[ 第66話 ]


 晴れ。高い位置で揺らぐ青空が、やけに心地良いある日。
「ケンおにーちゃん、まだぁ?」
 リビングで、楓がどこかよそゆきの装いで大きなビーズクッションに身を預けていた。先日、矢部の誕生日に楓が買ってきた、色違いの大きなビーズクッション。もともとリビングにあったソファがすっかり矢部のベッドと化していて、リビングで過ごす際に少し不便だったのだ。
 殺風景だったリビングルームに、赤い無地のものと青と黒のチェック模様のビーズクッションは、よく映える。
「まぁだや、もーちょい待っとってぇ」
「はーい」
 楓の言葉に答える矢部の声は、寝室の方から聞えた。今日は、延びに延びていた、楓の両親の墓参りに行くのだ。
 早朝の散歩を終えた後、矢部が唐突に行こうかと言った。忘れていたわけではなかったが、その時の楓の驚きようといったら…それはもう、照れくさそうに微笑んで、後ろから矢部に抱き付いてきたほど。それほど嬉しかったのだ。
「えーと、途中で買うものは…ロウソク、お線香、お花と」
 ぐるり、うつ伏せていた体勢から仰向けになり、天井を見上げながら楓はぼんやりと指折り数える。
「えぇっと、あとは…」
 矢部は先ほどから、寝室で何やら用意をしていた。とは言っても、まず服が決まらなかった。あまりおかしな格好で墓前には向かいたくなかったから…早々と着替えを済ませてしまった楓と入れ替わりに寝室に篭り、チェストから多数の柄シャツを引っ張り出す始末。
 結局いつもと特になんの変わりもない派手なシャツに袖を通してから、茶色かかったグレーのスーツの上着を手に取り小さく息をついた。
「…年頃の小娘やあるまいし」
 自分に呆れながら、少し髪…を手櫛で整えてリビングに行く。
「お待っとさん、ほな行こか」
「はーい」
「どっかの寺に納骨しとるて言うてたよな、どこ?」
 まだ暑い日が続くものの、気温はグッと下がったような気がする。マンションを出てすぐに、矢部は脇に抱えていた上着を羽織った。
「お寺の住職さんからはいつも便りを貰っていたの、これ」
 楓も薄手の、白い長袖のシャツのような上着を羽織っていて、見た感じとても涼しげで可愛かった。ぼんやりする矢部の前に、一枚の封筒を見せて寄越す。
「あ、おぉ…」
 あて先は楓のアパート…だがいつの間に手続きをしたのか、矢部のマンションに転送されている。
「…結構距離、あるなぁ。バスか電車やな」
「うん、ここからなら乗り換えしないでいけるバスがあるよ」
「ほんならそれ使おか」
 公共の乗り物を使っての移動は、よく考えると久しぶりだ。いつも、なんだかんだ言っては菊池に車を出させていた事に気付き、つい口元が緩む。
「ねぇケンおにーちゃん」
 バス停で、楓が言った。
「んー?」
「あのね、ロウソクとお線香と、お花とお供えの果物とお菓子。あと他に何がいるかなぁ?」
「んー…元光さんも遥さんも、確か酒飲みよったっけなぁ、それもいるやろ?」
「あ、そっか、お酒ね」
 後は何がいるかな?と、楓は再び首をかしげた。ああ、そうか…楓はずっとイギリスにいたのだ、こちらの事にはあまり詳しくない。
「まぁ、必要なんは気持ちやで。足りひん物あったら住職さんに聞いて、買ぉてきたらえーし」
「うん…」
 ふっと、翳る。バスがきた。
「あ、バスきたよ」
「そやな」
 どうやら降りる先は終点らしかった。楓が先に乗り込んで、一番後ろの席に向かう。矢部も後について、楓の隣に腰を下ろした。
「天気、えーなぁ」
「うん」
 窓の外に目をやると、風に揺れる木々が目に映る。
「…かえちゃん、一個聞いてもえー?」
 矢部はたまに、夢を見る。楓と再会してからは頻繁に。
「なぁに?」
 昔の、夢を。
「かえちゃんは、昔の夢とかみたりするん?」
