているはずだ。すぐに食べられるような冷凍物ばかりかもしれないが。
「…上田さんなんか」
 小さく呟きながら、鍵に手を伸ばす。
「嫌い、だ」
 
 ─── チャラ…

 金属の重なる音が、耳に心地いい。何となく微笑んで、奈緒子はそれをわざと揺らし、音を楽しんだ。窓から差し込む日の光に、色ガラスの欠片が反射しあってキラキラするのも綺麗で楽しい。

 ─── チャラチャラ、キラキラ、チャラ…ググゥ…

 キーホルダーの金属の合わさる音に、違う音がかぶさった。誰もいないのに、奈緒子は思わず顔を紅くする。そう、その音は奈緒子の腹の虫。
 上田がこの鍵を奈緒子の部屋の、この小さなテーブルの上に置いて出かけてから、既に一週間が過ぎている。
 意地を張った結果が、これだ。
「…お腹空いた」
 ペタン、と、テーブルの上に横を向いたまま突っ伏す。手には、鍵。もう片方の手には、冷めかけたお茶の入った湯のみ。
「…食べ物に、罪はない、か」
 そう呟くと、のっそりと起き上がり、服を着替える事にした。食べ物に罪はない、上田が帰ってくるまであと一週間もあるし、それまで自分自身がもつ自信もない。
 半ば諦めつつ、鍵を握り締めて奈緒子は上田のマンションへと向かった。
 ─── チャラ、チャラチャラ…

 奈緒子の手に握り締められた鍵から、ぶら下がるチェーン状のキーホルダー。奈緒子の足取りと同様に、どこか軽快なリズムを奏でる。
「ごっはん、ごはん、ごっはん、ごはん」
 自分が行くのは上田の部屋ではなくて、食べ物が用意されている部屋。そう自分に言い聞かせながら、心の中では少し、ドキドキしている。そんな自分に対し、苦笑いを浮かべながら、なおもその足取りは軽やかに。
 マンションに着くと、奈緒子は何となく部屋のドアの前で立ちすくんでみた。鍵を片手に、鍵穴に差し込もうとして固まったような体勢で、だ。
「き、緊張するっ」
 心なしか、手が震えているような気がするが、意を決してエィッと鍵を鍵穴に差込、クルッと回す。

 ─── ガ、チャ…チャラ…

 鍵の開く音と、金属の鳴る音。
「…開いちゃった」
 ゆっくりとノブを回し、ドアを開ける。
『YOU、よくきたな』
 そんな声が聞こえてくるようなほど、いつもと変わらない上田の部屋。
「…さて、飯だ飯!」
 一瞬顔を赤らめた奈緒子だったが、熱を振り切るかのように室内に入り、真っ直ぐに冷蔵庫へと足を向けた。
「おおぅっ?!」
 思わず上田張りの奇声を発する。冷蔵庫の冷凍室の中には、見事なまでに綺麗に鎮座された食品たちが、今か今かと封を切られるのを待っていた。
「ま、まぶしいっ!」
 嬉しそうに中を漁る。と、奥の奥から、厳重すぎるくらいに綺麗に包まれ、その上からラップに巻かれた何かが出てきた。まるで奈緒子に見付からないようにという風に、かなり奥から。
「…なんだ、コレ」
 とりあえずラップを外し、包みも強引に破り剥がす。
「なっ?!に、肉だ!」
 トタンに目が輝きだす。
「これ食べよう」
 即座に冷凍庫を閉めて、レンジで解凍。その間にフライパンや油を用意して、奈緒子は楽しそうに忙しそうに動き回る。
「ふふん、だ。肉、いいね、肉。やっぱステーキだな、あ、ご飯はあるかな?」
 機嫌よさそうに踵を返し、冷凍庫はもちろん冷蔵庫を再び漁ると、冷凍されてラップにくるまれた白米が大量に出てきた。恐らくは奈緒子の為にと、上田が炊いて、小分けにして冷凍したのだろう。

