[ 第34話 ]


「それより、何やいい匂いするなぁ…何作ったん?」
 楓の髪をなでながら、矢部はクンクンとわざとらしく鼻を鳴らして笑った。
「ハンバーグ作ったの!あとポテトサラダと…」
 パッと、楓の表情が明らむ。
「ああ、いやいや。後は見てのお楽しみ、やろ?」
 その表情をみて、矢部の顔も心なしか明るむ。
「あ、うん。そう」
 二人並んでリビングの方へと歩いていくと、どうやら照明も含めて大掃除をしたらしい。部屋が、やけに明るい。
「…かえちゃん、疲れてへん?」
「え?何で?」
「部屋…大掃除したやろ?」
 クスリと、楓は小さく笑った。矢部もつられるように、笑みを浮かべる。
「そうでもないよ。部屋にこもってただじっとしてるより、お掃除とか料理とかで体動かしてる方が楽しいでしょ」
「まぁ、それもそうやけど」
 そんな事より!と、楓は矢部の背中を押しながら、リビングを指差した。指先を目で追って、つい、目を丸くする。まるで自分の部屋じゃないように見える。
 どこから引っ張り出してきたのだろうか、テーブルの上にはパステルカラーのチェックのテーブルクロス(と化した大きな布)と、ガラスのコップに活けられた野花。そして食器の上に盛られた料理。
「ケンおにーちゃん」
 矢部の後ろで、楓が口を開く。
「あ?」
 驚いた表情のままで振向き、見遣ると楓は照れくさそうな笑顔を浮かべている。
「どうかな?驚いた?」
 ピカピカの室内、明るい照明。部屋の雰囲気すら、違って見える。
「あー…」
 言葉が続かないのは、楓のその笑顔がやけに眩しく見えるからかもしれない。
「え、何?」
 フッと、楓の表情が不安そうに歪む。
「お…」
「お?」
 少し、ほんの少しだけ意地悪したい気持ちになるが、そこをグッと押さえ、矢部は微笑んだ。
「おっどろいたで、部屋はピカピカ、料理はいい匂い。ホンマに驚いた」
「本当?!」
「ホンマや。かえちゃん、すごいなぁ。何やオレ、急にハラペコになったみたいや」
 その言葉に、パッと明らむ楓の表情に、満足そうに笑み返しながら頭にポンッと手を遣った。
「じゃあご飯、食べよっか」
 楓に促され、矢部はテーブルの前に腰を下ろそうとしたのだが、何故かそれを制され、眉をしかめる。
「ん?何や?」
「上着、汚れちゃうかもしれないから脱いだ方がいいよ」
「あぁ、そやな」
 言われて、脱ごうと身じろぐと、楓が後ろからそれを手伝った。
「お仕事お疲れ様でした」
「おぅ、ありがとぉ」
 上着を脱がしながら、楓がクスクスと突然笑い出した。
「ん?」
 見ると、頬を赤めている。
「どないしたん?」
「え?あ、あのね」
「うん?」
 矢部の脱いだ上着を、抱きしめるように抱えて楓は続ける。
「なんか、新婚さんみたい」
 途端に、矢部の顔も赤くなった。
「なっ…なーに言うとんのや、エラい年の離れた新婚やないか」
 不意打ちを食らったかのように、矢部はドキドキしながら楓から視線を逸らし、慌ててテーブルの前に腰を下ろしたのだ。
「あら、10や20年の離れたカップルは結構いるんだから。上田先生と奈緒子さんもそうでしょ?」
 楓はどこか不満そうに言いながら、矢部の上着をハンガーにかけ、矢部の向かい側に腰を下ろした。
「そらまぁ、そーゆうんもありやけど…」
「ケンおにーちゃん、前に言ってくれたじゃない」
 少し戸惑い気味の矢部をよそに、楓はご飯とお味噌汁を椀に盛って矢部の前に置きながら笑う。
「え?何やったっけ?」
「ほら、ディズニーランドで」
 自分の分を盛りながら、楓は続ける。
「私がお嫁に行きそびれたら、おにーちゃんが貰ってくれるって」
 ああ、そんな事を言った時もあった…妙に嬉しそうな楓に首をかしげながら、小さく頂きますと言って箸を料理に伸ばす。
「おにーちゃんがそんな風に言ってくれて、嬉しかったよ」
「ん、まぁ…でも行き遅れたらの話やで。かえちゃんならかわえーしえー子やから、そんな事ないと思うけどなぁ」
 おもむろに、適当に掴んだものを口に運ぶ。
「そうでもないもん」
 楓も同じように、料理に箸を伸ばしてそれを口に運んだ。二人は無言のまま、目を合わせる。楓は何か待っているような目で、矢部を見つめている。
「…うん、うまい。かえちゃん、ホンマ料理上手やな」
 むぐむぐと口を動かしながら言うと、にっこり微笑む。
「良かった」
 ハンバーグ、ポテトサラダ、グラタンに、エビフライ。子供の喜びそうな料理が並んでいて、矢部は何となく、微笑ましそうに笑った。
