[ 第71話 ] 例えば、大勢の人が行き交う場所。そんな人波の中でその姿を見つける事が出来るのは、多分きっと、自分だけ。 グレーの雲が覆う空を見て、楓は思った。 「雨、降りそう…」 午前中はあんなに晴れていたのに。墓参りを終えて部屋に戻ってきてから、矢部は上着も脱がずに玄関へと戻った。 どうしたの?と楓が聞くと、急な野暮用を思い出したからと、そう言って矢部は警視庁へと行ってしまった。せっかくの、二人の休みが重なった日なのに。 一緒にいたかったのにと、楓は思った。 「ケンおにーちゃん…」 一緒に過ごせる事の幸せは、もしかしたら長くは続かないのかもしれない。 「私…」 ビーズクッションにもたれて呟く。 楓は知っていた。矢部が自分に優しくしてくれるのは、過去の事があるからだと。幼い頃の事は、全部ではないが覚えている。 両親が死んで…殺されて、楓自身が恐ろしい目にあった事も。 そして矢部が、両親の死に関しての責任を、今もなお重く感じている事を。 気にしないで欲しかったが、多分それは無理な話なのだろう。それに…その事に甘んじている自分がいるのも、事実。 優しくしてくれる矢部に甘え、一緒にいてもらって。ここにいさせてもらって。それでも、拒まれる事を恐れてそれ以上の事は願えなかった。 「…やめ、た。悩むのもう、やーめた」 唐突に立ち上がって伸びをしてから、楓は玄関の方へと向かった。傘立てから、グリーンとブルーのチェックの傘を取り出して、外に出る。 濃く重たげな雲。今にも雨が降り出しそうな空模様。 「…ピッチピッチチャプチャプ、ランランラン」 雨が降ったら、きっと矢部は困るだろう。警視庁に行ったのなら、帰り道はわかっている。例え誰かの車で送ってもらったとしても、すれ違えば気付けるはずだ。楓は何も言わずにこくりと一度頷いて、歩き出した。 歩く、歩く、歩く。大きな公園の横を歩いていると、ふっと聞き覚えのある声が耳に入って足を止めた。 「ん?」 つい頬が緩む。 例えば、大勢の人が行き交う場所。そんな人波の中でその姿を見つける事が出来るのは、多分きっと、自分だけ。 そんな事を思いながら、声のする方に向かって再び歩き出す。 木々の茂る隙間から、その姿が見えた。公園の柵ごしにだが。 「オレは…」 矢部が、そこにいる。誰かと話をしているようだ…木の影に隠れて、それが誰かまではわからない。女性らしいというのだけ、わかった。風に揺れてか、長い髪が見えたから。 「ケンおにーちゃんだ」 楓は笑顔のままで、一歩だけ近づいた。柵があるのでそれ以上は行けないのだが、すれ違いにならなくて良かったと、嬉しくて。 けれど、その表情は一瞬にして固まる。 「オレは、好きやってん…ずっと、キミ、が」 矢部の言葉に、楓の表情が固まる。 「え…?」 矢部が、向き合っている女性に言った。無意識に楓は一歩後ずさる。それから、くるりと踵を返して走り出した。持っていた傘を、手放して。 「…何とか、言わんかい」 バクンバクン、矢部の心臓は鼓動を早めていた。多分顔も赤いだろうと、我ながら思う。 「え?あ、は、はい…」 矢部の告白を聞いて、奈緒子は真っ赤になっていた。 「一応、お前の練習にもなるようにと思て、二人称変えたったで」 「ど、どうも」 それから数秒、沈黙。フッと、矢部が口を開いた。 「…あかんな、これ」 「ええ、何か…無駄に照れてしまって、駄目ですね」 お互いに顔を見合わせてから照れたように笑い合う。 「けどまぁ、何や気が楽んなったわ」 「私もです」 そか…笑いながら、矢部は大きく息をついた。 「さて、と。私、これからバイトがあるんで帰りますね」 「ん?おぉ、そやったらこれやるわ」 別のポケットから矢部は、奈緒子に500円玉を手渡す。 「えっ!な、何でおおおお金なんて」 「電車代や。バイトってあそこやろ、あの居酒屋。結構距離あるし…雨、降りそうやしな」 「あ…ありがとうございます」 受け取った500円玉を握り締めて、奈緒子ははにかんで笑う。 「ほんなら、早う言われたらえーな、上田センセに」 「矢部さんも、早く言えるといいですね、楓さんに」 口々に言ってから、にやりと笑む。