★エピローグ★


 上田は目を覚ましたその日に退院した。
 矢部はいつも通り、菊池とサボりながらの仕事に戻った。
 奈緒子はまた、バイトをクビになった。
 日常が戻ってきた。たった二日間の、大事件が終わった。
「あ〜、おなか空いたぁ…」
 マジックの仕事も見つからず、バイトも見つからない。奈緒子は池田荘の自室でゴロゴロと転がりながら、唸っていた。全てが終わってから、一週間が経っていた。
 ──ピンポーン…インターホンの音に、奈緒子は横たわったままの状態で、顔だけ玄関の方に向けた。
 ──ピンポーン…二度目。大屋のハルさんかとも思ったが、少し考えて違うと分かった。ハルさんならインターホンを鳴らさずに、なぜかドアそのものを豪快に叩くから。そして考えを巡らせる…が
「おい、居るんだろ?居留守使っても無駄だぞ!」
 聞き覚えのある声に思わず微笑み、奈緒子は起き上がって玄関の方に向かった。ドアを開けると、背の高い男、上田次郎が立っていた。
「やっぱり居たな、なぜすぐ出ない」
 偉そうな口調で、招き入れるより先に、靴を脱いで部屋の中に入っていく。
「寝てたんですよ」
「こんな真昼間から昼寝かよ」
「昼だから昼寝ですね、うん」
 上田は奈緒子の方に目を向け、無言のまま微笑み、袋を渡した。
「何ですか、これ?」
「YOUには事故の時、色々と世話になったようだからな。覚えてないとはいえ、礼をしないのは俺のコケンに関わる」
 上田は奈緒子の首に目を遣りながら言った。もうあの痣はすっかり消えたので、スカーフはしていなかった。
「あ、お弁当だ!」
「どうせろくな物食ってないんだろ?一緒に食おうと思ってな…」
「ありがとうございます!あ、お茶入れますね」
「おう…」
 こうしてきちんと会うのは一週間ぶりだった為、奈緒子もわりと素直な反応を示した。上田はそのまま、いつもの場所に腰を下ろす。
「上田さん、具合はもう大丈夫なんですか?」
 流しの方から、奈緒子が声をかけてきた。
「あぁ、むしろ好調なぐらいだ」
 上田がそう答えてからしばらくして、奈緒子が二つの湯飲みと急須を持ってきて、ちゃぶ台に置いた。
「だからって、無理はしない方がいいですよ」
 柔らかい微笑みを浮かべたままで、湯飲みに急須の中身を注ぐ。それを眺めながら、上田は袋の中から弁当を取り出し、準備する。
「さて…」
 お茶の入った湯飲みとお弁当をお互いの前に起き、目を合わせる。
「「いただきます」」
 どちからともなく声を揃え、箸を手に取る。この、いつもと変わらない遣り取りに、奈緒子は癒されていくのを感じた。
「美味いか?」
「はひ」
 上田も同じように、癒されていると感じ、つい顔が緩む。他愛無いこの遣り取りを出来る事を、何かに感謝したいという気持ちすら浮かぶ。
「あー、おなかいっぱい」
 上田が買ってきたお弁当は四つだったのだが、奈緒子は三つを綺麗に平らげて、お茶をすすった。
「よく食ったな…」
「上田さんは一つで十分なんですか?」
「俺が二つ目に手を伸ばそうとした時、YOUが既に三つ目を食い始めてただろうが」
「そうでした」
 えへへ、と笑う奈緒子を一瞥し、上田もお茶をすすった。
「はぁ〜…」
「どうしたんですか?」
 真新しい眼鏡をかけなおしながらため息をつく上田の顔を、奈緒子は不審そうに覗き込んだ。
「あ?」
「ため息なんかついて、元気もないみたいですねぇ」
「疲れてるんだよ、ちょっとばたばたしてたからな」
「ばたばた?」
「大学、無断欠勤してたしな」
「あぁ、大学…そこまで気が回らなくてすみません」
 と言っても上田が大学を休んでいたのはたかだか二日だ。
「いや、YOUにそこまで期待はしていない」
「なっ…なんですか、その言い方」
 上田の言葉に傷ついたのか、奈緒子はプイとそっぽを向いてしまった。
「…心配したのに」
 小さくそう続ける奈緒子。この場合の心配とは、妖術使いにさらわれた上田をなのだが、それは二人の間ではなかった事になっている。
