「 空の涙 」



 いい天気、わるい天気。大抵、晴れていればいい天気。曇ってたり、雨がふっていたりすれば悪い天気と人は言う。
 そんなの、誰が決めたんだろう…

 雨は、嫌いじゃない。梅雨の、じと〜っとした長雨は流石に好きとか言ってられないが、しとしと、静かに降る雨は結構好き。
 余計な音は掻き消して、でも、なぜか色々な音がクリアに聞こえる。
「YOU?」
「え?」
 バイトの帰り道、低い声がどこかから聞こえた。
「…空耳?」
 雨が降っていて、ザザーっという、車の通過音。あとは遠くの方で、線路を走るような音が聞こえるくらい。
 誰かが私を呼ぶ声が、聞こえたような気がしたんだけど…
「YOUっ!」
「ひゃぅっ?!」
 今度は頭上から、こぼれてくるような声。傘を少しだけよけて、見上げる。
「上田…さん?」
 あぁ、驚いた。
「やっぱりYOUか」
 小さな雑居ビルの二階。何かの事務所のような…そこの窓から、上田が顔を出して笑っていた。
「やっぱりって…傘差してるのによく分かりましたね」
「はっはっは、俺の天才的な頭脳に不可能はない」
「ああ、そうーですか。たいそうご立派ですね」
 …軽く受け流すと、奇妙な沈黙が生まれる。いつもの事と言えば、まぁ、いつもの事。
「まぁいい。YOU、ちょっと上がってこないか?」
「…なんでですか?」
 しとしとしとしと、雨は静かに降り続く。
「このビルの3階に喫茶店がある、終わったら何かおごってやるから」
 ああ、嫌だ嫌だ。このゲンキンな性格が。気が付けば、私は傘をたたんでビルの階段を上がっていた。自分自身に呆れながら、息をつく。
「きたな」
「…きてあげましたよ」
 ご満悦そうな表情の上田。窓際に置かれた椅子に腰掛けて、にこにこしている。
「まぁ、こっちに来いよ」
 何かの事務所かと思ったのだが、どうやらテナント募集中の空室のようだ。がらんとした室内に、幾つか捨て置かれたように椅子やテーブルがある。上田は手招きしながら立ち上がり、近くにあった椅子を窓際の、自分が座っていた椅子の隣に置いた。
「ほら、座れよ」
 …汚れた埃まみれの椅子に、座れと?
「あ、汚れてるな、すまんすまん」
 目で訴えたのが届いたようだ。上田は慌ててポケットからハンカチを出して、まるで映画みたいに、その椅子の上にかけた。
「…どうも」
 こうなると、ちょっと気取ってみたくなる。たたんだままの傘を脇におき、そっと腰掛ける。
「ほら、見ろよ」
「なんですか?」
 窓辺に座って、上田は外を指差した。見遣った先には、人、人、人。傘を持って歩く、人の波。
「傘の花みたいだな」
「…上田さんが言うとエセくさいですね」
「失礼な人間だな、君は」
 赤、青、黄色、黒。たまに水玉や、花柄。傘の、波。
「でも、ちょっと壮観ですね」
「…だろ」
 うん。少し、綺麗かも。
「ところで上田さん、ここで何やってんですか?」
「ん?」
 こんな雑居ビルの、誰もいない、何もない空き室で…怪しい事この上ないと思うのだけど。
「おぉ、忘れてた。今日は午後から晴れるという予報が出てたから、数値を照合しようと思ってたんだ」
「…は?」
 言ってる意味が分からない。首をかしげていると、さっきは気付かなかったのだが、上田は足元の大きな鞄から何やら色々取り出し用意をし始めた。
 カメラとか、三脚とか、温度計、湿度計…
「YOU、こんな機会は滅多にないぞ」
 器具をセットしながら、上田は笑う。そのセットしたカメラのレンズは、窓辺に向いている。
「あ、私、ここにいちゃ邪魔ですよね」
 流石に悪いと思いながら席を立とうとしたのだが、それを制止された。
「いいんだ、支障はないから」
 そう言って、何かスイッチのような物を手に上田自身も椅子に腰を戻した。そうして窓際の、空に目を向ける。
 何が始まると言うのだろうか…?
「あ、雨、止みましたね」
