「終わる季節」@




  プロローグ


 夏も終わりに近付いて、秋の気配を感じはじめた頃。夜はまだ暑苦しく、川辺には最後の花火を楽しむ家族連れが多数集まっていた。親達が盃を交わして盛り上がっている中、子供達は線香花火に火をつけて、それぞれに夏を惜しんでいた。
 最初に終わった少年が、親達の目を盗んで川の方へと走っていった。月明かりにてらてらと水面が輝いているのを、じっと見つめている。突然少年は、甲高い叫び声を上げた。
「どうした、河童でも出たか?」
 兄が笑いながら近付くと、少年はその兄の足にしがみついた。
「兄ちゃん、あそこに……」
 震えながら一点を指差す。少年の指先には、赤い布で包まれたような、ボールの様なモノがゆらゆらと流れているのが見えた。ふと、それはぐるりと一回転して、長い髪の少女の顔が現われた。大きく開かれたその目は、真っ赤に充血して兄の目に映った。
「うひゃあ……」
 数時間後、叫び声を聞いた親達の通報により、パトカーがサイレンを鳴らしながら走ってきた。

  1

「腐乱状態から見て、死後一週間ってところかな」
 川上まどかが細い金縁の眼鏡を外しながら言った。
「一週間か、川上センセーはどう見る?自殺か他殺か」
 道杉伸一は先日八月二十日で二十五歳になったばかり。高卒で警察官になり、刑事課捜査係に配属になってまだ一年も経っていない。
 対する川上まどかは、東大医学部卒業後検死官となった。経験は三年とまだ浅いが、腕は一流と言われているエリートだ。年齢が同じ所為か、道杉は彼女の事を『センセー』とふざけて呼ぶ。
「誰がどう見たって他殺でしょ、脇腹にある鋭利な刃物で付けられた傷が致命傷みたいだし…」
「そりゃそうだ」
 道杉は心の中で思った、この事件は長引くだろうと。警察官になってから道杉は、自分でも驚く程に勘が鋭くなっていった。その勘の明確さは上層部でも有名になるほどで、巡査時代には放火や空巣などの事件を前もって予測し、事件を未然に防ぐ事もできた。それがきっかけで刑事課捜査係から御呼びがかかったくらいだ。
 署に戻った道杉は、面倒見の良い刑事課長の高村にその事を報告した。
「そうか、道杉の勘は当たるからな。捜査本部の指揮をとる警部には私の方からそれとなく言っておくよ」
 それで一安心、というわけにはいかない。被害者の身元は既に割れている、捜索願いの出されていた高校二年生の少女だ。驚いた事に、道杉の実家の隣に住んでいる仲のいい女子高生(幼なじみとも云う)の同級生だ。当然の事ながら、聞き込みには道杉も行く事になった。
「伸一兄さん、刑事らしく見えるわぁ」
 近所というよりは隣と言ったほうが正確だ。兄妹のように育った少女は、鈴原由衣という。
「からかわないでくれよ、由衣ちゃん。それより…松崎佐和子さんの事、話してくれるかな?」
「もちろん」
 相方の萩野警部補は、全て任せる。というふうに傍観的な態度で、眼鏡についた汚れを拭いている。
「松崎さんはどういうコだったの?」
 道杉は萩野警部補があまり好きではなかった。階級は警部補なのに、何でも人任せにする所が一番嫌だった。だから、傍観者を決め込むと分かった以上、この仕事は自分一人でこなさなければならないなと、改めて認識した。
「佐和子ちゃんは、優しくて明るくて楽しくて、いいコだった」
「どんな風に?」
「えっと…クラスの娘の相談に乗ってくれたりとか…面倒見が良かったのね」
「付き合ってる人とかはいた?」
「ボーイフレンドはたくさんいたみたい。でも恋人がちゃんといるって言ってた、年上だけど安心できる人って」
 安心できるとはどういう意味だろう。
「他には?」
「さぁ…伸一兄さん、お葬式には?」
「葬式?松崎佐和子さんの?もちろん行くけど…」
「じゃあ、その時に佐和子ちゃんの友達紹介する。その子、情報通だから参考になると思うよ」
 由衣はなかなか気が利く。萩野とは違って…道杉はそう思った。
「萩野さん、この後はどうしますか?」
 形式上、仕方なく萩野に尋ねるが…
「本部に連絡…道杉には便利な情報屋がいるな」
 何か、不適な笑みを浮かべて言った。由衣の事か…
「実家の隣に住んでいて、仲のいいコが偶然被害者と同じクラスだったというだけの事です」
 翌日の葬儀にも、萩野が道杉の相方になった。道杉は、なぜこんなにも萩野の事を嫌うのか、自分でも分からなかった。
「伸一兄さん、こっちよ」
「あ、由衣ちゃん。何だい?」
 由衣の隣には、制服をきちっと着た少女が立っていた。
「昨日言った佐和子ちゃんの友達の、澤浦綾ちゃん。綾ちゃん、隣に住んでた道杉伸一兄さん、一応刑事」
「由衣ちゃん、刑事だって事を強調してほしいな」
 由衣と道杉のやりとりを見て、綾はクスリと笑った。
「由衣ちゃんに聞きました、佐和子ちゃんの恋人の事を知りたいって」
「え?あ、うん。由衣ちゃんは君が一番親しい友人言っていたけど、詳しい事、わかるかい?」
「もちろん!と言いたいところなんですけど…詳しい事は教えてくれなかったんです。それが約束なんですって」
 安心できる年上の男性と交わされた約束か…
「他には何か言ってなかった?行方不明になる前に何か変わった事は?」
 綾は、持っていた青いポーチから白い手帳を取り出した。
「昨日の夜、由衣ちゃんから電話があった後、刑事さんに聞かれそうな事をまとめておいたんです」
「用意がいいね」
「情報通って呼ばれてるんです、私」
 それは昨日、由衣も言っていた。
「見せてもらえるかな?ああ、ありがとう」
 白い手帳はビニール製かと思ったら、ちゃんとした革製だ。意外にもしっかりしていて、値段も高そうだ。
「いい手帳だね」
「あ、その手帳は父さんが誕生日に作ってくれたんです」
「伸一兄さん、綾ちゃんの家は革製品の工場なの」
「このポーチと対で、世界に一つしか存在しないんですよ」
 なるほど、ポーチも造りがしっかりしている。
「しっかりしてるし…こういうのは何年経っても使えるからいいね」
 手帳の中にはびっしりと文字が書かれている。その中に、『佐和子』という文字を見付けた。

