[ 第32話 ]


 車に戻ると、運転席の菊池が顔を屈めた状態で前を見据えていた。その視線の先を追うと、一人の男が立っている。
「あいつや…」
 白い建物から少し離れ、煙草を吸っている。ちょっと一服…そんな感じだ。
「あ、矢部さん」
 車内から小さな声、菊池が戻って来た矢部に気付いたのだ。
「ちょっと待っとれ」
 自分でも、その行動の意味が分からなかった。そこに菊池を残したまま、矢部は男に近付いたのだ。
「や、矢部さん?!」
 近くまで寄ると、男も気付き矢部を見た。
「どうも〜」
 矢部はにこっと笑みを投げかける。一瞬訝しげな目つきをする男だったが、その笑顔に釣られるように笑みを向け、会釈した。
「どうも、こんにちわ。入会希望の方ですか?」
 その口調から、どうやら矢部だと気付いていないようだった。
「とんでもない。珍しゅうとこで会ーたから、挨拶でもしとこ思て」
 関西弁に、男は首をかしげる。
「…どこかでお会いしましたっけ?」
 瀬原は一層首を傾げ、矢部の顔をじっと見つめた。
「嫌やなぁ、忘れてはるんですかぁ?」
 にっこり、悪意のない、けれど意味ありげな笑み。
「えーっと…」
「十…七、八年前に会ーたやないですか、瀬原さん」
 矢部の言葉に、瀬原は小さく肩をビクッと震わせ、僅かに反応を見せた。
「…警視庁の?」
 恐る恐る口を開く。
「えぇ、まぁ。今も警視庁に勤めとるんですわ」
 首の後ろをかきながら言う矢部に、瀬原はハッとした表情を浮かべた。目を見開き、どこか不思議そうな表情だ。
「あっ、あ〜…あの、蔵内の…」
「SWが無ぅなって、今度はこっちに入られたんですなぁ」
 軽いイヤミのような言葉を向けるが、当の瀬原は至って、むしろ懐かしそうに目を細めながらまじまじと矢部を見遣った。元は、気のいい人間なのかもしれない。
「ええ、私は何かに縋らないと生きていけないもので…えっと、お名前は何と仰いましたっけ?」
「矢部ですぅ」
「あぁ、そうそう。矢部さんと仰いましたっけね…あ、あの人は?」
 今度は矢部が首をかしげる番だ。
「…あの人?」
「ええ、あの…ほら、SWに蔵内を訪ねてきた時にご一緒だったちょっと恐い方」
「あぁ…」
 にこにこと、昔と全く変わらない低姿勢な瀬原は、力なく微笑む矢部を見て再び首をかしげた。
「瀬原さん…アンタ、何も知らんのやなぁ…」
 SWで、瀬原は一応幹部候補とされていた。だが、元がこういう性格なものだから、結局内側にいる事は出来なかったのだろう…良い外面として、受付を任せていた当時のSWの幹部たちの気持ちが分かるような気がした。
「は?何かあったんですか?私はあの、SWの壊滅の真相が未だに分からないものでして…」
「いやいや、知らん方がええ事も時にはありますよって」
「それはそうですが…」
「まぁまぁ、ほな、自分はこれからまだ仕事があるんで…」
 新しい道を歩んでいるこの男に、新たに傷を付けるのは無意味だ。あの男の全ては暗闇に置いておけばいい…そう思いながら、矢部は片手で別れを告げ、その場を離れようとした。
「またどこかでお会いできると面白いですね」
「そうですなぁ…あ、瀬原さん。今日オレとここで会ーたんいうんは、内密にお願いしますねー」
 え?と、不思議そうに顔をゆがめる瀬原。
「あ、あの…矢部さん、もしかして今、うちを調べてらっしゃるんですか?」
 さすがにそこまで抜けているわけじゃなさそうだ。
「内密に、お願いしますよぉ」
「そう、ですか…」
 過去の蔵内ではないが、自分の所属する組織が悉く警察の管下に置かれているという事実に、瀬原は絶望しているようにも見える。
「ま、まぁまぁ。まだ初期段階に入ったばっかりなんですわ、何かやらかしたわけでもあかんし…そないに心配せんでも大丈夫や無いですか?」
