[ 第27話 ]


 妙にそわそわして落ち着かない。
「あ、矢部さん、おはようございます」
 警視庁に着くと、待ち伏せていたかのように菊池が現れた。
「よぉ、昨日、どうやった?」
 片手を上げながら、そっけなく答える。
「万事順調に済みましたよ」
「ほーか…あぁ、じゃぁあいつらは?」
 矢部はどこかだるそうに、横目で菊池を見遣りながら言う。
「あいつら…あ、昨夜の男達ですね。一課の方で取り調べしたら、ボロボロ前科が出てきましたよ。矢部さん大手柄!」
「オレの実力を持ってすれば、カルいカルい」
 そこでやっと、笑む。どうやら少し緊張していたようで、矢部のそのいつもの笑みを見て緊張が緩んだのか、菊池も同様に笑顔を浮かべた。
「もしかしたら特別功労賞とか出るかもしれませんよ?警視総監賞とか…矢部さん貰った事、ないですよね?」
 気を利かせて持ち上げるつもりで言ったのだろう…だが当の矢部は、その言葉に途端に表情をゆがめて不機嫌そうに菊池をにらみつけた。
「え…?」
「いるか、あんなもん…」
 矢部の口から、信じがたい言葉が出てきた。
「え?い、いらないんですか?そりゃぁ僕に限っては何年かすれば警視総監そのものの役職に就く事になるのであまり欲しいとは思ったりしませんが、矢部さんみたいにそういうものにあまり縁の無い人は喉から手が出るほど欲しいんじゃっだっ?!」
 そこまで言った時、矢部の鉄槌が飛んできて菊池は目から星が出るほど頭を殴られた。
「っだー…な、何で殴るんですか、たんこぶ出来ますよ、これ…」
「一言多いんじゃボケェ、何が縁の無い人間や…」
 確かに普通に仕事をしていればもらう機会など無いものだが、矢部にとってはそう縁遠いものでもないのだ。何も知らないとは言え、菊池は矢部の確執僅かだが触れてしまった。
「はぁ…」
「はぁちゃうわ、それよりオレ、今日は早めに上がるからな」
 雰囲気を変えるために、矢部は話を切り替える事にした。そうでもしないと、思い出したくない事を思い出してしまうから。
「え、今日もですか?」
「なんや文句あるか?」
 ギッと睨み付けると、菊池は慌てて視線をそらした。
「あ、でも課長が…」
「あぁ、そうか…昨日の事もあるんやったな、じゃぁオレから説明しとく」
「え、珍しいですね…大丈夫ですか」
「課長もそこまで鬼とちゃうやろ、話せばわかってくれる…って、何言わすんや」
「誰もそこまで聞いてませんってば」
 警視庁の廊下を歩きながら、ふと矢部は窓の方に目を遣った。あぁ、せっかく空気を変えて思い出さないようにしてたのに…
 矢部の脳裏に、あの日々の出来事が蘇る。

「…あの、センセー、どうですか?」
 都内にある警察病院、小児診療内科。診察室では矢部が、若い医師を前に神妙な面差しを浮かべていた。
「事件の現場に居たそうですね、彼女」
 医師は穏やかに口を開く。若くても腕はいいと、なかなかの評判なのだ。
「えぇ、まぁ…」
「典型的な、精神性失語症ですよ。両親との突然の死別、なおかつその現場に居たとすれば、悲しみや恐怖など、さまざまな感情が入り混じり、今の彼女の心は混乱状態にあるんですよ」
 抜沢の言った通りだった。
「それは、治りますか?」
「もちろん。周りの協力次第ですが、必ず喋れるようにはなるでしょう」
 その言葉に、矢部はふっと笑みを浮かべた。
「良かった…」
「心配ないでしょう。彼女、精神的に傷つき混乱状態になってはいますが、笑ったり、人とコミュニケーションを図る事事態は拒否していませんし、回復は早いと思いますよ」
「そーですか」
 心底嬉しそうに笑う矢部を見て、医師は続ける。
「労わって、なおかつ普段通りに接してあげてください」
「はい」
 ありがとーございましたっ!と深々と礼をして、矢部は診察室を出た。待合室の紺色のソファに、楓が座っている。看護婦にでも貰ったのだろうか、手には棒付きの飴。
「かえちゃん」
 名を呼ぶと、ふっと顔を上げて笑い、持っていたその飴を矢部に差し出した。
「飴貰ったん?良かったなぁ〜」
 コクコクと頷いて、包装紙をめくって一舐め。おいしそうな表情を浮かべ、また矢部に差し出した。
「ん?オレも舐めてえーの?」
 コクンと頷く。その仕草が可愛らしくて、矢部も差し出された飴をぺロッと舐めた。
「あぁ、おいしーなぁ。ありがとぉ」
 そう言いながら髪をなでると、楓は嬉しそうに笑って空いた方の手で矢部の手を握った。
「ほな、行こか?」
 その手を握り返して病院を出るが、そこで問題が起きた。楓をどこに連れて行けばいいのだろうか…
 ふと、楓を見遣る。楓は矢部の手を握り締めたまま、飴を美味しそうに舐めている。この手を離してはいけない…不意にそう思った。
「おい…」
「あ、先輩」
 呼び止められて顔をあげると、そこには眉を顰めた抜沢がいた。
「あ、先輩…じゃねーよ、なんだよ、これ」
 ここは警視庁。そして抜沢は、どこか不機嫌そうだ。
「これって言わんといてくださいって言ったやないですか」
 抜沢が見下ろしているのは、小さな楓。
「そーゆう問題じゃねぇ。なんでこのちびがまたここにいるんだよ」
 楓は抜沢に見下ろされて、どこか不安そうだ。
「だって先輩、どこに連れてく言うんですか?頼れる親類もいないのに…」
「だからってここに連れて来るこたないじゃねーか。病院とか、あるだろう、他にどっか…」
 深く溜息をついて、抜沢が言う。
「そやけど…」
「あ?」
「そやけどオレ、出来る限りこの子の側におってあげたいんですよ」
 妙な、親心のようなものが芽生えているのかもしれない。厄介な奴だとでも言うように、抜沢は軽く矢部を睨みつけてから突然踵を返して歩き出した。
「せ、先輩?」
 公衆電話の方へと歩いていく抜沢の背中を、楓の手を握ったまま追いかける。
「俺の知り合いに、そういうガキの面倒を見てる施設を経営してる奴がいる」
 ボソリと一言。
「え?」
「幾らなんでも、ここに置いとくわけにもいかねーだろう。とりあえずはそこで面倒見てもらって、お前は毎日通えばいい」
 反対する隙すら与えずに、抜沢はダイヤルを回してその話を知り合いとやらにし、早々に許可を取り付けてしまった。
「先輩、でもオレ…」
 ずっとそばに…そう言いかけて、淀んだ。
「ばかやろー、刑事だろ、お前。チビが大事で心配なのは分かるし、そう思うことは大事だけど、自分が刑事だって事は忘れんな」
 仕事に専念しろ。そう言い残して、抜沢は捜査本部の方へと行ってしまった。


 つづく


あー、難しくなってきた。
しかし、結構続いておりますね、この話。かなりの長編ですね?(笑)
TFSより長くなっております…がんばろ、終わらせられるように。
さーてさて、抜沢が再び登場。この人、結構好きです。
矢部の原点の人。
2004年8月3日

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