★第22話★


 目が覚めると、真っ白い天井が目に入った。辺りを見渡し、病院の一室だという事に気付く。白い部屋、パイプベッドに横たわる自分。
 ──カラカラ…と、控えめに開かれるドアの音。誰だろうかとカーテンの方を眺めていると、その隙間から誰かが顔を覗かせた。
「上田さん、起きてたんですか」
「山田…」
 嬉しそうに微笑む奈緒子…その後ろには石原もいた。
「上田先生、大丈夫ですかいのぉ?」
 奈緒子の首に巻かれたスカーフに目を遣り、上田は拳を握り締めた。
「石原さん?お久しぶりですね…」
「え?あぁ、そういえばそうじゃの」
「それよりYOU…ちょっと聞きたいんだが」
 上田の言葉に、奈緒子は首をかしげた。
「何ですか?」
 忘れたい、忘れなければ駄目だ。そうでなければ、今までどおりにはやっていけない…上田は自分の拳を強く握り締めた。
「俺はどうしてここにいるんだ?」
「え…?」
 奈緒子の表情が凍りついたように固まった。
「大学の帰りにYOUの家に向かったんだが、その後の事が思い出せないんだ」
 俯く上田の様子に、奈緒子は無意識的に、首もとのスカーフに手を遣った。
「YOU?」
「先生、覚えちょらんのですか?」
 石原が何か続けようとするのを、奈緒子は慌てて止めた。
「やだな、上田さん…覚えてないんですか?うちの近くで上田さん、交通事故に巻き込まれたんですよ」
 奈緒子の言葉に、石原は身を固めた。何を考えているのか、読み取れない。
「交通事故?」
「そうですよ、交通事故。頭打ったから、記憶がごちゃごちゃしてるんじゃないですか?」
 奈緒子はそう言いながら、上田の布団を直した。上田はじっと奈緒子を見つめている。
「だから眼鏡がないのか…」
「壊れちゃったんですよ。あ、私、矢部さんに知らせてくるんで、石原さん…上田さんをお願いします」
「え?あ、そうじゃの、分かったけ」
 そうして奈緒子は、パタパタと病室を離れていった。そして病室に残された上田と石原。
「えーっと、先生、本当に覚えちょらんのですか?」
 石原は上田の顔を覗き込むように訊ねた。あの洋館で助け出した時、確かに上田の意識はあったから、それが疑問だったのだ。
 上田は黙ったまま、自分の手のひらを見つめている。
「上田先生?」
 上田の様子が、おかしいような気がした。
「人間、覚えていない方がいい事だって、あるんですよ」
 ぎゅっと拳を握り、上田が口を開いた。石原はその時、上田が嘘をついているという事に気付いた。
「先生、あんた…」
 驚いている石原と、顔をあげた上田の目がかち合った。そのまま上田は、ふっと微笑む。
「じゃけど先生、姉ちゃんは危険を冒してまで、先生の事を助けようとしちょったじゃないですけぇ…」
「石原さんは、あの場にいましたよね。見てたでしょ?」
「え、何を…じゃ?」
 上田が言わんとしている事を、本当は分かっていた。
「見てたでしょ…私のこの手が、あいつの…」
 上田はまたうなだれて、自分の手を見つめている。そして続ける、苦しそうに、悲しそうに…
「山田の…細い首を締め付けるのを、見てたでしょう?」
 石原はゴクンとつばを飲み込んだ。
「う、上田先生は、妖術使いに操られちょったけぇ…関係ないじゃろ?」
「でも私は覚えてる。自分の体が勝手に動いて、あいつの首に指を食い込ませた事を…」
「じゃけ…何で覚えちょらんふりなんかするんじゃ?そんなの姉ちゃんだって、気にしちょらんじゃないですけぇ」
 石原がそう言うと、上田は視線を石原の方に向け、再び悲しそうに微笑んだ。
「覚えていたくないんですよ。自分の手で、自分の大切な人間を傷付けたという事を…」
「それはそうかも知れんけんど、その事実はなくなりはせんと思うんじゃ」
「石原さん、分かってますよ、それくらい。山田は、スカーフをしてましたね?あれは痣を隠す為でしょう?私の付けた痣を」
 石原は黙って頷いた。
「山田は、覚えていないと言った私に嘘をついた。あいつにとっても、忘れたい出来事なんですよ」
「先生!じゃけぇ、なかった事にするんじゃったら、姉ちゃんのあの言葉とかも全部、なかった事になるんじゃよ?あれは大事な言葉じゃろ?!」
 石原の言うあの言葉というのは、術にかかった上田に言った、奈緒子の言葉の事だ。上田はうなだれたまま、また拳をきゅっと握った。