───佐和子ちゃん⇒毎週土曜日にデート
 佐和子ちゃんの恋人(職業不明、名前不明、たぶん二十八歳)

「この…名前不明、推定年齢二十八歳の恋人だけど…松崎佐和子さんが亡くなった事は知っているんだろうか…」
 死亡時期は約一週間前、捜索願いが出されたのが二週間前。姿を消してから亡くなるまでの間、一週間の差がある。それでも、二週間も音沙汰無しで、恋人はどうしているのだろうか…
「伸一兄さん。あの人は?」
 突然、由衣が遠くに立っている萩野を指差して言った。
「萩野警部補がどうかしたかい?」
「昨日も伸一兄さんと一緒だったわね」
「上司命令でね」
 由衣は「ふ〜ん」と鼻を鳴らし、意味ありげに萩野を見た。萩野は、飾られた松崎佐和子の遺影を見つめている。
「そういえば、萩野さんも二十八歳だったと思うな」
 縁無しの眼鏡の奥にあるその瞳は、どこか冷たく、哀しげだ。
「そっかぁ、安心できるって職業の事かもね」
「ん?」
 由衣の何気ない言葉は、道杉の心に引っ掛かった。
「ホラ、よく言うじゃない。消防士は放火をしないとか、警察官は罪を犯さないとか…そういう固定観念。そういう意味での安心できるじゃない?」
「なるほど…由衣ちゃん、いい勘してるね」
「私も将来警察官になろうかしら」
 由衣が真顔で言った、意外にはまり役かもしれない。数時間後、葬儀が始まった。参列者の多くは松崎佐和子の同級生や友人、学校の教師などで、他には近所の住人や親戚などであった。
 情報通と称する綾が、一人一人、名前や年齢、佐和子との関係などを詳しく説明してくれた。親友といってもここまで詳しいとは思わなかったので少し感心したが、ちょっと知り過ぎているような気もした。
「道杉!」
 突然、萩野が大声で道杉を呼んだ。
「え?あ、何ですか?」
「ああ、大声で呼んですまないな。俺も松崎佐和子の葬儀に参列してくるから、お前はそのお嬢ちゃん方から話を聞いておいてくれ。両親からはその後で聞こう」
 今回の事件の捜査で、萩野が初めて警部補らしい指示を出した。
「あ、はい……」
 道杉は、今まで萩野に対して感じていた嫌悪感が薄らぐのを感じた。葬儀の列に加わろうと歩く萩野には、不思議な直向きさがあった。
「お嬢ちゃん方だって…せめてお嬢さん方と言ってほしかったわ」
「ははは、萩野さんから見たらお嬢ちゃんなんじゃないかい?」
 頬を膨らませて怒る由衣。
「おっと、葬儀の席で不謹慎だった」
 充分真面目だったが、笑っている場合じゃない。早く犯人を捕まえなければ、たった一人の娘を殺された彼女の両親、松崎夫妻があまりにも報われない。道杉は、綾の手帳に記されためぼしい情報を自分の警察手帳に書き写した。
「あ、そうだ」
 突然、綾が声を上げた。
「綾ちゃん、どうしたの?」
「うん…刑事さん、佐和子ちゃんの事なんですけど…いなくなる前の日に私、佐和子ちゃんと会ってるんです」
「前の日?」
「その日は…学校終えてから一人で街に行ったんです」
「うん、それで?」
 綾は人差し指を口元に当てて、記憶を呼び戻していった。
「時々…一人で街に行く事があって、その日もいつも通り偶然見付けた喫茶店で大きな窓から見える光景を眺めていたんです。飽きはじめて、お茶を飲んでいると、窓を叩く音がして、顔を上げると佐和子ちゃんが笑顔で立っていたんです」
