[ 第45話 ] 「ま、何でもえーねんけどな」 照れ隠しのように、奈緒子の視線から逃れるように顔を背けて、ポツリと呟いた。そしてそのまま、何事もなかったように続ける。 「で、まだなんかあるんやろ、話」 「え?あぁ、そうそう。楓さん、いつまで矢部さんのところに置いておくつもりなんですか?」 「ん?」 昼間は一人でも外に出られるようになった…ならばもう、ある程度は大丈夫なのではないだろうか。過保護すぎる矢部と、楓の今後の事も考えての言葉だ。 「いつまでも、矢部さんのところに置いておくわけにもいかないんじゃないですか?」 「まぁ、なぁ…若い年頃の娘が、いくら一人が恐いからっていつまでもこんなおっさんの家に寝泊りするわけにも…おっさんとか言うなっ!」 グイッとそむけていた顔を奈緒子に向けて額をペチンと叩くと、奈緒子がギッと鋭い視線を向けて口を開いた。 「矢部さんが勝手に言ってるんじゃないですか!おでこ叩くな!」 う…と言葉に詰まる矢部を見て、奈緒子はすぐに笑顔になった。 「ノリや、ノリ。お前…最近突っ込みが冷たいで」 「冷たくない突込みってどんなんですか…」 「オレが知るかっ」 そうしてまた、沈黙が訪れる。刻々と流れる時間で、激しい雨が木々の葉を揺らすのを眺め、奈緒子が先に口を開いた。 「矢部さんは本当に、楓さんの事が大好きなんですねぇ…」 ぼんやりとした口調で、ただなんとなく言ってみた…そんな感じだ。矢部から何の返答もないので顔をそちらに向けると、当の矢部はきょとんとしていた。 「矢部さん?」 「あ?あ、あー…いや、別に、何でもあらへん」 「なに言ってるんですか?シリメツレツですよ?」 「うっさい、わかっとるわボケェ…って、支離滅裂くらい漢字で言えぃ!片言やからカタカナ表示になっとるで」 訳の分からない事を呟く矢部を見て、奈緒子はピンときた。恐らく、奈緒子に、楓が好きなんですねと言われて固まったのだ。 人と言うのは不思議なもので、他人に言われてはっきりと自分の気持ちに気が付いたりする。 「もしかして、今頃気付いたんですか?」 笑いを噛み殺しながら、そっと聞いてみる。 「は?」 「楓さんの事ですよ」 「なっ、何言うてんねや。オレは別に…」 パッと目を逸らす矢部を見て、堪え切れずに奈緒子はクスクスと笑いながら続けた。 「誤魔化したって無駄ですよ、女の勘をなめちゃいけません」 「なんや、お前女やったんか…」 「失礼な事言うな、バカヅラ」 ペッチーン…と、矢部の手が奈緒子の額を豪快にはたいた。本日三回目だ。 「にゃっ?!ったー、もう、何するんですか」 「何なんやねんお前は、ったく、一言多いんじゃボケェ!」 「本当の事を言われたからってピリピリしないでくださいよ!」 「じゃかしい、お前かて貧乳言うたら怒るやないか、それと同じや」 その一言に一瞬むっとする奈緒子だったが、はー…と大きく息をついた。 「じゃなくて…矢部さんには私、どうしても聞いておきたい事があったんですよ」 矢部も、自分の大人気ない態度に思わずため息をついて、ちらりと視線を奈緒子に戻した。 「何やねん」 「矢部さん、楓さんの事好きですよね。なのにどうして好きって言わないんですか?」 途端に、矢部の顔が赤く染まる。 「なっ…そ、そないな事、言うてからに、お前はどうやねん!上田センセに好きやゆーたんか」 赤くなりながらも負けじと言い返してくる矢部に、今度は奈緒子が固まる番だ。 「そ…それとこれとは話が別ですっ」 「いや、同じや!」 ギッと睨み合い、両者一歩も譲らない…が、奈緒子が先にハッとした。 「同じって事は、認めるんですね」 にやっと、口元に笑みを浮かべる奈緒子に、続いて矢部もハッとした。 「あ…」 しまったというような表情を浮かべて、またも奈緒子から顔を逸らす。 「そっかー、なんだぁ、やっぱり矢部さんは楓さんが好きなんですねぇ」 えへへへ、と笑う奈緒子を見て、呆れたように矢部も笑った。 