[ 第50話 ]


 ─── コンコン。インターフォンではなく、ドアをノックする音に、奈緒子は慌てて玄関へと向かった。
「今っ、開けます!」
 今日は急に、午前中のバイトが入ってしまい、池田荘に帰ってきたのは14時過ぎ。妙にハードでクタクタになってしまい、部屋でうとうとしてしまったので。
 ───ガチャリ、とドアを開けると、楓がにこにこ笑顔で立っていた。両手には大きな紙袋が二つ。
「こんにちは」
「こんにちは、楓さん。あの…どうぞ」
 朝の内に楓から連絡があったので、部屋は片付けてある。
「あ、お邪魔します」
 それでも、部屋に里見と上田以外の人間を入れるのは…初めてだ。
「あ、そうだコレ…」
 大きな紙袋の合間に、小さな紙袋が一つ。楓はそれをガサガサと抜き出して、奈緒子に渡した。
「え、何ですか?」
「今行ってるバイト先ね、ドーナツ屋さんなの。定員割引で少し安く買えるから、お土産に買ってきちゃった」
 一緒に食べようと思って、と続ける楓に、奈緒子は嬉しそうに微笑んだ。
「じゃ、お茶入れますね。どうぞ座っててください」
 促されて楓は、小さなちゃぶ台の前に腰を下ろした。脇に、二つの紙袋をそっと下ろす。
「…どうぞ、お茶、です」
「あ、ありがとう」
 お茶を淹れ終えて、奈緒子もちゃぶ台の前に腰を下ろす。二人、向かい合う形。
「…じゃ、ドーナツ頂いていいですか?」
「あ、どうぞ。美味しいんですよ」
 箱を開けると、十個ほどの数種類のドーナツが入っている。
「あ、大きいお皿出しますね」
 ハッと気付いて、奈緒子は慌ててお皿を用意するべく立ち上がった…が、楓に制される。
「いいよ、このまま食べよ」
「あ…はい」
 にこりと微笑まれて、ペタリ座り込んでしまった。なぜだか楓には、流される。
「奈緒子さんはどれが好き?」
「あ、私なんでも好きです」
 正直に答えると、箱の中から楓は同じ種類のものを一つずつ取り出して、一つを奈緒子に渡した。
「どうぞ」
「あ、はい、頂きます」
 この間から貰ってばかりのような気もするが、気にせず頬張る。
「おいひい」
「コレね、私作ったの」
「え?!す、すごいですね、プロみたい…」
「なーんて、油で揚げる作業しただけなんだけど」
 クッと、顔を見合わせて笑い声を漏らした。
「でも、ホント美味しいですね」
 パク、パクパクパク…と、奈緒子は速いペースで食べていく。
「でしょ〜。店長さんがね、ケンおにーちゃんの知り合いなんだって」
 楓もパクパクと口に運ぶ。
「へぇ…そういえば言ってました、楓さんのバイト先は知り合いの店だって」
 顔が広いよね、と、楓は嬉しそうに言う。お茶とドーナツという一風変わった組み合わせではあったものの、楓と奈緒子、二人揃って綺麗に食べた。
「美味しかった…」
 三時のおやつとでも言うのだろうか…満悦そうに笑みを交わして、そろそろ支度に取り掛かろうかと言う事になった。
「浴衣をね、持ってきたの」
