拍手より 短編集



夏の偶然


 ある暑い夏の日の事だった。
 正直に言って、実はあの日の事は忘れた事がなかった。
 今にして思えば、奇跡みたいな偶然が重なっていたんだ。
「また一年が過ぎた、か」
 クックと、大学の研究室でフラスコを傾けながら上田はにやりとした笑みを浮かべた。

「お」  実験も一段落着いたし、ちょっと外の空気を吸おうと上田は大学を出てブラブラと歩いていた。
「YOUじゃないか、どうした?」
 先に口を開いたのは、上田。
「別に…ちょっと涼もうと思って」
 仏頂面で放つその言葉に、つい口元に笑みを浮かべる。
「何、笑ってんですか」
 少し不機嫌そうに、俯いて、上目遣いでにらみ付ける奈緒子を見て、上田はこらえ切れずに声をこぼした。
「クッ…いや、な。君らしいと思ってな」
「何ですか、それ」
「ん?普通の人間なら、この暑さの中で涼むのは家の中だ。冷房が効いているからな」
「…ほっとけ」
 より不機嫌そうに、顔を背ける。
「まぁいい、折角だからどこかの店で何か冷たいものを施してやるよ」
「その言い方、すっごいむかつくんですけど」
「気にするな」
 二人、並んで歩き出すと空気が変わる。一年、二年、三年。年月が人を変えるという言葉を、どこかで聞いた事がある。
「なぁ、YOU」
「なんですか?」
 一緒にこうして歩いている事も偶然の結果なら。
「五年前も暑かったよな」
「は?」
 二人が出会った事も偶然の成せる業。
「夏はいつだって暑いですよ」
 続ける奈緒子の言葉に、フッと頬が緩む。
「それもそうだな」
 偶然が、何度も何度も重なったら、それは偶然じゃなくなるんだ。上田はなんとなく思う。

 俺達の出会いは、きっと必然的なものだったんだよ。決して偶然なんかじゃ、ない。

「何がいい?」
 歩きながら、上田は言う。
「何がですか?」
 歩きながら、奈緒子は答える。
「冷たいもの」

 考え方一つで、それは運命的なものになる…










夏の追風


 ある暑い夏の日の事だった。
 今の今まですっかり忘れていたけれど、思い出した。
 この暑さと、焼け付くアスファルトの地面を揺らす陽炎を見て。
「…そうか、また一年過ぎたんだ」
 冷房なんてない、蒸し風呂のように暑い池田荘の室内で奈緒子は一人ポツリと呟いた。

「あ」
 暑いから…あまりにも暑いから、どこかで涼もうと奈緒子は外をブラブラと歩いていた。
「YOUじゃないか、どうした?」
 どうしてこの髭面を見ただけで、暑さが二割増すのだろうか?
「別に…ちょっと涼もうと思って」
 それも忘れていた時に限って…こうして出会ってしまうんだろう。
「何、笑ってんですか」
 奈緒子の言葉に、上田はニヤニヤと口元に笑みを浮かべていた。
「クッ…いや、な。君らしいと思ってな」
「何ですか、それ」
「ん?普通の人間なら、この暑さの中で涼むのは家の中だ。冷房が効いているからな」
「…ほっとけ」
   確かにそうかもしれない…自分は逆で、外で涼めるところを探しているのだから。
「まぁいい、折角だからどこかの店で何か冷たいものを施してやるよ」
 上田は笑いながら、奈緒子の頭を一度ポンと軽く叩いて言った。
「その言い方、すっごいむかつくんですけど」
「気にするな」
 二人、並んで歩き出すと空気が変わる。夏の暑さすら愛おしく感じるのなら、それも悪くないなぁなんて事も、つい思うのがなんだかむかつく。
「なぁ、YOU」
「なんですか?」
 五年前に、会った時の夏の暑さなんて。
「五年前も暑かったよな」
 覚えていないけれど。
「は?」
 唐突の言葉に戸惑いながら。
「夏はいつだって暑いですよ」
 続ける奈緒子は上田の顔を見て思った。
「それもそうだな」
 風が吹いたのは覚えている。まるで背中を押すように、行き先を示してくれた風。

 私をつなぐ鎖は、その風にかき消されて。こうして私は今、歩いている。それは多分…

「何がいい?」
 空を見上げた時、ふと上田が言った
「何がですか?」
 歩きながら、奈緒子は答える。
「冷たいもの」

 上田さんは、夏の追い風のようですね…









妙な遣り取り


 キスの味は、どんな味?

