[ 第104話 ]


 カツッ、カツッ、カツッ…両手をズボンのポケットに入れたままで矢部は、どこかずっと遠くの方を見つめて歩き続けた。
 警視庁だ、警視庁に行こう。とりあえず残っていた仕事を片付けてから考えよう。このところずっとあの馬鹿(菊池)に押し付けていたから、たまには報告書に目を通しておかないと…
「そうや、捜査資料…どっかにあった…」
 ぼそりと小さく呟いて、なおもスタスタと歩き続ける。ふと、赤信号で立ち止まった時に何となく空を見た。
 薄い雲が、のびた青空。高い空だ…すぅっと軽く深呼吸すると、少し思考が落ち着いてきた。
「ああ、うん、そやな…慌てるような事でもないし」
 とりあえずはこの一連の出来事を整理してみよう。なんだっけ?ああそうそう。
「石原の馬鹿があさがおにおったって?」
 うん、そうそう、そんな事を言っていた。確か小学生の頃とか?アイツ今幾つやったっけ?えーっと…菊池が24やろ、ほんで石原はその少し年上やから…あ、そういやちょっと前に三十路になったとか言うとったなぁ、じゃぁ30か。
 30?30で小学生の頃言うたら…あれ?あぁ、中学に入る前とか言うてたっけ…ほな12歳くらいん頃やから18年前か?
「18年前って…?」
 む、18年前?そうやそうや、ちっさいかえちゃんに初めて会うたんも18年前や。
「するってーと…」
 ぶつぶつぶつ、一人呟きながらもすたすた歩みは止めない。そんな様子は回りから見れば異様としか言いようがないのが、本人は全く気にせずにそれせもぶつぶつ続けている。
「かえちゃんも18年前はあさがおにおったやろ…」
 ああそうか、それでかえちゃんもなんか言いたそうにしとったんやな、うん、なぞはとべてすけた!!
「いや、とべてって何や、とべてって…」
 おもむろにズボンのポケットから手を出して、首の後ろを豪快にがりがりと掻く。
 かえちゃんがあさがおにいた18年前に、あの阿呆もおったってか。ほうほう、それでそこでオレに会うたって?あー、なるほどなるほど…じゃぁアイツもしかして、あの人にも会うて…る?
「あれ?」
 おや?今誰かの顔が頭の中に浮かんだぞ?石原の、あのけったくそわるいくらいに邪気のない笑顔に、よく似てる…
「は…?」
 思いがけない人物の顔が頭に浮かんで、矢部はきょとんとしながら歩みを止めた。そのままぐぃーっと、空に目を向ける…
 ちょっと待て、少し落ち着こう。うん、ほら、石原の阿呆のカッコが悪いんや。あんな頭悪そうなチンピラみたいな金髪オールバックなんて、そないなガキん頃にしとるわけないやろ。ここはほら、ちょっと心外やけどブラックん時の感じを思い出そう…
「うむ」
 空を見上げて突っ立ったまま、もう片方の手もズボンのポケットから出して腕を組む。頭の中には、ちょっとむかつくけど不可解な現象が起きたあの瞬間。プリン頭の石原達也。
「石原達也?」
 折角思い浮かべたプリン頭の顔が、消える。そのかわりに、金髪オールバックの石原が、無邪気に笑っている顔が浮かんだ。ほら、髪の毛をとりあえず黒くしてみようじゃないか、それから前髪を下ろしてー…
「石原…たつ、や?」
 前髪を下ろすと、幼い顔を想像しやすい。ほらほらほら、どっかで見た事があるんじゃないか?この顔…
「たつや、たつ…」
 小学生、12歳、いしはらたつや、黒髪。そして屈託のない、無邪気な、笑顔…
「おぉぉぉっ?!」
 突然矢部は、その場で奇声を張り上げた。バサバサッと、近くの木から驚いたカラスが逃げるように木陰を飛び出して羽を広げる。
「たっ、たつって、たつ…あん時のガキか?!」
 組んでいた両腕は解かれ、がくがくと妙な震えを起こしている。矢部の脳内に、18年前、あさがおにいた黒髪の、目の大きな少年が笑顔で立っていた。
「タツ…って、言うてたっけ、確か…」
 芹沢センセーは、タツくんて呼んではったっけ?ああ、そや、抜沢先輩が大声でオレを叱りつけた時、あの場にいたっけ…
 はぁ…と深く息をつきながら、空を流れていく雲をぼんやりと見ていた…ああ、やっと合点がいったと思いながら。
「そうか、あん時の…」
 あの時のあの、いつも楓の傍にいてくれた少年が石原だとするなら、奴があさがおや芹沢センセの事を知っていてもおかしくないはずだ。それに…
「かえちゃん…」
 うん、そう。楓が、石原に恋心を抱いていても、おかしくはないじゃないか…
 カツン…靴音を鳴らして、俯いて歩き出す。
「兄ィっ!」
 と、突然後ろから声をかけられて、気だるげに振り向く。矢部の事をそう呼ぶのはこの世に一人しかいない…
「石原…」
「はあっ、はあっ…兄ィ、歩くの早いですじゃ…」
 肩で大きく息をしながら、ふぃっと顔を上げてにこりと笑う。ああ、うん、面影はあるな。
「何や、お前…上田センセんとこの学祭、は?」
「ワシ、今日は遅番でこれから警視庁に行くんじゃあ、兄ィもそーなんじゃろ?一緒に行こうと思って」
 スーハースーハーと深呼吸を何度もしながら、石原は笑う。
「ふーん、そか…」
 歩き出すと、石原も後に続いた。
