[ 第61話 ] 「そいつどんな奴やった?!」 掴みかからん勢いで、怒鳴るように矢部は叫んだ。 「ふぁっ?!」 あまりに突然の事で、タツは驚いて口を噤む。 「矢部、落ち着け」 逆に抜沢は、冷静に窘める。まるで彼からの言葉を予想していたかのように。 「落ち着いてなんかいられへんっ!かえちゃんに…あないに小ちゃな子に脅しかけるような奴が、おるんですよ!許せへん…」 グッと、唇を噛む。 「いいから、落ち着け」 「そやけどっ!」 「落ち着け、つってんだろうが!お前、俺にぶっとばされてーのか!」 唐突に、抜沢が怒鳴った。部屋が揺れるかと思うほどに大きな、それでいて低い声で。矢部は思わず身を固めた。 く、喰われるっ… 「ひ、は…いえっ」 詰め寄られたわけでもないのに、一歩後ずさる。 「矢部…お前、突っ走るなよ」 ふっと声のトーンが落ちた。いつも抜沢の、どしりとした声色。 「は…い?」 「おい、ボウズ」 「あ、はいっ」 矢部から急に視線をタツに移した。あまりの急さに、矢部はまるで捨て置かれたようになる。声をかけられたタツはびくつく。 「どんな男だった?顔は?覚えてるか?」 「は、はい。黒い服を着て…ました」 「年の頃は?」 「え?えっと…お、おじさんより若かった、かな?」 さっきの豹変を間近で見ていた所為かもしれない。タツは緊張した表情を崩す事無く、聞かれた事を慌てて答えているように見えた。 不意に、矢部に肩を掴んで引き寄せた。 「わ?」 「コイツと比べてはどうだった?」 引かれた矢部はその拍子にバランスを崩しよろけるが、足が置かれていた椅子にぶつかって踏みとどまった。ただ、ぶつかった場所が脛の辺りでとんでもなく痛くて、顔をしかめる。 「え…と、ちょっと上、かな?」 それを少し心配そうに見ながら、タツは言った。 「俺より下で矢部より上か…」 痛みに顔をしかめながらも、タツの言葉は矢部の耳に伝わる。すぐさま思い浮かんだのは、あの男。蔵内… 「先輩…オレはやっぱり、アイツやと思うんです」 上ずった声で言うが、抜沢はくるりと背を向けてしまった。 「せんっ」 「ボウズ」 矢部の言葉を、遮る。 「は、はいっ」 唇を噛み締めて、矢部はそれ以上続けるのをやめた。今は、自分が言う言葉など何の意味も持たないのだと気付いた。抜沢のその、突き放すような反応で。 「顔、見れば分かるか?男の」 「あ、はい。わかり、ます」 すぅ…と、静かに息を吸う音。空気が和らいだ。 「矢部」 「はい」 抜沢が、振り向かずに続けた。 「時間が惜しい。部屋の外に由美…がいるはずだ、この近所で、ファクシミリを置いてるところがあるか確認しろ。あと番号と」 「え?」 「確認したら一課に連絡して、蔵内の顔写真を流させろ」 抑揚のない口調だが、この男の頭の中ではもう既に次の行動に移っているようだ。 「そや…けど、先輩、ファクシミリなんて、そら最近よぉ出回ってきとるけどある家なんてまだ…」 確かにそうなのだ。最近になって10万円を僅かに下回るものが販売され始めてきたが、それでも高いものは高い。 「探しゃどっかにあんだろーが、早くしろ」 身体はそのままに、首を僅かにひねりコチラに目をやる抜沢が急かした。 「…探します」 「おう」 逆らえば容赦なく手か足が飛んでくるだろうと判断し、とりあえず部屋を出る。きょろきょろと芹沢の姿を探した。 「あれ?おらへんし…」 「あら?もう話、終わったの?」 どうしようか立ちすくんでいると、ひょいと角を曲がってきた。あまりに唐突な出現で驚きながらも、言葉に詰まりながら芹沢に、抜沢に言われた事を伝えた。 だが、困ったように苦笑を浮かべる矢部とは裏腹に、芹沢は爽やかに微笑む。 「探す必要ないわ、この間、園に導入したばかりだから」 思わず息を呑んだ。絶妙のタイミング… 「ほな、あの…番号、教えてください」 教えてもらった番号を一課に電話で伝え、すぐさま部屋に戻る。写真が届いたら、芹沢に部屋に持ってきて欲しいと頼み込んでから。 「はえーな、おい。あったか、ファクシミリのある場所」 きょとんとする抜沢に向かって、思わず、握り締めた拳を顔の前に持ってきて、親指をグッと上に上げた。 「何だそれ」 「芹沢センセー、こないだ園に導入したそーで」 「…ここに?」 こくんと頷くと、口元に笑みを浮かべて目元を手のひらで覆い隠した。何かを思い出しているような風合いだ。 「あいつ…ったく、新しい物好きめ…」 ぽつりと小さく呟く様子が、何だか切ないほどに温かい。 「悪かったわね、新しい物好きで。手間が省けたんだから褒めて欲しいくらいなのに」 ガチャっとドアが開かれ、芹沢が手に紙を持って現れた。 