[ 第41話 ]


「ほな…これで」
「おう、じゃぁな」
 矢部が深く頭を下げると、土原は片手を挙げて微笑んだ。外に出ると、中にいた時には気付かなかったがとっくに日が暮れて、あたりは真っ暗。
 場所が場所だけに、酷く寂しげだ。
「か、帰ろっ」
 小脇に抱えた紙袋には、ノートと鉛筆。それをより一層、大事そうに抱えて矢部は歩き出した。
「かえちゃんとこ行こ」
 すたすたと早足に、小さな楓を思うとついつい顔が綻ぶ。ふっと、足を止めて矢部を空に目を遣った。突然、明るくなったのだ。
「あ、月か」
 暗雲の影に隠れていた、僅かに欠けた金色の月。煌々と道を照らすのを見て、何となく笑みを浮かべる。月が照らすのなら、夜道も怖くない…いい年して何を言っているのかといわれそうだが、幾つになっても夜道は怖いものだ。
 足取りも軽やかに、施設へと向かう。
「こん、ばん、わー」
 小さな声で、区切り付けながらそっと面会室の戸を開けた。
「あら、こんばんわ」
 芹沢がいた。その膝の上には、小さな楓。どうやら本を読んでもらっていたらしい。矢部に気付くとすぐに降りて向かってきたが。
 ぎゅ…と足にしがみつく、満面の笑みで。
「おぉっと…かえちゃん、まだ起きとったんやなぁ」
 そっと髪をなでると、一層嬉しそうな笑顔を浮かべて、楓はその手を握ってきた。
「楓ちゃん、矢部さんの顔を見るまでは寝ようとすらしないのよ」
 そんな様子を微笑ましそうに見つめ、芹沢が言う。
「そぉなんですか?じゃぁ今度から、もうちっと早うに顔見せに来んとあきませんな、夜更かし予防もかねて」
「そうして頂けると私も助かります」
 芹沢と顔を見合わせて笑ったが、楓は矢部の顔が見れてほっとしたのか、眠そうに目をこすり始めた。
「あら、楓ちゃん、おねむかしら?」
 その事に、芹沢が気付く。
「今日はちょぉ遅うになってしもたから…ごめんなぁ、かえちゃん」
 そっと髪をなでると、んーん…と楓は首を横に振って矢部の首に腕を絡ませてきた。その微笑ましい光景に、芹沢は頬を緩める。
「よっぽど矢部さんに会えて嬉しかったのね」
「そーなんですか?」
「そうよ、きっと。だって、こんなに嬉しそうに笑ってる」
 少しして、矢部の腕の中で楓は眠りに落ちていった。ずっしりとその重みを感じて、矢部も思わず笑みを浮かべる。
「こんなにちいちゃいのに、結構重いなぁ、かえちゃん」
 かすかな寝息に、呟く。
「寝てる子供って、余計に重く感じるんですよ」
「へぇ〜…」
「さ、矢部さん、明日も朝早いんでしょう?お帰りになられたらどうですか?」
 重い…そう言いながらも楓を抱きかかえたままでいる矢部に、芹沢は声をかけた。
「え?あぁ〜…」
「名残惜しいんですか?」
 クスリと、芹沢は笑う。
「かも、しれへんです。でもやっぱ、今は仕事第一、そやから帰ります。ほな、かえちゃんをよろしくお願いします」
 芹沢に図星をつかれたのが照れくさかったのか…矢部はそっと楓を芹沢の腕に預けると、首の後ろをカリカリとかきながら、小さく頭を下げた。
「ふふ、お疲れ様」
「どぉも…あ、そうだ」
 部屋を出る間際に、矢部は突然振り返った。
「どうかしましたか?」
「えっと…今度、抜沢先輩の事を教えてくれませんか?」
「え?」
 あまりに突拍子のない事を言われ、芹沢は楓を抱いたままで固まっていた。
「芹沢センセ?」
「あっ、え、えぇ…いいですよ」
 少し、表情が曇ったような気がした。もしかすると触れてはいけない事だったのかもしれない…と、矢部は少し後悔しながらも、再度頭を下げて建物を出て行った。
「あかんなぁ…抜沢先輩にまたどつかれるかもしれへん…」
 ぶるるっと、寒くもないのに肩を震わせる。
 ───ピピピピピ…
 唐突に、矢部の上着の内ポケットから電子音が響いた。
「にゃっ?!わわっ、あ、ぽ、ポケベル…」
 しばらく聞かなかった電子音に、軽くパニックになりながら慌てて懐を探る。
「えと…」
 ようやく取り出し、画面に目を遣って眉をしかめる。そこに表示されたのは八つの数字。
「…誰?」
 通常であれば、カタカナで何らかの文字が表示されて、それは本部からの指示だったり連絡事項だったりする。中には私用に使う人間もいるのだが、矢部はあまり慣れていないため、つい首を傾げてしまう。
「何やろ…あ、電話番号?」
 数分考え込んで出た結論がコレだ。きょろきょろと辺りを見渡して、見つけた電話ボックスに駆け込む。
「小銭、小銭…十円玉が見つからへん…う〜…あ、あった」
 あっちこっち探ってようやく見つけた十円玉4枚…それを落としてポケベル画面に表示されている番号を手早く押した。
「ホンマ、誰なんやろ…」
 ポツリと呟く矢部の耳にコール音が鳴り響く。
 ───トゥルルルルル、トゥルルルル…
『おぅ、矢部か?』
 突然、コール音が切れて聞きなれた声がキーンと響いた。
「抜沢先輩っ?!」