「よく聞くのはレモン味…ですよね」
 矢部はその言葉に、呆れるしかなかった。唐突に呼び出されて、これだ。
 こんなわけの分からない会話に付き合わせるためにわざわざ呼んだのだろうか…?
「センセ…どっかに頭でもぶっつけはったんですか?」
 応えてから、はっとする。もしかしてこの人は、キスの経験すらないのだろうか?
「いやいや、どこにもぶつけてなんかおりませんよ。心配御無用」
 心配はむしろ違う意味でしている…
「まぁ、えーですけど…えーと、なんの話でしたっけ?」
 首の後ろをぽりぽりと掻きながら、ポツリ。
「キスですよ、キス。接吻ですね、唇と唇を重ねるという」
「そないに露骨な説明せんでもえーですよ」
 あぁ、駄目だ。こういう話が始まると、幾ら高名な学者という名目があろうが、中学生のガキに見えてまう。呆れながらも、それを悟られないよう、矢部はおもむろに窓辺へと寄った。
「キスですか…」
「一般的にキスはレモン味といわれていますが、実際はどうなんでしょうね」
 キス…確かに、初キッスは甘酸っぱいレモン味☆なんて言葉を聞いた事はある。けれどそれは甘酸っぱい青春の思い出を分かりやすく示しただけの事。実際は…
「そら…現実的に言うと、唇の味でしょぉなぁ」
 とりあえずは真面目に応える。呆れていはいても、なかなかその反応は楽しくて、いい暇つぶしになるものだ。
「なるほど、現実的ですね」
「ああ…そういや」
 ふむふむと顎の無精髭を撫でる上田をよそに、矢部はふと思い出した。
「オレの初めてのキスは、甘い珈琲の味がしましたわ」
 クッと、思い出し笑いと共に。
「甘い、珈琲?」
 それは遠い思い出。それこそ、甘酸っぱい青春時代の。
「ガッコで珈琲ガムが流行っとったんですよ」
 放課後、オレンジ色の夕焼け空を誰もいない教室の窓から眺めていた…
「ああ、懐かしいですね」
「ガム…食べてる時に、チュッとね」
 説明しながら、矢部はもう上田の事などお構いなしに、過去を振り返る。アレは確か、夏の終わりだったかもしれない…
 教室にいた矢部の後ろから、彼女は静かに近づいてきて。

「矢部くん」
「ん?」
 振り向き様に唇を奪われたのは、上級生の女生徒だった…

「懐かしい思い出ですわ」
 一通り喋り終わって振り向くと、上田はなにやら机の上をがさごそと漁っていた。
「上田センセー?」
「え?ああ、申し訳ない。思わずガムを探してしまいました」
「いや、これは自分の体験談ですて、今更ガムのちゅーをしようとされても…」
 あとにはただ、上田のむなしい空笑い。






CANDY


「上田さん、ここにあった飴玉、食べましたね?」
 突然ギッと睨みつけられて、上田は思わず身じろいだ。
「な、何をいきなり言い出すんだ」
「食べましたね?」
 執拗に。その様子に、上田はいたく後悔をする。そう、先ほど確かに、小さなちゃぶ台の上に転がっていた飴玉を自らの口の中に放り込んだのだ。
「た…」
 水色の、セロファンに包まれた丸い飴玉。最近は駄菓子屋ぐらいでしか目にしないなぁなどと思いながら、何も考えずに口にしたそれはとても甘くて。
「食べてない、ぞ」
「上田、嘘はいつかばれるぞ?」
 その言葉に、ついぎくりとする。
「つ…」
「う、え、だ!」
「いいじゃないか、飴玉の一つや二つ!」
「白状したな!この…ドロボウ!」
 答えた途端、奈緒子がバンッ!とちゃぶ台を叩いて怒鳴りつけてきた。こんな怒り方をするのは珍しい…
「な、何をそんなに怒ってんだ?たかが飴玉じゃないか…」
「たかが飴玉で悪かったですね!」
 ピシャリ、と言ってのける。正直言って、妙に怖い。
「お、おい…YOU、す、すまん…」
 あまりの剣幕に恐れをなしたのか、上田はポツリと呟いた。
「謝ったって許しませんよ!折角無理を言って貰ってきたのに…」
 怒鳴りながら、不意にその瞳が濡れる。
「ゆ、YOU?!」
 ぽたり。あふれ出した雫が、ちゃぶ台を濡らした。
「う、上田さんの馬鹿!」
「な、泣くな、な?えっと、ほら、今買ってくるから」
 突然の雨に戸惑い、上田はあたふたとジェスチャーをしてみせる。
「か、買う?」
「そうだ、飴だろ?買ってくるから、な?泣くなよ、頼むから…」
 おもむろに、奈緒子は涙を拭って再び上田を、ギッと睨みつけた。
「上田さんの、馬鹿!」
 同じ言葉を、はく。
「こ、今度は怒るのかよ…忙しいやつだな」
「上田さんはすぐそれですよねっ、そうやって、お金とかで解決しようとする」
 ぐすっ、ぐすっとしゃくりあげながら。
「な…?」
「私がどうして怒ってるかとか、泣いてるかとか、考えたりしないんですよね!」
 何を怒っているの、どうして泣いているのか。そう言われて上田は初めて、それを気に留めた。
 ─── …そういえば、どうして怒るんだ?たかが飴玉一つ。それに、急に泣き出して。
「…なんで、怒った?」
 恐る恐る、口にする。馬鹿みたいな問い。
「上田さんが、勝手に食べたから」
 ひっく。しゃくりあげながら答える奈緒子。
「じゃあ、何で…」
 ぺたり、ちゃぶ台の前に座り込んだ奈緒子を、そっと上目遣いに見遣りながら続ける。
「泣くんだ?」
 まだ濡れている瞳を服の袖で拭った後、奈緒子は静かに微笑んで見せた。