「何だよ、聞き耳立ててんじゃねーよ」 「聞こえたんだからしょうがないじゃない。文句言うとコレ、渡さないわよ」 ピラピラと紙を揺らす。 「いいから早く寄越せ」 簡単に奪われて、芹沢はやれやれと笑った。 「おら、ボウズ。どうだ?」 芹沢の手から奪われた紙は、風に吹かれるようにタツの前に置かれた。 「あ…」 目が丸くなる、ビンゴだ。 「そいつ、か?」 ごくりとつばを飲み込んで、矢部がまたタツに顔を近づけた。だが今度は、抜沢も同様に顔を近づけている。タツは小さく、こくんと頷いた。 「いよっし、ほな行きましょ先輩!」 唐突に矢部が声を荒げた。荒げるというよりは、その気になってきた、と言う方が近いかもしれない。 「待て、矢部。まだだ」 「まだって…そないな事ゆーてたら逃げられますよ。今の内に手を打っとかへんと」 「一人で勝手に突っ走ってんじゃねぇ」 「そやけど分かっとるんですか?小ちゃい子を脅すような事もしとるんですよ!」 言ってから、矢部は後悔した。なぜかは分からないが、自分は先走っている…楓の事を思うばかりにかもしれない。矢部の立場からすれば先走るのは当たり前なのだが。 楓の両親をその手で奪っておきながら、今度は楓が大事だと思う人を傷つけるとまで言っている奴の根性が憎たらしくてしょうがなかった… 「…え?」 風を切るような音、突き飛ばされるような衝撃、首に圧迫感。そして、背中に鈍い痛み。 「っだ…」 痛みに眉を顰めた時に、やっと今の自分の状況を理解した。 「ふざけんなてめぇ…」 抜沢が再び声を上げた。矢部のシャツの胸元を掴み上げ、壁まで勢いよく押し付けて。衝撃、圧迫、痛み…矢部の感じた全てのものが、抜沢からたった今与えられたものだった。 「せんぱ…」 「分かってるかだと?分かってる?分かってねーのはてめぇの方じゃねーか!」 ぐっと、掴まれた襟首が強く締められる。 「ちょっと、抜沢…」 「外野は黙ってろ!」 抜沢を止めようとした芹沢の声を、荒げる声で遮りながら、続ける。 「矢部、お前はわかってんのか」 何を言おうとしているのか、矢部にはまだ分からなかった。 「なに…」 喉元が苦しい… 「勝手に突っ走って先走った真似して何になる、気付かないのかお前は!」 重低音が響く、耳が痛い。 「あのチビが、楓が今一番大事に思ってる奴が誰なのか…分かってんのかって聞いてんだよ!」 「え…?」 ふっと、楓の顔が頭に浮かんだ。無邪気な幼い笑顔、純粋な優しい笑顔… 「お前だよ。親亡くしたあいつが今、一番大事に思ってる奴なんてお前しかいねーじゃねーか!それがどうだ…お前が今、先走って無茶やって、何かあってみろ…」 ぞっとする。 「例えどんなに些細な傷だろうが負ってみろ…あいつはその為に口をつぐんでるのに、何かあったら何も出来なかった自分を、一生責め続けるんだぞ!」 「そ…」 「さっきあいつが唇僅かに動かして、俺に何を伝えたかったかお前には分かるか?一番信頼してるお前にじゃなくて、この俺にだぞ?」 そうだ…矢部は身動きも出来ないままに思い出した。いつもなら多分きっと、楓が何か伝えたいなら自分に言うはずだった。 「な…に、を」 何だか熱いモノが喉の辺りで燻っている。 「お前を守ってくれだとよ!」 吐き捨てるように言って、やっと矢部は開放された。襟首を締め上げていた手から力が抜かれ、その場にガクリと崩れ尻餅をついた。ゼエゼエと呼吸の乱れを整えていると、目元が潤んでくる。 涙が出そうだ。 「お前の事が心配で心配で、いつだってお前の姿を探して、いつもお前といる俺にお前の身を守ってくれなんて言うような奴だぞ。たった六つかそこらのガキなのに」 先ほどまでの荒々しい声質から、緩やかにいつものトーンに戻る抜沢の言葉が、矢部の胸を締め付ける。 「かえちゃん…」 名前を呼んで、唇を噛む。 「…分かったか」 抜沢の言葉に、頷く。自分は絶対に、どんな小さな怪我も負ってはいけない。今は堪えるしかない…大丈夫だ。 「先輩…オレは、次、何すればえーですか」 溢れ出てきそうな涙を堪えるために目元をこすり、抜沢を見た。 「…今は堪えろ、奴は絶対動き出すから。そうすりゃ俺がこの手で、去年の事件分と今回の分、一気に片をつけるから」 つづく うっがー!微妙だ… でも終盤の、抜沢の怒鳴りは書いててテンション上がるっす。 恐かっこえー、ヤクザ刑事万歳だな。 ちなみに一番困ったのはFAXのくだりです。18年前だからまだあまり流通していない、ってか高いものでした。 2005年6月10日 |
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