[ 第62話 ]


 耳にまだ、抜沢の重低音が響いているような気がする。ふと気付いた、上腕部が僅かに震えている…
「ちっ…」
 小さく舌打ちをして立ち上がって、もう一つの事に気付く。
「あ…だ、大丈夫か?お前…」
 椅子に座って、呆けたように口をあけたタツが、矢部に声をかけられてハッとした。
「あ、は、はい」
 そうだ、コイツはさっきからずぅっと、同じように抜沢の重低音を聞いていたんだ。放心するのも無理はない。妙な親近感を抱いて、ポンっと頭に手をやって髪をくしゃくしゃと撫でた。
「どうもな、ボウズ」
「え?あ、いえ」
 言われて、慌てて礼をするタツ。ホッとした空気を感じてようやく、矢部は心が落ち着いた。
「タツくんも矢部さんも、喉、渇いたんじゃないです?何か用意しますから…」
 その空気に、芹沢もホッとしたように部屋を出ようとしたが、それを抜沢が止めた。
「矢部の分はいらねえ」
「えっ」
 これからもう一仕事だ。にやりとした表情からそれが伝わってきて、芹沢は苦笑いを浮かべて部屋を出た。
「そんなぁー、喉カラカラやのに…」
「うだってねーでさっさと来やがれ」
 うなだれる矢部に罵声にも似た言葉をたきつけて、抜沢はスタスタと部屋を出ようとドアに手をかける。矢部も観念して後に続こうとした、その時。
「あ、あのっ!」
 後ろで今まできょとんとしていたタツが、口を開いた。
「ん?どうした、ボウズ」
 ドアから身体半分を覗かせて、抜沢が答える。
「お…おじさん達は、警察の…刑事の人なの?」
 その問いに、抜沢はにやりと笑みを浮かべ、おかしそうに矢部を小突いて答えた。
「まぁな。公安が誇る優秀なデカ二人だ、こう見えてもな」
「こう見えてもって…」
「刑事にゃ見えねーだろ、一見」
「そ…そらそうかもしれへんけど」
 矢部もつい、苦笑いを浮かべた。
「そういうこった、じゃあな、ボウズ。色々助かったよ」
「え?あ、はい…」
 背中にタツの、妙に熱い視線を感じながら、部屋を出る。
「あのボウズ…」
 歩きながら、抜沢が小さく呟いた。
「え?」
「なんか、未来が見えるな…」
 小さくポツリと、嬉しそうに。何を言っているのか、今の矢部にはまだ分からなかった。
「先輩?」
「いいから、行くぞ」
「はあ…」
 そうして建物を出て、再び歩き出す二人。と、園の正門のところに芹沢が立っていた。
「何やってんだ、お前」
 抜沢の言葉に、思わず呆れたような微笑みを浮かべる。
「はい、これ」
「あ?」
 何かを手渡されたのは矢部の方だ。
「コレは…?」
 白いビニール袋、何だろうかと覗き込む矢部の頭を押さえよけ、抜沢も覗き込む。
「林檎、持っていって。途中で食べて」
 袋の中には、数個の真っ赤な林檎が収められていた。
「…サンキュー、じゃあな」
 気をつけてね…そう小さく言った芹沢を、振り返りもせずに抜沢は歩き出す。矢部はチラチラと二人を交互に見たが、二人ともどこかお互いに、優しい微笑みを浮かべているような気がした。
「先輩…」
「あんだよ」
「…林檎、食べてもえーですか?」
「…勝手にしろ」
「ほな、いただきまーす」
 ったく…と、小さく笑う抜沢の声が聞こえた。
「で、ただじっと待ってろ言うわけやないですよね?」
 林檎にかじりつき、しばらく歩いたところで矢部は、恐る恐る尋ねた。
「ったりめーだ、そんな無駄に時間を過ごして場合じゃねーからな」
 まずは本星を泳がせるための、罠を張る必要がある。何を考えているのか、抜沢は続けながら空を仰ぐ。
「罠…?」
「ああ、尻尾を出させてやる」
 初夏の陽射しは眩しいばかり。あの空でギラギラ燃える太陽は、きっと抜沢の眼差しと同じだ。
「先輩は…」
「あぁ?」
「先輩は、ホンマに凄いっすね」
 しゃり…乳白色の実をかじりながら、少し伏せ気味に矢部が呟く。
「なんだよ、唐突に。気色悪りーな」
「えーやないですか、たまには…言わせてくれたって」
 ホンマにすごい。繰り返しながら、矢部は微笑む。まるで、手の届かないものを見つめるような眼差しで。
「うぜーなぁ、お前…」
 凄い。だって、あらゆる物を見てる。
「そーやないですか。かえちゃんの事かてちゃんと考えたってくれてるし、オレの身も心配してくれてる。それに…先の先まで見据えて」
「そんなもんはな、経験でなんとかなるんだよ。それにチビの事は、誰よりもお前が考えてやってるじゃねーか。他の誰も敵わないくらいによ」
 俺なんかよりずっと…そう笑う抜沢の事を、やっぱり凄いと思う。
「オレは…ダメですよ。どんなに考えて、守ったろー思ても全然空回りや。事件起きてから一個も喋らへん事に気付きも出来へんかったし、今回の事も」
「想いが強いからだよ」
 ポンッと、後ろから軽めに頭をはたかれた。
「え?」
「知らねーのか?想い過ぎると、見えない部分が増えるんだ」
 俺は他人だからよく見えるんだよ…、その言葉はなぜか、芹沢を髣髴させた。
「…先輩は、どうして芹沢センセーと婚約破棄になったんですか?」
 何を思ったのか、自分でもよく分からない。まるで導かれたように、口にした。
「あ゙ぁ?」
 振り返った抜沢の顔が、固まっているような、ゆがんでいるような妙な表情で何だかおかしいくらいだった。
「あれ?今オレ、何言ーました?」
 ふっと我に返り、何だかヤバイ、と。
「お前…いい根性してるな」
 だが予想に反し、抜沢の表情は苦笑気味だ。もっとものすごい冷たい顔で、さっきみたいに怒鳴られるかと思ったのだが…
「先、輩?」
「好奇心は人一倍だな、悪い事じゃぁねーけどよ」
 しょうがねぇな…そんな抜沢の反応が、信じられなかった。
「え?」
「お前と同じだよ…」
 笑った顔はどこか困ったような、はじめて見る表情で。
「それはどういう…?」
「想い過ぎて、他になんも見えなくなった馬鹿な男だよ、俺は」
 お前はそうなるなよ…それだけ言って、背中を向けて歩き出した。
「へ…?」
 きょとんとしてしまう…なんだろう?いとも呆気なく、気になっていた事を聴かされたような気はするが…どうにも中途半端で余計に気になってしまう。
「おら、行くぞ」
「あ、は、はいっ」
 けれど。
「一つ寄越せ、林檎」
「あ、はいっ!どうぞ!」
 けれど多分、聞き返せば今度こそ鉄槌が飛んでくるだろう。慌てて袋から取り出した林檎を手渡しながら、その背中を追う。
「くそあちぃーなぁ…」
 再び空を仰ぎながら呟く抜沢の背中は、淋しそうに見えた。


 つづく


何か趣向が変わってるな、最後の方(汗)
んー、まだ過去編でいくか、調子いいしね。
現在に戻る切り替えがなかなかどうして難しいところです。

2005年6月13日

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