[ 第103話 ]


 やきそばを食べながら奈緒子は、じっと矢部の頭上のうさ耳を眺めていた。割り箸で口の中に焼きそばをかっ込むたびに、揺れる耳。
 似合ってるんだか似合ってないんだか…それに比べて、矢部から少し離れた位置で、石原の隣に座っているねこ耳の楓ときたら。
「YOU、飯食いながらボーっとしてるのは珍しいな、うまくないのか?」
 カワイイ☆…と目を細めていた奈緒子に、隣の上田が声をかけた。
「え?いえ、おいしいですよ。冷めてるけど…学祭とかの焼きそばってそれでも美味しいですよね」
 ふとめの麺に、香ばしいソース。青のりの緑がアクセントで。
「そうやなぁ、それはオレも同感や」
 奈緒子の横で、矢部が口を開く。
「ワシもワシも!同感じゃ、なんかのー、学生時代を思い出す味じゃ」
 無邪気に石原が手を上げて話に入ってくると、やれやれと、面倒くさそうな表情を浮かべて矢部が息をついた。
「私も好き。昔、お母さんがよく作ってくれたような気がするの」
 石原の隣で、楓も静かに言うとああそういうえば、と遠い目。どうやら楓の母親が作ったという焼きそばを、矢部も食べた事があるのだろう。
「遥さんは料理が上手やったもんな、他にも色々ゴチソーになったわ」
 遥、という名前は楓から聞いた事がある。母親の、名前。
「やっぱり!ケンおにーちゃんと一緒にご飯食べたの、よく思い出すの」
「そーなん?」
「うん、カレーライスとか、あと焼きうどんも一緒に食べたよね」
 ぎくり、と矢部の肩が僅かに震えた。こういうのを、奈緒子は何度か目にした事がある。それは、触れられたくない部分に直球で触れられた時に一瞬見せる。
 例えば、頭部の秘密とか。周知の事ではあるものの、やはり触れられると痛いらしいというのは長い付き合いでよく知ったものだ。
「焼きうどん…は、遥さん、作らんって言うてたー…昔」
「そうだっけ?あれ、じゃあどこで食べたんだろう…」
 つまらない事を言ってしまったなと、矢部は後悔しているようだった。多分それは、奈緒子にしか分からなかっただろう。石原でさえ、穏やかな表情で楓を見ていたから気付かなかったのだろう。
 ふいと、その石原がああ、と口を開いた。
「あさがおじゃないじゃろか?ほら、芹沢センセがよお作らはった」
 にこり、と笑う石原に、矢部が移した。奈緒子から見て、それは異常なほど目を大きく見開いて、驚いた表情で…
「や、矢部さん?」
 思わず声をかけてしまうほど。奈緒子の隣で、上田も驚いた表情を浮かべていた。
「ケンおにーちゃん?」
 きょとんとする楓をよそに、石原が少しばかり気まずそうに笑った。
「石原…お前?」
 搾り出すように出てきた一言に、楓がはっとした。
「あ、ケンおにーちゃんやっぱり気付いて…」
「え、かえちゃん…?」
 そうして、楓もあっと口を自らの手で塞いだ。
 唖然としている矢部。僅かに居心地の悪い空気が、流れた。
「兄ィ、やっぱ覚えちょらんのかのぉ…」
 その空気を破ったのは、石原だった。少し俯き加減で上目遣いになり、そぉっと矢部の表情を覗き込む。何の事を言っているのだろうかと、首をかしげるのは奈緒子と上田。楓はどうやら、事情を知っているようで微かに心配そうな表情を浮かべている。
「覚えて…?」
 覚えていない?というのは、どういう事だろう。矢部はふと首をかしげる。そもそも石原の口からあさがおの名前が出てきたのが不思議だった。
 そして、同じく出てきた名前…芹沢センセ、と間違いなく言った。芹沢を、知っている?あさがおと芹沢を知っている、この男は確かにオレの部下やのに、まるで見た事のない表情浮かべている。
「石原、お前…」
「兄ィ、ワシ…昔あさがおにおった事があるけー」
 一呼吸置いてから、石原がポツリと呟いた。
 え、何だって?今お前、なんて言った?
「おにーちゃん、あ、あのね、石原さんは…」