お互いに、余計なお世話とでも言うように。奈緒子は小さく息をついてから、矢部に背を向けて歩き出した。コレで当分、奈緒子から呼び出される事もないだろうと、矢部も背を向ける。 公園を出たところに、小さなケーキ屋がある。そこで楓にお土産でも買おうと、入った。 ポツリ、ポツリ。雨が降り出した。夏の終わりに降る雨は、冷たい。 「あ、雨…降ってきちゃった」 楓は傘を置いてきた事に気付き立ち止まったが、引き返す気にもなれず、マンションの部屋に戻る事にした。どうも気が落ち着かない。 「ケンおにーちゃん、好きな人…いたんだ」 部屋に入ると、力なく床にへたった。視界に二つのビーズクッションが映る。二つ買ったのは、楓なりに特別な意味があった。一つは矢部の、もう一つは…自分の。 これからもここで、一緒に過ごしていきたいという想いから。 「私…駄目、だ」 けれどもう、ここにはいられない。矢部に想う人がいるのなら、自分がここにいるのは駄目だ。きっと弊害になってしまう…矢部の、幸せの。 「駄目…」 ふらり、立ち上がる。楓は寝室へと向かい、何を思ったのか、着替えの入っているチェストを開け、中身を引っ張り出し始めた。 「あ、鞄…」 小さく呟くと、衣服をそのままに部屋の隅へと移動し、ベッド脇に置かれた大きな鞄に手を伸ばした。大きな、旅行鞄。 「入るかな…」 その鞄に、出した衣服を詰めていく。時期的に、厚手のものはないから、押し込めば全部入れる事が出来た。きっちりファスナーを締めて、立ち上がるとそのまま鞄を玄関へと運んだ。 「忘れ物…あ、手紙」 出て行こう。楓は決めていた、自分の存在が矢部の幸せの妨げになりそうな時は、迷わずここを出て行こうと。 「ケンおにーちゃん、優しいから…」 それでも、黙って出て行けば優しい矢部は、心配するだろう。心配はかけたくなかった。楓はリビングに戻ると、どこかから便箋を取り出して、ペンを走らせた。 ぽたり… 「あ…」 涙が、ぽたり。 「つ…もうっ、何で…」 知らずの内に、零れ落ちる涙。服の袖で目元を押さえ、続きを書く。涙でにじんでしまっては、元も子もない。 「ケンおにーちゃん…」 なんとか、書き上げて。それをテーブルの上に、置いた。 「…さよなら」 その言葉を最後に、楓は矢部のマンションを後にした。 楓がマンションを出て、10分が過ぎた頃…霧のような細かい雨が静かに降りしきる中、矢部は駆けてきた。手には、小さな箱。 「あー、大降りやないだけマシか?ったく…」 スーツの上着で雨を防いで、エレベーターに乗って9階のボタンを押す。 「蒸し暑…」 エレベーターの中は、雨で冷やされた外とは逆に空気がこもり、蒸し暑い。空いた手のひらでパタパタと仰ぎながら、自分の部屋へと向かった。 「…あ、れ?」 鍵を開けてドアノブに手をかけて、眉をひそめた。 「どっか出かけたんやろか?」 楓が家にいる場合は、チェーンロックをするようにと言っていた。けれど、チェーンロックは外れている。楓が中にいないという事だ。 「帰ってきたら食べよ…」 買い物にでも出たのだろう、楓が雨の日に使う傘がないのを見てから、矢部はとりあえず中に進んだ。 そして、リビングのテーブルの上においてある一枚の便箋に目を遣って、固まった。はっとして部屋を見渡すと、妙にすっきりとしているような気がした。 「え…え?」 ボトッ…持っていたケーキの箱が、無造作に床に落ちる。多分、崩れてしまっただろう… 「なっ…」 便箋を、ひったくるようにつかみ、凝視して読む。何がなんだか、さっぱりわからなかった。 つづく どがーん、佳境いえーい(笑) レッツ急・展・開、ですね。勘違い万歳です。 単純にラブラブハッピーにはいきません、山あり谷あり、色々あってこそがいいんです! とか言ってみたり(汗) しばらくヤベカエには辛い事があるかもですが、我慢していただきましょう… ちょっと文体おかしいけどね。 2005年7月17日 |
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