「兄ィ?」
「お前…タツくんて呼ばれとったやろ」
「ああっ、うん、そうじゃ、あの頃は皆にそう呼ばれちょりました」
 嬉しそうな声を出しやがってと、内心あまり面白くはない。
「何で…黙ってたんや?」
 楓さえも知っていたのに、ずっと一緒にいた自分だけが知らなかったなんて…面白くない。
「あー…ワシ、一人前になってから、言おうと…」
「最初に言やー良かったのに」
 石原の言葉を、遮る。
「え、あ、いや…その…最初は、兄ィに最初会うた時はワシも、その、すぐに兄ィがあん時の刑事サンじゃって気付かなくって」
 む…それはそうかもしれない。今の石原と初めて会ったのはいつだっけ?あー…と、そうそう、高校出て警察学校出て、交番でお巡りさんを数年やって公安にやってきたコイツは確か、23か4かそこらくらいだ。
 ともすれば、あの頃から10年くらい経っている。10年は長い…その間にオレも、いつのまにかおっさんや。
「ほぉ、ん…そやけど気付いたんやろ?」
「あ、はいっ、あの…兄ィと一緒に仕事してて、口調とかで、あって思て…」
 ちらり、首だけ動かして斜め後ろを歩く石原を見ると、照れくさそうに、けれど目をキラキラとさせながら何かを一生懸命説明していた。
「そん時に、何で言わなかったんや?」
 その問いに、石原は素直に言い出しにくくて、と笑った。
「あの頃は、はように仕事覚えようって、そればっかりで…」
 兄ィの背中を追っかけるのに必死で、言いそびれましたと続けて言う。
「そか…まぁ、別にえーねんけどな」
 そこまで言われると、何で言わなかった!!なんて無碍にも怒鳴りつけられやしない…はあ、と小さく息をついて歩き続け、石原とバスに乗り、地下鉄に乗り、警視庁へと向かった。
「あ、そや、オレ先に顔出さなあかんとこあるんやった。石原お前、さっさと自分のとこ行きや」
 ふっと思い出して、矢部は石原の向かう公安部とは別方向へと踵を返した。
「え?あ、兄ィ!!」
 そういえば随分と顔を見せていなかった、公安部長の部屋は公安部のある場所と違う階にあるんだ。面倒やなぁなどと思っていると、後ろから大きく声をかけられる。
「あ?」
「あ、あの…ワシ…」
 呼びかけたのはもちろん石原、人の行き交う廊下で、少し戸惑いがちに。
「何や?」
「わ、ワシ…ワシが刑事になったんは、兄ィみたいな刑事なりたかった、からじゃけぇ」
 泣きそうな目で、必死に。
「…そか、ま、頑張りや」
 なんでそんな顔をしてるんだろうかと、不思議に思いながらも一言言い、再度目的の場所に向かおうと身体を返したが…
「ワシはっ、ワシが尊敬してる刑事はこの世に二人だけじゃぁっ!」
「は?」
「兄ィと、抜沢さん、じゃぁ…」
 それだけ、搾り出すように言って石原はくるりと踵を返し、駆けていった。
「…は?」
 ざわざわと、周りがうるさい。警視庁の廊下の、人が行き交う中でまぁよく言えたものだ…この中には、自分の事を知っている人間ももちろんいるだろう。
 多分、抜沢の事を知る人間も…
「熱烈なプロポーズじゃないか、矢部くん」
 ポンッと肩を叩かれて、矢部は振り返る。自分をくん付けで呼ぶような人間に心当たりは数人しかいない。部長か課長か、いやもしかするともっと偉い人かも…
「あ、ど、ども、ご無沙汰してはります」
 だが危惧することのない人物で、拍子抜けした。けれど偉い人に変わりはなく、矢部は素直に直立不動で挨拶をする。
「はは、そんな堅苦しくしなくていい。あー…時間があるなら少し珈琲でも飲まないかい?」
 すっかり貫禄のついた、皺の刻まれた表情を綻ばせて彼は言う。
「えっ、三師警視監殿と珈琲ですか?!」
「ああ、私の部屋に最近新しい珈琲メーカーを置いたんで、誰かと一息入れたいんだがなかなか誰も付き合ってくれなくてね」
「そりゃ、天下の警視庁、第3方面本部長の三師警視監の部屋で珈琲なんて、恐れ多くて誰もご一緒できませんて…是非お邪魔します!」
 はははっ、と、三師が笑うと矢部もやっと、ほっとしたように微笑んで並んで歩き出した。
「相変わらず面白いな、君は」
「いやいや、そないな事は…」
 エレベーターに二人が乗ると、他の人間は遠慮して二人きりになった。
「…さっきの奇抜な金髪の彼は、君の部下かい?」
「は?ああ、いえ、少し前までは部下やったんですけどね、今は…」
「別の部署?」
「いえ、アイツは…エース級の方に配属に」
「そうか、優秀なんだな」
 微笑まし気に、三師は笑う。


 つづく


ちょっと困ってたので、懐かしい人を登場させてみた!!
抜沢の友人の、三師警視。
18年経って順調に昇格して、今や警視監。警視総監のすぐ下のポジションです。副総監にもなれちゃうポジションですが、とりあえず現在では方面本部長。
この18年間、矢部さんとは数回だが交流ありという設定です。
しかし、矢部さんと石原の遣り取りって久々に書いたなぁ…

2006年9月24日

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