 しとしとしとし…いつの間にか、止んだ雨。アスファルトの路面は濡れて黒くなっている。
「ああ、予報通りだ」
 その濡れた路面が、キラキラ輝く。ああ、お日様が出てきたのか。少し眩しい、雨上がり。
「あ、そうか…」
 ポツリと小さく口にする。そして隣に座る上田の顔を、見遣る。子供みたいに、ワクワクした表情を浮かべている。
 雨、あがる。日が差して、虹が出る。
「ほら!ほらほら!YOU!」
 上田は興奮したように、空を指差す。
「はいはい、虹が出てきましたね」
 本当に、子供みたいに無邪気に、持っていたもののボタンを連打する。なるほど、遠隔操作のカメラか…
「結構大きな虹じゃないか!」
 この雑居ビルの、この空き室の、この窓からは、その虹はとてもよくはっきりと見えた。
「綺麗ですね」
 光の屈折により生じる、七つの淡い色。空の橋、雨上がりの奇跡。
「凄く綺麗だ」
 …なんだかその言葉に、少しだがドキッとした。
「…そうですね」
 まるで、自分がそう言われたような、錯覚。
「虹はいいな、なんだか」
「そうですね、なんだか、いいですね」
 明確な言葉など、必要じゃない。ただ綺麗だと思う心があれば、それに勝るものはないと思う。
「…よし、もういいだろう」
 しばらく虹を眺めていたが、上田はそう呟くと、おもむろに器具を片付け始めた。私も少しだが手伝う。
「上田さん、私、おなか空きました」
「俺もだ」
 顔を見合わせて、二人笑う。
「じゃ、三階の喫茶店に行きましょ。あーあ、オムライスが食べたくなっちゃった」
「オムライス?!YOUはお子様だな…」
「そういう上田さんはどうなんですか?」
「俺は…ハンバーグだな、目玉焼きののった」
 …人の事言えないじゃぁないですか。くすくす笑いながら、大きな荷物を方に下げ歩く上田のあとに、続く。
「ああ、はしゃいだら腹すいた…」
 上田がボソリと呟く。ふと、振向いて窓を見遣った。大きな虹は、まだそこにある。
「重そうですね、上田さん。それ、持ってあげますよ」
 器具の入った大きなバッグは絶対に持ちたくないが、これくらいなら…と、肩にかかっていた上田のショルダーバッグを手に取った。
「おお、すまんな」
「いーえ」
 虹は、空と大地を繋ぐ橋。
「おっと…」
「危ないぞ、って…上田!」
 荷物が結構重たかったようだ。上田は階段のところで、少しバランスを崩してよろけた。流石に私もそこまで鬼じゃぁない。
 上田の手を、掴んだ。と言うか、繋いだ。
「っおぅ…すまん、助かった」
 握り返してきた手、大きな、掌。確か、掌が大きいのは先祖が天狗だからだとか前にぬかしてたっけ…
「入ってる器具って、やっぱり高いんですか?」
「まぁな」
「じゃぁ、私が掴んでなかったら床に鞄、落としてましたよね?」
 掌から伝わる、体温。
「…かもな」
「よし、オムライスの他にカレーライスと、あとチョコレートパフェも頼んじゃおっと」
 多分、上田の掌にも、私の体温が伝わっているだろう。
「がめつい奴だな、少しは遠慮しろっ!」
「ほほほ、財布は私が持ってるんですよ」
「あっ?!」
 少し気恥ずかしい…でも、ま、いっか。

 空にかかる、七色の橋。心を繋ぐ橋、掌。

 だから、雨は嫌いじゃない。
 喫茶店を出れば、きっと雨上がりの心地良い風が吹き抜けていくに違いない。私と、この人に。お腹もいっぱいになって、多分私は笑顔。
 空の涙も流れきって、お日様も笑顔。



 FIN


 久々に、お題・カウンタ記念以外でTRICKウエヤマベースのお話を書きました。
 かなり行き当たりばったり、尚且つ衝動的に。
 執筆時間、およそ1時間。びっくりだわ(笑)
 長すぎず短すぎず、理想です。この頃長いのばかり書いていたような気がするので、少し自分的にホッとしました。

 2004年8月11日


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