[ 第46話 ]


 ピラ♪ピラリン♪
「ん?」
 警視庁に戻り、給湯室で珈琲を淹れたちょうどその時、上着の内ポケットで携帯電話の着信音が軽快なリズムを奏でた。
「この着信音は…」
 ふっと、矢部の表情が緩む。いそいそと取り出し、通話ボタンを押しながら耳に当てる。
「もしも」
『外外!』
 電話に出る矢部の言葉を遮りながら、楓の声が響いた。
「かえ、ちゃん?」
『ケンおにーちゃん外!見てみて、空』
 囃し立てるような声色に、思わず窓の方に目を遣って理解した。雨上がりの、雲の切れた空…
「でっかい虹やなぁ…」
『でしょ』
 電話の向こうで、楓が微笑んだような気がした。
「かえちゃん、こん虹の為にわざわざ?」
『え?あ…うん、ごめんね、おにーちゃん、仕事中なのに』
 給湯室の小さな窓からでも、その大きな虹の七色はキラキラと輝いて見える。
「いや、えーねんよ。一息いれとったとこやし…それに、かえのちゃんの声、聞けて嬉しぃしな」
 柄にもない事を言っている…少し照れながら、淹れた珈琲に口をつけた。
『…ありがと。あのね、すごく…綺麗な虹だったから、ケンおにーちゃんにも教えたいなって、思ってつい』
「そうなんや、ありがとぉ」
 そう言いながら、胸に僅かな不安が過ぎる。奈緒子に言われたわけではないが、楓の事。楓が自分を好いているとか…もしそうだとしても、駄目だと自分に言い聞かす。だって楓は…
『ケンおにーちゃん?』
 数秒、何も言わない矢部を不思議に思ったのか…楓が恐る恐ると声をかけた。
「ん?あぁ、すまんすまん、ちょっと考え事しとった」
『そうなの?あ、ケンおにーちゃん…今夜は?』
「今夜?あー、早うに帰れるようにはするけど、ちょっと細かい時間まではわからんなぁ」
 楓とは、よくこの遣り取りをする。何時ごろに帰ってこれるとか、今日は何が食べたいとか。
『そっかぁ〜…じゃぁご飯は、ラップしておくね』
「うん、いつもありがとぉ」
 クスクスと、笑い声が漏れる。
「どしたん?」
『ふふ、何か、こういう遣り取りっていいなぁって思って』
 ドキンとした。
「なん…で?」
『なんか、安心するから』
 自分もそうだから…
「そぉ…なんや。あー…かえちゃん、バイト終わったらまっすぐ帰るんやで。暗くなる前に」
『うん、わかってるよ』
 仕事中にゴメンねと、楓は電話を切った。矢部は、少し冷めた珈琲の入った紙コップを手にしたまま、小さく息をつく。
 冷めかけた珈琲を口に含めながら、もう一度窓の外の、虹に目をやった。
「…綺麗な、虹やな」
 大きな綺麗な虹。今、この瞬間、この虹を見ている人は何人くらいいるだろうか…そんな事をぼんやり思いながら、ただじっと見つめる。
「あ、矢部さん!」
 突然、後ろから大きな声で名前を呼ばれた。聞き覚えのある声に、おそるおそる振り向くと…
「戻りが遅いと思ったら…こんなところで何さぼってんですか!」
 むすっとした表情の菊池が、両腕を組んでそこに立っていた。
「お前、先に張り込みに戻ってろ言うたやないか。なんでまだおるんや」
 慌てて残った珈琲をぐっと飲み干しながら言うと、ますますむすっとした表情で菊池は答える。
「張り込みに行こうと思ったら、課長から頼まれ事があって、それを片付けてたんです」
「そ、か。そら大変やったなぁ…頼まれ事は終わったんか?」
 本来なら自分に回ってくるような仕事じゃないのにとぶつぶつ文句を言う菊池を、何とか宥めようと話題の方向を変える矢部だが。
「今終わったところです」
 ぶすっと、機嫌は変わりそうにない。その様子に、ふと思い直した。
「何でオレがお前の機嫌とらなあかんねん、張り込み行くで!」
 今度は菊池がやれやれと肩を落とす番だった。
「ところで矢部さん、野暮用ってなんだったんですか?」
「お前に言う義理ないやろ」
 菊池の運転する車の中で、会話はすぐに途切れる。
「またそんなつれない事を…あ、楓さんのバイト先とかですか?」
「ちゃうわ、ってか名前で呼ぶな!椿原さんと言わんかい」
「あぁ、はいはい。じゃぁ、椿原さんのところじゃないなら…どこですか?」
「だから、お前に言う義理ない言うとるやないか。しっかり運転せぇや」
 ぷいっとそっぽを向かれて、菊池もどうやら諦めたようだ。午前中に張り込みしていたところに戻ると、交代要員の二人がさっきの菊池よりぶすっとした不機嫌そうな表情で矢部達を迎えた。
「いやー、スマンスマン」
「すみません、遅れて」
 矢部と菊池、不機嫌そうなその様相にほぼ口をそろえて侘びをのべた。
「本当遅いよー、矢部ちゃん」
 勘弁してよーとぼやきながら、彼は矢部に何かを渡し、相方と車に乗って去っていった。
「スマン事してもうたなぁ、今度昼飯でも奢ったらなあかんな」
「それは何ですか?」
 渡されたものは一枚の紙のようで、矢部がそれをピラピラ持て余しているのを見て菊池が口を開いた。
「ん?あぁ、簡単な報告書みたいなもんや。引継ぎとかってめんどいやろ、そやからこうやって簡単に済ますこともあるんや」
 ちらりと菊池がその紙を覗くと、細かい時間帯と、出入りした人数や起きた出来事などがメモ形式で書かれていた。
「へぇ〜、なるほど」
 矢部も改めて書かれている内容に目を遣って、僅かに眉を顰めた。
「矢部さん?」
「ん?いや、特になんもなかったようやな、こら今日も暇な一日になりそうや」
「そうですね」
 カサ…と、菊池に気付かれないように、矢部はその紙を丁寧に四つ折りにして懐にしまいこんだ。
「あと半日、なんも起きんとえーな」
 面倒やから、と続ける矢部に、菊池も苦笑いを浮かべながら同感した。
「何か起きちゃったら、早くには上がれませんもんね」
「お前も祈っとけ、オレとかえちゃんの為に」
 えぇー…と文句を言いながらも、心の中では菊池も、楓の為に、何も起きないように祈る。矢部の帰りが遅れると、楓はきっと寂しいだろうなと思いながら。


 つづく


引っ張ってもろくな事にならないので、短めで締めてみた。
いやはや…一月近くとまってたのかしら?あ、二週間くらいか。ほっ。
胸がちくちく痛い矢部、虹のおかげで少しだけ、ふんわり出来たかな…?
次は、アレだな(笑)

2005年1月10日

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