[ 第77話 ]


 髪をオールバックに固めて、紺色のジーンズに黒いTシャツの石原を前に、楓はフッと自分を見た。
「う、わぁっ?!」
 そこで初めて、自分が見知らぬパジャマを着ている事に気付いたのだ。しかも目の前には石原。驚きと恥ずかしさのあまり声を上げる。
「ん?なんじゃ?」
「わ、私、服…」
「服?あぁ、昨日着ちょった服は雨に濡れてたし、おまけに泥まみれじゃったから…」
 その楓の様子に、石原はしれっと言ってのける。
「こ、このパジャマ、は?」
「それはさっきのおばちゃんのじゃけ…あ、き、着替えさせたんもおばちゃんじゃけ、な」
 その言葉に、ほっとする。だがパジャマ姿で石原と二人きりという事に変わりなく、楓は膝を抱え込むようにして縮こまり、石原から視線をはずした。
 その時、だ。ピンポーン、と、インターフォンが鳴ってドアが開いた。
「彼女の服、乾いたから持ってきたわよ」
「あ、おばちゃん。ナイスタイミングじゃ」
 楓はビクッと小さく肩を震わせてから、石原より先に彼女の元に向かうと服を受け取って、小さく頭をちょこんと下げた。
「あら、顔赤いわよ。もしかしていい雰囲気だった?」
「い、いえっ」
「おばちゃん、あんましそん子からかわんといてぇな」
「違うの、それは残念ね」
 つまらなそうに言って女性はさっさと部屋を降りていってしまった。そして、石原も部屋を出ようとする。
「い、石原さん?」
「服、着替えたら下におりてきてぇ」
「ふぇ?」
 石原は手に鞄、ニコリ笑顔で続けた。
「そのまま出かけるけぇ、ワシ、下で待っちょるね」
「あ、は、はい」
 トン、トン、トン…静かに階段を下りる音。楓はきょとんとしたままで、洗われて、綺麗に畳まれた服を抱きしめて立ち尽くしていた。
「石原さんって…」
 どうにもつかめない。懐かしい顔で笑う人だと思っていたが、なんだか妙に不思議で。なぜなんだろう?どうして彼は、あの人に似た雰囲気で笑うんだろう…?
 ただただ呆然と。
「あ、き、着替え…」
 はっとして、パジャマのボタンに手をかけた。異性の部屋で服を着替えるという事が、なんだか凄く恥ずかしくて…不思議。矢部と暮らしていた時はそんな事、思わなかったのに。
 トン、トン、トン…きちんと服を着替え、階段を下りると寮母の女性が玄関をほうきで掃いているのに出会った。
「あら、着替えたの」
「あ、はい。ぱ、パジャマありがとうございました」
 先ほどとは逆に、抱きしめるように持っていたパジャマを女性に手渡すと、楓は頭をペコリと下げた。
「あなた細っこいから、パジャマのゴムを引っ張るの大変だったわ」
 ケタラケタラと豪快に笑いながら、女性は楓の背中を叩いて、引き戸をおもむろに開けるとそのまま押し出した。
「ひゃわっ?!」
 ドン、と、押された拍子に顔面が何かにぶつかった。
「わ?あ、楓ちゃん…どうしたんじゃ?」
 ぶつかったのは、石原の背中。戸の前に立っていたらしい。
「あ、す、すいません…」
「…あぁ、またおばちゃんに押されたんじゃね。なんか誤解しとるんじゃ、あのおばちゃん」
 石原は、楓の頭にポンっと軽く手を置いて飄々と続ける。
「楓ちゃんがワシの彼女じゃって」
 唐突な言葉に、楓の顔がボッと火を噴いたように赤らんだ。
「大丈夫じゃ、否定しといたけ」
 おかしそうに笑いながら、そのまま楓の手を取って歩き出す石原。何も言えずに手を引かれて、訳も分からず楓は後に続いた。
 しかし石原は、どこへ向かおうとしているのだろうか…楓をつれて。
「あ、あの…どこに、行くんですか?」
 用に付き合うとは言ったものの、石原の用に自分が付き合う事に何の意味があるのか…さっぱり分からない。石原はそんな疑問を浮かべる楓に、ただ、「いいからいいから」と言って笑った。