「何や、喉渇いたな…かえちゃん、何か飲む?」
「ん、私いれてくる…」
「あー、えーからえーから」
 楓を制し、矢部は一人で流しの方へと向う。冷蔵庫をあけて、缶ビールと缶の烏龍茶を取り出す。ふと、ごみ箱の中のビニール袋に目がいった。
「ん?」
 コンビニの、大きなビニール袋。首を傾げ、テーブルに戻った矢部は、烏龍茶を楓に渡しながら口を開いた。
「かえちゃん、買い物はもしかして、下のコンビニで?」
 ありがとうとそれを受け取りながら、楓は頷いた。
「何で?」
 朝、楓に近くのスーパーの場所を教えたはずだ。
「場所、よぉ分からなかったん?」
 続けながら、プシュッと缶ビールのプルタブを引き、少し口につけた。
「ん…場所は、分からない訳じゃなかったんだけど…」
 もう…と小さく笑いながら、楓は立ち上がって二つのグラスを持って戻ってきた。ビールと烏龍茶をグラスに注ぎ、矢部に渡す。
「何か、あったん?」
 受け取ったグラスを傾けながら、矢部は俯く楓の顔を覗き込むように見遣った。いつも楓がするように。
「かえちゃん?」
「あの…ね」
 ゆっくりと、楓は口を開く。
「うん?」
 さっきまでの明らんだ表情とは違う、昨夜の泣き出しそうな表情に近い。そんな楓の事が心配で、思わず持っていたグラスをテーブルの上に置いて、矢部は楓の隣へと場所を移した。
「かえちゃん、どうか、したんか?」
 優しく声をかけると、楓は静かに顔を上げた。
「あのね、私、自分でも分かってる」
「は?」
「私、一人じゃこのマンションの外に出られないの」
 僅かに震えた声で、楓は言う。
「朝もね、ちょっと外の空気を吸おうと思って外に出ようとしたんだけど、出られなくて…でもマンションの一階のコンビニなら行き来できるの、大した距離じゃないから」
 栗色の髪を揺らしながら、楓は矢部に目を向けた。
「あ…そう、だったん…」
 どこまでも気の利かない自分を、叱咤する。楓は一人でいて襲われたのだ、昨夜も、一人になる事をひどく恐れていた…
「ごめんなさい…」
「謝る事やない、いや、謝らなあかんのはオレの方やな」
 くしゃ、と髪に手を遣る。静かに、なでる。
「おにーちゃん…」
「気が付かんでごめんな、朝ご飯作ってくれたかえちゃんに甘えて、夕飯の事まで…ホンマにごめんなぁ」
 その言葉に、楓は勢いよく首を横に振った。
「ううん、違うの、そうじゃないの。おにーちゃんにご飯作ってあげられるの、凄く嬉しいの!でも私、何でか外に出られなくって、それで、それで…」
 今にも泣き出しそうな顔で、必死に何かを説明する。
「うん」
「私、私…おにーちゃんにいっぱい迷惑かけてるね、ごめんね。お礼がしたいのにちゃんと出来なくて、ご飯作ってお部屋の掃除するくらいしか出来なくて」
「うん」
「でも、でもおにーちゃんしか頼る人いなくって、昔からケンおにーちゃんだけ…」
「うん」
 そっと、髪をなでる。いつの間にか楓の目からは、涙がポロポロとこぼれ出して、矢部は抱きしめたい衝動を押さえながら、何度も楓の髪をなでた。
「おにーちゃ…」
「えーよ、気にせんでえーから。かえちゃんに頼られんの、オレも嬉しいよ。ご飯も美味しいご飯作ってくれて、ホンマに嬉しい」
 ひっく…と、しゃくりあげる楓の涙をぎこちなく拭い、矢部は笑みを見せた。
「ご飯食べて、今日はもぉ寝よな?」
「う…ん」
「そんで、明日は早うに起きて、一緒にその辺散歩しよか」
「うん」
 その言葉に、楓も自らの涙を拭い、ぎこちなく微笑んで見せた。
「うん、笑とる方が、かわえーよ」
 くしゃくしゃっと、改めて髪を撫でてから、矢部は楓の向かいへと戻った。そして再びの、食事。
「ケンおにーちゃん…」
 おもむろに、楓が口を開いた。
「ん?何や?」
「…ごはん、美味しい?」
 泣いたカラスが、もう笑った。嬉しそうに矢部は頷いて、その日の料理をすべて綺麗に平らげた。


 つづく


あー、ほのぼの食事風景難しいです。
何か文章が下手になってる気がするんですけど…やばいな、もっと精進せねば。
次への付箋も何とか書けたし、でもラストには程遠い感じが今なお治まりません。
いいのいいの、50話くらいになっても私は気にしない(本当にそのくらい続きそうで恐いくらいだ)

2004年9月12日

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