 抜沢からポケベルに連絡が来る事自体、初めてだったものでこの結果には当然驚いた矢部。ボックスの中で目をパチパチとしばたいて、ポケベルの表示画面と公衆電話本体を見比べた。
『何て声出してやがんだよ…しかし思ったより早くかけてきたな、電話』
「あ、せ、先輩からだったとは思わんかったです…」
『あ?何だてめぇ、俺からだと分かってたらこんなに早くかけなかったとか言うつもりじゃねぇだろうなぁ…』
「えっ?!とっ、とんでもない…です」
 ボックス内でわたわたと慌てる様は、外から見てると妙に滑稽でおかしい。
『まぁいい、土原からは何か聞けたか?』
「あ、はい!それはもう…仰山聞けました!」
『ふぅ…ん、そうか。じゃぁ俺がこれから言うところにすぐ来い』
 土原から聞いた事を書き綴ったノートを抱きかかえてにひゃらと頬を緩ませた矢部だったが、その抜沢の言葉に、再び表情が固くなる。
「は…?今から…ですか?」
『当たり前だろ、ぼけるにゃ早いぜ』
 じゃぁよく聞けよ…と続けて住所、番地を告げて、矢部に確認する間も与えずに抜沢は電話を切ってしまった。
「え?あ、あれ?先輩?せんぱーい?」
 パニックに陥る、一歩手前…といった感じで、矢部は慌てて懐から取り出したボールペンで腕に、たった今告げられた住所を忘れぬ内に書きなぐった。強めに書いたので腕が痛かったが、場所が分からず向かう事が出来なかった時の事を考えるとたやすいものだ…
「相変わらず無茶苦茶言い寄る…」
 そうして荷物を引っつかみ、受話器をきちんと置いて電話ボックスを出ると一目散に最寄の駅へと猛ダッシュ…
「ど〜ぁ〜っ!その電車出るの待ったぁぁぁ!!」
 滑り込みセーフでホームから出発しようとしている抜沢の指定地へ向かう最終電車に乗り込み、車内で大きく息をついた。しばしの休息だ。
 とは言っても、終電にしては珍しくどの車両も席が埋まっていて、空いていたとしても矢部の苦手なタイプのおばちゃんの隣や、疲れきってぐったりと二つの座席を占領しているサラリーマンの向かい側だったりして、仕方なく車両のつなぎ目である乗降口の壁際にへたり込んだ。
「えーと…あと三駅で降りたらえーんやな」
 腕に書いた住所を確認して、おもむろにノートを開いた。土原から話を聞いたものの、肝心の、一年前の事情聴取の際には知り得る事の出来なかった何かが何なのか、矢部にはイマイチ把握できないでいたのだ。
「…わからへん言うたら殺されるかな、先輩に」
 ノートを見ながらぼそっと呟く矢部の声に、目的の駅到着のアナウンスがかぶる。
「あっ、お、降り過ごす…」
 再度慌てて電車から降りて、少し息を整える。そして、慣れぬ土地できょろきょろ目的地を探す…もともと方向音痴の気があるのか、すぐに変な道に入ってしまい、気がつくと行き止まりだったりなんだりで、なかなか思うようにいかない。
「あれ?ここさっきも通った…?」
 という現象もままある。
「遅ぇよ」
 年季の入った居酒屋の前を三回目に通りすがろうとした時、おもむろに開いたドアから抜沢が出てきて矢部は有無を言わさず蹴りを入れられた。
「あいたっ?!え?あ、先輩…あ、ここか、指定の場所」
「阿呆かお前…」
 よくよく見ると抜沢の顔は赤みが差して、どことなくアルコールの匂いが漂っている。
「先輩…呑んではるんですか?」
 そう言った瞬間、矢部は自らの口を恨んだ。
「これが…」
 ズン…と、重鎮的な圧迫感。右斜め上から放たれる圧力の篭った視線…抜沢が矢部を見下ろす形で、ニヤァッと形容しがたい笑みを浮かべて口を開いた。
「呑まずにいらいでか」
 その様子とは裏腹に、ポンッと矢部の肩に置かれた手はそう痛々しいものではなかった。
「せ…先輩?」
 ふと、矢部は気付く。そういえば今日一日、矢部が土原に話を聞いている間、抜沢はどこで何をしていたのだろうかと。
「いよぅし、矢部、お前も来い」
「はぇ?」
 ぐぃっと腕の肘辺りを掴まれ、半ば強引に店内へと引きずり込まれた。
「え?」
「おらぁ、板前!酒追加だ!」
 店内には、店員と思しき女将風の女性と板前風の男性。そしてカウンター席に、一人の若い女性が腰掛けてこちらを見ていた。
「旦那ぁ、悪酔いしたから外の空気を吸うって出てって、戻ってきたかと思えば追加ですか…大丈夫ですか?」
 板前風の男性は苦笑を浮かべて、すでに用意していたらしい徳利をカウンターの上に置いた。
「とか言いつつ用意してんじゃねぇか…ホラ、お前も飲めよ」
 どかっと席に腰を下ろし、同じく用意された猪口に抜沢自ら酒を注ぎ、矢部と、横に座っている女性に渡してよこした。
「あ、ど、どうも…恐縮です」


 つづく


久々に書けましたが、何を伝えたいのか…ご、ごめんなさい(とりあえず謝)。
私の中で矢部さんはちょびっと方向音痴だったりします。
いぇ〜い、My設定万歳(笑)
ここまで捏造している小説も珍しいと思う今日この頃。

2004年11月4日

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