[ 第15話 ] 早々と書き上げた報告書を課長の机の上に置き、警視庁を後にした。外は予想以上に肌寒い。 「夜はやっぱまだ寒いんやなぁ…」 見上げる空は雲に覆われて、月も見えない。淋しさが一層募る。 「はよ帰ろ…そんで熱燗で一杯やって寝よ」 足早に道を歩いていると、何だか冷たいものが頬に触れた。雨だ。 「雨か…雨っ?!ぬぁっ、濡れる!!」 頭部に雨がかかるのを恐れ、慌てて走る。そして近くの店に駆け込んだ。まだ降り始めたばかりだったので、心配したほど濡れはしなかったようだ。 ホッと息をつく。 「あぁ、助かった…」 水には弱いのだ。だがこういう日に限って、傘を持ってきていない。もともと警視庁には車を返す為に寄っただけだ、菊地にさえ捕まらなければ、今頃ソファに横になってTVでも見ていたのにと思う。 「どうすっかなぁ…」 不機嫌そうにきょろきょろと辺りを見渡してから、自分が立っている店の看板に目を向けた。居酒屋だ。 「…やむまで、や」 今日は人に奢ってばかりで、財布の中身はかなり寂しい。だが仕方がないと自分に言い聞かせ、店の暖簾をくぐった。 「いらっしゃいませ〜」 こじんまりとした店内から、明るい女性の声が聞こえた。 「持ち合わせ少ないんやけどぉ…」 声をかけながら、はっとした。女性の声に聞き覚えがある。 「あ、矢部さん?!」 思った通り、声の主は奈緒子だった。 「山田…お前、ここでバイトしとんのか?」 「え?えぇ、まぁ…あ、今日のお昼はどうもご馳走様でした」 「あぁ、まぁそれはえーねん…あれや、とりあえず熱燗一本貰うで」 先ほどの事もあってか、妙に気まずい…とりあえず矢部はカウンター席に腰を下ろした。 「熱燗ですね、他には?」 「それだけでえーよ」 「はい、じゃ、少々お待ちください」 一瞬素に戻っていた奈緒子だったが、メニューを聞くとすぐに営業用の表情になり、奥へと駆けていった。店内に客はまばらだ。 「どうぞ、お待たせしました」 すぐに戻ってきた奈緒子が、矢部の前にお銚子とお猪口を置いた。 「おぅ、どーもな。クビにならんよぉしっかりやれよ」 「言われなくてもやりますよ」 コトン…と、お銚子の横に小さめの深皿を置きながら、奈緒子は矢部を睨みつけた。 「ん?なんやこれ…」 「おつまみの塩辛です」 それは見れば分かる、だが矢部は首をかしげた。 「オレ、頼んでない…」 「今日は開店一周年のお祝いで、お客さん全員にサービスで出してるんですよ」 言われて辺りを見渡すと、なるほど他の客の前にも同じような深皿が置かれている。 「あぁ、そぉなんや」 「矢部さんの、ちょっと多くしときましたよ」 「ん?」 去り際に、ちょっと悪戯っ子のような笑みで小さく奈緒子が言った。 「…なんや、気ぃ利いとるやんけ」 かりかりと首の後ろをかきながら、箸を手に取った。塩辛を口に運びながら、ぼんやりと物思いに耽る。店内の静かな雰囲気は、なんだか落ち着く。 クッとお猪口を傾け、日本酒を少しずつ口に含む。 「くぁ〜利くなぁ…」 途端にご機嫌な顔になる。アルコールは好きだ、いい気分になれるし、嫌な事も忘れられる… 「矢部さん、楓さんとこからの帰りなんですか?」 「ん?」 半分くらい呑んだところで、奈緒子が後ろから声をかけてきた。どうやら忙しい時間帯が過ぎたので、手が空いているらしい。 「そうやで」 「でも矢部さんの家って、逆方向じゃないですか?」 「警視庁にな、野暮用があったんや」 「野暮用?」 「お前に話す義理ないやろ、真面目に労働せんかい」 妙に興味深々な奈緒子の額をペチッと叩き、矢部はお猪口に新たに注いだ。 「あにゃっ?」 「キシャー!」 「にゃー!」 勢いをつけて呑んだせいか、回るのが少し早い。妙なテンションで奈緒子を威嚇するが、奈緒子も負けじと対抗してきた。 