 ─── チン♪

 丁度良いタイミングで肉の解凍が終わったので、ニコニコとこぼれそうなほどの笑顔で白米をチンする。



 一週間が過ぎ、二週間分の食材を奈緒子は綺麗に平らげた。最後の夜には、上田のマンションのリビングでゆっくりと食後のお茶を啜る。
「ああ、平和な二週間が終わる…」
 ぼんやりと時計に目を遣ると、短針は9をさしている。最後の夜という事で長居しすぎたようだ。手早く湯飲みを洗って、鍵を引っつかみ玄関へと向う。
「帰ろっと」
 鍵のチェーンを鳴らしながら、ノブに手を遣る…
「のぁっ?!」
 が、奈緒子がノブを捻るより先に、外側から先にドアを引かれ、奈緒子は体勢を崩した。
「おぅっ?!」
 ドアの外にいた誰かに、もたれかかる。
「にゃぅっ?!」
 顔面から、胸に。
「…YOU?」
 顔を上げると、そこには上田がいた。
「あ、上田…さん」
 少し疲れた顔。けれど、ふっと微笑む。
「飯、食ったか?」
「あ、はい」
「そうか」
 ホッとしたように、ポンッと奈緒子の頭に手を置いてから、室内に上がる。大きな荷物を抱えていて、何となく、奈緒子も室内に舞い戻った。
「あ、お茶入れましょうか」
「ああ、悪いな」
 慣れた手つきで、奈緒子はダイニングの棚からお茶の葉を出して湯を沸かす。この一週間、散々漁りまわしたのだ。当然といえば当然だろう。
「上田さん、帰ってくるのって明日じゃなかったんですか?」
「あー、ああ。だが予定より少し早く終わってな。最終に間に合いそうだったからそれで帰ってきたんだ」
 だから疲れた顔をしているのかと、妙に納得しながら上田の前にお茶の入った湯飲みを置いた。
「じゃ、私、帰りますね」
「ああ、気を付けてな。送ってやれなくてスマン」
「謝らないで下さいよ、気持ち悪いから」
 言い返す気力もないほど疲れているのか、はは…と気の抜けた声で笑う。
「じゃ」
 そんな上田を残し、奈緒子はマンションを後にした。手には、上田の部屋の鍵が握り締められている。

 ─── チャララン…

「…元気そうだな、やっぱり鍵を渡しておいて良かった」
 部屋に残された上田は、気だるげに頭を振ってから、おもむろに立ち上がり、ダイニングへと足を向けた。
「…見付かってないよな」
 冷凍庫を開けて、愕然とする。
「なっ…」
 見事に空っぽ。慌てて冷蔵庫の方を開けてみる、同様に空っぽだ。
「ぜ、全部食ったのか?!」
 開けたらすぐ見えるところに、奈緒子用に冷凍した食品を置いた。そして奥の方に、先日取り寄せた、超高級特選松坂牛を隠しておいたのだが…
「…やられた」
 がっくりと、肩を下ろす。



「あー、やっぱ初日の肉が一番美味しかったなぁ…」
 満月を仰ぎながら、奈緒子は一人呟く。






 食べ物に罪はない。
 冷蔵庫の中のモノを全て食べ尽くした私にも、罪はない。
 だって、私の為に用意してくれたんでしょう?
 鍵も、食べ物も。
 でも…
 そっけないメモを残したあなたには、罰を。
 このくらいの罰なら、甘んじて受けてくれるでしょ?
 
 -----私は胸の痛みを罰とするから。
 罪はそう、あなたへの想いに気づかないふりをしている事…








久々の、お題です。
当初の予定とは違ったものになってしまいました…なぜだ?
さておき、久々でもウエヤマは楽しいですね。
この頃ウエヤマ、少しサボってたからリハビリもかねて執筆執筆。

2004年9月15日




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