「あっ、心配ってのは、一応、上田さんは知っている人だから、交通事故に巻き込まれた事を心配したって意味ですからね!」
 上田が忘れたふりをしている事を知らない奈緒子は、慌てて弁解をした。
「それ以外に何を心配するんだ?」
 必死で悟られまいと装う奈緒子を微笑ましげに見つめながら、上田は再びお茶をすする。
「気にするな」
 奈緒子も慌ててお茶をすすった。
 ──ルルルル…気まずいなぁと思っていたところに、突然の電話。奈緒子はここぞとばかりに電話に手を伸ばした。
「はい」
『おぉ、おったか』
 受話器から聞こえたのは明るい関西弁…矢部の声だ。
「矢部さんか…いちゃ悪いですか?」
 そう言いながらも、ホッとした面差しの奈緒子を見遣りながら、上田はその場にゴロンと横になった。
「ん?」
 伸ばした腕に、何かが触れた。奈緒子は背を向けた状態で電話をしているので、上田はそっとそれを手に取った。紙切れだ。
 目を細めてそれを眺める…妖術使いが奈緒子のポケットに忍ばせた、あの手紙。少し焦げた跡と、あぶり出されたある県の名前。
 上田はふと思う。今、自分が全部覚えていた事を奈緒子に告げたら、どんな顔をするだろうか…奈緒子の驚いた顔を思い浮かべるが、すぐ頭を振り、小さく息を付いた。その紙を折り目に沿って折り畳み、元あった場所に戻す。そのすぐ後に、話を終えた奈緒子が受話器を置いた。
「矢部さん、何だって?」
「今度、皆でそば食いに行くで〜って。東大がこっちで美味しいおそば屋さんの支店を見つけたとかなんとかで」
「支店?」
「あ、えっと…前に仕事で地方に行った時に見つけたおそば屋さんの、支店」
「ふぅん、そばか…矢部さん舌が肥えてそうだからな、期待できそうだ」
「えぇ、そりゃもう、美味しいおそば屋さんですよ」
「YOU…行った事あるのか?」
「えっ?あ、いや…矢部さんがそう言ってたんですよ」
 奈緒子は隠し事が出来ない性格なのだろうか…ついつい余計な事を言ってしまい、それをフォローするのに必死だ。
「そうなのか?まぁいいけどな」
 上田も何となく察しがついたのか、この件に関しては突っ込むのをやめた。そのまま、静かな時間が流れる。
「上田さん」
「ん、なんだ?」
 横たわったまま目を閉じていると、奈緒子がボソッと口を開いた。
「寝るんなら帰って寝てくださいよ、風邪ひきますよ?」
「疲れてるんだ、少しくらい休ませろよ」
「自分の家で休め」
 奈緒子があまりに引かないので、上田は小さく舌打ちをし、のそっと立ち上がった。
「帰れば良いんだろ、帰れば。ったく、そんなに俺を追い出したいのか?俺が家賃を数か月分先払いしてやってるというのに…」
 ぶつぶつ文句を言いながら玄関へと向かう上田の後を、のたのたと奈緒子はついて歩いた。
「そういうつもりで言った訳じゃないですよ、ただ…」
「ただ…何だ?言いよどむな、気になるから」
 靴を履きながら、上田は不機嫌そうに訊ねる。
「うち、暖房器具ないですし…」
「そういえばそうだな」
「上田さん、一応病み上がりなんですから。自分ちで大人しくしてろ、ばーか」
 そう言って奈緒子は素早く上田の背中を押し、外に出すと玄関の戸を閉めた。締め出された上田は、一度玄関の戸に手をかけたが、すぐにその手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「心配してるんなら素直にそう言えよ、ったく…」
 小さく呟きながら、ゆっくりと階段を下りていく。車に向かう途中立ち止まり、ふと空を見上げた。日はまだ高い、青い空が眩しい。
 奈緒子もまた、自室の部屋の窓から空を眺めていた。
「「これで終わりならいいのに、そうもいかないか…」」
 二人は別々の場所で、妖術使いの事を思いながら、ほぼ同時に小さく呟いた。

 THE END
 
   


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