「 サイレント 」



 一枚の、券を拾った。


 それは、本日五箇所目のバイトの面接の帰り道。面接では、散々な事を言われた。
「そんな日もあるさ…って、ありすぎだ!」
 無愛想だとか、華がないとか、貧乳だとか。わかってる、そんな事。
 だからこそ余計に、腹ただしくて。
「声がむかつくっ、あの面接官!」
 何かに怒りをぶつけないと、正気を保てないような気がして…だから、足元に転がっていた小さな石を思い切り蹴飛ばした。

 スコーンッ…

 金属音が響いて、慌てて小石の行方に目を遣る…と、そこにあったのは金属製の、円筒状のゴミ箱。公園などでよく目にするタイプの、ペンキの剥げた、錆付いたゴミ箱。
「…びっくりした」
 何にぶつかったのかとビクビクしていたが、大した事がなさそうでほっと胸をなでおろす。と、目に付いた。
「ん?」
 ゴミ箱には、雑誌やら新聞やらが捨てられていた。その、ぐしゃぐしゃに丸められた新聞の、隙間。小さな長方形の紙が、風に揺れて見えた。
「なんだろう?」
 そっと歩み寄り、手を伸ばす。
「…無料御招待、券。あ、今日までだ」
 気が付くと、奈緒子はそれを手にしたまま、町の片隅の小さな映画館の前に立っていたのだ。まるで見えない何かに導かれるように。

 無料御招待だし。
 ゴミ箱に捨てられていたものだし。
 どうせ…暇だし。

 うん。と、小さく頷いて、一歩踏み出す。
 映画を見るのは、随分と久しぶりのような気がした。
「何やってんだろ…」
 上映されていたのは、古い映画。古い古い、出演している役者の顔なんて、誰一人奈緒子にはわからないようなとんでもなく古い、しかも、マイナーな雰囲気を漂わせる作品。
 けれど、モノクロの映像はなんだか新鮮だった。

 何も聞えない。けれど、風が吹いているのがわかる。女性の、髪を静かに揺らす風。

 後で知ったのだが、サイレントムービー、というらしい。モノクロで、音のない映画の事。昔はみんなそういうものだったとか?
 池田荘の自分の部屋に帰ってきてから、奈緒子はぼんやりと思い返してみる。
「不思議だったなぁ…」
 何も聞えないはずなのに、聞えてくる。木々の葉のさざめく音や、鳥のさえずり。抱き合う男女の、衣擦れの音。
「あー…」
 妙に、綺麗な光景だったような気がする。奈緒子はぼんやりと、その場に倒れこむように横になった。ぼんやり…ただぼんやり、窓から見える空を見つめる。
 青空さえ、グレーなのに…今こうして目に映る空より鮮やかに見えた。

「不思議…」
 ポツリ、口にして思う。
 本物よりも鮮やかに染まるグレーの青空とか、聞えないのに感じるさまざまな音とか。もしかしたら、音のない世界ではもっと大事な何かを聞き取る事が出来るのかも?
 そこに、ふっと浮かんだ顔。
「うわっ?!」
 自分の脳内に浮かんだ顔に、思わずびっくりして飛び起きる。自分の脳内なのに、コントロールできない。
「な…なんで上田の馬鹿が出てくるっ」
 映画のワンシーン。女優の髪は奈緒子のように長くて、肌は奈緒子のように白かった。
 彼女の細い体躯を抱きしめた男は、背の高い、精悍な顔つきの青年だったのに…上田に似ているような気がした。
「ちがうちがうちがう」
 首を横に振ると、髪の毛も揺れた。何とも煩わしい…でも止まらない。
 上田に似ているような気がした彼は、スクリーンの中で彼女を抱きしめて、耳元で囁くのだ。
 『アイラブユー』と、低い声で。

「っつ…」
 ぶわっと、何がどうしたのか、唐突に胸の奥が熱く苦しくなって、気が付いたら、ぽたぽたと雫が零れ落ちていた。
「ふぇ?」
 泣いている…どうしてだろう?
「なん、で…」
 悲しいわけじゃない、何かが起きたわけでもない。なのに、溢れる涙。
「う…ひっく」
 涙が止まらなくって、しゃくりあげる。こんな風に泣くのって、久しぶりかもしれない…
「うえ…だ、さ…」
 ぽたぽたと、零れ落ちる涙。泣きながら、奈緒子はポツリと名を呼ぶ。そうしてそのまま、クタリと倒れこんだ。瞼を下ろし、静かに息を整える。
「上田…さん」
 名前を呼んだ事に、大した意味はない。なぜだか呼びたくなっただけだ…呼んだって、そこにいて返事を寄越すわけではないのだ。
 うとうとと、涙をこぼしながら奈緒子はまどろみ始めていた。
「うえ…」
 サイレント…確か、沈黙という意味だったろうか?

 この世界が、サイレントムービーのような音のない世界だったら良いのに。
 口にせずとも、想いが伝わるかもしれない。
 ねえ、上田さん…

 









当初の目的と違う方向に行きました(汗)
オチがないという状況ですかね…不思議な世界観を書きたかったのですが、いかんせん難しくこんな状態に。

2006年3月2日


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