[ 第57話 ]


「いいところに目を付けたな」
 一通り話し終えた矢部をちらりとも見ずに、抜沢は咥えた煙草にライターの火をかざしていた。
「ども、です」
「大丈夫か?昨日、寝たの何時だ?」
 すぅー…っと、深く吸い込んで白灰色の煙を吐き出しながら言う。
「昨日…っつか、日付的には今日になるんすけど、大体5時過ぎくらいやと思います」
「そうか、まぁ、若いから大丈夫だな」
 勝手に決め付けて、抜沢はスタスタと歩き出した。今日は一体どこに向かうつもりなのだろうか?考えてみれば、矢部はいつも抜沢の指示に従っていた。
「先輩?」
「あー、くそっ」
 突然声を荒げるものだから、思わず後ずさりしてしまった。
「せ、先輩?」
「かったりーなぁ、ちくしょう」
 さっさと終わらせようぜ…そう続けて、にやりと笑う抜沢。まるでもう、抜沢の中では事件は終盤を迎えているかのような素振りだ。
「そ、そうっすね」
 だからだろう、抜沢についていると何だか安心するのは。
「ところで先輩、どこに向かってるんですか?」
「池内の孫娘んとこ」
「律子さんとこ?」
「ああ、昨日頼んでいた事があるから、それを聞きにな」
「聞く?」
「おう」
 何を聞くというのだろう?首をかしげる矢部をよそに、抜沢はスタスタと先に進む。
「先輩、聞くって…何を聞く言うんですか?」
「行きゃわかるさ」
 安心はするが、先の読めない行動には不安も過ぎる。心の安らむ暇がないとはこの事か…?などと思いながら、慌てて後を追う。
 行き着いた先で矢部は、思わず足を止めた。
「おい、ぼけっとしてないで早く来い」
「え、あ、は…はい」
 純日本家屋、自然石を積み合わせた塀に囲まれた、決して小さくない庭がある。カコーン…と響くししおどしが、怖いくらいにびったりはまる。
 『池内』と、門の横にひっそりと年季の入った表札が掲げられていた。
「邪魔するぜ」
 インターフォンを押してすぐに、向かえも出ない内に抜沢は扉を引いた。
「せ、先輩っ…」
「あ、いらっしゃいませ」
 慌ててかけてきたのか…少し腰が引け気味の矢部の前に、律子が息を切らして立っていた。
「あ、ど、ども」
 ペコリと頭を下げる律子に、矢部も慌てて頭を下げる。
「何か静かだな、何かあったかい?」
 早々に靴を脱いで上がる抜沢が、言う。すると律子は穏やかに微笑んだ。
「祖父に、今日、抜沢さん達がいらっしゃると伝えたら、皆を連れて出かけました」
「気が利くじじいだな」
「先輩っ!」
 孫娘を前にはっきり言う抜沢に、なぜか矢部がびくつく。
「いえ、抜沢さんが怖いからだって言ってましたよ」
「口の減らねぇじじいだ」
 だがそんな矢部をヨソに、抜沢と律子は仲の良い友人同士のように会話をしていた。何とも不思議な光景だ。
 そして、何だか妙に抜沢が、浮いていない。
「とりあえず奥へどうぞ、賄いは残っているので何か用意させます」
 いわゆるカタギではない者たちの居る場所なのに、抜沢はまるで空気のように溶け込んでいる。組員達が居ないとはいえ、ここはそういう場所なのに。
「何だ矢部、抜けた面ぁしてんじゃねーぞ」
「え?あ、はい…」
 刑事なのに…およそ刑事らしくない。コッチの世界でも充分通用する雰囲気を持っているのだ。
「よく似合ってますね」
「はっ?」
 長い廊下を歩いていると、律子が言った。
「お前もいいとこに目を付けたな、今の矢部ならここに居ても不自然じゃない」
 からかうように便乗する抜沢。いや、それは先輩の方ですて…と喉まで出掛かって、辛うじて飲み込んだ。
「ど、ども」
「蝶々の柄…珍しい柄ですね」
「はあ…」
 律子は律子で、物珍しそうに矢部のシャツを眺める。
「どっかのチンピラみたいだろ」
 廊下の突き当たりに、座敷があった。そこに案内されると、すぐに賄いと思しき女性がお盆にお茶と、和菓子を乗せて現れた。
「お嬢様、お茶とお菓子をお持ちしました」
「ありがとう、志津さん。こちらは警視庁の抜沢さんと、矢部さんよ」
 四角い朱塗りのちゃぶ台に、それぞれの前に湯飲みと和菓子の乗せられた平皿を並べる女性に、律子が声をかける。
「存じております。いつぞやは大変お世話になりまして」
 深々と、頭を下げる。
「抜沢さん、矢部さん。この方は志津さん…で」
「ああ、覚えてる。前の事件の時にも茶を出してもらった」
 矢部に覚えは無かったが、抜沢の言葉に何となく思い出した。が、それでも違和感。
「あれ?そやけどあの事件ん時て、ここ来てない…」
 違和感は単純に疑問として、思わず矢部は呟く。すると、志津はクスリと小さく笑った。
「私、あの時は警察署の方に呼ばれまして」
 あ、と思った。
「所轄署の奴らの淹れた茶があまりにまずくて、先輩が当たり散らかしてたのを見かねて淹れてくれはったんですよね」
 思い出して、つくづくこの人は傍若無人だなぁと思った。
「まぁ、志津さんったら」
 クスクスと、律子が笑い、矢部も笑った。
「まあその話は今はいーじゃねえか。それより本題の方が大事だぜ、昨日言った話は覚えてんだろ」
 湯飲みをぐっと傾けながら言う抜沢のその行為は、どこか照れ隠しにも見える。
「ああ、ええ、覚えております」
 すっと、律子が動いた。
「律子さん?」
 訝しがる矢部をよそに、掛け軸が飾られている奥に、ひっそりと置かれた文箱に手を伸ばした。そして、それに合わせるかのような動きで志津は部屋を後にした。
 何だか妙な、空気が流れる。
「どうぞ」
 漆塗りの、年季の入った文箱。まさに年代物、価値がありそうだ。
「どうぞって言われても…」
 文箱は矢部の目の前に置かれた。どうしていいか分からずに、隣の抜沢を窺う…いきなり睨みつけられた。
「せっ、先輩、何でそないな痛い視線送ってきよるんですか」
 あまりの鋭い目つきに、つい目を逸らす。
「逸らしてんじゃねーよ、タコッ。人が折角アイコンタクトで教えてやろうとしたのに」
 ひゅん…と、いつもの様に拳が振られる。目を逸らしていたのでかわす事もできず、見事に後頭部にヒット。
「あだっ…アイコンタクトかて、またそないによぉわからん事を…」
 その目はただ怖いだけだと、口には出さないが思う。
 相も変らぬ遣り取りを一通り終えた後、クスクス笑っていた律子も含めて三人は静かに息をついた。


 つづく


時間を空ければ開けた分だけ妙な具合になっていくのだわね(笑)
文体は妙だけどストーリーの方向性はずれてない、大丈夫大丈夫、大丈夫大丈夫…(笑)
むしろ、気を引き締めるつもりで続きも張り切ってまいります。
ゴーゴー!

2005年6月2日

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