★第21話★


 空を見上げると、さっきより星が増えていた。日もいつの間にか沈みきっている、薄暗い、静寂。冷たい風に身を震わせて、奈緒子も慌てて小屋に戻った。
「はー、寒い…」
 小屋の中では矢部が、菊池を押しのけてストーブの前に立って、一生懸命両手をさすっている。
「そういや山田、お前、おふくろさんとこに連絡せんでえーのか?」
「え?あっ、そうだ…」
 矢部に言われるまで気付かなかったが、里見もきっと心配しているだろう。
「電話、そっちの部屋にあんねん、かけてきや」
「はい、そうします」
 矢部に促され、パタパタと公衆電話に向かった。そう、公衆電話だ。奈緒子はポケットを探るが、小銭などは見当たらない。
 菊池にでも借りよう…そう思った時、公衆電話の置かれている台の隅っこに、一枚のテレホンカードがあるのに気付いた。MetropolitanPoliceDepartmentという赤い文字と、桜田門の写真。桜田門といえば、天下の警視庁…
「これ、矢部さんのだ…」
 小さく呟き、借りる事にした。
 ──ルルル、ガチャ。すぐに繋がった。
『もしもし、奈緒子?』
「お母さん、そう、私。よく分かったね」
『当たり前でしょう、ずっと心配してたんだから』
「ん、ごめんなさい」
 里見の声を聞くと、緊張の糸が切れたように、奈緒子はその場にへたり込んだ。
『上田先生、助け出せたのね?』
「うん、お母さんのおかげ」
『そう…』
「あと、矢部さんたちも沢山協力してくれて」
『良かったわ、本当に…今度、皆さん連れて遊びにいらっしゃいな。腕によりをかけてご馳走作るから』
「うん」
 床に座り込んだまま、受話器を握り締める。
『奈緒子?どうかしたの?』
 電話の向こうで、里見は喉を押さえながら、心配そうに口を開いた。
「ん?ううん、何でもないの」
 奈緒子も、空いた手で、スカーフの上から喉をさすった。
『そう…今日は疲れたでしょう?ゆっくり休みなさい』
「うん、そうする。お母さん、ありがとう」
 受話器を置くと、テレホンカードが戻ってきた。それを取り立ち上がろうとしたが、気が抜けてしまったのか動けない。まぁいいかと、奈緒子は目を閉じた。そのまま静かに、ゆっくりと深呼吸する。
「うわっ」
 突然頭上で声がし、目を開けると菊池が立っていた。
「よ、東大!」
 驚いている菊地に、片手を上げて声をかけると、菊池は苦笑いを浮かべて頭をかいた。
「電話、いいですか?ケータイ壊れちゃって」
「どうぞ、私はもう終わりましたんで」
 そうは言うものの、奈緒子はまだ立てなかった。不思議そうに首を捻る菊池に、今度は奈緒子が苦笑を向ける。
「…立てないんですか?もしかして」
「えぇ、まぁ…手、貸してもらえます?」
「良いですよ」
 菊地の手を借り、元の部屋に戻る。上田の横たわる座敷に腰を下ろすと、菊池は公衆電話の方に戻っていった。
「矢部さん、コレ借りました」
 まだ暖を取っている矢部に先程のテレホンカードを差し出すと、矢部をちらっと一瞥し、ボソッと口を開いた。
「やる」
「え?」
「やる。オレ、すぐにでもケータイ新しいの買ぉてくるし…いらんわ」
「はぁ、じゃぁ、いただきます…」
 菊池が戻ってきてしばらくすると、見回りに行っていた男性も戻ってきた。
「そろそろ乾いた頃だと思うよ」
 一番近くにいた石原に声をかけ、別の部屋へと二人して行ってしまった。奈緒子がぼんやりとその方向を見ていると、少しして二人とも戻ってきた。両手に色々と抱えている。石原は、持っていた紙袋の一つを奈緒子の前に置いた。
「え?」
「姉ちゃんのコートじゃ」
「あ、それ皆さんの服?」
「そうじゃ、管理人さんが乾燥機貸してくれたんじゃよ。けどコートとかは乾燥機かけられんからのう、帰ってからクリーニングに出した方がえーよ」
 なるほどと頷いていると、石原は奈緒子の腕を掴んで立たせた。
「え…何です?」
「これから着替えるけぇ…」
「え?あ、あぁ…私、向こうの部屋にいますね」
 石原の言わんとしている事を察し、奈緒子は慌ててその場を離れた。上田がしょっちゅう上半身何も着ていなかったりしているので、男性の裸はある意味見慣れているが、四人もの知り合い全員だと結構恥ずかしいものだ。
 一人再び、公衆電話のところにしゃがみ込む事になった。ぼんやりしていると、何だか眠くなる。
