「 君がいない日に 」
ピンポン…インターフォンを鳴らしてから、上田は思い出した。
「…いないんだっけな、今日は」
今日だけじゃない、今日から三日間。
「私、ちょっと実家に行ってきますから」
先日、食べ物をせがみに来た奈緒子が帰り際にさらっと言った。
「は?」
食事をしたのは最近出来たファミレス。上田はハンバーグセットのLサイズ、奈緒子はオムライスとビーフシチューを食べた。
「ほら、もうすぐお盆じゃないですか」
「…金、あるのか?」
「この間の短期バイトで日給貰ったから大丈夫です、家賃はその前に上田さんが払ってくれたし」
にっこり。それはそれは嬉しそうに。
「おとうさんのお墓参りか?」
「そうですね、お母さんからも言われてたから」
「そうか…」
俺が送ってやろうか?
喉まで出しかけて、やめた。大学は夏季休暇中で、上田も休みといえば休みだったが…休み前に生徒から提出されたレポートに目を通さなくてはならなかったのだ。
長野まで行けば恐らく里見は行為で色々してくれるだろうが、日帰りで帰ってくるのが難しくなる。一泊すれば調子にのって二泊三泊してしまうかもしれない…それでは自分の仕事がないがしろになってしまう。
「気をつけて行けよ」
「ええ」
好きでなった物理学者という職を、ないがしろにしてはいけないなと思った。
「…いつから、だ?」
「明日からです。で、三日くらいいるつもりなんで」
「三日もか?」
少し眉をひそめた上田を見遣り、奈緒子がクスリと笑った。
「なんて顔してんですか」
「え?あ、いや…」
丁度クラス会があって…奈緒子は続けながら、口元に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「クラス会?」
「ええ、高校の。私がこっちに来ちゃったから、なかなか会えなくって…いい機会かなって思って」
仲の良い子がいたんですよと、奈緒子は笑った。
「そう、か…」
クラス会。クラス会といえば、初恋の君とかが現れて一気に恋愛に進んだりするらしいと上田は何かで聞いていた。
「ゆ…YOUの初恋の、人とかも来るのか?」
「初恋?あー、そういえば私、初恋ってないんですよ」
しれっと言ってのける。
「なに?」
「私が初恋の君って言うやつはいましたけど」
それはそれで危険じゃないかと、思わず奈緒子の肩をつかみかかりそうになってしまったが何とか押しとどめた。
「そ、そんな物好きなのがいるのか…」
「ええ、しょっちゅう母のところに来ておべっか使ってたんですよ」
おかあさんにおべっかを?!なんて不埒なやつだ…
「そ、それで…?」
「それでって?」
「そいつも、クラス会に?」
ちらり、視線を奈緒子に移すと、奈緒子はきょとんとしていた。
「最近忙しいからって来ないらしいですよ」
きょとんとしたまま、続ける。
「来ないから私も行く気になったんですけどね」
フッと、微笑む。
「そ、そうか…そいつって、どんなやつだ?」
「どんな?んー…父親が政治家なんですよ、で、こないだやっと選挙に受かったとか」
「そいつも政治家なのか?」
「らしいですね」
奈緒子が興味なさげなのが救いだった。
「…気をつけて、行けよ」
「何回同じ事言ってんですか」
笑う奈緒子を池田荘の前でおろして、上田は苦々しく笑ってみせる事しか出来なかった。
どうかそいつが、クラス会に急遽きたりしませんように。
馬鹿みたいに、月を見て祈ってしまった。
「いないんだよなぁ…」
インタフォンを鳴らしてしまった後で、しみじみとしてしまう。このところほぼ毎日会っていたからかもしれない。
少し…ほんの少し寂しいと思う。
「無駄足だったな」
なぜ忘れていたんだろう…手にした小さな箱に目をやりながら。静かに息をついた。それから空を見上げ、もう一度箱に目をやる。暑いから。
あまりにも暑いから、一緒にアイスでも食べようと思って。
「いないんじゃ、無理だよな」
どうしようか、これ…他の知人に上げるのが定番かもしれないが、それを考えた時に頭に浮かんだのはなじみの刑事だった。
「…矢部さん、食うかな?」
つぶやいてから、面倒くさいなぁと思う。向こうから来るとは限らない、かといってわざわざ持って行くのは手間がかかるし、そこまでの義理はない。
「研究室…」
大学の研究室にある冷凍庫にしまっておいて、休み中に研究室を訪ねてくる研究熱心な生徒にご褒美を上げるのはどうだろうか?