 ──ガラスの向こう側から、店の中に入ってきた。
彼女は私の近くまでやってきた。
「綾ちゃん、情報収集?」
「うん、佐和子ちゃんは?一人で街に来るの珍しくない?」
 いつもは数人の友人達と来ていたはず。
「内緒。ねえ、一緒していい?な〜んて、もう座ちゃった」
 ニコニコと楽しそうに私の向かいの席に座った。
「あ、もしかしてデート?十一歳年上の彼と」
「ん〜、当たらずとも遠からず。デートは明日なんだけどね」
 毎週土曜日が二人だけの時間だと前に言っていた。
「綾ちゃん、家出した事ある?」
「家出?しょっちゅうあるよ。情報収集の理解が低い時とかね」
「ふ〜ん……」
 彼女は意味ありげに、空を見つめていた。────
「その時はどういう意味だったのかわからなかったけど、今思えば佐和子ちゃん、家出しようとしてたんじゃないかな?って……」
「なるほど、色々ありがとう。参考になったよ。また話聞きに来るかもしれないから」
 その後、道杉は萩野の姿を探した。萩野はなぜか、松崎夫妻の隣に座って、参列者達に礼をしている。
 一段落が着いてから、道杉と萩野は松崎家のリビングへと案内された。
「刑事さんにはお手伝い頂きまして、本当にありがとうございます。佐和子もきっと……」
 松崎夫人がお茶を出しながら、慎ましやかに言った。
「いえ、これも仕事の一貫ですから」
 萩野はまた冷たい眼差しで、リビングにも飾られている松崎佐和子の遺影を見つめながら言った。
「萩野さん…?」
「道杉、質問はお前に任せる。苦手なんだ、こういうのは…」
「はぁ、それでは…唐突にお聞きしますが、お嬢さん…佐和子さんには恋人がいたようなのですが、ご存じでしたか?」
「特別なお付き合いをなさっている方がいるのは佐和子自身の口から聞きましたので…」
「名前とかは……」
 夫人は、黙って首を横に振った。
「わからないんですか…」
「佐和子は頭のいい子で…その方とはいつか一緒になりたいと言ってましたが、まだ言う時期ではないと…」
「参列者の中にお心辺りは?」
「いえ、皆さん知っている方々でしたし…」
「葬儀が終わりましたら、参列者名簿を拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
「美奈…ああ、刑事さん。先程はどうも」
「主人です」
 四十代前半といった、感じのいい男性が青白い顔でやってきた。
「どうも、こっちは部下の道杉です」
「はじめまして、この度はどうも…」
 再び席に着くと、旦那さんが一冊のノートをテーブルの上に置いた。
「佐和子は日記を書いたりはしませんが、昨日部屋を覗いたら、本棚の隅にこんな物がありましたので……」
「拝見します」
 ちょっとくせのある字で色々書かれている。日記に近い落書き帳といった感じだ。

 ───6月×日(土) 大雨
 友達と街に行った帰り、大雨に降られた。でも、心は快晴。素敵な人との出会い。また来週の土曜日に会う約束をした。

 1ページ丸々こんな事が書いてある、次のページをめくる。日付は一週間後だ。

 ───6月×日(土) 晴れ
 先週と違って快晴。あの人に、友達に持ち掛けられた相談の内容を話したら助言してくれた。流石にいい事を言う。
 ───7月×日(土) 晴れ
 あの人の事を、Aさんと呼ぶことにした。告白して、本格的にお付き合い。