 目を閉じた奈緒子は、ゆっくりと眠りに落ちていった。
 そこは、どこまでも広がる青い空と、どこまでも続く平原。そこに奈緒子は立っていたが、夢だという事にはすぐに気付いた。
 何かの気配を感じて振向くと、妖術使いの身なりの、けれどあの奇妙なお面を外している、椎名吉平が立っていた。
 ──「妖術使い!」
 奈緒子の声は、音ではなく空気の振動によって発せられた。椎名吉平の顔をした妖術使いは、奈緒子とは距離を保った位置に、ただ立っていた。
 ふと、椎名吉平顔の妖術使いは片手を揺らめかし、招く。おいでと言うように…背筋が凍りつくような寒気に襲われ、奈緒子は一歩後ずさった。
 ──「諦めないよ…」
 妖術使いの声が、空気の振動によって響いた。コワイ、コワイ、コワイ。その場から一歩も動かない妖術使いが、ひどく恐くて、奈緒子はまた一歩後ずさった。
 ──「お前を手に入れる為なら、何でもしよう…」
 妖術使いの声はどこか穏やかで、けれどその執拗な眼差しは恐い。何もかも振り切るように、奈緒子は踵を返して走り出した。妖術使いの手の届かないところに逃げようという気持ちで、全力で駆け抜ける。
 と、突然、穴にでも落ちたような感覚に陥り、はっとした。目を開けると、そこには矢部の顔。
「うわっ…?!あ痛っ!」
 びっくりして後ずさろうとしたものだから、奈緒子は壁にしこたま頭をぶつけた。
「何やお前、人の顔見て…失礼な奴やな」
「び、びっくりしたんですよ。矢部さんがいるなんて思わなかったから…」
「ほぉか?まぁえーわ。ぼちぼち行くで」
「え、行くって…?」
「東京、帰るで」
「あ、そうですね」
 やっと奈緒子は微笑んだ。そのまま促されて外に出ると、もう真っ暗で、少し淋しいような焦燥感に包まれた。
 …が、すぐにそれは打ち消された。目の前に、見慣れない車が止まったからだ。運転席から顔を出したのは、またも菊池だった。
「菊地さん?!」
「なんですか?」
 菊池はもう、いつもの爽やかな笑顔に戻っていた。
「あの空色の車は…」
「あぁ、あのワゴンRは4人乗りなんですよ、だからさっき電話して、回収に来て貰う事にしたんです。コレはさっき買いました」
「あ、そうなんですか」
 今は石原と上田もいるから人数は五人、しかも上田は意識がないから、二つの座席が必要だろう…
 と、何かに疑問を感じて、奈緒子は首をかしげた。今の菊地の発言に不思議な一言があった。
「え、あ、あれ?今、買ったって言いました?」
「えぇ、言いましたよ。いいなぁ〜って思ってたのがあったんで、この機会に買っちゃいました。7人乗りのグランドエスクード、かっこいいでしょう」
 にっこにこと上機嫌な様子で、菊池は車の説明をはじめたが、興味のない奈緒子にはさっぱり分からない。
 とりあえずは聞き流し、管理人の男性と石原が上田を車に乗せるのをぼんやりと眺めていた。
「山田、上田センセー一番後ろに寝かせたから、お前も三列目に乗れ」
 先に乗れ、早く乗れと続ける矢部に急かされ、慌てて奈緒子は座席につくと、上田の頭を自分の膝に乗せた。次に矢部が助手席、石原が二列目のシートに座り、男性に見送られながら車は湖を後にした。
 奈緒子は振り返り、暗い湖を見つめる。昼間の、胸を打つような美しさは闇に隠れ、どこか悲しげに映る。
「ワシ疲れたけぇ…兄ィ、ちぃっとばかし寝とってもいいかのぉ?」
 前の席で石原がぼそっと言ったので、奈緒子は後ろを向くのをやめた。石原の後頭部が見える。
「今回はお前、偉い活躍したやんけ。寝てもえーぞ」
 矢部が振向きもせずに、バックミラー越しに言うのを聞いて、石原は嬉しそうに横になった。よっぽど疲れていたのだろう、すぐに寝付いてしまったようで、むにゃむにゃと寝返りを打ち始めた。
 車内は静寂に包まれる。
「ラジオつけますね」
 その静寂に耐え切れなくなったのか、菊池が小さく呟いてボリュームを下げた状態のまま、ラジオのスイッチを入れた。
「菊池、安全運転で頼むで。オレもちょっと休むから」
「はい、任せてください」
 助手席の方で、矢部が足を上げるのが見えた。多分、休みやすい体勢なのだろう。ラジオから聞こえる微かなメロディーは、奈緒子をもゆっくりと眠りへ誘っていった。

つづく
 
   


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