 そう言いながら、楓は紙袋の中身を取り出す。厚手の和紙に包まれて、色々と出てくる。
「たくさん持ってきたんですね…」
「うん、浴衣自体は私の好みで選んできちゃったんだけど、帯とか小物は、奈緒子さんと選びたかったから」
 促されて、奈緒子は浴衣の包まれている和紙を紐解き開いてみた。
「う、わぁ…綺麗」
 最近よく見かける派手な柄物とは比べ物にならない、いい品だと一目でわかる。
「亡くなった母はね、和服とか好きだったみたい。最近知ったんだけど」
 楓は小物を広げはじめていた。
「へぇ〜、私の母も、普段から和服なんですよ」
「じゃぁ奈緒子さんは和服が似合うんだね、やっぱり」
「やっぱり?」
「遺伝とか」
 くすくすと、女の子らしい会話が弾む。
「えっと…楓さんはこっちの白い方ですか?」
 奈緒子は二枚の浴衣の内、一枚を手にとって口を開いた。二枚の内、こちらが楓に似合うと思っての事だ。
「うん…奈緒子さんはこっちの方なんだけど、柄とか大丈夫かな?」
 それぞれの浴衣に、多数の小物を合わせる。あまり同性とショッピングをしたりするという経験のない奈緒子は、兎にも角にも楽しそうだ。こちらに同性の友人が奈緒子しかいない楓もまた然り。
 そうして時間はあっという間に過ぎていく…
「…さて、そろそろ着ますか」
「そうだね、じゃぁこれを…」
 奈緒子の言葉を口切に、楓は紙袋から一冊の雑誌を取り出した。
「それは?」
「浴衣の着方と、帯の締め方が載ってるの。私、自分で着るの初めてだから」
 照れくさそうに微笑む楓に、奈緒子はにこりと笑う。
「私、一応出来ますよ。浴衣も普通の着物も、母に教えられましたから」
「本当?!よかったー」
 ほっとした表情を見せる楓に、先に着付ける事になった。着付けの間、楓は嬉しそうにくすぐったそうな表情を浮かべていた。そして、奈緒子が自分で着ているのを見ては感嘆の声を上げる。
 小物は二人で、お互いに合いそうなものを見繕って着飾った。
 ───ピロロン♪
 時計の針が夕方の5時ごろを示した頃、楓の携帯電話が軽快なメロディで鳴った。
「あ、ケンおにーちゃんだ」
 すっかり身支度の完了した楓が、慌てて鞄に手を伸ばす。それを、同じく着付け終わった奈緒子は微笑ましそうに眺める。お喋りから、浴衣を着るのは矢部には内緒だという…見た時の様子を思い浮かべて、ククッと密かに笑みをこぼした。
「え?うん、そうなんだ…じゃぁそろそろ出るね、うん」
 楓から、矢部が仕事帰りに真っ直ぐここに寄ると言う話は聞いている。電話の受け答えから察するに、近くに来てるとか下で待ってるとか、そういう内容なのだろう。
「おにーちゃん、下に着いたって」
 電話を終えた楓が顔を奈緒子の方に向けて口を開いたので、奈緒子は思った通りだと再度笑みをこぼした。
「じゃ、出ましょうか」
 奥の部屋にある姿見で順番に全身をチェックして、巾着袋を手に二人は玄関へと向かった。

