[ 微熱 〜37度2分の弱虫〜 ]



 ピピッ。

 電子音ではっとする。ああそうだ、熱を測っていたんだっけ。
 大したものではないというのは計る前からわかっていたが、表示された数字を見て上田はふぅむと、自らの顎鬚を右手の中指でさすった。
「こんなものか…」

 少しだるいような気がした。
 少し体の節々に痛みがあるような気がした。
 少しのどがむずむずしていた。
 少し声がいつもより低いような気がした。

「微熱か、薬飲みゃ平気か」
 徐に立ち上がり、首をぐるぐると回しながら部屋の片隅に置かれた万能ボックス(自ら命名)の中からプラスチックの箱を取り出し、そこから小さな箱を手に取った。
 逆に、持っていた電子体温計を専用にケースにしまい所定の場所に戻す。
「風邪には…ベンザ、だな」
 箱の裏の注意事項を食い入るように眺めてから、記載されている要領をぽいっと口の中に放り込んだ。
「あとは…水分とって寝るか」
 大きく伸びをしてから、その発言通り上田は大きなボトルのスポーツ飲料を手にして寝室へと向かった。

 ピンポン…

 寝巻きに着替え、ベッドの布団にもぐりこんだその時。玄関でインターフォンが鳴った。
「ん?」
 誰か来たな…その程度の気持ちで、起き上がると再び伸びをして玄関へと向かう。
 ガチャリ…と、錠を外してドアを開けると、そこには見慣れた顔。
「なんだ、YOUか」
「よお上田、元気か!飯を奢られに来てやったぞ…って、寝てたのか?こんなに天気のいい休日に」
 長い髪を軽快に揺らし、いつになく明るい笑顔。奈緒子は上田の姿を一瞥してから、ちらりと廊下の窓から空を見遣って続けた。
「天気のいい休日に部屋でだらだら寝て過ごすなんて非生産的な事はしない主義じゃなかったんですか?」
 いつか上田に言われた事を、嫌味のように言って返す奈緒子をみて、なんだかかわいいなぁと、ふと思った。
「何にやけてんだ?いい夢でも見てたのか?」
「いや…ちょうどいい時にYOUが来たなぁと思ってた」
 ひとつ、悪戯を思いついた。ここで大病を患って弱々しく振舞えば、流石の奈緒子も優しくしてくれるんじゃないだろうかと。
「ちょうどいい?これからご飯食べに行く予定だったとか?」
「そればっかだな、YOUは…おっと」
 それはただの軽い立ち眩みのようなものだったが、ここぞとばかりにわざと目元を押さえふらついてみた。
「上田っ、さん?」
 思いがけず、奈緒子が慌てて手を伸ばして支えてきたのが少し信じられなかった。
「ああ、すまない」
「う…上田さんもしかして、どこか悪いんですか?」
 不意に、奈緒子の眉が微かに八の字に歪んだ。
「ん、あぁ、まぁな…実は熱が39度8分で…」
 ぱっと、表情が青褪める奈緒子。
「高熱じゃないですか!!こんなとこに突っ立ってないで早く横になってください!」
「お、おぉ…」
 予想しなかった反応だ。

 奈緒子に腕を支えられるようにして寝室に向かうと、自ら用意した大きなスポーツ飲料のボトルを奈緒子は手に取り、しばらく眺めた後に静かに口を開いた。
「上田さん、コップが見当たりませんけどまさかこれ、ラッパ飲みする気だったんですか?」
「ん?駄目…か?」
「駄目とかそういう問題以前に、病人は普通そんな事しません。ほら、早く布団に入ってくださいよ」
 半ば無理やり布団に押し込まれてから、ほんの少し湧いた罪悪寒に耐え切れなかったのか上田は、わざとらしくごほんごほんと辛そうな堰をしてみた。
「ああ、喉辛そうですね」
 それに気付かないわけがない。ちょっと待っててくださいねと言い、奈緒子は寝室を出て行った。
「…まずいな、ちょっと熱を高く言いすぎたか?」
 そう、ポツリと呟いた後すぐに、奈緒子が手にガラスのコップと何かを持って戻ってきた。
「飲み物はコレを使って飲んでくださいね、多少ぬるくても我慢してください。あと、これ」
「ん?」
 口を開けてくださいと言われて素直に開けると、小さな四角い物が口の中に放り込まれた。
「ぐっ…?!」
「龍角散喉飴、喉が痛い時に効くんですよ。まずいですけど我慢してくださいね」
「あ、あぁ…」
 苦いような甘いような、それでいて妙に薬臭い飴。本当に、思いがけない事が続いて上田は思わず溜息を深く付いた。
「あれ?呼吸も辛いですか?」
「んっ?い、いや、あまりに飴がまずくてびっくりしただけだ」
 これ以上何か思いがけない事をされると気が持たないと、上田は慌てて平常心で答える。
「そうですか。あ、薬は飲みました?」
「ああ、ベンザを飲んだ」
「じゃあ後はあったかくして寝てればいいですね。熱がそれ以上上がったら病院行きましょうね」
「お、おぉ…」

