[ 第81話 ] 『あさがお』はもともと、芹沢の両親が設立したのだという。 「私の両親はね、二人とも孤児院の出で、救われない子供たちのための居場所を作るという夢を抱いていたの」 芹沢は、静かに笑いながら続けた。 抜沢と出会ったのは、芹沢が園の仕事を手伝い始めた頃だった。抜沢が30歳の頃…だから、8年前の事。芹沢は当時24歳、大学を出てすぐの頃。 「抜沢はね、園の事を凄く認めてくれていて…刑事事件で孤独になってしまった子や、親からの暴力で居場所のない子を連れてきては私の父とよく、話をしていたの」 最初の印象は最悪だったという。8年前といえど、あの横柄な態度や口調は変わらず、小さな子供たちにも気にせず暴言を吐いていたらしい。 でも… 「でも、ある時、園の子供が町で問題を起こして…」 それは小さな事件、万引きだった。その子供は、抜沢の紹介によりあさがおに入園してきたという事もあって、丁度小さな子がそろって熱を出していて手が離せなかった両親の代わりに引き取りに行く事になった芹沢と一緒に、店に行ったのだと。 内心、心配だった。補導されたのは、中学に入ったばかりの少年。父親を早くに亡くし母親一人に育てられたのだが、その母親がたびたび少年に暴力を振るった事から、抜沢が園に連れてきたのだった。 「先輩は、何かしはったんですか?」 尋ねる矢部に、芹沢は遠い目を向けて答えた。 「着くなりその少年に、平手打ちしたの」 芹沢がまさに心配したとおりだったという。けれど、平手打ちしたその後に少年を立ち上がらせて、目を見て怒鳴った。 ─── …何かあった時は俺が親父になってやる、問題が起きた時は一番にかけつけてやる。だけど、くだらない事で他のヤツにまで面倒かけさせるな。 少年は、父親がいない事をコンプレックスに思っていたらしく、その抜沢の言葉に感銘を受けたという。 「その時に気付いたの。この人の優しさは、不器用だけど直向な優しさだと」 以降、よく見れば抜沢は、子供たちから兄のように慕われているのだと知った。 それから、芹沢も両親と同様に抜沢を信頼し、何か起きれば一番に相談するほどになった。 「二人が付き合い始めたのは、いつ頃やったんですか?」 一年か二年が過ぎた頃、何かの用事で外に出た帰りに、一緒に食事に行ったのがきっかけだと芹沢がおかしそうに笑って言った。 「食事?」 「そう、食事」 たまにではあるが、一緒に食事をする事は何度かあった。二人だけの時もあったし、芹沢の両親と一緒の時も。はたまた園の子供たちと一緒にというのも。 大体が近所の定食屋だったりラーメン屋だったりしたらしいが、この日入った店はいつもと少し、違ったらしい。 用事を終えた帰り際に、抜沢が言った。 「腹減ったな、飯、食って帰るか」 「おごってくれるの?」 「刑事の安月給なめんなよ」 そうは言いながらも、年下に金出させるわけないだろうと抜沢は言ったらしい。そこは近所に最近出来た、少し小洒落た洋食屋。 抜沢はハヤシライス、芹沢はオムライスを頼んだ。 「凄いね、なんか美味しい」 「悪くかねーな」 周りを見ても、雰囲気から家族連れなどは少なく、若い男女が多かった。 「お洒落なお店だね」 その頃の芹沢は、抜沢の事を信頼できる兄のように思っていたという。けれど、食事を終えて、サービスだと言って抜沢が追加注文したアイスクリームを嬉しそうに頬張る芹沢をぼんやり見ながら、抜沢は唐突に言った。 「お前、俺の嫁さんになる気、あるか?」 「…直球ですね」 「直球でしょ」 くすくすと、笑う。 「凄くびっくりして、しばらく手が止まってた」 溶けたアイスクリームがぽたりとお皿に垂れたのを機に、抜沢はおもむろに立ち上がって、指先で垂れたアイスクリームをぬぐって舐めた。 「あ、うまいな、コレ」 何事もなかったかのように。 「あ、あの、い、今の…」 「あ?聞いてなかったのか?もっかい言おうか?」 「いいっ!言わなくていい!」 多分真っ赤になっていた…そんな芹沢の頭に手をぽんと置いて、目を細めて微笑んだ抜沢が口にした言葉を聞いて、胸に、何かが落ちてきた。 「深く考えんなよ。ただ俺が、お前を嫁さんにしてーなぁと思っただけだから」 あまりにもさらりと、それは多分、プロポーズの言葉だった。 「ん…」 スプーンの上で溶けてしまったアイスクリームを頬張って、芹沢は抜沢の言葉を心の中で復唱した。 「それがきっかけ」 ふふふ、と、芹沢は矢部の腕の中でうとうとし始めている楓の髪を梳きながら笑う。 「それで付き合うように?」 「そうね…多分」 言葉は胸の奥で、ふわりと静かに弁を開く花のように広がって、気が付いたら恋に落ちていたと言う。 「なんか、普通なよーで普通やないですね」 「私も、未だにそう思うわ」 最初がそうだっただけに、付き合うようになってからも殺伐とした雰囲気だったと言う。 「でも幸せだったわ」 ふっと、芹沢の笑顔に影がよぎった。