「好きやゆうても、オレのはあれや…こう、親戚の年の離れた子の、保護者意識みたいなもんや」 「まったまたぁ〜、隠さないでもいいですよ」 「いや、隠しとるわけやのーて…」 奈緒子が妙に楽しそうに矢部の肩を叩いたりして笑う様子に、戸惑いながらも矢部もつられて困ったような笑みを浮かべた。 「ま、大丈夫ですよ」 にやにや笑いながら、唐突に奈緒子が言った。 「あ?大丈夫って…何がや」 「楓さんの事に決まってるじゃないですか」 「かえちゃん?」 なかなか要領を得ない…それに気付いたのか、奈緒子はやれやれと肩をすくめ、小さく息をついて続けた。 「だから、楓さんも矢部さんの事好きですから、両想いじゃないですか。良かったですね」 「なっ…何を脈絡のない事を言うてんねや、かえちゃんが、オレを好きなんて…阿呆か」 ぺちん…軽く奈緒子の額を叩き、矢部は奈緒子に背を向けた。 「何怒ってるんですか…」 「何って、お前が勝手な事言うてるからやないか…」 「勝手な事じゃないですよ」 「お前が、何で分かるんや、かえちゃんの気持ち。かえちゃんがオレを好きなわけ、ないやろ」 戸惑っている…矢部の背中を見て、奈緒子は思った。 「矢部さんが楓さんを大事に思っているのは、見てたらわかるんです。すごくすごく、大事に思ってるんだなぁって…伝わってきますから」 はっきりと、奈緒子は続ける。 「それを同じように、楓さんが矢部さんを見る目や、態度でなんとなくわかるんです」 「…また女の勘か」 「まぁ、そんな感じですね」 「どんなんやねん…ま、えーわ、どうでも。例えかえちゃんがオレを好いてくれとるのが本当やとしても、それはきっと、オレと同じような感情やねん」 まだ背を向けたまま、今度は矢部が静かに続ける。 「オレは…まぁ、確かにかえちゃんの事、好きやで。でもさっきも言うたやろ、年の離れた、妹みたいなもんやって」 妹…可愛い可愛い妹。 「かえちゃんも、同じや。東京での唯一の知り合い、昔によう遊んだった、年の離れた、親戚のにーちゃんみたいなもんや」 奈緒子には、よく分からなかった。どうしてこんなにも、自分の気持ちを否定しようとしているのか…矢部と楓、二人はお互いに寄り添って生きているように見えるくらい思いあってるはずなのに。 どうして、否定するんだろう… 「あ」 「あぁ?」 突如声を上げた奈緒子に、矢部は思わず顔を向けた。 「雨」 「雨?あ、やんだな」 矢部の予想通り、通り雨だったようだ。奈緒子は軽くスカートを払うと、矢部の前に一歩抜きんでて歩き始めた。 「山田?」 怪訝そうな矢部の声に、くるりと踵を返した。 「話はそれだけです。私、ちょっとだけお節介焼いてみたかっただけなんです。でも、矢部さんがそう言うなら、もう何も言いません」 少し、怒っているような口調。 「な、何でお前が怒っとるんや…」 「怒ってませんよ。今日言った事は気にしないでください、忘れてくださいね」 思惑があった、奈緒子には。 「言われんでも忘れるわボケェ」 じゃ。そう言って、見晴台を駆け下りて行く。だが矢部は、まだそこで、肩を怒らしながら歩く奈緒子の後姿を見つめていた。 「…何やねん、あいつ」 馬鹿な事を。ずきりと痛む胸を静かに押さえ、矢部もゆっくりと歩き出した。まさかこんな形で気付かされるとは思っていなかった。あの山田に言われて気付くなんて…色恋沙汰は自分の方が、遥かに経験があるはずなのに…そんな事を思いながら、警視庁へと足を向ける。 途中、何度も歩む足を止めた。ぼんやり見上げる空の、雲の切れ間から差す光に、眩暈がしそうだ。 つづく 何だ…、なんかおかしいな… とりあえず、何かおかしい45話です。 自分の気持ちに気付いた矢部さんの、苦悩はまだまだ続くはず。 さぁ…悩み苦しんで、頑張れ矢部さん! (妙にテンションが高い射障です) 2004年12月25日 |
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