[ 第52話 ]


 カコン、カココン、カラン、コロロン。楓と奈緒子の下駄が、楽しげに鳴る。
「下駄の音って、面白いですね」
 奈緒子が、軽やかな足取りで踵を返し口を開いた。
「YOU、そんな風に歩いてると転ぶぞ」
「転びませんよーだ、上田じゃあるまいし」
 窘める上田をからかいながら、わざと下駄を鳴らす。
「楽しいね」
 するりと矢部の腕から手を離して、奈緒子の隣で笑う楓を見て、矢部は心の中にほんわりと暖かな何かを感じて口元を緩めた。
「ったく…」
 奈緒子にからかわれながらも、上田もどこか楽しそうに目を細めている。
「センセ、後で…山田に礼言うてもらえまへんか」
「ん?何ですか、唐突に」
 そんな上田に、言葉通り唐突に矢部は声をかけた。
「この祭り…多分かえちゃんが山田を誘ったと思うんですわ」
 矢部にも、気付いていた。楓が自分に遠慮している事。
「それは…」
「そやけど、山田が誘った事になってますやろ。かえちゃんの為に…」
「いや、アイツも来たかったんですよ、この祭りに。誰かと」
 ふっと顔を見合わせて、二人は笑う。
「ところで矢部さん、さっき、何かを買いに行ってたんじゃないですか?」
 少しの間を置いて、上田が口を開いた。
「ええ、まぁ…」
 カサリと、矢部の着ているスーツの上着の、ポケットの中で紙袋の擦れる音。
「楓さんに、ですか?」
「…ええ、まぁ」
 同じような返答に、照れくさそうに笑う矢部を見て、再び上田は目を細めた。自分よりも年上のこの男が、自分と同様に、大切な誰かを想って浮かべる表情に共感を得たからかもしれない。
「今日は祭りの最終日でしたね、花火も盛大なのが上がりそうだ」
 話題を変えた上田を見遣り、矢部はええと笑って答えた。
 ─── カラン、コロン…下駄が鳴る。
「そやけど、二人ともホンマによお似合とりますなぁ、浴衣」
「ああ、そうですねぇ…」
 ぼんやりと、お互いに自分の想い人を見つめて微笑んで、少し離れている事に気付いて慌てて駆けた。
「何やってんですか、二人とも…こんないい女二人を放っておいて。しっかりガードしてくださいよ、夜なんですから」
 後ろに辿り付いた二人を、奈緒子が諌めた。
「はは、すまんすまん。遠目に見てもなかなかだと思ってな」
 そんな奈緒子に、珍しく上田が正直に謝る。
「いえ、別に…あっ、そうだ矢部さん!」
「ん?おう、何や?」
 上田の態度に僅かに照れていた奈緒子だが、それを誤魔化すように矢部の名を呼んだ。
「花火、見るのはいいんですけど…お腹空くと思うんですよ」
 ちらりと、終わりかけた露店通りの先を見つめて言う。
「お前は…そんなカッコしとっても中身はやっぱ変わらんなぁ、花より団子とはよく言うたもんやな」
 さっきたこ焼きやら焼き鳥やら食うとったやん…と続けて笑う矢部を軽く睨み付けて、奈緒子は別にいいじゃないですか!と憤慨して見せた。
「ケンおにーちゃん、私もお腹空くと思うの…なんか買っていこうよ」
「そやな、よく考えたらウチの冷蔵庫の在庫も尽きかけやったしな」
 だが、矢部らしい。楓の言葉にコロリと態度を変えて、その手を引いてスタスタと露店の方へと歩いていった。
「変わり身早っ」
 むっとする奈緒子を、今度は上田が諌める。
「まあいいじゃないか、YOUは何が食べたい?」
「そうですね…お好み焼きとか、いいんじゃないです?」
 幾つかの露店で食料を買い込んだ後、矢部の提案で酒屋で数種類のアルコール飲料を買い、一向は矢部のマンションへと戻った。
「さーあ、本日のメインイベント☆」
 ワクワクと、鍵を開けた矢部の後に続いて奈緒子が部屋に上がる。クスクス笑いながら、楓、上田が後に続いた。
「お前は遠慮がないなぁ…ま、えーわ。バルコニーはそっちやから」