 なぜAなのだろうか?ノートを閉じ、萩野を窺う。
「このノートはこちらでお預かりしてもいいのですか?」
「ええ、事件の解決に役立つのでしたら」
「ではお預かりします、失礼しました」
 松崎家を後にして、萩野が言った。
「このノート、お前の方から本部に出しておいてくれ」
「え、萩野さんが持っていくんじゃないんですか?」
「俺が持っていると、無くしてしまいそうだ」
 どこか悲しそうな表情で、ノートを道杉に渡した。一見普通の大学ノートに連ねられた日々の記憶。今は亡き少女の記憶…
 その日の捜査会議で、道杉は萩野の代わりに今日の収穫の内容を報告した。
「…よって、被害者と親しい交際関係にあるAなる人物を有力な参考人として、引き続き捜査を行ないたいと思います」
「なるほど…そのAなる人物の正体が気になるところだな。この件に関しては内々で…そうだな、道杉くん。君と萩野警部補を中心に少数で捜査を続行してくれ。以上、解散」
 捜査指揮にあたっている本庁の朝川警部の一言で、捜査会議が終了した。
「少数で内々に…って、そんなんで大丈夫なのかな〜」
 解散後、署の連中は口々に言い出した。
「朝川警部にはそれなりの考えがあるんだろう。それに、少数のメンバーを見てみろよ。まさに、少数精鋭だ」
 メンバーは、道杉と萩野の他に三人。内二人がなりたての新人だ。(道杉も新人に変わりないが)
「はじめまして。萩野警部補、道杉巡査部長。自分らは今月捜査一課に配属になったばかりで、これが最初の事件です」
 新人の島崎と長藤は、二人並んで萩野と道杉に礼をした。朝川はどうやら松崎佐和子の恋人Aを道杉ほど重要視していないようだ。
「萩野さん、参りましたね。朝川警部さんは俺達の事を軽く見てる」
 同じ刑事課の端峰は、道杉よりも年上で萩野よりは年下だ。しばらく萩野と組んでいた事もあったらしい。
「愚痴るなよ、端峰」
「いや、愚痴りますよ。なんだってまた、本庁でも有名なぐらい一流の勘を持つ道杉の言葉を軽視するのか……」
「そうですよ、道杉先輩の勘はすごい当たるって警察学校でも有名でしたのに」
 長藤が「なぁ」と島崎に言った。
「ええ、捜査は科学的根拠が重要ですが、第六感とも言えるべき勘も大事だと自分は思います」
 長藤が短気な体育会系な性格とは反対に、島崎はインテリ風で気長タイプだ。
「そんな大したものじゃないよ、皆と同じさ」
 あんまり言われると、道杉自身照れてしまう。
「よし、明日は二人一組で聞き込みだな。島崎は道杉、長藤は端峰につけ。しっかり勉強しろよ」
「あ、萩野さんは何するんですか?」
「端峰さん、萩野さんは松崎ご夫妻の家にいくと言ってましたが…そうですよね?」
「ああ、被害者の部屋を鑑識が捜査するって聞いたから立ち合う。各自何か分かったら直接か、書類で報告してくれ。今夜はよく休めよ、解散」
 萩野はそう言うと、背を向けて署を出ていった。
「…道杉、お前はどの辺聞き込むんだ?」
 萩野が去ってから数分後、帰り支度をしている道杉に端峰が言った。
「あ、被害者のクラスメートの家にでも…」
「そうか、じゃ俺等は学校の教師を当たるよ」
 丁度明日は日曜日だ。由衣に案内を頼もうと決めた。
「道杉先輩、明日はよろしくお願いします」
「え、ああ、そうだね。よろしく」
 その日の夜、道杉は由衣の家に電話をした。
『はい、鈴原です』
 この声は由衣の母親だろう…
「あ、ご無沙汰です。道杉ですが、由衣ちゃんは…」
『道杉?ああ、伸一くんね、本当久しぶり。あ、由衣ね。ちょっと待ってて』
「あ、はい」
『かわりました、由衣です。伸一兄さんでしょ?何?』
「明日は空いてるかな?空いてたら松崎佐和子さんのクラスメート…由衣ちゃんにとってもクラスメートにあたるから分かるよね。案内してほしいんだけど…」
『いいよ、あ、澤浦綾ちゃんもいい?』
「もちろん、こっちも本庁の新人と一緒だ」
『ダブルデートみたい。なんてね、じゃあ明日』
「はは、じゃあ明日の朝九時に迎えにいくよ」
 受話器を置いて時計を見る…いつのまにか十時だ。
「迷宮入りにならなければいいけど……」




 続く

蛇足的にコメント。
4年前に書いた…初めてのちゃんとした推理モノ(というか刑事モノ)
手直しはしてあるけど…読みづらいデスね。
まだ全体の4分の1くらいです。


novel-topORnext
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送