★第4話★


「駅弁、食べてもいいですか?」
 車窓からの景色を眺めるのもそこそこに、奈緒子は菊池の膝の上に置いてある駅弁の箱から目が離せなくなっていた。
「相変わらずがめついなぁ、お前は」
 矢部はずっと呆れっ放しだ。
「だって私、昨日の朝から何にも食べてないんですよ」
「何でや?」
「なんでって…上田さんの事が、心配で…」
 俯いてしまった奈緒子を見て、矢部は妙に納得したようだった。
「どうぞ。僕も今朝早く矢部さんに呼ばれたので、朝食抜きなんですよ」
「オレもや、一つ寄越せ」
「はい、どうぞ」
 とりあえず三人は、ボックス席で駅弁を食べる事に夢中になった。奈緒子に至っては、余分に買ってきたものまで綺麗に平らげてしまった。
「よく入るな、そんな細い体に」
 矢部はお茶をすすりながら、車内販売で菊地が買ったサンドイッチを食べている奈緒子を見て言った。
「言ったらないれふか、わたひ、丸一日食べれないんれふ」
「食いながら喋るなや…」
「あのー、山田さん?」
 サンドイッチも食べ終え、一息ついている奈緒子に向かって、菊池が笑顔を崩さずに尋ねた。
「はい?」
「僕らはどこに向かってるんですか?上田先生は、今日は一緒じゃないんですか?」
「は…?」
 その問いに、奈緒子は凍りついた。数回、目をしばたき、オイルの切れたブリキ人形のように顔を矢部の方に向けた。
「矢部さんから、何も聞いてないんですか?」
 矢部はさっと視線を逸らし、遠い目をして景色を眺めた。
「ええ。今朝早くに電話があって、すぐに来いとだけ言われたもので」
 奈緒子は、菊池には矢部がちゃんと説明してくれていると思っていたものだから、心底驚いて、ギロッといつになく厳しい目つきで矢部を見た。
「そ、そんな顔するなて…新幹線の中で説明しよかなーって…」
 矢部は目を逸らしたまま、小声で呟いた。
「じゃあ説明しておいてください、私はちょっと、手を洗ってきますから」
 矢部を睨みながら、奈緒子は席を立った。後ろの方で矢部の小さいため息が聞こえて、苦笑した。
「矢部さんって…本当にあれで警視庁の刑事だって言うんだから、わっかんないよね…」
 手洗いで鏡に映る自分の顔を眺め、奈緒子は小さく呟いた。少し時間を置いてから席に戻ると、菊池が複雑そうな表情で、奈緒子の顔を見た。
「矢部さんから、説明してもらったんですか?」
「あ、はい…今、聞きました」
「まぁ、ちゃんと話したで」
「そうですか。私事なのに、菊地さんまで巻き込んじゃってごめんなさい」
 席につきながら、奈緒子は丁寧に言った。
「あぁ、いえ…僕で力になれるなら…」
 随分と菊池は神妙な顔をしている。矢部は一体どういう説明をしたのだろうかと、奈緒子は首をかしげた。
「…ありがとうございます。あ、そうだ。さっき見たら自由席の車両、がらがらだったんですよ。だから私…一眠りしてくるんで、着いたら起こしてくださいね」
 とりあえずその確認は後回しにして、再び立ち上がった。
「そんなにガラガラやったんか?気を付けろや、お前、寝言ひどいんやから」
「誰もいない車両があったんですよ。鞄はここに置いておきますね」
 コートだけ持って、奈緒子は指定座席車両を離れた。
「矢部さん…さっきの話、本当なんですか?」
 奈緒子がいなくなったのを確認してから、菊池は小声で言った。
「何がや?」
「だから、上田先生が、山田さんの代わりにさらわれたって事ですよ」
「本当や、何かおかしい点でもあるんか?」
「いや、だって、山田さん…いつもと全然変わらないじゃないですか」
 菊池のその言葉を聞いて、矢部は一瞬目を丸くし、それからクックと声を立てて笑った。
「お前はまだ付き合い短いからな、気付かんのもしゃぁないか」
「おかしい事ですか?」
「あいつ、あれで結構動転してるで。昨日なんか、オレの前で涙見せたぐらいやからな。やっといつもの調子に戻ってきたようやけど、目、見たらすぐ分かるやろ?あいつ多分、昨日は眠れへんかったんやろうな」
「え?」
「はしゃいだりしたのも、気を紛らわす為やで。そういう、不器用な奴やねん」
 しぶしぶ納得したようで、菊池はそれ以降口をつぐんだ。その頃奈緒子は、誰もいない自由席の車両で、ぼんやりと車窓から外の景色を眺めていた。
 やっと、眠れるような気がして、目を閉じる。上田の悲しげな顔が浮かんだが、奈緒子はその上田に手を伸ばし、心の中で叫んだ。
 ──「一緒に帰りましょう?」声にならない、声で。今更後悔しても遅いのだ、直接本人の口から聞けば、傷つくのは当たり前だ。
 それでも後悔してしまう。あの時、別の行動をとっていたならきっと、今は上田のパプリカにでも二人で乗っていたかもしれない。それを思うと胸がキリキリと痛んだ。
「上田さん…」
 奈緒子は顔を覆い、小さく呟いた。密室の車内の空気が、奈緒子を中心にして、渦巻くように動いた事は、誰も気付かない。
「うぅ…ん〜…」
 数分後、奈緒子は夢の中にいた。
「到着予定時間は何時や?」
 座席二つを占領し、くつろぎ体制になっている矢部が口を開いた。
「えっと、九時くらいです。コーヒーでも買ってきましょうか」
「いや、オレはアップルジュースでええわ」
「はぁ…」
 自販機まで走る菊池。戻ってきて、紙パックのジュースを矢部に渡した。
「妖術使いって、どうして山田さんを執拗に狙うんでしょうかね」
「説明したやろ…あいつが不思議な力を持ってると思ってるからやって」
「それは聞きましたよ。だから、どうして不思議な力を必要としているのか…それが疑問なんです」
 真面目な顔で、菊池はリュックに手を伸ばした。
「そうやなー、それはオレもちょっと気になってたんや…そもそもあいつの母親が、島のシャーマンでカミヌーリやったっていうんも、意味がよぉ分からんし」
「シャーマンって言うのは辞書にも載ってますよ、暗記してるんで出す必要はありませんが…」
 自分で見てみろとでも言うように、菊池はリュックの中からポケットサイズの辞書を出して矢部に手渡した。
「暗記してるんなら持ち歩く必要ないやろ…」
 ぶつぶつ言いながらも、矢部は辞書を開いてみた。

