[ 第86話 ]


 さっきから、暗い雲の切れ間から何度も満月が顔を覗かせていた。けれど、すぐにまた隠れてしまう。嫌な天気だと、なぜか思った。
「矢部さん」
 後ろから声をかけられて、ハッと振り向く。芹沢が立っていた…いつの間にこんな傍まで来たのだろうか。
「抜沢から電話、きたわ。矢部さんに伝言」
「ホンマですか?!」
「ええ。自分もこれから向かうって、ここに」
「どこにいるとか何かあったとか、は?」
 それは何も…首を横に小さく振りながら芹沢は続けた。
「それから、他の捜査員の方も来るそうよ」
「他の?」
「抜沢は少し遅れるかもしれないって」
 芹沢がそこまで言った時、遠くの方からタッタッタ…という数人の足音が聞こえてきた。
「ほら、今言った方達じゃない?」
 芹沢に促されて視線を先に遣ると、確かにそうらしい。数人の影が見える。丁度雲に月が隠れてしまったので、誰が来たのかまでは確認できなかったが。
「矢部ー!」
 影の一人が、声を上げた。
「ん?」
 オレの名を呼んでいる…っちゅー事は、オレの顔見知りやねんな。つか、この声は…
「おぉ、誰や思たらお前か」
 外灯に照らされた姿に、頬が緩む。
「っはー、猛ダッシュだぜ、きついなー」
 タッタと足を慣らして矢部の前で、ぜえぜえと息を切らしながら彼は笑った。
「何言うてんねや、お前、短距離は得意なんやろ?」
「冗談じゃねぇ、警視殿からの勅命だったんだぜ、走ってこないとまずいだろうがよ」
 井村はまだ、ぜえぜえと呼吸を乱している。少し遅れて到着した彼らもまた。
「警視殿?」
「三師警視からの命令なんだよ、俺らが来たのは」
「三師警視が?」
「ああ、急いで向かえってよ…行けばそこにお前がいるから、指示を仰げって」
 井村の言葉には驚愕するより他ない。指示を仰げって?このオレに?
「なん…」
「あの人が来るまでは、今現在状況を把握してるのはお前だろうからってさ」
 続けての言葉に首をかしげ、思わず矢部は「あ」と声を漏らした。
「抜沢先輩?」
「そう」
 そこでようやっと納得する…恐らくは抜沢からの指示なのだろう。抜沢が三師に連絡をして、そうするように言った。けれどわからない事はある。
「そやけど、指示言うてもまだなんも…」
 まだ。そう、今はまだ何も起きてはいない。何か嫌な予感がする…ただそれだけを感じて矢部はここに足を運んだのだ。抜沢がいるかもしれないと、縋るような思いを抱いたままで。
「ところでその人は?」
 井村が、悩みに頭を抱える矢部に唐突に声をかけた。その人、とは芹沢のことらしい。
「あ、こん人はここの園長センセーで抜沢先輩の…」
 …先が続かない。助け舟を出すかのように、芹沢が静かに微笑んで口を開いた。
「知人の芹沢です。矢部さん、話の続きは中でしたらどうかしら?子供たちが寝ているから、図書室の方を開けておきますね」
「あ、そーですか、すんませんホンマ…」
 用意をするから…と、芹沢は先にその場を離れていった。
「綺麗な人だなぁ、もしかしてあれか?抜沢警部補のコレか?」
 ウェーブのかかった髪の揺れる後姿を見ながら、井村がポツリ。
「まぁ、似たようなもんや」
「二人並んだら迫力だな、あれであの人男前だから」
「井村…それ、先輩ん前で言うたらいじられるで?」
 警察学校時代を思い出す、何気ない遣り取り。とりあえず、井村を含めた数人の捜査一課の面々を促して矢部は、芹沢が用意をしてくれているという図書室に向かった。
「静かにせーよ、ちいちゃい子もいっぱいいるんやから」
 わかってるよ…そんな井村の返答を背中で聞きながら、そっと図書室の戸をノックした。
 コンコン。
「どうぞ」
 矢部がドアノブを引くより先に、内側から開かれて芹沢が顔を出した。
「どうぞ」
 一瞬固まった矢部だったが、再び促されて中に入る。後に、捜査一課の5人の男たちも続いた。
「ごめんなさい、子供用のカップしかなくて…」
 小さな、両側に取ってのついたカップが六つ、大きな木製のテーブルに並べられている。深い琥珀色の液体が入っていて、そこから香ばしい湯気が立ち上っていた。
「ああ、ありがたいです!走ったから喉が渇いて」
 芹沢がどうぞと続けるより先に、井村がそれに手を伸ばして一気に傾けた。
「あっ、井村!」
「ぅあっちぃっ?!」
 矢部が声をかけるのと同時だった…ごくりと飲んだ瞬間、井村は声を上げる。
「お前…自分が猫舌なん忘れすぎや」
「うっかりしてたよ、あー、あっちー」
 水をどうぞ…と、芹沢から手渡されたグラスを受け取り、井村は照れくさそうにはにかんだ。矢部と仲がいいのは似たもの同士とでも言うのだろうか…
「そろそろ私、園内の見回りの時間なので失礼しますね。皆さんはゆっくりしてらして」
「あ、どうも、お騒がせしました」
 パタン…と、芹沢が静かに出て図書室の戸を閉めた途端、面々は思い思いに席に着いて顔を寄せ合った。
