[ 第56話 ]


 池内律子、17歳。
 襲われかけて、土原に救われた少女。
 土原 学、37歳。
 某暴力団幹部、次期組長候補、樋浦聡殺害により送検。
 樋浦 聡、32歳。
 池内律子に対する暴行未遂、それにより殺害。
 蔵内宣夫、30歳。
 土原 学についていた男、現在SW幹部。

 コロコロ…乾いた木の、転がるような音で矢部は目を覚ました。
「う…ん?」
 頭がガンガンする。どうやら小さなちゃぶ台に、突っ伏したままで眠ってしまったらしい。体の節々も痛む。
「ったー…」
 痛む箇所を押さえながら、ゆっくりと体を捻る。ガサガサ。拍子に、何か、紙がこすれるような音。
「ん?あっ…」
 矢部が突っ伏していたちゃぶ台の上、一冊のノートがぐしゃぐしゃになっている。
「あぁー…」
 鉛筆で書かれた文字が、擦れている。そう酷くないのが救いだ、中身はなんとか読める。
「…顔、洗てこ」
 頭をガシガシとかきながら立ち上がり、矢部は流しへと向かって歩いた。古い木造の集合舎、洗面台などと小洒落たものはない。
「うあっ?!」
 流しに立てかけられている鏡を見て、矢部は声をあげた。顔の、頬や額に鉛筆の跡がついている。ノートそのものに突っ伏していた所為だろう…
「か、鏡あって良かった…」
 小さく息をつきながら、冷たい水で顔を洗う。
「くはー…」
 顔を洗うと、一気に目が覚めた。ちらりと時計に目をやると、7時36分。もちろん朝の。
「いつの間に寝たんやろ、オレ…」
 確か、5時くらいまでは起きていた筈だ。のどが渇いて水を飲んだ時に時計を見た覚えがある。そのすぐ後に眠りに落ちたとして…睡眠時間は僅か二時間少し。
「…眠、い」
 目は覚めたはずなのに、不意に眠気が襲ってきてふらつく。が、慌てて身を持ち直した。
「っと、危ない危ない」
 何度か頭を振って、とりあえず服を着替える事にする。流石にそのままのシャツだと、汗臭い。楓に会うのにそれじゃまずいと、この頃はきちんとするようになっていた。
「くん…」
 だが、何となく匂いをかいでみて顔をしかめる。そういえば、このところ忙しくてきちんと洗濯できてない。洗っても半乾きのまま袖を通したり、誤魔化しながら着ていた事を思い出して深く息をついた。
「汗の匂いはせぇへんけど、なんや嫌な匂いするなぁ…」
 ぽつりと愚痴のようにこぼし、袖を通したばかりの白いYシャツを脱ぎ捨てた。春の陽気も当に過ぎて、近頃は暑いくらい。洗濯済みの白いYシャツはもう、これが最後だった。
「あかんなぁ、Tシャツ出勤なんかしたら先輩に殺されそうやし…」
 とは言うものの、使い古したタンスからはTシャツしか出てこない。もしくは、休日に普段着として使っている柄物のシャツだ。
「…Tシャツよりは、まし?」
 ぽそりと自問自答しつつ、中でもあまり派手ではないものを手に取った。薄いグレーの生地に、細かな線で沢山の蝶が描かれたシャツだ。
「上着着ればまぁ、誤魔化せない事もない…はずや。うん」
 ちらりと目覚まし時計に目を遣ってから、慌ててそのシャツを着て、上着を羽織った。8時半には警視庁に来るように言われている、急がないと遅れてしまいそうだ。
 急いでいたので矢部自身は気が付かなかったのだが、警視庁へ向かう道すがら、すれ違う人々はそのいでたちに眉を顰めていた。似合ってはいるのだが…
「抜沢先輩おはようございます!」
 ダッシュで公安第五課の部屋に入ると、見つけた抜沢にすぐさま声をかけた。
「おう、時間ギリギリだな…」
 抜沢は、矢部に声をかけられるまで背を向けていた。ゆっくり振り返りながら矢部を見て、ぴたりと動きを止めた。
「先輩?」
 矢部は息を切らしながら、その様子に首をかしげる。
「…なんだお前、それ」
 少しの間の後、ゆっくりと口を開く。
「それ?あ、す、すんません、Yシャツ全部洗濯してて…合間にどっかで買うてきます」
 慌てて弁解する矢部を見て、怒鳴るどころか抜沢はにやりと笑んだ。
「どこのヤンキーかと思ったぜ、白いYシャツより似合ってんじゃねーのか」
 ククク、と笑いながら矢部のその肩を軽く叩く。
「え…」
「どうせだからお前、これからずっとそういうのにしろよ」
 クク…と、他の同僚達も笑った。
「えぇ?!い、いーんすか、そういうのって…」
 驚く矢部をよそに、同僚達も言う。
「大丈夫だ矢部。お前が入るずっと前になるけど、抜沢なんかピンクのアロハシャツ着て出勤してきた事がある」
