[ 第65話 ]


 こういうのは、珍しい事だった。傍目には暴走気味の捜査員に対する注意にも受け取れるだろうが、それとはまた違っていた。
「抜沢刑事、ちょっと…」
 指揮官が抜沢を、手をこまねいて呼んだ。
「あ?あんだよ、何か用か?」
 階級としては警視、もしくは警視正だろう。正直なところ、刑事課の人間と接する事などほとんど無いものだから、矢部にはこの指揮官がどういう立場の人物なのか、全くと言っていいほど分からない。
「いいから、ちょっと」
 訝しがる抜沢の雰囲気から、どうやら抜沢とは知り合いであるというのが見て取れた。会議室の奥にある応接間に呼ばれ、指揮官が自ら珈琲を淹れてくれた。
「さっきの件、手を回しておいたから」
 矢部に、それから抜沢に珈琲のカップを渡して言う。年の頃は抜沢と同じくらい、黒っぽいスーツの下には同色のベストが見えた。
「おお、悪いな。あぁ、これ、俺の部下の矢部ってんだ」
「あ、ど、ども」
 唐突に紹介されて、矢部は慌てて会釈する。
「話は聞いてるよ。知ってるだろうが、私はこの件の指揮を取っている刑事部の三師(みもろ)だ。抜沢とは同期でね」
 どうやら矢部と井村のように、抜沢とは長い付き合いの友人であるようだった。
「はぁ、そーなんですか」
 と、あれ?と思った。三師警視(警視だった)はさきほど、抜沢に向かってさっきの件、と言ったのだ。とすると、ここに来る前に抜沢が電話していたのは…
「ところで抜沢、いつまでもあの事で私を脅すのはやめてくれ」
 不意に、珈琲を口に含みながら三師が言った。
「あ?いーじゃねぇか、あの時お前が俺に言ったんだぜ。この先何があろうと、俺からの頼みは断らないってな」
 いたずらっ子のような抜沢の口調に、矢部はちらりと三師の表情を覗く。やれやれと、三師は呆れた表情を浮かべている。
「あ、のぉ…」
 ぼそりと口を開いてから、矢部は思った。つくづく自分は、好奇心には勝てないなぁ、と。
「ん?」
「何だい?」
 二人が同時に、矢部に顔を向ける。
「あの事って…?」
 一人蚊帳の外状態だったのだ、聞く事の何が悪いとこの際開き直るべきだろうか…そんな事をぼんやりと思いながら、続ける。
「何、ですか?」
 にやり、抜沢が笑う。反面、三師は少し気恥ずかしそうに、はにかんだ笑みを浮かべた。
「こいつとはよぉ、まぁ、お前と似たようなもんで、警察大学校時代の同期でな」
 ああ、やはりか。とは言っても警察学校と警察大学校、その区別は高学歴のキャリアかノンキャリアかの違い。高卒の矢部はノンキャリア、とすると抜沢は…キャリアという事になる。
「とは言っても、私は東大で抜沢はかなり下ランクの慶大だ」
「何自信満々に言ってやがる、東大っつったって補欠入学だろ。俺は通うのに面倒だったから近くのところに行ったんだよ」
 その会話はどうにも、気が遠くなる。東大に、慶大?!抜沢が?
「抜けた面だな、おい。人が折角説明してやってんのに、遠い目すんな」
 バシィッ、と足を豪快に蹴られて我に返る。確かにあの思考の突飛さや視点の鋭さは、秀才型なのかもしれない。
「あだっ、たたた…、す、すんません」
「…君も抜沢の暴力の被害者なんだなぁ」
 痛みに顔をしかめていると、三師がぬけた事を口にした。
「三師警視…って、天然すか?」
「おう矢部、お前もそう思うか」
 思わず口にした言葉に抜沢が反応して、あ、と思った。どうしてこう、すぐに思った事を口に出してしまうのだろうか…そのせいで痛い目にもあっているというのに。
「え?あ、いや…」
「それでよぉ、警察大学校時代にこいつが、馬鹿やったんだ」
 …今は確か捜査中である。捜査会議が終わったばかりで、なぜか抜沢は楽しそうに過去を語る。そんな様子を見ていると、どこかなぜか、不安が過ぎる。
「どんな?」
 それでも、話を遮ればそれなりの報復を受けるのは間違い。もしかするとこれは、抜沢なりの気合の入れ方なのかもしれない…