 ぺたらぺたらと、矢部はベランダを指し示しながら、自分は台所へと向かった。
「バルコニーはこっちだよ」
 楓が、奈緒子と上田をバルコニーへと案内するのを微笑ましそうに横目で眺め、食器棚からグラスや箸などを適当にお盆に乗せる。
 バルコニーは三畳より一回り広いくらいで、普段は洗濯物の干し場にしているらしく、隅の方に使い古した小さな物干し台が追いやられていた。慌てて片付けたのだろうが、キャンプ用の小さなテーブルセットと椅子が置かれていて、なかなかいい具合だ。
「へぇ〜、何か少しお洒落っぽいですね」
「ぽいやなくてお洒落に仕立てたんやぼけぇ。あ。上田センセ、こちらにどおぞぉ〜」
 クスクスと、奈緒子と矢部の遣り取りに堪えきれずに笑う楓をも矢部は椅子に座るように促して、一人で準備に勤しんでいる。
「ケンおにーちゃん、そろそろ上がる頃だよ」
「あ、そやな、今氷を用意するから…」
 部屋の明かりを少し落とすと、慌てて楓の隣に腰掛けた。
「どうぞ」
 楓が、矢部の前のグラスにボトルを傾けた。買ってきたのは主にワイン、と缶チューハイ。
「ありがとぉ。かえちゃんはこっちやな、お前もこっちがえーやろ」
 楓と奈緒子のグラスには、甘口のフルーツワインを矢部が注いでやった。
「上田センセーは何に?」
「ああ、お構いなく…赤ワインを」
 とりあえず乾杯をして、花火の上がる方向に眼を向けた。何となく、口数が減る。
「…花火、まだですかね?」
 カラリ…グラスの中で氷が静かに鳴る。
「どうしたんだろうなぁ、予定より少し遅れてるみたいだが」
「まあまあ、予定は未定て言うやないですか」
「未定じゃ駄目だろ」
 カラリ…矢部は自分のグラスを回しながら、深い色の安ワインを口に含んだ。
「こういう、時間も結構好きよ、私」
 楓も、静かにグラスを傾ける。9階と言う高さならではで、眼下に先ほどまでいた境内の明かりが見えた。淡い明かりに、どこかから僅かに聞こえる太鼓と笛の囃子。四人は静かな時間の中で思い思いにグラスを傾けて、露店で買った料理に箸を伸ばしていた。
 部屋についてから、既に20分が経過している。
「あ」
 花火の上がる予定の辺りをじっと見ていた楓が、小さく口を開いた。
「あ?」
 三人が何事かとそちらに目を向けた瞬間、細く高い笛のような音があたりに響き、続いて…どぉーん、と、鈍い爆音が響いた。
 ぱっと、紺碧の空に鮮やかな大輪の花が開く。
「上がった!」
 にわかに、辺りからも歓声が上がる。いい場所に建っているマンションだけあって、他の部屋の住人たちも花火鑑賞をしていたらしい。
「う、わぁ…」
 どおーん、どぉーん…と、続いて大きな花が開いては散り、散っては開く。
「すごーい、綺麗〜」
 楓が目をキラキラ輝かせて、身を乗り出す。
「ホンマやなぁ」
 言いながら、矢部は楓を見ていた。
「…でも、本当このマンションって穴場ですね」
「ん、まあなぁ。そやけど毎年祭りの最終日はうるさくてなぁ」
 毎年、仕事を終えて帰宅して、疲れて横になるとうるさくて眠れないとぼやく。今年は違うという意味合いに聞こえて、何だか奈緒子はくすぐったくなった。
「何や、変な顔してからに」
「変な顔とは何だ、矢部のクセに」
 少し酔いが回っているのだろう…コラコラと窘める上田の手を払いながら、奈緒子は自分のグラスにフルーツワインを注いだ。
「酒癖悪いなぁ、お前」
 比べてかえちゃんは、どっちか言うと笑い上戸かも…小さく呟いて、楓を見遣る。嬉しそうに、楽しそうにコロコロ笑っている。花火が上がるたびに歓声を上げて。
「YOU、大丈夫か?明日もバイトだろ?呑み過ぎるなよ」
「だぁーいじょうぶです。今夜、お祭りに行くって言ったら、昼間の方のバイト、お休みになりましたから」