 歩いて、バスに乗って、JRに乗り換えて地下鉄を乗り継いで。気が付けば、随分と長い距離を移動している。
 郊外にある大きなショッピングモールの近くでバスを降りてから、石原は大きく伸びをした。寮を出てから既に一時間近く経過している。
「あとちょっと歩いたら、着くけぇ…疲れた?」
「え?あ、いえ、大丈夫です」
 それならえーんじゃ…石原はニコリ微笑んで、再び楓の手を取り歩き始めた。ショッピングモールを素通りして、大きな児童公園を通り抜けていく。ふと、何かが楓の胸をよぎった。
 あれ?
「あれ?」
 つい、口に出してしまう。
「どーしたんじゃ?」
「え?あ…いえ、なんでもないです」
 あれ?なんだろう、この感じ…それは、石原の笑顔を目にする度によぎる何かに似ている。空、大きな児童公園、そして…
「あぁ、見えてきた」
 公園を少し過ぎたあたりで、石原の嬉しそうな声。それは、赤い屋根のかわいらしい、けれど古い建物だった。
「あそこ、ですか?用があるのって」
「そうじゃ。用というか、人に会うんじゃけどね」
 心底嬉しそうな声を聞きながらも、楓の中で何かが揺れる。赤い屋根、クリーム色の外壁…建物を囲むからし色のレンガの塀。正門のところに、黒い看板…というか表札のようなものがひっそりと掲げられている。
 ─── あ・さ・が・お…声に出さずに、呟く。
「あぁ着いたぁ、相変わらず長い道のりじゃ」
「相変わらず?よく来るんですか?」
「そうじゃねぇ、たまに…かのぉ」
 開いたままになっている門を抜けて、建物に近づく。胸をよぎる何かが、一層強くなった気がして楓は眉を顰めた。
 怖いのは、何故だろう?でも怖いのに、なぜか引っかかる…
「あ、いたいた」
 不意に、楓の手を引いていた石原の手が離れた。その手はそのまま、大きく振られる。
「セーンセー!」
 隣で石原は、嬉しそうに満面の笑顔で声を張り上げる。その、視線の先には…
「あら、いらっしゃい」
 優しそうな女性が、小さな子供の手を引いていた。40代後半、のように見える。緩やかなウェーブのかかった髪を後ろでまとめている…多分、長い。
「図書室の方で待っててくれる?これからお昼寝の時間なのよ」
「分かったけぇ」
 離れたところから、女性は石原に笑いかけながら言った。それに石原も、答える。
「楓ちゃん、こっち」
「あ、はい」
 小さな子の一人をあやすように抱き上げるその女性と、石原の後を追う楓の視線が一瞬かち合ったような気が、した。
「あの、石原さん…」
 建物に入ると、なぜか妙に息苦しく感じた。
「何じゃ?」
「ここ…」
「ここ?」
 何だろう?この感じ。
「ここ、は…?」
 建物の中、長い廊下を進みながら。
「ここは、あさがおじゃ」
「あさがお…」
 急に立ち止まったかと思ったら、石原は目の前の、低い位置についたドアノブを回してドアを開けた。どれも低めの、本棚。絵本が特に多い気がした。
「あさがおは、育児養護施設じゃ」
 振り返り、一言。その顔はどこか、寂しそうで。
「え?」
「そこ、座ってよか」
「あ、はい」
 何かが引っかかっていながらも、聞き返すことが出来ない。促されて、木製の長いすに腰掛けた時、不意に涙が出そうな気がした。
 何だろう?この感じ。さっきから、何度も浮かぶ。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
 10分ほど経ってから、先ほどの女性が図書室に入ってきた。その間、石原は何も言わず、楓も何も聞かなかった。
「センセー、元気じゃった?」
「元気よ、タツくんはいつも同じ事を聞くわねぇ」
「ここでの仕事は大変じゃろ?センセーが無理しちょらんか、心配なんじゃよ」