 矢部は、黄昏に染まる空を池田荘越しに眺めた後、通話を終えた携帯電話を上着の内ポケットにしまいこんだ。
 ───ガチャ…と言う音と共に、奈緒子の部屋の戸が開いたのでそちらに目を向けると…
「あ…」
 小さく声を漏らし、池田荘から出てきた楓を見て矢部は動けなくなった。金縛りにでもあったかのように固まって、でも、目だけは大きく見開いて。
「何見惚れてるんですか」
 いつの間にか隣に来ていた奈緒子に声をかけられて、はっとする。
「なっ、何やお前もおったんかい」
 かろうじて一言。
「何抜けた事言ってんですか、ここは私の家ですよ」
 当然の指摘に眉を顰めるが、矢部はすぐに視線を楓に移した。その様子に奈緒子は呆れながらも微笑む。見惚れても仕方ないか、と。
 奈緒子から見ても楓はとても浴衣が似合っていた。いつもは少しはね気味の髪も、斜め結びで一まとめにされて耳の下辺りから肩にかかっている。その為、普段は髪に隠れているうなじが見えて妙に色っぽい。結い紐は小豆色で、白い染め抜きの手鞠模様が小粋だ。
「ケンおにーちゃん、どうかな?」
 階段を降りて、楓は矢部の前で両袖を上げて照れくさそうに微笑んだ。
 浴衣は白地に小豆色の矢絣と鮮やかな青紫色の桔梗の柄で、渋い。濃色(コキイロ)の帯は同色の市松模様、足元の黒塗りの下駄には小豆色の、髪の結い紐と同じ柄の鼻緒。上から下までシンプルだが統一されていて、はっきり言って可愛い。
「よう…似合ぉとるよ」
 そう絞り出すのが精一杯だ。楓は嬉しそうに微笑んで、突然奈緒子の手をとって踵を返した。
「帯の結び、奈緒子さんとおそろいなの」
 ひらりと、二色の袖が揺れる。その時、初めて矢部は奈緒子も浴衣を着ているという事実に気づいた。
「おぉ…お前も浴衣なんや、孫にも衣装たぁ、よぅ言うたもんや」
「おにーちゃんってば…奈緒子さん凄くよく似合ってるのに」
 奈緒子の浴衣も小粋で、随分良く似合う。
 紺地に薄水色の紫陽花が大きく咲いていて、濃いベージュの帯には菊の紋と桜という一風変わった柄。時代劇好きの奈緒子にはたまらない。いつもは下ろしている髪も、今日はアップにして簪で留めている。
 その簪も楓の持ってきた小物の一つで、とんぼ玉の付いた黒塗りの櫛に丸花が可愛い。
「いいんですよ、楓さん。矢部さんの目には楓さんしか映ってないんですから」
「なっ…にを言うてんねや、お前は」
 顔を赤くする矢部に、楓もつられるように顔を赤らめる。
 ───ププー…唐突に、車のクラクションが鳴り響いた。三人同時に目を遣ると、奈緒子だけが嬉しそうに顔を綻ばせる。
「上田の車」
 ぽそりと呟く。パプリカは静かに停車して、運転席から上田が降りてきた。
「いやぁ、遅くなって申し訳ない。講義が長引いて…」
 そこまで言って、上田は口を開いたまま固まった。矢部は何となく、つい先ほどの自分を見ているような錯覚に陥った。
「どうしたんですか、上田さん」
 上田は紛れもなく、奈緒子を見て固まっている。
「上田センセー、固まっとると不自然ですよ」
 そっと小さく耳打ちすると、上田はハッと我に帰り、グイッっと首を捻って矢部に目を向けた。
「浴衣に見惚れる気持ちはよぉわかりますが」
 その言葉に、上田は再度奈緒子に目を遣り、その隣で不思議そうに佇む楓に気がついた。
「あぁ椿原さんっ!よく似合ってますよ、浴衣。YOUもな」
 ごまかすように二人を褒める。
「似合って当然でじゃないですか、褒めが遅いぞ」
 上田と奈緒子のやり取りに、矢部と楓は顔を見合わせて笑う。
「いちゃつくのは後にして、そろそろ行きまへんか?あんまり遅うと道も混みますし」
「「いちゃついてなんかいません!」」
 矢部の一言に、二人は口を揃える。気恥ずかしそうな表情が全てを物語るというのはこういう事なのだなと、矢部は微笑ましそうに口元を緩め、続ける。
「えーからはよ行きましょ」
 道が混むと後々面倒やからと笑う矢部に後押しされて、奈緒子と上田は渋々と車へと向かって歩く。
「二人、帯とか崩れへんよう後ろの座席に座るのがえーね」
 そう言って矢部は、奈緒子と楓を後部座席に促して自分は助手席へと身を沈めた。
「…で、この後どうするんですか?」
 ハンドルを握る上田が、ぼそりと呟いた。


 つづく


どーん!50話だ!
34話の後コメを見て思わずにやっとしてしまった射障です(笑)
50話で手間取ったのは、楓と奈緒子の浴衣の表現ですね。少ししたら描いてみようと思います…難しいな(苦笑)
話に合わせて画像を付けるのも一つの手法かな?とか思った今日この頃でした。

2005年2月14日(あ、バレンタインデーだ)

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