[ 第29話 ]


 SWの本部に行くと、蔵内は今外出中だと言われた。
「そうかい、じゃぁ待たせてもらうよ」
 受付にいた女性に有無を言わせずに、ずかずかと上がりこむ抜沢。矢部はその後を慌てて追う。この男とは長く仕事を共にしているが、なかなか本気を出したところを見る機会はなかった。
「あ、あの、蔵内はもしかしたら、戻りが遅くなるかもしれないのですが…」
 おどおどと、受付の前に置かれた椅子にどっかりと座り込んだ抜沢に女性が声をかける。あまり居座られたくないというのが、あからさまに見て取れる。
「悪いがこっちは殺人事件の捜査なんだ、戻るまで待たせてもらう」
 抜沢は、女性に目も向けずに煙草に火をつけながら言う。小さく吸い、灰色の煙を吐く…その一連の動作を終えてから、やっと女性に目を向けた。
 その眼光は、隣に座る矢部でさえ、背筋が凍りつきそうなほど鋭いもので、女性は数秒間ほど固まっていた。無理もない…そう思いながらおもむろに矢部は立ち上がり、ポン…っと軽く肩を叩いた。
「あっ、あの、え…と」
 はっと我に帰り、女性は怯えた表情でふと、その部屋の上隅の備え付けられた警備用のビデオカメラに視線を送る。
 ───ガチャリ…数分後、奥へと続くドアが開き、若い男が慌てて矢部たちの前に現れた。
「どうもどうも!刑事さんをお待たせしてしまい大変申し訳ない!」
 嫌に声のでかい男だ。どうせどこか別の部屋で、カメラからの映像を見ていて慌ててやってきたのだろう。
「あぁ?」
「蔵内に御用だとか、ただ今ポケベルで呼び出しをかけているところでして…連絡がきたらすぐにここに戻るよう伝えますので、どうぞこちらでお待ちください!」
 どこか急いたように、若い男は矢部と抜沢を、自分がたった今出てきたドアの方へと誘った。ここにいられるのはまずいと、そんな表情が窺える。
「先輩」
 とりあえず矢部は立ち上がる。先ほどの受付の女性は、いつの間にか受け付け席にてこちらの様子を窺っている。
「あんた、名前は?」
 唐突に、腰を下ろしたまま抜沢が口を開く。
「は?」
「アンタだよ、名乗りもしねぇ奴の案内は受けたくなくてね」
 抜沢の纏う雰囲気は、もう誰が見ても、普通ではない。ピンと張り詰めた空気、鋭い眼光、そしていやにでかい態度。カタギにはまず見えない。
「あっ、これは申し遅れました!ワタクシ、受付事務案内担当の、瀬原(せばら)と申します」
 一瞬慄いた男は、慌てて口を開く。
「瀬原さんね、分かったよ、こちらとやらに案内してもらおうか」
 どこまでも横柄なその態度に、刑事とはこうでなくてはいけないのかもしれないと、立ち上がる抜沢を見ながら思う。
「おう矢部、こっちだとよ」
「あ、はいっ」
 瀬原に案内され、通された部屋に入り、矢部は息を飲んだ。その部屋は、妙な空気を感じるほどに、異様な雰囲気が詰まっている。
 壁は、白。真っ白。天井は赤、床は黒。銀色の応接テーブルと、深緑のソファ。
「エラく趣味の悪い部屋だな」
 抜沢のボソリと呟く言葉に、勢いよく頷く。
「そう思われますか?これらはみな、風水と霊科学を元に、当センターの専属デザイナーが仕上た部屋なんですよ」
 瀬澤が鼻高々に説明するのを流しながら、部屋をもう一度見渡す。
「居心地の悪い部屋だ」
「いや、先輩、はっきり言い過ぎですて」
 そうは言いながらも、矢部自身もこの部屋はどうも落ち着かない。出されたお茶からすら、妙な香りがする。
「これは健康茶なんですよ」
 訝しげな矢部に弁解がましく瀬原が説明するが、結局抜沢も矢部もそのお茶には手をつけなかった。
「おっせぇな〜、蔵内の野郎…いつまで待たせやがんだか」
 30分ほど経った頃、唐突に抜沢が口を開いた。ダンッ、と足を応接テーブルの上に上げ、くつろぎ体制だ。
「先輩、足、足!」
 慌てて諌めるがが、抜沢にそれが通じるわけがない。
「かったるいんだよ、少しくらい大目に見ろ」
「大目にって…」
 大概何を言っても聞かないのがこの男だ。矢部は小さく息をついてからニヤリと笑んだ、抜沢らしいと。
 抜沢は、異種だ。警視庁の公安の中でも、ずば抜けて異種。横柄な態度や、一人で勝手に動くとこなど、いわゆるはぐれ者。だが、その実力は上も認めている。だからこそ、公安と言う場所で長年もやってこれたのだ。
「何にやにやしてんだよ、気味悪い奴だな…火」
「あ、はいはい」
 懐から出した煙草を咥える、慌てて火をつける。
「くぁ〜………効くなぁ」
 灰色の煙を燻らせるのを見て、正直かっこいいと思う。その姿は、例えどんなに自分勝手で横柄でも、自分の憧れた刑事の姿なのだ。
 だから矢部にとって抜沢は、憧れであり目標である。自己の正義を貫く姿が、たまに眩しくてたまらない。