幸せだったと言いながら、その結末に悲しい何かがあったのは間違いないらしい。 「そういえば、オレこないだ、先輩から聞きました」 その芹沢の表情が、あまりにも悲しげで耐え切れずに矢部が口を開いた。 「え?」 何を?芹沢の表情が、そう伺う。 「あ、え…と、あの、こないだオレが、その…先輩に怒鳴られた時に」 芹沢を励ます意味も込めてだったのだが、逆に自分の不甲斐なさを思い出してしまい、今度は矢部の表情が崩れた。まるで苦虫を踏み潰したかのような。 「ああ、楓ちゃんの、あの事で…」 「そう、です…」 一度唇を噛んでから、矢部は続けた。 「あの後でオレ、先輩は凄いなぁって言うたんです。色んな事見て、考えて…そやから凄いって」 「そう、ね…そういうのは、私も凄いと思う」 だけど。 「そやけど先輩、そん時に、言うたんですよ」 それは、他人だから成せる業なのだと彼は言った。そして何も気付かなかった矢部に… 「オレが、かえちゃんの色々な事に気付かれへんのは、想いが強いからやって」 心に重く圧し掛かる、不思議な言葉だった。 「想い?」 聞き返す芹沢に、黙ってこくんと頷く矢部。これは芹沢に告げてもいい言葉なのかどうか、少し迷う。 「オレ…不思議で、そんで、聞いたんです。芹沢センセとどうして…その」 芹沢本人を前にして言える言葉ではない…言い躊躇っていると、芹沢がにこりと微笑んで大丈夫と小さく言い、続くを促した。 「…だ、駄目んなったですか、て」 「なんて、言ってたの?」 あの時の抜沢の顔を、矢部は忘れることが出来ない。あんな切なそうな顔… 「想いが…」 「想いが?」 自嘲気味に笑う抜沢の、顔を。 「想い過ぎて何も見えなくなった、馬鹿な男だからって」 絞るように言った矢部を他所に、芹沢の表情が穏やかになった。あぁ…と、何かを懐かしむような、それは優しげな。 「すみません、なんか…本人前にして言うてえーのかどうか思たんですけど」 ポン、ポン…と、矢部の肩を叩く芹沢の表情が思ったよりずっと穏やかで、芹沢と抜沢、二人が過ごした日々がどれほど優しく暖かいものだったかを窺わせた。 「ううん、嬉しいわ。だってほら、抜沢ってあーゆう性格じゃない、だから…」 目を伏せて、すっかり眠り込んだ楓の顔を覗きこみながら芹沢は続ける。 「あの頃は間違いなく、心が繋がってたんだなぁって実感できて」 誰かを愛するって、どういう事だろうか?矢部はふと、思う。心が繋がっていた…深く愛し合っていたのだろうなと思うのに、なぜ終わりを迎えるに至ったのか… 腕に抱く楓の重さを感じながらも、芹沢のその穏やかな微笑を見てるとなぜか、悲しくなってくる。ちらりと壁の時計に目を遣り、時間を確認した。 「まだあるな…」 つい、思っている事がポツリ。 「え?」 芹沢が不思議そうに首をかしげるのも当然だ。 「え?あ、えーと…オレ、今夜の仕事は8時くらいに銀座やから、7時くらいまでここに居れるなぁって」 そう…と、矢部の言葉に芹沢は笑った。そして続けて出てきた言葉。 「楓ちゃん、下ろしたら?重くないかしら?」 「あ、いや、大丈夫です。普段一緒におられへんから…せめて抱っこくらい」 抱く腕に、無意識的にわずかに力がこもる。 「そう?じゃぁ何か飲み物を用意するわね、おにぎりも食べて」 「あ、はい」 よくよく考えれば、他人に過ぎない自分が随分立ち入った事を聞いている…芹沢の出て行った部屋のドアをぼんやりと眺めながら、おもむろに腕を伸ばし、おにぎりを頬張った。 「鮭や」 具は塩の効いた鮭。つい頬が緩んでしまうのは、それがよく抜沢が張り込みの途中で食べているものと同じだったからだろう… ──── コンコン…空腹だったのだろう、幾つかをぺろりと平らげた頃、部屋のドアを誰かがノックした。 「芹沢センセ?」 楓を抱いたまま起こさないよう立ち上がり、ドアを開けて少し驚いた。目の前に誰も居ないのだ。けれどすぐに気付く、足元。 「あれ、由美せんせー…は?」 タツが両手に何やら抱えて立っていたのだ。 「何やボウズ、それ…」 「これ、由美せんせーと楓ちゃんと、おじさんの分のおやつ」 にこっと微笑んで、持っているものを掲げた。 「おぉ、オレの分もあるんや…ま、えーわ、中入りぃ」 招き入れると室内のテーブルに持っていたものを置いて、ちょこんと小さな椅子に腰掛けた。 「あ、由美せんせーとお話中だったんだよね、ぼく、行くね」 ハッとし慌てて席を立つタツの手を、矢部はなぜか空いている方の手で掴んで引き止めていた。 つづく あー、先に進まない。 抜沢と芹沢の色々が難しいね、なんかね。 でも楽しいや…タツくんもちらちら出てるしさ(笑) そしてかえちゃんの出番少なすぎ…うぅ、寝てるんだもんあせ 2005年9月2日 |
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