 思いがけない。
 何もかもが思いがけない。
 奈緒子はこんなにも優しかったのかと、つい思うほど。

 もしかしたら…弱ったふりをしたまま奈緒子に本音を明かしたらもしかしたら、受け止めてくれるかもしれない。
「いや、流石にそれは…」
 まずいな。少し熱が上がったのかもしれない、悪戯心が僅かに膨らんだが、理性で押し止める。
「上田さん、入りますよ」
 小さなノックの後、寝室に奈緒子が入ってきた。両手にはお盆。
「お、おぉ」
「お粥作りましたよ、食べれそうですか?」
 部屋を訪れた時とは違う、どこか醒めたような表情…というか、まるで当たり前の事をしている時の顔だ。
「あ、あぁ、食べれそうだ、ありがとう」
「ありがとうなんて、気持ち悪いですね」
 少しくすりと笑う。
「なあ、YOU…」
 お粥を持ってこようと踵を返した奈緒子の背中に、上田は思わず声を掛けた。
「なんですか?」
 くるんと髪が揺れる。
「今夜…その、ずっといて、くれるのか?」
「そうですねぇ…何の予定もないですし、今夜くらいはいてあげてもいいですよ」
 にこり、と。まるで子ども扱いだ。
「そう、か…すまない、助かる」
「いーえ。その代わり今度、美味しいもの食べに連れてってくださいね」
「ああ…」

 愛しい…
 優しい彼女が、なぜかとても愛しい。
 いや、前々から愛しいとは思っていたが、無性にその身を抱きしめたくてたまらなかった。
「YOU…」
 いい機会かもしれない。こんなにも愛しいと感じるのなら、明日の朝、言ってみよう。熱が下がったふりをして抱きしめて。
 それから思いを伝えてみよう。
「お前が好きだ…なんてな」
 くくくっと笑いながら、上田は奈緒子が入れてくれたスポーツ飲料の入ったグラスを傾けて中身を飲み干した。

「あ、そうだ。ついでに熱、もう一回測らせようかな」
 お粥を碗についで、香料とレンゲをのせたおぼんを一度ダイニングにテーブルに置き直して、奈緒子はすたすたと部屋の隅へと歩いていった。
「薬箱…確かこの辺だったっけ」
 勝手知ったるなんとやら、だ。どこに何があるかは大体見当が付いた。万能ボックスの中からプラスチックの箱を見つけ出すと、そこから専用のケースに入れられた電子体温計を取り出した。
「あれ…?」
 電子体温計、だ。水銀を使用したものとは違って、電源を入れると表示されるのは0だ。そして、電源を切らなければ表示されているのは前回に使用した際検知された数字のはず。
「…上田め」
 ぴし…と、奈緒子の眉間に十字の血管が浮き出たように見えた。



「こら!馬鹿上田!!」
「おっ、おぉぅっ?!な、なんだ?」
 寝室を豪快に開けた奈緒子がすごい剣幕をしているのに気付き上田は首をひねり、それからその手に持たれた体温計を見て青褪めた。
「あ、いや、これはその…」
「たかが37度ちょっとで弱々しいふりしやがって!だましたな!」
 ズカズカと音を立てながら別途に近づく奈緒子、上田は思わずベッドの上で後ずさり、壁に背中を引っ付けた。
「そ、そんな微熱だったか?眼鏡が曇ってよく見えなかっ…」
「眼鏡なんてさっきは掛けてなかったじゃないか!」
「じゃあ掛けてなかったから見づらくて見間違えたんだ、はは、あるだろ?そういう事…」
「ない!」
 相当怒っているようで、もう何を言っても無駄のようだった。
「すまんっ、悪かった!」
「誤っても許しません!人の厚意を…」
「だから悪かったって、頼む、そんな怒らないでくれ」
「許しませんって言ってるじゃないですか!」
「なぁ、悪かったって…愛してるから」
「何言っても許しま…え?」
「え?」
 どうやら少し、熱が上がったらしい…上田はその直後、目を回したようにひっくり返った。奈緒子はただ、呆然と看病を続けるのだった…


 FIN



年明け初ウエヤマがこんなんでいいのか…?
自分が風邪ひきだったので思い浮かんだ話ですが、一時間もかからずがががーっと。
こういう書き方は久々で、楽しかったりする(笑)

2006年1月9日


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