[ 第21話 ]


 その鳶色の目を大きく見開いたままで、立ちすくんでいた小さな栗色の髪の少女は、今も変わらず、声を押し殺して泣いている。

 それを知ったのは、ニ週間にも及んだ張り込みの手伝いを終えて、警視庁に戻った朝の事だった。
「矢部、ちょっと来い」
 大きな欠伸に続き、伸びをしていた矢部を抜沢が手招きして呼んだ。
「何ですか?今日はもぉ帰って寝よかと思とるんですけど…」
 参勤交代とはいえ、長期に渡る張り込みは辛い。若い矢部ですら、体力的に疲労困憊気味だった。使用していない取調室に入ると、小さな欠伸をしてふにゃふにゃと眠そうに揺れる矢部を一瞥して、抜沢は困ったような表情を浮かべてゆっくりと口を開いた。
「椿原って、お前が担当してる協力者の名前だよな?」
 言葉を選ぶように、慎重に。
「えぇ、あと、ちょっとした知り合いで…」
 嫌な予感が胸をよぎる。
「それが、何か…?」
 そう続けながら、緊張気味に背筋をピンと張る。何でもなければいいと祈りつつも、それも有り得ないとこの状況では思わざるを得ない。
 抜沢は矢部の表情を窺いながら、ぼそりと呟いた。
「死んだよ、椿原夫妻、二人とも」
「えっ…」
「殺しだ。昨日の晩…捜査一課が現場に向ってる」
 寒気がした。背筋が凍りつくような、恐怖に似た何かが体中をめぐる。
「そん…え?あ、あの…」
 続く言葉が出てこない。
「犯人はまだつかまってない」
 抜沢の言葉に、フッと頭をよぎる少女のあどけない笑顔。
「あっ、かえちゃん…は?ちまい女の子がいてるはずなんですが…」
 中途半端に固まった手に力が入る。抜沢が死んだと言ったのは椿原夫妻、二人…ならあの子はどうしたのだろうかと、矢部は詰め寄る。
「詳しい事は分からないが、所轄署の方で保護されてるんじゃないか?」
「どこの所轄署ですかっ?!」
 つかみ掛からん勢いの矢部の目前に、抜沢は数枚の用紙を出した。
「先輩?」
「今現在集められる情報、まとめといたから…行ってやれ」
「先輩っ…スミマセン、恩に着ますっ!」
 ひったくるようにその資料を受け取り、矢部は駆け出した。警視庁を出るとすぐさまタクシーに飛び乗り、資料を読みふける。
 ────…椿原元光、遥、両名死亡。死因、頭部挫傷…
 その、目をそらしたくなるような事実に、矢部は眉を顰めて歯を食いしばった。
「お客さん、つきましたよ」
 タクシー運転手に声をかけられ、我に帰る。素早く支払いを済ませると、足早に署内に踏み込んだ。朝早いだけあって、閑散としている。
「あのっ、警視庁の矢部いうんやけど、昨夜の椿原夫妻殺害事件の捜査本部はどこ?」
 受付の若い制服警官は、突如現れたコテコテの関西弁を話す警視庁の人間に戸惑いながらも、二階にある大会議室を教えてくれた。階段を駆け上る。
「あれ?矢部…?」
 二階の広い廊下でキョロキョロしていると、突然正面の部屋から見覚えのある男が出てきて声をかけてきた。
「井村!お前、椿原夫妻の事件の担当か?」
「お?おぉ…そうだけど、なんでお前がここに?」
 同期で警視庁に配属された、顔なじみの井村は、捜査一課の人間だ。戸惑いながら答える井村に、矢部はこれでもかと言う程顔を近づけ、真剣な眼差しで詰め寄る。
「女の子や!」
「は?」
「殺された夫妻の一人娘!今どこおんねん?」
 心臓がバクバクなっている…
「あ?あぁ…あの女の子なら三階の生活安全課の方に」
「サンキュ!!」
 何か続けて言うおとしていた井村を余所に、再び階段を駆け上る。生活安全課の札を見つけて中に入るが、そこにはちらほらと少年少女に説教をしている制服警官の姿しかなく、幼い少女は見当たらない。再びキョロキョロしていると、制服警官の一人、中年の男性が矢部に気付いた。
「どうかされましたか?」
 声をかけられて、ハッとそちらに顔を向ける。
「あ、あの、こっちにちまい女の子が保護されとるって…」
 どう言えばいいのか急にわからなくなり、しどろもどろに言葉を続ける矢部に、制服警官は首をかしげていたが、あっというような表情に変わった。
「昨日の事件の?お知り合いの方ですか?」
「はぁ、まぁ…その子、どこに?」
「こっちですよ」
 制服警官に案内されて、生活安全課内にある奥の部屋へと向う。
「ちなみにオタク、どういう知り合いで?」
「どうって…あ、自分、警視庁のモンです」
 慌てて懐から取り出した警察手帳を提示すると、制服警官は不思議そうに矢部の顔と警察手帳を見比べた。まぁ、無理もない。
「警視庁の…ほぉ、公安の方ですか。ま、でも助かりますよ、お知り合いの方がいらしてくれて」
「は?」
 いやに長い時間歩いているような気がしていたが、それは制服警官の歩く速度がゆっくりなせいらしい。意味深な言葉に、今度は矢部が首をかしげる。
「いやね、保護した女の子、全然喋らないんですよ。何を聞いても押し黙ったままで」
「ホンマですか?」
「本当だよ、嘘ついてどうするの」
「あ、すんません」
「でもまぁ、仕方ないんだけどね。あの子、通報受けて捜査員が現場についた時、遺体のすぐ近くに立ってたらしいから」
 それを聞いて、矢部の顔色が変わる。
「遺体の、すぐ近くに…?」
 言葉を繰り返す。
「そう。あ、この部屋だよ」
 制服警官は言いながら、突然ピタリと立ち止まり、目前のドアノブに手を伸ばした。そして静かに開ける。
 矢部はすぐに、その姿を見つけた。
「あそこに座ってるでしょう?」
 すぐ隣で言う制服警官の声は、矢部の耳には入ってこなかった。
 その部屋の片隅の、薄汚れたソファの上。肩に毛布をかけて、目を見開いたまま、その小さな少女は膝を抱えて座っていた。
「か…」
 かすれた声で、でも一度やめる。呼吸を整え、矢部は真っ直ぐに前を見据えた。傍らで何か話し掛けている婦人警官がいるが、構わず口を開く。今度ははっきりと。
「かえちゃんっ!」
 俯き気味だった楓が、ハッと顔をあげた。
「かえちゃん…」
 もう一度名を呼ぶ。すると楓は、婦人警官が制止するのを振り切り、ソファを降りて矢部の元へと駆け寄ってきた。そして、膝を付いて腕を広げ、迎える準備万端の矢部に結構な勢いで抱きついて、その上着の袖をギュッと握り締めた。
 カタカタと小さく震える肩を、抱きしめる。
「かえちゃん…」
 名前を呼ぶのは三度目。何とか落ち着かせようと、なるべく優しく声をかける。
「…っく、ひっく」
 しゃくりあげる声が矢部の耳に届く。顔は見えないが、泣いているのだと分かった。グスン、グスンと、一言も発する事無く泣き続けている楓を、矢部は一層強く抱きしめた。
 何度も何度も、髪を撫でながら。


 つづく


少し短め〜
楓の過去もちらほらり…
書きたかったシーンがぼちぼちでてきました。
2004年6月10日夜完成

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