[ 第100話 ] しばらく動けずに、固まっていた。腕の中で、楓は。 「っ…」 どう表現すればいいのだろうか、ただ、安堵感から腕の中の身体を矢部はきつく抱いた。 「おに…ちゃ、ん」 息も切れ切れに、かすかな声。 「ホンマに、なぁ…災難だらけやなぁ」 静かに腕を離し、視線を楓に合わせる。すると、矢部の言葉にコクコクとうなずいた。目は大きく見開いたまま。 「大丈夫か?」 「ん、あ、はい…」 「しかし、フェンス壊れとるんやったら注意書きでもせーっちゅーんや、なぁ」 「うん、そ、そうだよね、危ないよね」 そのまま、楓は深く深呼吸を始めた。それをみて、矢部はゴロンと寝転がる。あー…びっくりした。 「ケンおにーちゃん?」 「びっくりしたわぁ、ホンマ…」 楓を抱きしめた感覚が、腕に残っている。 「そ、だね、うん、びっくりした」 楓はじっと、矢部を見つめたまま。今度は矢部が疑問に思う番だ。 「どないしたん、かえちゃん?」 「え、あ、えっと…どうしてケンおにーちゃんがここに、いるんだろうって」 きょとん、と。 「ああ、一服しとったんや。それよりかえちゃんこそ、なんで一人でこんなとこに?石原は?」 「あ、うん、ケンおにーちゃんを探しに…ご飯食べようって」 「ご飯?」 「そう、焼きそば…」 言いながら楓は、不意にあたりをきょろきょろと見渡した。そして先ほどのところから、袋を抱えて戻ってくる。 「これ、焼きそば…石原さんと、手分けしてケンおにーちゃんと奈緒子さん達探してたの」 「そか…ほんなら合流せなな」 「うん」 疫病神か、オレは…ふとそんな事が頭によぎる。昔からそうじゃないか、自分に関わったがばかりに楓は… 「あ、ケンおにーちゃん」 起き上がり、ドアの方へと歩いていると斜め後ろで楓が声を上げた。 「んー?」 「あの…ありがとう、助けて、くれて」 「あぁ、んー…いや、何もなくて良かった」 腕を伸ばし、頭にポンッと手を置いて穏やかに笑う。傍にいないほうが、きっとこの子は幸せになれる…そう思いながら。 ドアノブに手をかけよとうした時。 「うぉっ?!」 くんっ、とドアが、中側から開けられた。 「あ?」 慌てて退いたところに、覚えのある面々。 「あれ、矢部さん?」 ひょこっと、ドアを開けた人物の影から奈緒子が顔を出す。 「上田センセー…どないしはったんですか、そないな顔して」 上田は真っ青な表情で、矢部の肩越しにきょろきょろと当たりを見渡していた。 「ああ、今、山田と廊下を歩いていたら窓の外を、フェンスが落ちていったので…」 その言い方に、ぴんと来る。 「上田センセ、もしかしてフェンスが壊れてるん、気付いとったんですか?」 まさかなぁ…と思いながら聞くが、肩が僅かに揺れたのを見逃す事無く。 「えっ、えぇ…まぁ…」 ぴしり、と何かが突っ張る音が聞えたような。 「実は今朝屋上に出た時に気付いて、用務員には言っていたんですがね…まだ直してなかったんですねぇ…」 トン、と一歩踏み出して、矢部は自分よりも背の高い上田を、睨むように見た。思わず一歩後ずさる上田に、一言。 「今、かえちゃんが落ちそうになったんですわ。知っとったんなら立ち入り禁止のロープを張るぐらい、センセーにも出来たんと違いますか?」 低く、苛立ちの混じったような声で。 「え!楓さん落ちそうになったの?大丈夫でしたか?」 初めて見る矢部の、鋭い威圧感に慄く上田の前に、奈緒子が踏み出して上田と矢部の二人を押しのけて、楓の腕を掴む。 「え?あ、うん、そう、大丈夫。ケンおにーちゃんが助けてくれたから」 「へえー、矢部さんが…でも良かったぁ、何ともなくて」 「うん、まだドキドキしてるけど」 楓はずっと、掌を胸に当てていた。余程驚いたのだろう…そう感じ取り、奈緒子はくるりと振り向く。上田はまだ、矢部に睨まれていた。 「上田、悪いのは上田だろ、ちゃんと矢部さんと楓さんに謝ればいいじゃないですか」 「え?あ、ああっ、そうだな…じゃなくて、そうですね。いや、本当に申し訳ない事を…」 今にも咬み付かれそうな雰囲気に、上田は慌てて頭を下げる。と、矢部ははっとして上手を睨むのをやめた。 