[ 第35話 ] その夜も、二人は同じ部屋で眠る事となった。矢部はソファで、楓は矢部のベッドで。何も言わずとも、どちらからともなく自然に手を取り合い、昨夜と同様に、手を繋ぎ横になる。 お互いの顔が向き合い、少し照れくさそうに。 「おやすみ、ケンおにーちゃん」 楓が小さく笑いながら言うと、矢部も小さく笑いながら答える。 「おやすみ、かえちゃん。えー夢見れるとえぇなぁ」 と。そうして目を閉じると、瞼の裏に楓の涙が見えた。この子はまた、傷付いた心で健気に微笑むのだ… それを思うと、胸が痛む。ぼんやりと目を開けると、楓は目を閉じていた。何となく、握る手に少し力を込める…キュ、と握り返してくる。まだおきているようだ。 「かえちゃん」 「…なーに?」 名を呼ぶと、ゆっくりと瞼を上げて、暗闇の中で矢部を見つめてきた。 「…ちょっと、名前呼んでみただけや。ごめんな、おやすみ」 そう言うと、不思議そうに首を傾げてから、うんと笑って再び目を閉じた。けれど矢部は、まだ目を閉じれずにいる。 …今、何を言おうとした?自問する。何を、言おうとした?十数年前の、真相は楓だって知らないはず…それを今、矢部は口にしかけていた。 「…かえちゃん?」 もう一度、今度はさっきよりずっと小さく、囁くように名を呼んだ。だが、返事は返ってこない。寝たのだろう。 「寝たんやな」 何となくホッと息をつき、矢部も目を閉じた。 ───「ケンおにーちゃんケンおにーちゃんケンおにーちゃんっ!」 何度も何度も、少女は自分の名を呼んだ。ポロポロ大粒の涙をこぼしながら。 「かえちゃんっ!」 矢部も、楓の名を呼んだ。その日は、朝からずっと小雨が降り続いていた… 「ケンおにーちゃん?」 はっと目を開くと、目の前に楓の顔。眠そうな表情で、手の甲で目元をごしごしとこすっている。 「え…あ?かえ、ちゃん?」 いつの間にか眠っていたようで、夢を見ていたらしい。酷く悲しい夢だった気がする…そのせいか、楓の手を握る手に力が入って、楓は目を覚ましたのだろう。 「あ、ごめん、な。手、痛かったんやろ?」 んーん…と、楓は上半身だけ起こして首を横に振る。 「どしたのかなって、思って…」 「何でもないんや、ちょっと夢を見ただけやから」 「恐い夢?」 恐い…?確かに、悲しくて恐い夢だった。 「いや、内容は覚えてへんけどな」 「そーなんだ」 ぽつりと、楓は呟いたかと思うと、ぱったりと起こした上半身をベッドの上に戻した。布団もはだけたまま、かすかな寝息。よほど眠かったのだろう…苦笑いを浮かべながら布団をかけてやり、矢部もまた横になって目を閉じた。 手は、繋いだまま。さぁ、朝は早く起きる事になっている。早く眠ってしまおう… 楓のてのひらは、昨日と同様に少しひんやりしている。けれど、どこか暖かい。目を閉じたまま、矢部は薄く微笑んだ。 チチチ、チチ…耳に心地良い、小鳥のさえずり。まぶたをあげると、カーテンの隙間から差し込む陽射しが目に入った。 そしててのひらには、確かな感触。横をむくと、楓はまだ寝ていた。起こそうかどうか、少し悩む。 「ん…」 と、楓が僅かに身じろいだ。それを合図のように、そっと、握っていた手を離す。離れる瞬間の喪失感が妙に胸に響いて、痛苦しい…それでも楓はここにいるのだから、恐れても仕方ないと、寝室を後にした。 「汗流そ」 小さく呟いて、バスルームに向う。しっかり鍵を閉めて、楓がいる間はずす事の出来なかった頭部のそれを外し、パジャマを脱いで浴室に足を踏み入れた。熱めのお湯を頭からかぶり、四角い石鹸で直接身体を洗う。 「あ、アレも洗わな」 一通り身体を洗った後に、頭部から外したものをさっと手に取り、一つだけ置いてある、この浴室には不似合いのシャンプーボトルのヘッドを押した。 丁寧に泡立てて洗い、しつこいくらいにお湯で流す。 「ん、よし」 満足げに笑み、浴室を出て体を拭き、その辺に干してあった服を着て、濡れたそれにドライヤーをかけた。完全に水分が飛ぶまで、丁寧に。 「ん〜、んん〜♪」 機嫌良さそうに鼻歌なんか歌ってみたりして、乾いたそれを頭部に装着し、鏡でチェック。と、その時。 ──コンコン…鍵を閉めたバスルームのドアを、ノックする音。 「ケンおにーちゃん?」 少し眠そうな、声。慌てて再度鏡で頭を確認し、鍵を開けた。 「かえちゃん、おはよぉ」 「おはよ…」 むにゃ、と目元をこする。 「よぉ眠れた?」 「ん、まだ少し、眠い」 小さく欠伸をするのを見て、矢部はおかしそうに笑ってその髪を撫でた。 