[ 第101話 ] 抜沢の四十九日が過ぎて少し経ったある日、警視庁に一通の封書が届けられた。差出人は、池内律子。 あて先は、矢部。 「オレに?」 課長から手渡されたそれは、縦長で少し大き目の、ありふれた茶封筒。けれど妙に厚みがある。 「警視庁の矢部刑事宛てになってる、むこうは君の所属先を知らないようだな」 大きなガラス製の灰皿に、咥えていた煙草の灰を落としながら課長は笑った。 「…どうも」 受け取ればもう用済みだ。矢部は小さく会釈して、部屋を後にした。 「立ち直れると思うか、抜沢…」 矢部が出て行った後で、公安五課の課長である彼は小さく囁いた。くるりと皮製の回転椅子を回して窓の外を見遣る。煙草の煙をくゆらせながら。 「池内の律子さん…確か、アレの前に留学先に戻っとったんやっけ」 今更何の用だろうか?屋上へと向かいながら、茶封筒の上端を破いた。 「あー、もしかしたらどっかから連絡があったんやろか。抜沢先輩の…事」 屋上に着くと、シャツのボタンを一つ外した。抜沢の事件の後から、矢部は白いワイシャツを着なくなった。誰に何を言われても、これだけはやめないと言い張りながら、派手な柄シャツを着て職務に励んだ。 抜沢譲りの執拗な取調べと、その出で立ちに容疑者たちは簡単に口を割る。それがなんだか、妙に可笑しかった。 「あれ?」 茶封筒の中には、少し小さいサイズの封筒が入っていた。それと、一枚の薄いピンク色の便箋。 「これは…」 目を細めながら、読んでいく。 ─── 前略。祖父が心臓の病で倒れ、先日様子を見るために帰国いたしました。 その時に、一ヶ月以上も前に私宛に届けられた手紙に気が付きました。 幸い、祖父の容態は安定しておりますが、抜沢さんの事件の事も耳にして、こうしてあなた宛に便りを出す事にいたしました… ─── 丁寧な文体で、簡略的に書かれている。続きには、その手紙には差出人の名前は書かれておらず、家の者も急ぎではないだろうと思い律子の留学先に転送する事はしなかったらしいと綴られていた。 手紙は、蔵内からだったという。あとは直接、それを読んで下さいと、最後の結びに書かれていた。 「蔵内が…律子さんに?」 封筒から出した、律子宛の蔵内の手紙。便箋は全部で3枚あった。そこには、矢部の知らない一人の青年の姿があった。 コレが本当に、あの蔵内が書いたものだというのか?あの、残虐で冷徹な、簡単に人を殺してきた男の書いた、文章だと? 「これじゃただの…」 悲しい一人の青年じゃないかと、矢部は小さく呟いた。 律子にとって蔵内が、唯一の自分の本心を知る、兄のような存在であったとの同様に蔵内にとって、律子は自分の中身を知ってくれる、妹のような存在だったのだと、文面から感じ取った。 律子を巡る、土原が過去の起こした事件の一部が、丁寧な文章によって綴られていた。 「こいつオレに…」 似ている。手紙を読んでいて、矢部は唇を噛んだ。 多分きっと、誰よりも大事に思っていた。律子を。そばにいたいと思った、近くで守っていこうとしていた。けれど知ってしまった、ある男の計画。 ─── …律ちゃんキミを、守りたかったよ。俺のような奴の事はさっさと忘れて、幸せになるんだよ。─── 最後の一文に、不覚ながら涙ぐんでしまった。 「って、結局全部は書いてへんのやな」 握った拳の裏で目元を拭い、小さく息をつく。そうして、はっと思いついた。そうだ、もう一人いるんじゃないか? 律子宛てのこの手紙には、キミを守りたかったというあの頃の彼の心情が書かれていた。律子を怖い目に合わせたという、心からの侘びと共に。だとしたらほら、もう一人いるだろう? 「土原っ!」 びっと、人差し指を空に掲げる。そしてその晩、職務を終えてからまっすぐに土原の収容されている刑務所へと向かった。 この時間だ、元来ならば何者をも寄せ付けぬ。だが、過去の経験から矢部は当然のようにまっすぐ抜沢の知人である彼を訪ねた。 「ああ、この間はどうも」 矢部を見て、彼はすぐに泣きそうな笑顔を浮かべた。抜沢の葬儀で、一言二言交わした。 「どうも、お元気でしたか?」 「ええ、まぁ。あなたは?」 「まぁ、なんとか」 それからふっと、彼は笑った。 「オレの顔になんかついとりますか?」 あんまりじっと見てくるものだから、矢部は何となく、頬をこすった。 「いえ、なんだかあなたの目を見ていると、抜沢先輩を思い出すから」 目が似てる。目つき、が。