「いや、こちらこそこないにセンセを責めてしまって…かえちゃんが、ホンマに落っこちそうになったからつい」 ぺこぺこと、謝りあう二人を見て奈緒子は呆れ顔でため息一つ。 「何謝りあってんですか…」 そうしている内に、ざわざわと人の声。どうやら上田と同じように、落ちてきたフェンスや騒ぎを聞きつけて野次馬が集まってきたようだ。 「とりあえず、さっさとこっから離れましょうよ。面倒だし」 「そやな、えー事言うな、たまには」 「たまにはは余計だ」 まぁまぁ、と楓に宥められながら、四人はその場を離れるべく足早に階段を駆け下りていく。途中何人かとすれ違ったが、上田が言いくるめて何とか上田の研究室へと向かった。 「あれ?楓さん、何を持ってるんですか?」 「え?あ、これ、焼きそば。皆でご飯にしようと思って…あ、石原さんに連絡しないと!!」 先ほどの出来事であまりにびっくりしたせいで、楓はすっかり石原の存在を忘れていた。矢部や奈緒子たちを見つけたらメールをする約束をしていたのにと、あわてて携帯電話を取り出す。 その様子を見て、矢部はふっと目を細めた。 「矢部さんの目、お父さんみたいですね」 隣で奈緒子が、ぽつり。 「なっ、何がやねん…」 見られていた事に気付くと、はっとして顔を背ける。頭上でうさぎの耳が揺れた。 「うさぎってのはもっとぴょんぴょん、動きも早いんじゃないんですかー」 皮肉じみた事を言う奈緒子を見ずに、パーの状態にした掌で軽く後頭部からはたく。 「あいたっ、ちょっと八つ当たりするのやめてくださいよ」 「何を騒いでるんだ、YOU」 「あ、上田…さん、なんでもないですよ。いーからお前はさっさと鍵を開けろ」 楓は一行から少し離れて携帯電話を開いていたが、そこはとうに上田の研究室の前。だが、どうした事か、上田がもたもたとポケットの中を探っている。 「ん?あぁ、分かってる」 ごそごぞ、もぞもぞ。だが一向に鍵を出す気配がない。 「上田?」 「上田センセー、もしかして鍵をなくしたとか…」 ぎくり。この肩の動きを矢部は知っている…そう、先ほど詰め寄った時もこんな感じだった。 「なくしたのか、上田…」 「いや、そんなはずはない!さっき研究室を出た時には確かにこう、自分の手で閉めて…」 ごそごそと探っていた上田の手が、ぴたりと止まる。目は空を彷徨い、何かを思い出しているような… と、その時。 「石原さん」 楓の声に、いっせいに皆がそちらに顔を向ける。にこにこ、相変わらずの満面の笑顔でてくてく歩いてくる石原、手には何やら沢山抱えていた。 「何やお前、何持ってきたん?」 「お昼じゃ、兄ィ、焼きそばだけじゃ足らんよーな気ぃがしたんじゃ。でもそれもそーじゃけ、ねーちゃんおるから」 石原の抱える食べ物に大いに興味を示していた奈緒子が、その言葉ににゃっ!と唸る。 「ちょっ、石原!私を何だと思ってんですか!」 「食い意地張っちょるからのー」 これでも足りないかもしれないと続ける石原を、奈緒子は拳を握り締めて何とか黙らせようとしたが、不意にその手を押さえられた。 「にゃ?って、何ですか上田さん、変な掴み方しないでくださいよ…」 自分の頭上を見上げるような形でいる奈緒子を他所に、上田の目は石原へと向いている。にこにこと、笑っていた石原。 あ、と声を漏らした。 「そうだっ!確かさっき、石原さんに渡しませんでしたか?」 「は?なんじゃ?」 突然声を荒げたものだから、腕を掴まれていた奈緒子はその声のでかさに思わず目を回す。言われた石原はきょとんとしているのだが、その隣では矢部と楓もきょとんとしたような表情を浮かべている。 「鍵ですよ、研究室…ここの鍵!」 たん、とドアに手を当てながら言う上田を、石原はしばらくじーっと見つめ…数秒後に、あぁ、と口を開いた。 「そうじゃねぇ、ちょっと持っとってぇって言われて受け取って、そのまんまじゃった」 つづく 三桁突入ー… って、なんか普通の一遍ですな(汗) 区切りの良いところで区切りの良いシーンを持ってきたかったのですが、そうそううまくいかないといつも思い知らされます。 とりあえず、100話目。 …長っ?! 2006年7月18日 |
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