「大事な、言葉ですよ、確かにね。でも…本音だ、お互い心に秘めてる、それでいいと思うんですよ、私は」
 上田がかすかに震えているという事に気付き、石原は口をつぐんだ。
「私にとっても、大切な存在なんですよ、あいつは。だからこそ、なかった事にした方がいい…いや、なかった事にしなければ駄目だ」
「それは、なんでですかいの?」
 かろうじて口を開く石原を見ずに、上田は続けた。
「そうしなければ、以前と同じように接する事が出来ない…私は、そんなに強くない」
「先生…」
「事実は消せないが、せめて二人の間では、なかった事にしたいんですよ」
 石原は黙っていた。上田の気持ちが、痛いほど良く分かった。
「分かったけぇ…」
「ありがとうございます」
 上田が視線を石原に戻すと、二人はお互いに、やるせないような表情で笑みを浮かべた。
 その頃、奈緒子は矢部と共に、病院の廊下を歩いていた。
「上田センセー覚えとらんかったって?」
「ええ、妖術使いに会った事すら」
「ふぅ〜ん」
 矢部は奈緒子の言葉に、ぼんやりと首をかしげた。
「だから、交通事故で病院に運ばれたって事にしといたんで、口裏合わせてくださいね」
「は?何でそんな嘘つく必要あんねん」
「だって、上田さんですよ?きっと妖術使いに操られてたなんて言っても、信じないでしょうし」
「そらそうかも知れへんけど、お前、それでいいんか?」
「何がですか?」
 今度は奈緒子が首をかしげる。
「何がって…お前、上田センセーに好きって言うたんやろ?」
 矢部は帰る道すがら、途中で運転を代った石原に話を聞いていた。
「そ、そんな事は言ってませんよ!ただ、その、た、大切な人だって言っただけです」
 奈緒子は真っ赤になって弁解した、が、矢部は気にもせずに続ける。
「似たようなもんやないけ。まぁ、お前がそれでえー言うんなら、オレは全然構わんけどな」
「そうしてください…そういえば矢部さん」
「なんや」
 奈緒子は息を整えて、顔の赤みを押さえながら口を開いた、
「矢部さんの勘も、今回鋭かったですね?」
「何がや?」
「ほら、妖術使いに操られてた矢部さんの同僚の人達。屋敷の外に出しといて良かったですよね〜、じゃなかったら今頃、あの人達も…」
「あー、そうやねん!ホンマ、自分で自分が恐いわ」
 自分の両腕を抱きかかえるように矢部が言うので、奈緒子はおかしくてケタケタと声をあげて笑った。
「あとな、さっき課長に電話してみたんやけど、あの事、課長らも全然覚えてへんかったみたいやで。気付いたら見知らん土地にいたんで、なんや知らんけど皆でさっさとこっちに戻ったとか言うとったわ」
「へぇー…妖術使いも、手の込んだ事しましたね」
「そうやな。お前も災難やったなぁ、上田センセー殺害の容疑者にまでされて」
「あれにはびっくりしましたね」
 そんな遣り取りをしている内に、二人は上田のいる病室についた。奈緒子がノックをし、扉を開ける。
「上田センセー、具合はどうですか?」
「悪くはないです」
 部屋に入るなり矢部が猫なで声で上田に声をかけた、上田も穏やかに微笑みながら返す。そんな様子を見ながら、奈緒子はホッとしていた。
「姉ちゃん、ちょっとえーか?」
 ふと、石原が奈緒子に小さく声をかける。促されて病室を出ると、石原は照れくさそうに笑いながら口を開いた。
「今回、また妖術使いに逃げられたじゃろ?じゃからワシ、また個人捜査する事になったんじゃぁ」
「そうなんですか?!」
 久々の再会も、束の間というわけだ。
「そうじゃ」
 笑顔のまま石原は、奈緒子の前に手を差し出した。首を捻る。
「また当分会えんじゃろうし、握手じゃ」
「あぁ…」
 その言葉に、奈緒子も手を差し出し、握手を交わした。
「石原さん、一応命の恩人ですもんね…あの時はありがとうございました」
 洋館で、矢部に突き飛ばされた時の事を思う。
「姉ちゃん軽すぎじゃぁ、もっといっぱい食べて太った方がえーよ」
「出来る事ならいっぱい食べたいですよ、私だって」
 お互いに笑いあい、手を離すと、石原は「じゃ」と言って背を向け、歩き出した。その背を見えなくなるまで見送ってから、奈緒子も病室に戻った。
 中では、上田と矢部が眩しそうな表情で、楽しそうに何かを話していた。

つづく
 
   


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