可愛い可愛い、僕の愛車。





 「 二人乗り 」





 1966年型のトヨタパプリカ、色は淡い山吹。丸みを帯びた車体は、まるで女性の体の曲線のようで、俺はたまにドキッとする。
 たまにだが。
 一度、あいつにこの次郎号について熱く語ったと事がある。そうしたらあいつ、言いやがった。
「そんなに好きなら、その車と結婚したらどうですか?」
 しれっと言いのけたその表情は、にやぁっとした笑みに、らんらんと輝いた瞳。この俺をからかうつもりなのか…?その時はそう思ったが、今考えると、あれはヤキモチだったに違いない。俺があまりに次郎号を可愛がるから、次郎号に嫉妬したんだな。
 …可愛いやつめ。
「YOU、ほら」
「あぁ、どうも」
 助手席のドアを開けてやると、あいつは嬉しそうに助手席に滑り込む。ぐるっと回って俺が運転席に乗り込むと、あいつはこっちをチラッと見て、口元を緩ませるんだ。
 俺は少し、照れくさくなる。
「上田、顔赤いぞ。風邪でも引いたんですか?」
 人の気も知らずに、あいつは俺の顔を覗き込んでくる。
「風邪だと?俺が風邪なんか引くわけないじゃないか…YOUの方こそ熱でもあるんじゃないか?心配するなんて珍しい」
 ───ゴスッ…
 俺の額に、あいつの裏拳が綺麗に入った。突然の事だったので俺はブレーキを踏んでしまった。キキッとタイヤをきしませて、次郎号は何事もなかったように路肩に静かに停車した。
「おいっ、いきなり何するんだ!ヘタしたら事故ってるぞ!」
 眼鏡は割れていない。とりあえずは額に鈍い痛みが走っている程度だが…
「危ないじゃないですか、この馬鹿上田!」
「なっ…YOUが突然裏拳なんかしてくるからだろ!」
「上田さんが余計な一言言うからですよ!」
 一度お互いに顔を見合わせてから、ほぼ同時に、ぷぃっと顔をそらす。

 あぁ、またやってしまった…
 顔をそらしてから、奈緒子は少し後悔した。
「そんなに俺が嫌いなら、降りたっていいんだぞ」
 隣でハンドルを握った上田が小さくつぶやくのを聞いて、なんだか無性に悲しくなってくる。
「言われなくても降りますよっ」
 売り言葉に、買い言葉…乱暴にシートベルトをはずして、未だ走り続けている次郎号の助手席のドアを開けようと鍵に手をかけた…が。
「やめろっ!」
 キッと、再びタイヤをきしませながら、次郎号は急停車した。そしてドアの鍵に手をかけている奈緒子の腕を、上田がつかんでいた。
「あ…危ないじゃないですか、言ってる矢先に急停車なんてしないでくださっ」
「馬鹿野郎っ!」
 奈緒子の言葉を遮るように、上田が怒鳴った。
「何をっ…」
「走ってる車から飛び降りようとするなんて危ないだろうがっ!」
 つい、きょとんとしてしまった。さっき顔をそらしてから、一度も見なかった上田の顔、と、目。心底、奈緒子の身を案じた表情だった。
「ご…ごめんなさい」
「いや、すまん、俺の方こそ大声を出して」
 はぁ…と息をついて、上田はハンドルに顔を突っ伏した。
「上田…さん」
「ん?」
 奈緒子も小さく息をついてから、小さくつぶやく。
「さっきのも、ごめんなさい」
「あ?」
「裏拳」
 ふっと、上田は微笑んで顔を上げ、静かに奈緒子の髪に手を遣った。
「許してやる」
 奈緒子も釣られるように微笑んだ。
「どうも」
「しかし、心臓に悪いぞ」
「許してやるって今言ったじゃないですか」
「それとこれとは話が別だ」
「何だそれ」
「YOUこそ、反省してるのか?本当に危ない事なんだぞ?怪我してたかもしれないんだぞ?」
 詰め寄ってくる上田の顔があまりにまじめそうで、一瞬むっとした奈緒子だったが、小さくかぶりを振って頭を下げた。
「反省してますっ、ごめんなさい」
「す、素直が一番だ」
 突然、素直に頭を下げた奈緒子に戸惑いながら、上田は再度アクセルを踏んで車を走らせる事にした。
「上田さん」
「何だ?」
 ちらりと上田を見やりながら、奈緒子は口を開く。
「上田さんは、本当にこの車が好きなんですね」
 ふふっと笑う。
「まぁ、な。尊敬する人から譲り受けたものだし」
 それから、車内はなぜか沈黙に包まれた。それでもその空気は居心地の悪いものではなく、何だか眠くなってくる。
「YOU」
 上田が静かに名を呼んだ。
「ふぁい…」
 うとうと仕掛けていた奈緒子は、ぼんやりと返事をする。
「まだ少しかかりそうだから、寝ててもいいぞ」
「そーします」
 そう言って、コテッと眠ってしまった。それを見て思わず苦笑いを浮かべる。
「…さっきは俺も、悪かったよ」
 上田小さくつぶやく。それは、奈緒子が走っている車から降りようとしたきっかけが、自分の言葉だったという意味だ。