抜沢を知る色んな人間に。それはよく言われた。気恥ずかしいような、恐れ多いような。 「そう、ですか?」 「ええ、安心しますよ。あの人の意思は誰かに受け継がれているんだなって」 「だと、いーんすけど」 はは、と、彼は笑って矢部をいつもの部屋へと案内した。 「いつもどーも、すんません」 「いいんですよ。ああ、でも気をつけて。土原のヤツ…この頃ちょっと不機嫌で。今日は寝てるところを起こされて更に不機嫌ですから」 「あ、そうでっか」 こんな夜更けに起こされれば、誰だって不機嫌になるだろう。ドアの前で大きく深呼吸してから、矢部はそっと中に入った。 「よぉ、こんばんわ」 矢部が来るまでの僅かな時間、どうやらウトウトしていたらしい。ドアの開く音にびくりと肩を震わせてから、大きな欠伸。 「ども、遅くにすんません」 「いや、いいんだ。あんたが来るのを待ってた、まぁ座ったらいい」 「失礼します」 椅子に腰掛けると、ふと思い出される。抜沢とここを訪れたあの日を。 「すげー派手な柄シャツ」 少しの沈黙の後、土原が無邪気に笑った。 「あ、そっすか?最近よく、こーゆうんの着るんですわ」 「何で?」 「抜沢先輩が…」 似合うと言ってくれたから。そう続けると、土原は目を細めて口を開いた。 「抜沢のだんなの事は、聞いた。残念だったな」 「いえ、もう…大丈夫っすから」 「…それにしても眠いなぁ、ちょっと待っててくれ」 おもむろに立ち上がると、土原は出口の方へ行き、外に待機していた看守に声をかけた。 「眠いんだ、悪いけどコーヒーでも持ってきてくれないか?あと向こうの人にも。それからコレを…」 ああ、眠い中押しかけて迷惑だったかなぁ…などとぼんやりしていると、すぐに土原の方と矢部の方のドアが開いて白い湯気の揺れるカップが台に置かれた。それから矢部の方には、もう一つ。 この存在を、待っていた。 「その手紙、先週届いたんだ」 「先週?」 差出人は、海老名彩子。 「海老名…」 「海老名修司って男を知ってるかい?うちの組に昔いた下っ端なんだけど…そいつの姉貴だそうだ、彩子ってのは」 海老名修司…海老名、ずっと気になってはいたが、そうか、あの時に取調べした一人だったか。 「姉?」 「修司が組にいたのは、短い間だったんだ。でもまぁ、俺や蔵内に懐いてた。俺の事件の後に、家族に不幸があって組を抜けたのは風の便りってヤツで知ってたんだがな…」 懐かしそうに、土原は笑う。 「へぇ…」 「姉さんは修司のヤツに、手紙を託されたらしいんだ。一ヶ月経ったら投函してくれって」 「…海老名修司は、蔵内と一緒に、あの日死にはりましたよ」 しん、と沈黙。土原は穏やかに微笑んだまま、やっぱりそうかと呟いた。 「それな、姉さんからの手紙も入ってて…そんで知ったんだけど、修司は心の病気だったらしいんだ」 心の病気…それが、人の命を奪う要因だったとしても許されるものではない。 「まぁとにかくよ、それ…読んでみてくれないか。中には、修司の姉さんからの手紙と、修司からの手紙。あと、別の封筒が入ってて…」 それは蔵内からの手紙だったと、言う。律子の時と一緒だな…矢部は同じように穏やかに笑って、封筒から2枚の便箋と、一回り小さな封筒を取り出した。 ─── 弟の修司から、一ヶ月経ったら投函して欲しいと頼まれました。私の名前で、出して欲しいという事でしたので、言う通りにしました。 あの子は罪を犯して死にましたが、私のかわいい弟に間違いはありません。 母が亡くなって、帰ってきた修司はあなたの話を少ししていました。 修司を、可愛がってくださってありがとうございました…─── 「俺も修司から、姉さんの話を聞いた事がある。小さな頃から馬鹿やってきた自分を、一番大事に思ってくれた人だと笑ってたよ、あいつは」 手紙を読んでいる矢部に、土原は珈琲を口に含みながら言った。文面からは確かに、素っ気無くとも家族の温かみを感じた。 殺人犯の家族という事で、苦しい思いをしただろうに… つづく 101話…と書くと妙な感じがいたしますねー そして三桁越えを機に、少しばかり過去へ舞い戻ってみました。今回の過去は、手紙を主としています。 書きづらいなー(笑) 手紙か…きっとメールとか電話とかとは違う、伝え方ですよね。 私は好きだな、手紙。 2006年7月23日 |
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