 楓が何か説明しようと腰を上げたが、石原がそれを制した。自分の口で言うからと、少し寂しそうな表情で。
「兄ィ、ワシ…」
 目を細めて、寂しそうな表情のままで。あれ?なんだろうこの感じ。矢部の中で何かが揺れた。
「兄ィは気付いちょらんかったみたいじゃけー、今まで言わなかったけど…」
 この寂しそうな表情、どこかで見た事があるような気がする…
「昔…小学生くらいの時なんじゃけどワシ、あさがおにおった事があったんじゃ」
 あさがおに?コイツが?しかもコイツが小学生くらいっちゅーたら…
「ワシは、すぐにじーさんとこに引き取られたんじゃけど、あさがおにはよー遊びに行っとったんじゃぁ。あれは中学に入る少し前の頃じゃった」
 にこっと、寂しげな表情がほころぶ。
「ワシはそこで、初めて兄ィとおーたんじゃ」
「嘘や!お前いー加減な事言うなっ、お前があん頃あそこにいたなんて、今までいっぺんも聞いたことないで!!」
 がたんと、座っていた椅子をひっくり返すように立ち上がった矢部が声を荒げる。
「言うとらんもん、聞かれなかったし」
 悪気のない顔で、さらっと言ってのける。
「おま…」
「兄ィが気付いちょらんのなら、言わんでもえーかなぁて思て」
 …それはまぁ、確かに。どうせならば知らないままでいたかったともいえるが、最近であれば多少は大丈夫なような気もする。
 以前なら、それだけで石原の存在さえ拒んでいたかもしれないから。
「そ…」
「けど機会があったら、言おうと思っちょったんじゃよ。今がその機会みたいじゃぁ」
「そ…そうか、そうなんか、あぁ、そうなんやね…」
 ふらふらと、矢部は応接セットのテーブルに手を突くと、はっとして上田の方へ目を向けた。
 あさがお。その名前は奈緒子も聞いた事があった。楓と矢部の双方から。だがしかし、ここにいる人間の仲で唯一この男だけは事情が飲み込めずにいるのだ。
「あ、上田センセー…お呼び頂いて何なんですけど、ちょっと用を思い出したので自分、ここらで失礼させていただきますー」
 首をかしげたままの上田に、表情をこわばらせたままで矢部が言う。
「え、矢部さん帰るんですか?」
 折角呼び出したのに!と奈緒子が慌てて引きとめようとしたが、仮装のうさぎ耳を外した矢部はそれを強引に奈緒子に手渡しながら小さく口を動かした。
 アカン、ちょっと耐えられへんわ…
「え?な…」
 なぜ奈緒子に向かってそう告げたのか…あぁ、気付いていたんだと思う。奈緒子が気を回して、楓と矢部が会う事ができるようにしたのだという事に。だから、ありがとうの代わりなのか…それとも余計な気を回しやがってと、怒っているのか。
 その表情からそれ以上の事を感じ取る事はできそうにもなかった。すぐにふぃっと踵を返し、じゃあ、と笑って部屋を出て行ったから。
「あー…」
 矢部が出て行って、少ししてから石原が小さく声を漏らした。
「石原…さん?」
 奈緒子が不思議そうに、近寄って声をかける。隣で楓も、心配そうな表情。
「兄ィ、怒っちょったのぉ…」
「そ、そんな事ないよ、驚いただけだと思う」
 慌てて楓が慰めるように一言。
「そうだって、黙ってたからって怒るほどの事でもないですし」
 奈緒子も後に続く。
「楓ちゃんも、ねーちゃんも…いーんじゃよ、気ぃ遣わんでも。ワシにはわかるんじゃ、ずーっと見てきたけぇ。アレは、ちょっとじゃけど怒っとるんじゃ」
 悲しげに眉を潜めて、ふぅ、と息をついて立ち上がる。
「石原さん?」
「ワシも、そろそろ帰るけー…今日は遅番なんじゃ」
 すぐににこっと笑って。


 つづく


また間を空けすぎての執筆です(汗)
どうなるんだ乾いた月!!
さりげなく頑張っていこうと思います。
石原と矢部さんの関係性も、今後考えていかなくて…あ、菊ちゃん最近出番がない!!

2006年9月17日

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