「そうそう」
 さすが抜沢の下についてるだけある…そんな事を言いながら、各々担当の現場へと向かうべく部屋を出て行った。後には呆気に取られた表情の矢部と、にやつく抜沢。
「い、今のホンマですか?」
「おう。確かに俺はピンクのアロハを来て着た事がある」
 課長にどやされたけどな…そうやって笑う抜沢の表情が、何だかすごく暖かくて、矢部は背中がむずがゆくなるような感を受けた。
「まぁ、今は昔より厳しくねーから、構う事ぁねーよ」
「そやけど…」
「もうちょっと派手なのにしろよ、そうしたらゴロツキ相手にも引けをとらねぇ」
「またそういう無茶苦茶な事を…」
「何か言ったか?」
「いえ、何でもないです」
 そうは言いながらも、それも悪くないなぁ…なんて、矢部は思いながら部屋を出て行く抜沢を慌てて追った。
「なんか分かったか?」
 歩きながら、唐突に抜沢が口を開いた。
「何がですか?」
 シャツの襟口の乱れが気になるのか、何度も直しながら歩いていた為に、その質問に意味が分からなかった矢部…言うまでもなく抜沢の拳が振ってきた。
「あだっ」
 拳と言うよりは掌、バシッと頭をはたかれる。
「昨日言った事だよ」
「あぁ…そうでした」
 はたかれた頭部をさすりながらにへらと笑う。昨夜は何も分からなかったのに、起きて、警視庁へ向かう道すがらで矢部は何かを掴んだのだ。
「で、どうだ」
「オレ、分かった事があるんです」
「うん」
「土原から話を聞いて、それで…多分、オレの勝手な推理なんやけど」
「早く言え」
「…蔵内が、そうなるように仕向けたんやないんかと」
 きらりと抜沢の目が光った。
「ほぉ〜…」
「土原から聞いた話では、あの事件で死んだ樋浦…蔵内とよくつるんでたらしいんです」
「へぇ」
「仲がいいわけじゃなくて、なんつーか…」
 自分が感じた事、推理した事。それを、順序だてて人に話すのは、実は苦手だ。どう表現したらいいのかと言い淀んでいると、抜沢が静かに息を吐いた。
「先輩?」
「やるじゃねぇか」
「え?」
「続けろ。どんなに時間かけてもいいから、全部俺に話せ」
 笑っている。目だけはギラギラと、抜沢特有の刑事の輝きを放ちながらその表情は、ただ笑っている。
「あ、あの…えっと、利害一致の関係だったんじゃないかと」
 その抜沢の言葉に、矢部の中で何かが外れた。多分、どんなに突拍子の無い事を矢部が口にしても抜沢はそれを受け止めてくれるだろうし、順序が滅茶苦茶の推理でも抜沢の脳裏では素早くきちんと並び直されて行くのだろう。
 ああ、なんて頭のキレる刑事なんだろう…そんな思いと共に、矢部はただひたすら話を続ける事にした。
「お互いの中の何かによって、利害が一致して、それでつるんで行動してたと思うんです。そん中でもしかすると、蔵内が樋浦に、池内の律子さんに何かしらのアクションを起こさせるような事を言うたんやないか…オレはそう思いました」
「うん、それで」
 抜沢は矢部の話を聞きながら、ふとその目を見遣った。まるで抜沢のそれが移ったかのように、ギラギラと燃えている。
「そやから、蔵内の中で既に最初からそんな風に計画が練られていて、樋浦が律子さんに何かしようとしているという事をさりげなく土原に伝え、現場に駆けつけた土原が樋浦を止めようとして、殺す」
「そうだ」
 もう、止まらない。歩きながら矢部は、次々と推理を語る。それをただ抜沢は適当なところで相槌を打ちながら聞いて、自身の中でそれらを組み立てていく。
 この事件の真相が解けたなら、椿原夫妻両名殺害の事件の真相も、解ける。
「土原は最初から、蔵内の手駒にされてたんや…」
 もしかするとそう、蔵内は最初から、何らかの理由で樋浦を始末する為に池内の組に入ったのかもしれない。そこで土原と言う男に目をつけて…
 無意識に矢部の拳が強く握られた、それと同時に身震いする。


 つづく


みょうちくりんな感じ(笑)
ここのとこ多いなぁ、みょうちくりんな出来具合(汗)
そんで過去の話に行くと、やっぱり本格推理小説風で書きたくなる射障です。
そしてさりげなく、若かりし矢部刑事は今まで白い、ごく普通のYシャツを着用していた事が判明(笑)
抜沢公認で柄シャツに転向ですが(笑)VIVA個人設定…

2005年4月17日

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