だが、首を横に振る。これは、このアイスは彼女と二人で食べたかったのだ。他の誰かに施すわけには行かない。
「家の冷凍庫に入れておくか」
やれやれと、深いため息をついて階段を下りていく。一応保冷剤が入っているから、マンションまでは持つだろう。
いつのまに自分は、こんなにも融通が利かなくなってしまったのだろうか。彼女に対して。
「惚れた弱みってやつかな」
顔が見れないと、寂しいし不安になってしまう。なんだかんだと理由をつけて、研究室に呼んだり池田荘を訪れているのは自分のほうなのだ。
気がつけば惹かれていて、気がつけば恋に落ちていた。
「やれやれ、か」
パプリカを走らせて自宅のマンションへと向かっていたが、なんだか空の青が眩しくて、ハンドルを違う方向へと回していた。
「夏だしな…」
ポツリ、気付かぬ内に一人つぶやいて。助手席に置いたアイスは溶けてしまうかもしれないが。
気がつけば、海沿いの道を走っていた。
「青いな」
空も、海も。
この空は、君がいる場所につながっている。例え会えずとも、この空の下で君が笑ってくれていれば、それでいい。
ガラにもなくそんな事を思いながら、ひたすら海沿いを走り続けた。自分のそのおかしな行動にはっとしたのは、空が赤く染まる頃。
「あ、アイス…」
ハッとして箱を開けてパックに触れてみると、ぐにゃりとしていた。
「とけちまったか…」
苦々しい笑みを自嘲気味に浮かべて、車をUターンさせる。
「ん?」
ようやく自宅のマンション付近の道路に戻ってきた時、道の脇をとぼとぼと歩く見慣れた後姿を見つけた。
「あれ、は…」
ドクン。心臓が大きく鳴った。しずかに寄って、後姿をまじまじと見つめて確信した。
「YOU?」
それでも不審そうに、呼んでみる。すると振り返った彼女が、一瞬驚いた表情になってから微笑を浮かべた。
「良かったー、これから上田さんちに行こうと思ってたんですよ」
紛れもない、奈緒子本人。
「三日間長野じゃなかったのか?」
運転席の窓から顔を覗かせる上田が、問う。
「帰ったらどこで聞きつけたのか、ちょっと煩いのがきてたんでお墓参りだけして帰ってきたんですよ」
これは母からのお土産ですと、奈緒子は紙袋を掲げた。
「あ、とりあえず乗れよ」
「はーい、お邪魔しまーす」
助手席のドアを開けて、奈緒子は視線を落とした。
「あ、すまん。今よけるから」
とけきったアイスの入った箱を後部座席にどけようとしたが、それより先に奈緒子に箱を奪われてしまった。
「なんですか?これ」
「アイスだよ、とけちまったがな」
「あ、じゃぁミルクセーキになりますね、いただきまーす」
にこり、笑顔で。
「え、お、おい…」
止めるまもなく、ひょいっと席に座ると箱を開けて中のパックを取り出し、蓋をはずすとごくごくと飲んでしまった。確かにバニラのアイスクリーム、溶けてしまえばミルクセーキのようなものだ。
「おいしい」
ったく…やれやれと言いながらも、隣に奈緒子がいるのが嬉しくて、上田はハンドルをぎゅっと握った。
君がいない日に、君を想って寂しかった。
君に会えて、良かった…
どーん。ウエヤマで甘口風味に。
どの辺が甘いの?と聞かれたら返答に困りますが…甘口を書こうと思って書いたので甘口ということでお願いします(笑)
季節ネタでね。
2004年8月17日
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