「先輩の、正義ってなんですか?」
 不意に気になって、聞いてみた。
「あぁ?」
「いや、あの、ちょぉっと気になっただけなんで…」
 煙草を口に咥えたまま、小さく笑った。
「俺の正義は、俺だよ」
 その言葉には、胸を打たれる。誰かの決めたものではなく、抜沢の正義は、抜沢が見て感じ、その上で自身が決める物なのだろう…
「って、何言わせんだよっ!」
 テーブルの上にあった足が、有無を言わせず矢部に向けられる。
「あたっ、す、すんませんっ!」
 蹴られて謝っているところに、突然ガチャリと戸が開かれた。二人はほぼ同時に、ドアの方に目を向けた。
 そこには一人の男が立っていた。端整な顔立ちにすらりと伸びだ足、女性受けが良さそうだと、初めて会った時に思った事を思い出す。
「お待たせして申し訳ない、ご無沙汰です」
 男はにこっと、笑顔で口を開いた。
「いよう、相変わらずてめーはキザくさい奴だな」
「顔がいいのとこの性格は変えようと思っても変えられませんから」
 皮肉じみた抜沢の言葉をさらりと受け流し、男は笑う。それからフッと矢部に目を移した。
 この男が、蔵内宣夫だ。
「どうも、矢部さんも、お久しぶりですね」
 抜沢よりは年下で、矢部よりは少し年上。黒いスーツに黒いシャツを着ているので、まるでホストのようだ。
「どうも…」
 蔵内は不自然な程愛想が良く、矢部はどうにも落ち着かなかった。
「で、僕に何か?」
 向かいのソファに腰掛けながら、笑顔のまま蔵内は抜沢に声をかけた。
「白々しいぜ、蔵内。お前んとこの会計士殺害の事件での聞き込みだよ」
 ドカッと、抜沢はテーブルに脚を置きなおし、蔵内を睨みつけるかのような目つきで見遣る。
「ああ、その件ですか。うちも困ってるんですよ、椿原…さんでしたっけ?彼はとても優秀だったし」
 蔵内の口から椿原の名前を聞いた時、矢部の心臓が小さく跳ね上がった。緊張しているのかもしれない…
「おまけに、彼の持っていたうちの会計資料が丸ごと持ち出されてるそうじゃないですか。本当に、だから困ってるんですよ」
 はぁ、と大きく息をつく蔵内は、一年前のそれと全く変わっていないように思える。
「蔵内」
 それを、抜沢も感じていたのだろう。
「なんですか?」
 矢部が言おうか言うまいか悩んでいる間に、抜沢が声をかけた。
「お前、土原の兄貴はどうした?」
 土原の兄貴と言うのは、蔵内が慕ってやまなかった一年前の事件の主犯、某暴力団の幹部だった男だ。
「あの人は、いませんよ」
 一瞬蔵内の表情が、沈んだように見えた。
「なんて、ね。土原さんはまだ獄中生活ですよ」
 クククッと笑む姿は、何を考えているのかさっぱりつかめない。それだけに、妙な威圧感すらある男だ。
「ちっ、ロクな話は聞けそうにないな。帰るぞ、矢部」
「え?あ、はい」
 抜沢は何かを掴んだのだろうか?それともただ本当に、この男から話を聞くのは無理だと思ったのだろうか?苛付きながら思いを巡らせていると、ドアのところで突然抜沢は立ち止まった。
「先輩?」
「蔵内、覚えておけよ」
 この威圧感は、誰が放っているものなのだろう…?
「なんですか?」
「直接手を下したのは土原かもしれないが」
 淡々と、抜沢は続ける。
「一年前の事件の主犯はお前だと、俺は思ってる」
 空気が、凍りつく。
「そうですか、でも僕には何の罪も課せられる事はありませんでしたよ。こうして今も、こっち側で生きている」
「…いつか尻尾を掴んでやるさ」
「頑張ってください」
 ニコニコと、笑顔を崩さない蔵内と、無表情で冷たくそんな蔵内を睨みつける抜沢の間で、矢部は複雑そうな表情を浮かべていた。
「…行くぞ」
「え?あ、はい」
 抜沢がドアノブに手をかけて、開ける。
「矢部さん、忘れ物ですよ」
 不意に、後ろから蔵内が声をかけた。
「え?」
 振向くと、その手にはライター。恐らく抜沢の煙草に火をつけるときに出して、そのままにしていたのだろう。
「あ、すんませ…」
 慌ててそれを手にとり、再び踵を返した時、蔵内が矢部の耳元で小さく囁いた。
「…え?」
 聞き返そうとしたが、ドアの向こうで抜沢が待っている事を思い出し、そのまま部屋を出た。
「ん?どうした、矢部」
「え?」
「顔色悪いぞ」
 目の前は、真っ暗闇だと思った…


 つづく


蔵内は食えない男です。
細面の色男だけに、いやぁ〜なタイプです。私も苦手。
一体矢部に何を吹き込んだのでしょうね、次回、明らかにします。
矢部にとって、知りたくなかった事実。
あー、面白くなってきた(笑)

2004年8月10日

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