「時間はまだ早いから、もう少し寝とっても良かったのに」 すると、楓は首を横に降った。 「んーん、おにーちゃんと、朝の散歩、するんだもん」 まだ寝ぼけているような仕草が、やけに幼くて可愛い。 「そやったら、かえちゃんもシャワー浴びて、目ぇ覚ましたらえーよ。その間に朝ご飯作っとくから」 「ん…」 矢部と入れ替わりに、楓がバスルームに入る。と、矢部は慌てて楓に肘を掴み、新しいタオルの置いてある場所を教えてから着替えを持っていくように促した。 寝ぼけてそのまま入ってしまったら、正直目のやり場に困る。昔ならともかく、今はれっきとした大人の女性なのだから。 「さて、オレは飯やな」 気を取り直してキッチンへと向う。が、一瞬身が固まった。 「かえちゃん…」 思わず頬が緩む。目の前には、しっかりと朝食の用意が出来ていたのだ。恐らく目を覚ましてから、まるで身についた癖のように朝食の用意をして、それからバスルームへのドアをノックしたのだろう。 寝ぼけたままで。 「ホンマに、あの子は…」 手を額にもっていき、嬉しそうな、気恥ずかしそうな表情を浮かべ、クックと声をもらす。テーブルの前に腰掛け、皿の上のトーストを手に取った。 「ジャムまでぬってあるやん」 こんがり焼けたトーストには、バターと甘いジャム。パクっとかじると、柔らかい甘味が口の中に広がった。 「あぁ、かえちゃん出てくるまで待たな…」 はっと気付き、一口かじったトーストを皿に戻して立ち上がった。おもむろに窓の方に向かい、カーテンを開けて窓も開ける。 「えー天気や」 夜の明けたばかりの、優しげな陽射しに目を細め、微笑む。と、ガチャリという音がして、楓がバスルームから出てきた。 「…おはよう、ケンおにーちゃん」 まだ少し濡れた髪を、バスタオルで水気を取るように拭いながら、改めて楓は言う。 「おはよぉ、あんまり遅いから、シャワー浴びながら寝てもうたんちゃうかと心配したで」 からかうように答えると、楓は一瞬気まずそうな笑みを浮かべ、ちょろっと舌を出した。 「実は寝そうになりました」 頬を赤らめて。思わず矢部は、ははっと声を上げて笑った。 「まぁ、とりあえず食べて、散歩行こか」 楓の用意した朝食は、冷めかけていたが、二人はそれを美味しそうに平らげた。 「あー、美味かった」 食後の珈琲で、ついついまどろみそうになってしまう矢部を、楓が不機嫌そうに見遣った。 「ケンおにーちゃん、お散歩!」 よほど楽しみにしていたのだろう、早く行こうと囃す。 「あぁ、うん、そやな」 矢部としてはもう少しまったりとしていたかったのだが、約束は約束。それに、こんなに楽しみにしていたという楓の期待を裏切るわけにもいかないと、重い腰を上げて伸びをした。 そうしてやっと、二人はマンションの外に出る事になった。 「ねえ、ケンおにーちゃん、どこまで行くの?」 楓は嬉しそうに、軽快に足を鳴らしてアスファルトの地面を踏んだ。ベージュ色のスカートの裾と、髪が揺れる。 「そうやなぁ、その辺ブラブラと、やな」 「うん」 とりあえずという事で、矢部は近くの公園の方へと歩き出す。楓も横に並んで歩き出す。ふと見遣ると、満面の笑顔。お日様のような、眩しい笑顔… 「ケンおにーちゃん」 楓が突然口を開いた。 「ん、ん?」 横顔を見ていた事を悟られぬよう、矢部は慌てて視線を正面に戻した。 「ありがと…ね」 「え?」 どういう意味かと顔を向けると、楓は矢部を見て、変わらぬ笑顔を浮かべていた。 「色々。今日の散歩の事とかも…色々、ありがとう」 お礼を言うのは、自分の方だ…矢部は口篭もるような仕草で、楓の頭に手をおく。 「い…や」 だが何もいえないまま、しどろもどろ。そんな矢部をよそに、楓は続ける。 「私、ケンおにーちゃんに会えて良かった。ディズニーランドで再会できて…本当に良かった」 面と向って言われると、こんなにも照れくさいものなのだと、年甲斐もなく矢部は顔を赤らめる。オレも嬉しいと言わんばかりに楓の髪をくしゃくしゃと撫でながら。 「ちょ、ちょっと歩いたら公園あるんや。そこで、ベンチででも、何か飲もうや。オレ、喉渇いてきた」 照れ隠しにそう言うと、隣で楓が、うんと笑った。 つづく かなり引っ張ってる気がする。 まぁ、まぁね、長くなるのは覚悟のうえだし、気にしないでおくか。 次は理想の公園デート(違う・笑) 改め、早朝お散歩。 朝のお散歩ってのは、なかなか気持ちが良いものです。 2004年9月20日 |
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