「で、今の状態はどうなってんだ?」
 コロシは刑事部、捜査一課の管内なのにも関わらず、この事件で一番ホシに近い場所にいるのが公安部である矢部達だというのを認めた上での一言だ。
「どう…ってーと?」
「はぐらかすなって。お前と抜沢さんが容疑者掴んでるって話は、一課でも噂になってる」
「いや、そやけど蔵内が黒っちゅーんはまだはっきりとは言えんのや。限りなく黒に近い灰色っちゅー感じやな」
「蔵内?」
 矢部の知らない一課の一人が、怪訝そうな表情でポツリと問いた。
「蔵内って…去年のアレだろ?」
 井村も、続いて口を開く。去年の事件はそれこそ、殺人事件。捜査一課の連中が知らないはずはないのだ。
「ああ、オレと抜沢先輩…去年の事件ん時にたまたま公安のヤマ空けたばっかで、手伝いに借り出されたんや」
「何で公安が一課の手伝いを…」
 公安と捜査一課が犬猿の中だというのは、誰もが知っている事だ。こうして研修時代を共に過ごした友人でもなければ、普通は言葉を交わす事すらしないほど。
「もう忘れたのか、あの頃丁度、いくつかでかいヤマが重なって捜査員が不足してたんだよ」
 一人がずれてもいないメガネを直しながら助け舟を出すと、井村もああと思い出したように唸った。
「アレか、俺はちょうどその、重なった幾つかのでかいヤマの一つを捜査してたんだ」
 井村は、芹沢の用意してくれた珈琲に水を入れて無理やりぬるくしたものを口に含みながらにやりと笑んだ。
「にやつくなよ、初めてホシ上げた事件だからって」
 ケラケラと、笑い合う一課の面々…そんな彼らを見ながら、矢部は少し羨ましいような複雑な気分になる。本来ならコレは、抜沢と自分で片をつけるべき事件なのにと。
「とりあえず、今まで掴んどる情報教えたるわ」
 一通りの遣り取りが済んだ後に、小さく呟くとごくりと誰からが喉を鳴らした。彼らもまた彼らなりに、これはうちの…一課のヤマだと思っているのだろう。
「以前からうち…公安でマークしとったSWっちゅう教団の、幹部が蔵内やったんや」
 抜沢は上への報告はしていたというが、その上から、一課の下へは伝わってはいなかったのだろう。矢部が静かに語りだすと、全員食い入るような目つきでじっと話を聞いていた。
 だが、全てを話すのはいかんせん時間が足りない。そこで、要所要所かいつまんで矢部は話す事にした。そうする事によって矢部自身、気付かなかった事に気付く。
「…で、抜沢先輩と蔵内を呼び出したまでは計画通りやったんだけど」
「はぐれてしまったというわけか…」
 嫌な予感もするんだと言うと、全員険しい表情を浮かべたまま、冷めかけた珈琲をほぼ同時に口に含んだ。
 キィー───…
 唐突に、外で高い音が鳴り響いたそしてその音は…
 ガァンッ…
 どこかにぶつかるような音。
「なっ、なんだ?!」
「近いぞ、ちょっと外に出てみよう」
 大きな衝撃音だったせいか、眠っていた子供たちまでもが目を覚ましまったらしく、騒いだり泣き始めたり。矢部は楓が心配だったが、芹沢がきっと傍にいるだろうと言い聞かせて、一課の面々と共に外へと飛び出した。
「おい、見ろよあそこ」
 井村が指差す一箇所に視線をずらす…と、一台の大型トラックが、あさがおの外壁に支柱にぶつかっていた。
「あかんやろあれは…運転手がどうなったか見てくるわ」
「気をつけろよ、俺らは消防と救急に連絡して、園の方の対処に手を貸すから」
 矢部と、捜査一課のもう一人とがトラックの方へ向かい、残りは園内へと二手に分かれる事に。
「おーい、誰かいるかぁ?」
 どこかから煙が立ち上り始めたトラックの間近で、矢部が声をかけるが返答はない。
「意識を失っているのかもしれないな、もしくは当たり所が悪くて…」
「そうかもしれんけどそーじゃないかもしれへん。おーい!」
 矢部は、開きかけた運転席のドアを引っ張り、ハンドルを掴んで身を乗り出し中を覗いた。そこは、もぬけの殻…
「キャー!」
 おかしい…矢部がそう思ったのとほぼ同時に、建物の方から声が響いた。はっと振り返る。
「矢部さん!見てくれ、急に電気が…」
 さっきまで建物内は、目覚めた子供たちや職員の手によって灯されて明かりで窓から光がこぼれていた…けれど。
「電気が、消えた?」
「急にぱって」
 消えたのは建物内の明かりのみらしい、外灯はいつもどおりの、少し緑がかった光を放っている。
「ブレーカー…?」
 唐突に頭を横に振り、矢部はトラックの運転席とあさがおの建物とを見比べ、そこを降りた。

 嫌な予感がするんだ…


 つづく


間を空けすぎて苦しいです…
大丈夫、大丈夫、根底は変わってない、予定通り、うん、そう…
文章がぶっ飛んでるだけ(汗)
そんな射障です(笑)

2005年11月26日

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