──シャーマン 1 [shaman] =神霊・精霊・死霊などと直接的に交わる能力をもって治療・予言・悪魔払い・口寄せなどをする人。日本では「みこ」「いちこ」「いたこ」「ゆた」などがその例。巫覡(ふげき)。(三省堂提供「大辞林 第二版」より)

「カミヌーリって言うのは、どの書物にも載ってないです」
「あぁ、それは前に、上田センセーから聞いた事あるわ。確か、神が乗り移るというのを語源にして、カミノル、カミヌリ、カミヌーリってなまった言葉になったらしいとかなんとか…そんな風に言ってたわ」
「神が乗り移る…確かに、シャーマンの一つですね」
 だが菊池は、まだ納得いかないという顔をしている。
「何や、まだ何か気になる事でもあるんか?」
 付き合いきれないという表情で、矢部は辞書を投げ返した。
「山田さんは本当に、そういう…不思議な力を持っていないんでしょうか」
「さぁな〜、本人はない言うてるし、力の存在自体を全面否定してるやろ…」
「本当は不思議な力を持っていて、それを妖術使いは狙っている…だとしたら、妖術使いはそれで何をするつもりなのでしょう?」
 菊池はいたって真面目な顔を崩す事無く続けた。
「そんなもん、今は関係ないやろ。要は、皆で協力して、上田センセーを助け出す。これや」
 そう言いながら矢部は、紙パックのジュースをズズズと飲み干した。

つづく
 
   


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