[ 第53話 ]


「おやすみなさい」
 そう言って、楓は眠さに負けてふらふらしている奈緒子を支えながら寝室へと消えた。リビングには、矢部と上田。
「上田センセは、どうしはりますか?」
 バルコニーのテーブルの上にあったものをリビングボードに移しながら、矢部はおもむろに声をかけた。
「そうですねぇ、もう時間も時間だし、休ませてもらいますよ」
「そうですか、ほな、タオルケットかなんか持ってきますわ」
 どうも、という上田の声を背中で受けながら、矢部はそっと寝室の戸を開けた。暗闇の中で、ベッドに奈緒子、ソファに楓が横たわっているのが見えた。
「ケンおにーちゃん?」
「あ、起こしてしもた?ごめんなぁ、タオルケット取りに来たんや」
 ソファから静かに下りて、楓は矢部に近づいてくる。
「かえちゃん?」
「ケンおにーちゃんと上田先生、そっちで寝るの?」
 少し眠そうに。
「こっちはかえちゃんと山田がおるからな」
 ふぅん、と、少し寂しそうに俯いて、楓はソファに戻った。
「おやすみ、かえちゃん」
「…おやすみなさい」
 いつも一緒に寝ていた、あの日からずっと。だから、かもしれない。楓も、矢部と同じように、別々の部屋でお互いの顔が見えないのが寂しいと、感じた。
「楓さん?」
 矢部の出て行った寝室で、寝ていたはずの奈緒子が小さく口を開いた。
「え?あ、奈緒子さん…起こしちゃった?」
「いえ、なんか目が覚めただけですから」
 本当は、完全な眠りに落ちていなかっただけなのだが…
「ところで、どうして寝室にソファがあるんですか?」
 前に来た時も確か寝室にソファがあったと続けながら、奈緒子は聞いた。
「あ、うん、ケンおにーちゃんがソファで寝るから」
 もぞもぞとソファの上で、タオルケットを自分に巻き付けるようにしながら楓は答える。
「え…一緒の部屋で、寝てるんですか?」
「うん…変かな?」
「え?いえ、別に変ではないと…思います」
 ただ、想像できなかった。
「…あのね、夜、眠れなくて」
 奈緒子の顔を真っ直ぐに見つめながら、楓は続けた。
「最初はね、おにーちゃん、リビングにソファ置いたままで寝ようとしてたの」
 あの日の事を、話す。一人になるのが恐くて、なかなか寝付けなかった楓の為に、ソファをこの寝室に移して、ずっと一緒に寝てくれた事。
「へぇ〜…矢部さんって、楓さんには優しいですよね」
「そう、かなぁ?だとしたら、嬉しいな」
 にこりと、微笑む楓。
「そうですよ」
 二人は幸せな日々を送ってるんだろうなぁと、奈緒子は何となく思って、でも口にするのはやめた。第三者がどうこう言っても、意味の無いことだから。
「じゃぁ、寝ましょうか」
「うん」
 ぱたりと、目を閉じると暗闇。奈緒子はぼんやりと、静かに深い眠りへと落ちていった。
「…でも、眠れないなぁ」
 少しして、楓が小さく呟いた。
 ───カラン…リビングでは、矢部が一人でグラスの中の氷を鳴らしていた。上田はとうに、リビングの床の上で寝入っている。
「花火終わると、急に静かんなるなぁ…」
 ぽそりと呟いて、グラスの中身を口に含む。おもむろに立ち上がると、ハンガーにかけていたスーツの上着に手を伸ばし、ポケットの中から紙袋を取り出した。
 さっき、渡そうと思ってタイミングを逃していた、もの。
「…ま、後でもえーか」
 紙袋から出さずに、スーツの上着のポケットに、戻す。上田の横に座り込んで、矢部は窓の向こうに目を向けた。暗い空。
 さっきまで、大きな花火に彩られていた空。
「祭り、か」
 本当は少し、心配だった。楓が夜に、外出する事を。初めの頃は昼間でさえ、一人で外に出る事をあんなに恐れていたのに…自分や、上田や奈緒子が一緒だからといって、夜だけは無理だと思っていた。
 まだ、心の傷は癒えていないだろうと。
「う、うぅ〜ん…」
 横で上田が唸り声を上げた。夢でも見ているのだろう、眉間にしわを寄せている。
「やま、だ!それは食うなっ!」
 唐突に声を荒げる、寝言だ。
「センセが寝言を言うんはめずらしぃなぁ…」
 どうやら夢の中には奈緒子がいるらしい、ククッと喉を鳴らして笑いながら、矢部もごろんと横になった。
 楓は今夜、外に出た。浴衣を着て、楽しそうに笑っていた。矢部が思っているよりずっと、大丈夫なのかもしれない。矢部だけがいつまでも、大丈夫ではないと思っていたのかもしれない…もう、頃合なのかもしれない。
 ───カタ…どこかでかすかに何かが鳴った。
「ん?」
 それは、寝室の方から。何事かと首を捻ると、ドアが少し開いていた。そっと誰かが顔を覗かせる。
「かえちゃん…どないしたん?眠れへんの?」
 タオルケットを羽織って、楓が困ったような表情を浮かべて立っていた。
「あ、アレか?山田の寝言がうるさいんか?」
 ピンと来て尋ねるが、楓は首を横に振って矢部に近づいてきた。ちょこんと、矢部の前に膝をつく。
「かえちゃん?」
「なんか、やっぱり…ケンおにーちゃんが隣にいないからかな?何だか、眠れない」
 小さく息をついて、申し訳なさそうに。
「そか、でも隣に、山田がおるやろ?」
「うん、奈緒子さんと一緒に寝てると、お友達の家にお泊りしてるみたいで楽しい。でも、何だか落ち着かない」
 困ったように笑いながら、矢部に顔を向けた。そっと、頭に手を遣って髪を撫でると、嬉しそうな笑みに変わる。
「ほんならちょっと、喋ろか?眠たくなった時に寝たらえーし」
「うん」
 そうして、二人は壁に寄りかかる形に並んで腰を下ろした。脇には余ったワインのボトルと、グラス。
「これ、そんな甘ないけど…飲む?」
「うん、飲む」
 静かに楓のグラスに、それを注ぐ。矢部のグラスにはさっきの残りが入ったままだ。
「んん」
 一口含んで、楓が眉を顰めた。
「どや?」
「なんか、からい気がする。お酒の味がする」
「そら酒やからな」
 飲み慣れてないとそうかもしれへんな…そう笑って、矢部もグラスを傾けた。
「でも、美味しくなくは無いと思う」
「はは、そか。そやったらかえちゃん、酒通になりそやな」
 そのまま、話をした。他愛の無い話だ。今日の祭りで回った露店の感想や、ときたま寝室から聞こえてくる奈緒子の寝言に突っ込みを入れたり。
 とても楽しい夜だった…


 つづく


相変わらず気分が乗らないので短めに締めてみました。
夜の遣り取り、もっと長くしたかったなぁ…
そしてそろそろ、佳境への足がかりに進む予定です。
飽く迄予定ですので、あしからず(笑)

2005年3月21日

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