 わからんけど…と小さく続けながら、なぜこの男を励ましているのか、矢部にも不思議だった。
「そ、そうですよね。ここは新しいパライソ…素晴らしいところなんですよ」
「はぁ、そうですか…あ、ほな、ここで」
「あ、お引止めして申し訳ありません。良かったら今度、中をご案内しますよ」
「まぁ、機会があれば」
 苦笑いを浮かべて、矢部は何とかその場を離れて菊池の待つ車へと早足で戻る事が出来た。着くと、何故か溜息が出る。
「矢部さん」
「おぅ、なんやぁ」
 助手席に乗り込む矢部に、菊池が声をかける。
「何か分かりましたか?」
「いーや、何も分からん。ただ、瀬原は何も知らないっちゅー事くらいかな、強いて言うなら」
 SW所属時も、今も。
「そうなんですか?」
「そうみたいや…って、何べんも言わすな」
 疲れる。なぜそう思うのか分からないが、終わったはずの過去の事件を思い出す度に、何故か今とシンクロするのが気にかかった。
「張り込み続行ですね」
「ん〜…」
 気のない返事をしながら、またもダッシュボードに足を上げて腕を組み、車の天井に目を遣った。潔癖症の菊池がいつも選ぶ車だけに、シミ一つ見当たらない…
 早く帰りたい…唐突にそう思った。楓の笑顔を見れば、頭の中にぼんやり広がる靄もすっきりするかもしれない。実際にそんな事はありえないのだが、ついそう思ってしまう。
「あかん…」
 小さく呟きながら、親指の爪を噛んだ。
「え?何かまずい事でも起きましたか?」
 当然の事ながら、運転席の菊池が反応を見せた。煩わしくてしょうがないとでも言うような視線を菊池に送り、矢部は小さく唸るように口を開く。
「独り言や」
「あ、すみません…」
 さっと視線をそらす菊池。矢部から、何か言い様の知れぬものを感じとったらしい。
「過去は、過去や…」
 矢部がそう呟くと、菊池は再度肩をピクッと動かしたが、それだけに留まった。その様子を見て、口元を緩ませる。最近になってようやっと、馴染んできたような気がするのは気のせいだろうか…扱いづらい上にキャリアのお坊ちゃん、だが今は自分の部下だと。
「菊池」
「あ、はい」
 ぱっと、菊池は矢部に目を向けた。
「お前、公安来てどんくらいなるん?」
 おもむろに問う。
「え?えー…っと、もうすぐ一年です」
「そうか…仕事は慣れたんかぁ?」
 ふと、菊池は首をかしげた。なぜに突然矢部がこんな事を言うのか、不思議そうに眉を顰める。
「えぇ、まぁ…」
「ほーか…」
 矢部は車の天井を見上げたままの状態で、目を閉じる。
「矢部さん?」
「…公安は長くおる場所や無い」
「え?」
「ま、お前はどうせ、すぐに出世コース乗って出てくやろうから関係ないわな」
 ただ単に、言ってみただけだった。だが菊池の耳には、そうは聞こえない。ひがみの様にも聞こえるし、忠告のようにも聞こえる。
「…矢部さんはどうなんですか?」
「あ?」
「公安には、どのくらい?」
「オレか?オレは…もう、20年近くやな」
「長くいるじゃないですか」
「オレは別や」
 ふぅん…と、納得しないように息を漏らす。
「仕事、楽しくないんですか?」
「アホやな、お前」
「質問に答えてくださいよ」
 妙に、食い下がってくる。
「長くいる場所じゃないのに、どうして矢部さんは20年近くもここで仕事をしてるんですか?」
 しつこく食い下がり、菊池は続ける。
「仕事が楽しいからとか、そういうのじゃないんですか?」
 何だか少し、苛々してくる。菊池の茶色い髪の毛を見ながら、矢部はふとそう思った。


 つづく


後半ぐちゃぐちゃやっ!
もう眠いよ…誤字だらけな気がする、でも寝よう…
続き、どうなるんでしょうねぇ…

2004年8月28日AM2:00


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