「お前なぁ…」 「山田さーん、ちょっと手伝ってぇ」 「あ、はーい」 再び額を叩こうとしたところに、店の奥から声がかかり、奈緒子はクルッと踵を返して行ってしまった。 「…何やねん、あいつ」 でもまぁ、なかなかいい雰囲気の店だと、矢部はぼんやり思った。お銚子の残りはゆっくりゆっくり呑んで、つまみの塩辛も綺麗に平らげて、さぁ帰ろうかと立ち上がる。 「ありがとうございました〜」 レジには奈緒子ではない女性店員がいて、その声を背中で聞きながら外に出ようと…して足を止めた。 雨が降っている。やむどころか、かなり勢いづいて降っている。 「雨…」 「矢部さん、傘ないんですか?もしかして」 後ろから声をかけられた。奈緒子だ。 「山田…」 振向くと、いつもの服装の奈緒子だ。さっきまでは店の制服と思しき物を着てエプロンをしていたのに。 「お前、もう仕事終わりなんか?」 「ええ、だってもう11時ですよ」 「ん?」 言われて時計に目を遣り、もうそんな時間なのかと驚いた。 「今日は5時から出番だったんですよ、私」 「そぉなんや…」 「で、傘、ないんですか?」 「まぁ…な」 小さく溜息をつく矢部を見て、奈緒子は店の奥へと駆けていった。首をかしげる矢部だったが、奈緒子はすぐに戻ってきた。その手には二本の傘。 「これ、どうぞ。随分前の忘れ物らしいんですけど、全然取りに来ないんで置き傘になってるんですよ」 「ん、おぉ、悪いな」 「後日返してくださればいいんで」 「ホンマ、助かるわ」 心底そう思った。 「やっぱりソレ、水に弱いんですか?」 「んん、まぁなぁ…って、いや、何の事やねんっ!」 さっきは叩きそびれたが今回は…と言わんばかりに、奈緒子の額を勢い良く叩いた。相変わらずいい音がする。 「あたっ?!…もう、叩かないで下さいよ。傘、返してもらいますよ!」 「そんなん知るかっ!」 さっさと外に出ると、奈緒子も文句を言いながら後についてきた。 「…何でお前ついてくんねん」 「同じ方向ですもん」 「駅は向こうやろ」 逆方向を指し示すと、奈緒子はちらっと後ろを見てから視線を前に戻し、むっとした顔で口を開いた。 「たかが4駅、これくらいなら歩くのが普通です」 「ケチくさいなぁ…電車賃ないだけやろ?」 「そうともいいます…」 しゃぁない奴や、と続けながら、とりあえず二人並んで歩き始めた。 「あー…、さっき言うとったアレってバイトの事やったんか?」 話す事もないので、ふと思いついた事を口にしてみた。 「さっき?あ、あぁ…えぇまぁ、そうですよ」 「何で言い淀むねんっ」 「気にするな、サクサク進むぞ!」 「って、お前が仕切るなっちゅーの!」 どうも奈緒子といると調子が崩れる…そんな事を思いながら苦笑を浮かべ、てくてくと雨の夜道を歩く。 「…矢部さん、楓さんには優しいですよね」 「ん?まぁ…な、妹みたいなもんやし」 聞かれた事に素直に答えると、奈緒子は何だか嬉しそうに微笑んで、軽快に歩き出した。 「なんやねん、お前…」 「矢部さんにもそういうトコ、あるんですね」 「そういうトコってどんなトコやねん」 「そういうトコはそういうトコですよ」 妙な遣り取りに釈然としないまま首を傾げるが、奈緒子が何だかご機嫌な様子なので、それ以上は突っ込まない事にした。 「まぁえーわ、お前んちこっちやったな?一応お前も女やから送ったる」 「どーも」 何だかんだ言い合いながら奈緒子を池田荘まで送り、そのまま歩いて自分の住むマンションまで帰った。 一日中動いてばかりいたのですっかり疲れて、ベッドに倒れこむようにして寝入ったのだった。 つづく う〜…間を空けるとおかしな出来具合になりますな(汗) 恋愛の途中過程って難しいね… でもかっこいい(良い人っぽい)矢部さんを書くのって楽しい。 長く書けたらいいなぁ… 2004年4月15日 |
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