 ─── そんなに俺が嫌いなら、降り立っていいんだぞ。

 間違いなくこの言葉のせいだ。そのせいで、危うく奈緒子は大怪我をするところだった。本当はこんな事を言うつもりなんてなかった、ただ…
「…心配してくれたのが、嬉しかったんだよ」
 ぼそりと小さな声で。そしてちらりと、奈緒子を見やる。
 本当に、嬉しかった。そして凄く照れくさくて、からかってみただけなんだ。そうしたら、突然裏拳なんか放ってくるから…ちょっとカッとした。
「大人気なかったよ」
 そっと手を伸ばして、奈緒子の髪に触れる。すると奈緒子はわずかに身じろいで、口元に小さな笑みを浮かべ、くすぐったそうな表情になった。
「…寝てるんだよな?」
 眠ってる人間に手を出すのは、ある意味卑怯かもしれない…そんな事を思いながら、赤信号で停車した隙を狙って、上田はそっと、奈緒子の頬に口付けた。
「よし」
「何がよしですかっ!」
 ペチン…、頬から顔を離し、小さく満足気に微笑んだ上田の頬を、奈緒子は唐突に軽くたたいた。
「…ねっ、寝てたんじゃないのか?!」
 カーッと顔を赤く染める上田、奈緒子の顔も赤い。
「横でぶつぶつ言われて、眠れるわけないだろ!」
 その言葉に、上田の顔は一層赤くなる。
「た、狸寝入りなんて卑怯だぞ!」
「うるさい馬鹿上田!信号青だぞ!」
 奈緒子に言われ、はっと前を向く。確かに青信号…だが上田は、少し走らせたかと思えば空き地のようなところに停車させてしまった。
「上田さん?」
 何か、身の危険のようなものを感じ、奈緒子は身じろいだ。が…当の上田は身なりをきちんと整え、しっかと奈緒子の方に体を向けたのだ。
「な、なんですか?」
 改まった面差しで、じっと奈緒子を見つめている。
「う、上田?」
「YOU…」
 真面目な表情で、何を言おうとしているのか…奈緒子にはさっぱりわからない。

 人生、何がきっかけになるかわからない。そんな事を思いあぐねきながら、上田は奈緒子を見つめた。大きく見開かれた、少し怯えたような眼に自分の顔が映っている。
「YOU」
 もう一度名前を呼んだ時、自分の声があまりに強張っていて驚いた。
「こ、声が変ですよ、上田さん」
 奈緒子が、一層身を縮み込ませるのが何が可愛らしくて、あー…と、もったいぶりながら上田は口を開いた。
「YOUはこの車、どう思う?」
「え?」
 突然の質問に、きょとんとする。
「これだよ、次郎号」
 にっこりと、硬い笑顔を浮かべながら、トントンとハンドルを指で叩き、上田は続ける。
「YOUはこの次郎号をどう思う?」
「どうって…急に言われても…」
 しどろもどろ、どう答えていいのか分からない。
「あるだろ?好きとか嫌いとか、乗り心地がいいとか…」
「ああ、乗り心地は悪くないですね。ドアが取り外し可能になってるのは最近気になりますけど」
 サイドミラーにもちらりと目を遣って、奈緒子は苦々しく微笑んだ。
「ガムテープで補強されてるのも気になるところですが」
「あれを折ったのはYOUじゃないか…あ、そういう意味では責任を取ってもらう事も出来るな」
「は?どういう意味ですか?」
 多少罪悪感があるらしく、サッとミラーから目をそらす。けれどそもそも、サイドミラーをぶっ飛ばしたのには上田が心無い罵声が原因でもあるのだからと、奈緒子はキッと上田を睨み付けた。
「助手席にはYOUしか乗せない」
 そっと、奈緒子の手をとりながら微笑む。
「なっ、何を…」
「しばらくの間は、二人乗りでいいかな?」
「は?何言ってんですか…この車、後ろにだって座席が」
「この車にはもう、俺は家族しか乗せないと決めたんだ」
 はっきりと言ってのける。最初、その意味が分からなかった。
「え…?」
「だから…ゆ、YOUしか、乗せないといってるんだ。いずれは家族が増えるから、後ろに乗せる事もあるだろうが…」
 ふっと顔を逸らす上田…その頬は見る間に紅潮していく。
「家族が増えるって…え?あ、そ、それって…」
 意味を把握した途端、奈緒子の頬も赤くなる。






 二人乗り、だよ。新しい家族が出来るまでは。
 いくら鈍いキミだって、わかるだろう?
 少し遠まわしかもしれないけど、これはプロポーズだ。
 次郎号には、キミしか乗せないから…分かるだろう?

 愛車には、愛しい人しか乗せないって意味だ。







100題をリハビリに使う阿呆です。
久方ぶりのお題更新…最初からテーマが決まっているのは楽だけど、ストーリーが思い浮かばないのは私がまだまだ未熟者だからに過ぎない。
切ない、ああ切ない。

2004年11月7日




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