 遠い昔、父がまだ亡くなる前に、よく買ってくれた。母には内緒で、こっそりと。それと、同じ飴だった…
「YOU?」
 バイト先に来たお客さんが、小さな子供をあやす為にポケットから出した飴。無理を言って、一つ貰った。
「もう、いいです」
 部屋に帰ったら、食べようと思って。
「そういう訳にもいかないだろ」
「いいんです、もう」
 奈緒子はポツリと、繰り返し呟いた。
「聞いてくれたから、許します」

「おい、YOU…」
「飴は買ってこなくていいから、焼肉奢ってください」
 上田はわけもわからず、不満げに車のキーに手を伸ばした。






 壊さないと先に進めない。
 わかってる。わかってるけど、でも、怖い。



 
CRASH




「私と上田さんの関係って、不思議ですね」
 唐突に、奈緒子は言った。けれど視線は自分の指先、小器用に何かを作っているらしい。
「何だ、突然」
「思っただけですよ、深い意味はありません」
 その口調が妙に意味深で、それを、なんでもないと淡々と言う奈緒子が解せぬとでも言うように、上田は不機嫌そうに眉を潜めた。
「…俺とYOUの、関係か」
「いいですよ、別に無理に考えなくても」
「そういう訳にもいかないだろ、聞きたいから言ったんだろう?」
 自分の鼻先を、親指と人差し指でつまむようにさすりながら、上田はぼんやりと天井を見つめる。
「言われてみると、確かに不思議だよなぁ…」
「マジシャンと物理学者。接点なんてどこにもないのに、こうして同じ場所にいて言葉を交わしてるってのが一番不思議ですよね」
「そうだな…って、今の言葉には僅かにトゲがあったぞ、何か不満なのか?」
「そんな事、一言も言ってません」
 幼稚じみた遣り取りの後、不意に奈緒子が上田の方に視線を向けた。
「な、なんだよ…」
「あー…いえ、別に何も」
 何かを言おうと口を開いたものの、言葉が続かずにそのまま視線を自分の指先へと戻してしまう。なぜだか、少し戸惑いがちに。
「なんだよ、言えよ」
「なんでもないですよ、言ったじゃないですか」
「言ってないだろ。言い含みやがって、気になるじゃねーか」
「うるさいなぁ、気が散るじゃないか…黙れバーカバーカ」
「なっ…なんだお前、じゃない、YOU…」
 業を煮やしたのか、上田はそっぽを向く奈緒子の肩を掴んで無理やり自分の方に顔を向けさせる事にした。
「うにゃっ?!」
 ザラザラ…と、奈緒子の手から何かが落ちて散らばった。
「あー…あーぁ、上田さんが邪魔するから…」
 零れ落ちたのは小さな、ビーズの粒。
「お、おぉ?何だコレ、何やってたんだ?」
「ビーズですよ、ビーズアクセサリー。ネックレスとか作ってたんです、上手に出来れば結構いいお金になるんです」
「人と話してる時に内職なんてすんなよ」
「しょうがないじゃないですか、懐が寂しいんですから」
 正論に、うっと言葉詰まる上田。奈緒子はというと、面倒くさそうに手を伸ばして、散らばった色とりどりのビーズを拾い集めだしていた。
「す、すまん」
「謝るなら手伝ってくださいよ」
「あ、ああ」
 奈緒子の言葉に従って、上田も屈んで粒を拾い始めた。小さなビーズ、キラキラの。
「なあ、YOU」
「何ですか」
 拾いながら、上田は口を開き続ける。
「さっきの…件だが」
「何ですか?」
「もしかして、今のこの関係に不満でも抱いてるのか?」
 マジシャンと物理学者。教授と助手。俺とYOU。
「別に、そういう訳じゃないですけど」
 マジシャンと物理学者。事件に巻き込む人と巻き込まれる人。私とあなた。
「ただ…」
 拾う手を一度休ませるように止めて、奈緒子は続ける。
「接点もなくて会話もかみ合わないのに、一緒にいるのって不思議だなぁって思っただけです」
 ただ本当は、それ以上を心のどこかで望んでいながらも先に勧めない自分に戸惑っているだけ。
「ふぅ…ん、そうか」
 奈緒子の差し出したケースに、拾い集めたビーズを入れる。
「なんだかんだで結構ずっとこの関係ですしね、いい加減慣れてきましたけど」
「そうか、まぁ俺は別に、今以上になってもいいんだけどな」

 ザラザラとビーズの音のかき消されるほど微かな声で、そっと呟く上田の声が奈緒子の耳に聞えた。

 知ってる、私と同じように思ってる事。でもお互いに、先に進んでしまったら、もう元には戻れなくなるとわかっているから。
 だから結局、何も出来ないで今のまま。

 壊さないと、先に進めない。
 わかってる。
 わかってるから、そんな事…









詰め合わせ的なアレです。
ばらそうと思ったけど短いんでひとまとめにしてみました。
妙なやり取りが好き(笑)



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