[ 第78話 ]


 ついてくればわかる…抜沢がそう言ったあと、時間も遅い事から本日の捜査は終了となってしまった。そしてその翌日、二人は土原のいる刑務所にきていた。
「先輩?」
「野暮用だ、お前はちょっと外で待ってろ」
 受付に矢部を一人置いて、抜沢は一人ですたすたと先に進んでしまった。
「待ってろって言われても…」
 受付には、ちらほらと面会人の姿が見えたが、居心地は悪い。
「珈琲どうですか?」
 立ちすくんでいると、不意に後ろから声をかけられた。振り向くと、以前の土原との面会時に便宜を図ってくれた刑務官が人の良さそうな笑顔を浮かべて立っていたのだ。手には二つ、カップを持って。
「あ、すんません、頂きます」
「ここじゃなんですから、こちらにどうぞ」
「どうも」
 案内されたのは、少し照明の落とされた薄暗い部屋で、奥がぼんやりと明るい。何かと目を凝らすと、どうやら向こうの部屋に誰かがいて、マジックミラーのようなもので様子が伺えるようになっているらしい。
「あの、こん部屋は?」
「抜沢さんからの指示です、あなたには外から見ているようにと。そこに椅子があるので掛けてください。自分は職務があるので席をはずしますが、何かあったら机の上に内線電話があるのでそこからどうぞ」
「え?」
 きょとんとする矢部をよそに、刑務官は笑顔だけ残して部屋を出て行ってしまった。どういう事かときょろきょろ見渡すと、確かにマジックミラーの前に机と椅子があった。
 マジックミラーの向こうには、抜沢と土原。
「あ、先輩や」
 たまに、わからなくなる。抜沢が何を考えているのか。
『今日は抜沢の旦那ですか』
 おもむろに、どこかから少しくぐもった声。部屋のどこかにスピーカーがあるのだろう…警視庁の特別取調室と同じ作りだ。
『おう、悪いな、作業中断させて』
 続いて抜沢の声。矢部はとりあえず、珈琲のカップを持ったまま席に着く事にした。
『いいんすよ、ノルマがあるわけでもないし。サボれて俺は嬉しい』
 土原の顔を、矢部は久しぶりに見たような気がした。実際はたった数日前に、執拗に話を聞いたばかりなのだが…土原の表情がどこか険しく見えて、不思議だ。
『そうか』
『それにしても、今日はどういう趣向で?別の部屋を使うなんて』
 当然といえば当然だろう。
『矢部ならいつもの面会部屋で十分だけどよ、今日は俺だからな。多少いい部屋を用意させたらこうなっただけだよ。冷房効いてるだろ』
 思わず矢部は口元に笑みを浮かべた。なんてもっともらしい事を言うんだろう、抜沢らしいなぁ…なんて。
『ははっ、相変わらずなんすね』
『まぁな』
 一通りの笑い声が響いた後、抜沢がゆっくりと口を開いた。
『池内のお嬢さんは来たかい?』
 その言葉に、土原は眉をひそめる。
『なぜ?』
『近い内に顔を見に行くって言ってたからな、もう来たのかと思ってよ』
『ああ、旦那の差し金か』
『人聞きの悪い言い方をするなよ。嬉しかっただろ、元気そうな顔が見れてよ』
 フッと、土原が笑ったような気がした。どうやら律子は昨日、矢部たちが池内の家を去った後、すぐに来たらしい。
『ええ、まぁ』
 抜沢と土原は、他愛のない話を続けていた。抜沢が何をしたいのかよくはわからないが、矢部はただ二人の遣り取りを観察した。
 そうして小一時間が過ぎた頃、抜沢はおもむろに席を立った。
『世間話に来たのかい、旦那』
『そんなもんだ。あぁ、そういや池内のお嬢さん以外に他に誰か、最近面会には来たか?』
『本題を最後に持ってくるのは旦那らしいな』
 にやり、笑みを交わす。
『で?どうなんだよ』
『この間、矢部さんが話を聞きに来た翌日に』
 蔵内が初めてここに来たと、土原は続けた。
『で、何を話したんだ?』
『話はしてない。面会室に入ってくるなり、あいつは席に着いて、俺をじっと見ていた』
