[ 第105話 ]


 コポ…コポコポコポ…室内に、ほのかに甘い、そして香ばしい香りが漂い始めた。
「立ってないで、そこに座っててくれ」
 所在投げに応接セットの傍らに立っていた矢部に、三師が声をかけた。
「え?ああっ、ではお言葉に甘えまして…」
 とは言いつつも、階級が二つも三つも上の人間を前にして先に腰を下ろせるわけもない。そんな様子を感じ取ったのか、三師が先に焦げ茶色の本革仕様のソファに腰を下ろした。
 キシッと、鳴る。
「少し時間がかかるんだ、すまないね、呼んでおきながら」
「いやいや、滅相もない」
 ふわり、甘い香り。矢部はふと、眉を潜めた。珈琲の香りに間違いはないが、なんだか妙に甘い。
「…えー香りですね」
「ああ、うん、下の娘が先日グアムの方に行ってきてね。そのお土産なんだ」
「グアムですか」
「そう、新婚旅行でね」
 ああ、と納得する。グアムといえば特産品はコナの珈琲、確か、甘い香りのフレーバー珈琲とかいうのがあったなぁと一人で勝手に頷く。
「お嬢さん、結婚されたんですか」
「ああ、相手は何と10歳も年上なんだ」
 年上。その言葉に矢部は、僅かに反応した。それに気付いて苦笑いを浮かべる。
「随分と離れてはりますね」
「うん、でもなかなか好感の持てる人物でね、気に入ってはいるんだ」
「ほお」
「だけどほら、年の差が僕の方が近いから、なんだかおかしくてね」
「そおですか」
 はははっと楽しそうに笑う三師を見ながら、矢部も笑う。珈琲を口に含みながら。気が付けば、一時間近く経過していた。
「おっと、もうこんな時間か…引き止めて悪かったね」
「いえいえ、楽しいお話をどうもです」
 ふと、電話が鳴った。直通の電話だ、何かあったのだろうと矢部は立ち上がり、会釈しながら部屋を出て行こうとドアの方へ向かう。
「矢部くん」
 が、ドアノブに触れた時、後ろから呼び止められ振り向くと三師が受話器の通話口を手で押さえ、矢部を見ていた。
「え、と?」
「今度…抜沢の墓参り、一緒に行かないかい?」
 少し寂しげな、目。小さく息を呑んでから、声に出さずにはいと答えると、三師の口元にホッとしたような笑みが浮かんだ。
「じゃ、失礼します」
「うん、じゃあ」
 そっと部屋を出ると、珈琲の香りが途切れ無機質な空気の流れる廊下に出た。そうして、自分は警視庁にいたのだと思い出す。
「…あ、そうや書類整理」
 その為に来たのだったと、慌てて公安部へと向かう。だが何となく、警視庁に来る前より気持ちが楽だ。珈琲のおかげだろうか、それとも三師の?
「ま、えーか」

 その頃、科技大では上田と奈緒子と楓が、上田の研究室でまったりと過ごしていた。お祭りには飽きたのか、奈緒子とは楓と応接セットに腰掛けトランプをしている。
 上田はというと、矢部が奈緒子に渡したうさ耳としっぽの飾りをぐちゃぐちゃの机の上に置いて何かしていた。
「YOU、ちょっと」
「ん、なんですか?今いいとこなんですけど…」
 二人がしているのは七並べ。テーブルに綺麗にそれぞれ並べて、もう半分が過ぎた頃だ。
「いいから、こい」
 キラリと眼鏡を光らせる上田。チッ、と小さく舌打ちしながら奈緒子は机に向かう。
「何ですか?」
 ひょいっと、机の前に来た途端何かが頭上に下りた。あまりの素早さに事態が飲み込めない。
「あ、奈緒子さんカワイー」
「は?」
 楓の声にくるりと体を捻ると、腰のところでカチャンと金属音。
「え?」
 目をやると、そこにはふわふわの真っ白いモノ…
「なっ、上田!何するんだ?!」
 ぴょこんと、頭上で何かが揺れる。そうしてやっと奈緒子は事態を把握して、上田に怒りに見た目を向けた。
「お、おぉぅ…」
 睨み付けられた上田は、自分の所業に感動しているようだ。不思議の国のアリス…の、メルヘンで乙女チックな可愛い装いの奈緒子の頭に、うさ耳。そして腰にはふわふわのしっぽ。
「アリスとうさぎの合体がここまでとは…大発見だな」
「ば、馬鹿上田!」
 どこから取り出したのか、上田はカメラを構えて奈緒子を激写している。奈緒子は慌ててうさ耳を外そうとするのだが、ふわっと栗色の髪が横で揺れて手を止めた。
「か、楓さん?」
 真っ赤になる奈緒子の横で、顔を覗き込むように立つ楓。ねこ耳の。
「おそろだね」
 にこっと、無邪気な笑顔。僅かな照れ笑いの笑顔に、奈緒子も思わず表情が緩む。
「うさ耳アリスとねこ耳の女性、なかなかないツーショットだがかなりいい一枚だ」
 調子に乗った上田がぼそりと呟きながらシャッターを押す、すかさず奈緒子が拳を握り締めた。

 ぴょこん、ぴょこん。歩くたびに、耳が揺れる。
「上田先生、大丈夫かな?」
「いいんですよ、あんな馬鹿は放っておけば」
 楓が少し心配そうな表情を、奈緒子に向けていたが。が、当の奈緒子は不機嫌そうに廊下を歩く。
「うっわ、ちょっと見ろよ、あの二人」
 すれ違う学生たちが奈緒子と楓に目をやるが、その不機嫌そうな表情に僅かに後ずさる。
「可愛いけど…なんか生命の危機を感じる」
 そんな声を他所に、二人は歩く。先ほど、奈緒子の振りかぶった拳は見事に上田の顔面にヒットした。いいポイントに入ったらしく、上田は一言も発することなくデスクに突っ伏したのだ。
「ね、奈緒子さん」
 おもむろに、先を歩く奈緒子の腕を楓が掴んだ。怪訝そうに振り向くと、困ったような笑顔を浮かべる楓。
「楓さん…?」
「今日、ありがとう。奈緒子さんがケンおにーちゃん、呼んでくれたんでしょ?」
「えっと…」
 答えられずにいると、にこっと微笑んで楓が先に歩き出す。
「ケンおにーちゃん、元気そうで良かった」
「そう、ですね…」
 これ、返しに行こうか?頭上の猫耳を指差したので、奈緒子ははっとして急に早歩きになったのだが、それはこの際置いておいて。
 奈緒子が思っているよりずっと、楓は強いらしい。
 一時は、矢部の傍を離れることが出来なかったとは到底思えないくらい…もしかすると、一皮向けたのだろうか?
 よく分からないが、楓と一緒にいると強さが垣間見えるのだ。
 その強さには、妙に憧れる…
 しばらくして演劇部の貸衣装コーナーにて衣装を返却しようとすると、係りのものがどうしてもと頼み込んできて、仕方なくアリスの衣装にうさ耳を付けた奈緒子とチェシャ猫の楓はツーショット写真を撮られてしまった。
「ま、いっか。ジュースもらったし」
「写真も送ってもらえるしね」
 やっといつもの装いになった奈緒子の隣で、楓が笑う。いつもの楓だ…
「あ、そういえば楓さん…」
「なーに?」
 もらったジュースのプルタブを開け、缶を傾けながら奈緒子は横目で楓に視線を送った。
 ん?と小首をかしげる仕草がかわいい。


 つづく


久々のアップとなりました。
一体全体、いつになったら終わるのだろうかね…

2007年2月17日



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