 普段、ほとんど休みを取らない奈緒子が祭りの話をしたので、バイト先は快く休みをくれたのだ。
「そう、か?だが呑みすぎると二日酔いになるぞ」
 大丈夫!と言い切る奈緒子をよそに、突然楓がぱたりと矢部に寄りかかってきた。
「お?かえちゃん?」
 ふにゃ、と微笑む楓。酔いの所為で眠くなってきたのだろう…そっと髪を撫でた。
「あー、楓さん、眠いんですか?寝ますか?」
 ふらり、と奈緒子が立ち上がりながら言う。
「寝るって、YOU…」
「私は眠い…です」
 泊まってっていーですかぁ?と、奈緒子は続けた。
「泊まるってお前…あー、しゃぁないなぁ。上田センセもアルコールはいってもうて運転できまへんやろ?」
「そうですねぇ…」
「ほな泊まってってくださいな。かえちゃん、山田にパジャマ貸したってな、着替えてきい」
 子猫のように矢部の胸に背中を寄り掛けていた楓が、うんと笑った。そして二人、危なげな足取りで矢部の寝室へと向かう。
 バルコニーには、上田と矢部。
「泊まる言うてもセンセ、こっちの部屋の、毛布の上でえーですか?ソファが寝室にあるんですけど、今夜は山田に貸したらなあかんし」
「ああ、構いませんよ。夏だし、たまにはこういうのもいいでしょう」
 ふっと微笑んで、矢部はおもむろに懐に手を滑り込ませた。取り出したのは、小さな四角い箱。
「あ、いいですか?」
 一緒にライターも取り出してから、一応上田に許可を求める。
「どうぞ」
 特に気にするでもなく、上田はグラスを傾けた。カチリ…カチッ、カチッ。
「…点かないんですか?」
 何度もライターを擦る矢部を見て、上田が聞いた。
「これだから100円ライターは…」
 ははっと、笑う。
「はい、ケンおにーちゃん」
 と、シュッ…と言う音と共に、顔の横にゆらりと火が揺れた。楓がマッチを擦ったのだ。
「あぁ、ありがとお」
 顔をそちらに向けると、パジャマを着た楓がマッチを、矢部の咥える煙草にそっと寄せてきた。向こう側に、同様にパジャマを着た奈緒子の姿もある。
「花火、終わっちゃったね」
 いつの間にか、静まり返った夜空。深く吸い込んで、灰色の煙を吐いて、矢部もグラスを傾けた。
「祭りが終わると、夏も終わりに向かうような気がしますね」
 上田が、センチメンタルな事を口にしながら立ち上がり、バルコニーに矢部と楓を残してリビングの奈緒子の元へ向かった。
「夏、終わっちゃうね」
 そっと、矢部の隣に腰掛ける楓。浴衣の楓は、すごく綺麗だった。花火の明かりに照らされた横顔も、儚くて。
「そうやな…」
 でも、もちろん、普段の楓も綺麗だと思う。晴れた日のお日様のような、笑顔とか。
「おにーちゃん、おかわりは?」
 そっと、矢部のグラスに楓は少しぬるくなったワインを注いだ。さっきと同じように、矢部も楓のグラスに残ったフルーツワインを注ぐ。
「かえちゃん、アルコール回るの早いけど、醒めるのも早いねんなぁ」
 パジャマ姿も、毎晩見ているが可愛いと思う。
「うん、でもすぐ眠くなるから、外じゃ飲めないな〜」
 手にしたままの、煙草をもう一度咥える。吸い込んだ煙が妙に苦くて、なぜか胸が痛い。少し酔っているのかも…
「コレ呑んだら、寝よか」
 うん、と笑う楓を見てから、矢部はリビングに目を向けた。今夜は楓の顔を見ながら眠れないのだと、上田と奈緒子を眺めながら、ぼんやりと。


 つづく


殊更妙な感じで。
花火って文字で表現するの難しいわねぇ…
そしてこの夜は、奈緒子、初めてのお泊り★(笑)
最近煙草を吸う射障です、何となく。で、矢部さんにもまた吸わせて見たくなった。
プロローグでも吸わせたけどね。

2005年3月6日

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