「よせよ抜沢、これ以上私の傷を抉るなって」
「お前は黙ってろって、今は矢部に話してんだから」
 楽しそうに、続ける。
「お前も知ってるだろ、あそこは全寮制だって」
「ええ」
「部屋割りが一緒だったんだ…したらよ、こいつ…捨て猫拾ってきやがって」
 ちらりと見遣ると、三師は背を向けて窓の外を眺めていた。口元に浮かぶ笑みから、懐かしい頃に思いを馳せているというのが見て取れた。
「猫すか」
「そうだ。当然ペットなんか禁止だぜ、教官にばれてよー…」
 その教官が又鬼のように恐い奴で…そう続ける抜沢を見て、矢部はついぞ思う。あなたも鬼のように恐い、と。
「それでどうなったんすか?」
「教官が連帯責任だとかぬかしやがるから、上手い事言って誤魔化してやったんだよ、俺が」
「口じゃそんな事を言ってるけどね、縮こまってる私を見て助けてくれたんだよ」
 ふっと笑みをこちらに向けて、三師が口を開いた。
「そうとも言うな、優しいから、俺は」
「自分で言うなよ」
 それが恩であり、借りだとも二人は笑う。
「ところであの猫、まだ生きてんのか?」
「ああ、すっかりばーさんになってしまったけどね」
 その小さな事件の後、猫は三師の実家で飼う事になったという…
「そうか、まだ生きてんのか…」
 目を細める抜沢…もしかすると、彼も結構な動物好きなのかもしれないと、矢部は何となく思った。
「今は娘達の格好の遊び相手だ」
 三師もやわらかい眼差しで、ここにはいない、恐らくは猫を見つめるように微笑んだ。それは子供を持つ父親の目にも、似ていると思いちくりと心が痛む。優しい眼差しを楓に向けていた元光を思い出して。
「そうか、お前、ガキいるんだったな…」
「ガキって言うなよ、娘が二人だ」
 そうか…と、唐突に抜沢の目つきが変わった。
「うっし、じゃぁ仕事に戻るかな」
 無造作に前髪をかき上げて、笑う。
「ああ、そうだったな…無茶するなよ」
「お前に言われるほど落ちぶれちゃいねーさ、俺を誰だと思ってる」
 にやり、三師に笑みを向ける。
「天下の警視庁、公安の誇るいかれた刑事だろ。部下も一緒なんだから、あんまり突っ走らないようにな」
 三師はさりげなく、矢部に目を向けた。まるで、抜沢が突っ走らないように目を光らせておくように…そう言っているようで、なんだかおかしい。突っ走りかねないのはむしろ自分の方で、そんな矢部を、抜沢が目を光らせているのだというその事実が。
「おうよ。まぁお前は、ここで果報でも待ってろや」
 俺にかかれば恐いものはないさ…そんな口ぶりで、抜沢は三師に背を向ける矢部も慌てて後を追った。
「あ、三師警視、珈琲どうもでした」
 去り際に、一言。この几帳面さが、矢部の良さの一つだろう…
「気をつけて…」
 二人の背を見送ってから、三師は深く息をついた。
「あれが、抜沢の言っていた…まったく、恐いくらい似ているな、昔の抜沢に」
 ポツリ、一人呟く。若い頃の抜沢を知っている者が矢部を見れば、皆が一様に同じ事を口にするだろう。生まれや育ち、学歴などの外面が違っていようとも、事件に真っ直ぐに立ち向かおうとするその様は、同じなのだ。
 特に、その眼差しが。そして守ろうとする、強い意志が。
「よし、矢部、行くぞ」
「はい!って、今度はどこに?」
「ついてくりゃわかる」
 まずは去年の事件から…かすかに抜沢の呟く声が、矢部の耳に届いた。


 つづく


何だか事件と関係のない話がちょっと続いてしまいました(汗)
気を改めて、ちょっと現在に戻ってみませんかー(笑)
いえ、ヤベカエが書きたくなっただけです(笑)
ちなみに唐突に登場した三師警視、友人の苗字を借りました。性格は超天然、愉快な奴です。
それだけなんですけどね(汗)

2005年6月21日

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