 五分か十分、ただじっと顔を見て、おもむろに立ち上がると一礼して帰っていったという。会話はなかったらしい。
『そうか』
 それだけ聞ければ十分だと言って、抜沢は部屋を出ようとした。その時。
『蔵内は…』
『ん?』
『いや、なんでもないっすよ』
 どこか悲しげな笑顔を浮かべて、土原はそのまま抜沢の背中を見送った。しばらく経っても、そのままドアの方を見ている。
「矢部、どうだ」
 唐突に、ガチャリというドアを開ける音と共に抜沢がこちらの部屋に入ってきた。
「わっ、せ、先輩」
「なに驚いてんだよ、俺は妖怪じゃねーぞ」
「い、いえ、突然だったんで」
 慌てて立ち上がったもので、珈琲をこぼしそうになってしまった。
「まぁいい、それよりどうだった?」
「ど、え?何がですか?」
「何がですか?じゃねーよ、土原、どんな様子だ?」
 カツカツと靴を鳴らして近づいて来て、矢部の隣に立って抜沢はマジックミラーの向こう側に目を向けた。土原は尚も、ドアを見つめている。
「あ、はい、え…と、何や、悲しそうでし、た」
 見たままを言えばそれは事実である。
「そうか…お前にもそう見えるか」
 マジックミラーに肘から下の部分を当てるような体制になり、抜沢は土原を見つめた。そうしている内に、土原はおもむろに立ち上がり、逆方向のドアの方へと静かに歩いて部屋を出て行った。肩をうなだらせたままで。
「…土原さん、どないしたんでしょぉね」
「あいつなりに、何かに気付いちまったのかもしれねぇなぁ…」
 何か。その何かが、今は大事な事なのだ。
「何かって?」
「きっとあいつは口を割らない」
 それくらい、彼自身にとってつらい事なのかもしれない。
「…先輩?」
「よし、次行くぞ」
 くるりときびすを返し、抜沢は歩き始めた。
「えっ?つ、次?」
「いいから早く来い」
 土原の悲しそうな目が気になる…が、さっさと出て行く抜沢の後を追いながら矢部なりに考えてみた。なぜあんなにも険しい表情を浮かべているのか、なぜあんなにも悲しそうに抜沢の背中を見送ったのか。
 その後、抜沢について行き着いたのは池内の家だった。
「また律子さんに会うんですか?」
「土原と何を喋ったか、こっちに聞く方が早いからな」
 慣れた手つきで呼び鈴を押すと、聞き慣れた声が応答した。志津だ。
『お嬢様は本日、アメリカへお戻りですよ?』
 インターフォンの向こうから、そんな答えが返ってくる。
「あんだと?」
『少々お待ちくださいね』
 しばらくして、志津本人が玄関からパタパタと駆け出してきた。
「お休みが明後日までなんですよ、お嬢様。向こうのお友達と約束があるからと、本日の便でお帰りに」
 家を出たのは今朝、十二時丁度の便で経つ予定だったらしい。
「ほなもう…」
「あ、でも先ほど、困っている方に席をお譲りになられて、今はキャンセル待ちをしてるのだとお電話がございましたよ」
「それを先に言ってくれ、行くぞ」
「あ、はいー」
 志津に礼をして、駆け出した抜沢を追った。
「ったく、帰るんなら昨日言えよって話だな」
 走りながら、抜沢は愚痴のようにつぶやく。
「しゃぁないですて、聞かなかったこっちもアレすから」
 大きな通りに出たところで、矢部がタクシーを捕まえて二人は成田空港へと直行した。


 つづく


間を空けすぎですね。
時間設定がごちゃらとしちゃってしっちゃかめっちゃかです(汗)
でも怒涛の急展開連続で行かないと先に進まないので張り切ってこうと思います。
お付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします。

2005年8月16日

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