 だから気になってきた。同じ日々を、少しの間だが過ごした楓はどうなのだろうかと。それが例え、幼い日々の出来事で、辛く悲しい思い出だったとして。
「昔の夢?」
「…そや」
「たまに、見るよ。ケンおにーちゃんに遊んでもらった時の夢とか…あとはあんまり、見ない」
「そーなんや」
 少しホッとした。何かを感じ取ったのか…楓はそんな矢部に、どうして?と続けた。
「ん?いや、なんでもないんや」
 ただ、心配だっただけ。いつかはこの、一緒に過ごす日々も終わる…その時、矢部のように頻繁に過去を思い出すような事が楓にあるのだとしたら、少し酷だなと。
 そう思っただけ。
「ケンおにーちゃんは、あるの?」
「え?」
「夢…昔の」
「…まぁ、な」
 曖昧に答えると、楓はふぅん…と小さく応じ、おもむろに持っていた鞄の中に手を入れて、何かを取り出した。
「かえちゃん?」
 小さな缶。
「ドロップ、食べる?」
「貰おか」
 カラン…缶を、差し出した矢部の手のひらの上で傾けると、カラフルなドロップがいくつかこぼれ落ちてきた。その内の一つを摘み上げて、矢部は口の中に放り込む。
「ハッカやな」
「うん」
 楓も一つを手に取り、自分の口に運んだ。残りを缶に戻す。
「懐かしい味や…それ、持ち歩いてるん?」
 カラン、カララン。缶を振って音を鳴らすと、楓は僅かに微笑む。
「この間ね、パン屋さんの近くのデパートの駄菓子コーナーで見つけたの。懐かしかったから買っちゃって」
 それの残りなんだよ、と続ける。
「そか、そーゆぅんのも、たまにはありやな」
 そっと腕を伸ばし、楓の髪をくしゃくしゃと撫でた。幼い面影の残る笑顔に、胸が痛む。
 二十数分が過ぎた頃、バスは終点へ。
「さー、着いたよ」
 席を立ちながら楓が、急かすように口を開いた。
「まだやろ、こっからもうしばらく歩かな」
「あ、そっか」
 バスを降りて、見遣るは小高い丘の麓。
「あそこやろ?納骨堂」
「うん、多分…」
「多分?」
「だって、来るの初めてなんだもん」
 ぷぅ、とむくれたように頬を膨らませるが、楓はすぐに踵を返して歩き出した。少し進むと、売店のようなものが視界に入り込んだ。花や、お供えのお菓子などを売っているらしい。
「丁度えーな、ここで買うてこか」
「うん。お花とお線香と、ロウソクとお菓子と…」
「酒や」
「うん、お酒」
 にやりと笑みを向けると、楓はおかしそうに笑みをこぼして返した。
「おにーちゃんが飲みたいんでしょ」
「ばれたか」
 遣り取りの後、とりあえず必要なものを買い揃えた事に満足したのか、二人は黙って再び歩き出した。
 ふと、楓が空に手をかざして目を細める。
「かえちゃん?」
「空…高いねぇ」
 ぐっと腕を伸ばして指を広げる。陽射しが指の隙間から、楓の頬を照らした。
「ホンマやな」
 矢部もつられてか、空を見上げる。薄青い空は、高い位置で揺らぐ。
「でも、雲とか…低いね。手を伸ばしたらつかめそうなのに」
「天気のえー証拠やな」
「何だか、似てるね」
「ん?」
 目を細めたままで、楓は言う。
「すぐ傍にあって、手を伸ばせば届きそうなのに、決して手に入れる事の出来ないものに似てる」
 そう言った楓の表情が妙に切なくて、悲しげで、なぜか愛おしく感じた。
「かえちゃん…」
「うん、幸せに似てる」
「…何、言うてるんや。今は、幸せちゃうんか?」
 幸せだよ…矢部の問いに、楓は表情を変えずに小さく呟いて、一歩先をスタスタと歩き始めた。


 つづく


ぬぉぉ…間が空くと妙な具合になるよねぇ(汗)
もう何も言いますまい、ぐふ。
ちなみに気付いた事があるよ。
過去事件編⇒ちひろさんの曲、現在進行形話⇒コブクロ。

2005年7月2日

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