 石原は女性と、仲良さ気に会話する。取り留めのない、挨拶のような遣り取り。それが済んだ後、女性はちらりと楓を見遣ってから、石原に微笑みかけた。
「タツくん、可愛い彼女ね。紹介してくれるのかしら?」
「由美センセーまで勘違いじゃのぉ、こん子は楓ちゃんじゃよぉ」
 彼女と言われて、再び赤くなって俯く楓をよそに石原は言った。
「え?」
 その言葉に、すぐさま顔を上げる…と、女性と目が合った。石原が由美センセーと呼んだ女性と、目が…
「楓ちゃん?本当に?まぁ…本当に?」
 女性…由美の表情が、ぱっと嬉しそうに綻ぶ。
「え、あ…え?」
「本当じゃ、楓ちゃんじゃよ」
「そうね、本当…この髪の色は楓ちゃんね。こんなに大きくなって…」
 由美は嬉しそうに、楓の手を掴んで、ぎゅっと握り締めた。ふわり、何かが降ってくるような感覚に眩暈すらしそうで、楓は、でも、溢れてくる何かを抑えきれずに頬を一筋の涙で濡らした。
「せん、せい…由美先生?」
 思い出した、というのだろうか…遠い遠い、楽しかった過去の中に押し隠していた一片が、楓の胸を占める。
「覚えてる?あんなに小さかったのに…楓ちゃん」
 優しい声、優しい笑顔。覚えていないといえば嘘になる、悲しい私を、抱きしめてくれたから。
「由美先生?私、私…」
「悲しい事まで思い出しちゃった?ごめんね、楓ちゃん…でもタツくんが連れてくるなんて、びっくりしたわ」
 ぽろぽろ涙をこぼす楓をそっと抱きしめて、頭をなでながら由美が言う。
「偶然知り合ったんじゃ、センセーたまに話しちょったじゃろ?会える事なら会いたいって」
「そう…ありがとう、タツくん」
 タツ、くん?泣きながら、楓の脳裏に何か、懐かしい影が浮かんだ。
「た、タツくん?」
 ひっく…かすかにしゃくり上げながら、呟く。
「あー、楓ちゃん、やっぱ覚えちょらんのぉ」
「あら、覚えてないの?」
 そうよね、小さかったものねぇと、由美は続けながら楓を離して、石原と楓を交互に見遣り微笑んだ。
「え?」
「楓ちゃん、昔ここで過ごした事あるじゃろ?それは思い出したんじゃよね」
 由美の事は思い出した。そして、"あの"事件の後、しばらくここで暮らした事も。でも、なぜそれを石原が知っているのだろう?どうして自分をここに連れてきたのだろう?
 この人は、誰だろう?
「ワシも、ここにおった事あってのぉ。ほんのちょっとじゃけど、楓ちゃんと遊んだ事あるんじゃよ。18年前」
 脳裏に浮かんだ影は、今までずっとくすぶりかけていた、誰かの笑顔。石原の言葉に、それは唐突に鮮明に明らんだ。
「え…え?えー?!」
 涙は止まる、あまりの驚きで、ぴたりと。
「あ、思い出したようじゃよ、由美センセー」
 そうねとクスリ微笑む由美。だが楓は、それに反応する余力もないほどに驚いていた。脳裏に浮かんだのは、黒髪の、少年の笑った顔。矢部の事を"ケンおにーちゃん"と呼ぶのなら、その少年はまさしく"おにいちゃん"。
 この場所で、何かと世話を焼いてくれた遊び相手の少年であると思い出して、思わず石原をじっと食い入るように見つめた。
「石原さっ…あ、え、った…」
 言葉にならず、口をパクパクと動かす。ここにいたあの頃、楓は誰の事も呼ばなかったから…この驚きを言葉で言い表す事が出来ないのだ。


 つづく


うわー、へしょ。
ぶ、文章が変です!助けてくださいっ!(笑)
それはさておき、ここで現在ひとまずストップ。過去行こう、過去。
とりあえず説明書けたから現在は十分です、うん。
石原達也、30歳は、18年前は小学6年生くらいのタツくんでした。そういうわけです、うん。

2005年8月7日

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